えーっと、まずちょっくら「そもそも論」でもしておこうか。
まず美とは何かっ、ね。
思うにそれって何かしらの秩序の発見に対してもたらされる快楽報酬ではないかと思うんだ。
因果関係がはっきりしていて、こうすればこうなるというのはいろいろ役に立つ。でもそうではない、役に立つのかどうかはっきりしないが、何か関連付けられるもの、形が整ったもの、そういう秩序を見つけた時、その時は役に立たなくても、いつかは何かに役に立つかもしれないというので、とりあえずストックしておいた方が良い。
何か不測の事態が生じて、今までの知識ではどうにもならなくなったとき、色々なイメージとか思考のモデルとかを沢山ストックしていれば、ひょっとしたら解決できるかもしれない。そのためのストックを集めることに対して、脳が快楽報酬を与えているんじゃないかと思う。
そのために秩序のあるものを見つけると嬉しくなり、ちょっとした快楽を覚える。それが美なんじゃないかと思う。
そう考えれば芸術が当面何の役に立たなくても必要なものだというのが分かる。今は役に立たなくても、何か本当に困ったとき、発想の転換を求められたとき、芸術はヒントを与えることが出来るんじゃないかと思う。
引き出しが大きければ大きいほど、思いもかけないような発想から柔軟に物事に対応できる。芸術というのは石頭にならないために必要なんだと思う。
ただ、人間は顔かたちが一人一人違うように、人間の五感も一人一人違うし、それを処理する脳の回路もまた、生まれつきの違いもあれば、育ってゆく過程でいろんなことがあって、偶然に人それぞれ異なった回路が形成される。だから物の感じ方、考え方は人それぞれなわけだ。
同じ音楽を聞いていても、同じには聞こえていない。人それぞれ違った聞こえ方をしている。同じ絵を見ても同じには見えていない。
美は対象(オブジェ)そのものに固有の秩序がある限り、一定の普遍性は持っているけど、その見え方聞こえ方は同じではない。美の感じ方には人それぞれの強度の差があって、ある人にはすげーやべーくらい美しいと思っても、他の人から見ればそれほどでもなかったりする。それって普通のことなんだと思う。
人それぞれ違ったものに美を感じれば、一人の人間としては美のストックは限られているけど、他の人が自分がそれほど美しいと感じなかったものを、こりゃすげーと思って覚えておいてくれれば、みんなが集まった時にそれだけ沢山の美のストックがあることになる。
そしてなにかあったときには、古い言葉だけど「三人いれば文殊の知恵」なんて言葉もあるよね。みんながそれぞれ微妙に違ったものをストックしていてくれれば、それだけ使えるものが多いということになる。だから、みんなが同じものを美しいと感じる必要なんてないんだ。
美とはまた別に感動というのは完全に個人のものだと思う。まあ、エマニュエル・カントさんは『判断力批判』の中で、感動は美ではないと言ってたけど、でも芸術には美の側面と感動の側面と両方あっていいし、その両面を持っているのが普通だと思う。
まあ、感動というと、いわゆるエモだね。それはその人の記憶に関係あると思うんだ。
人間生れてきて、人それぞれ違ったいろんな体験をしてくるわけだよ。そうなると、同じものを見てもある人は人生で一番幸せだった頃のことを思い出すかもしれないし、別の人が見れば二度と思い出したくない辛いことを思い出すかもしれないんだ。
だから、感動はその人の生きてきた人生に拘束される。
それでも、同じ日本人だと遠い異国の人よりは体験が似通っている。雪を見た時の感動は雪国の人と熱帯の人とでは違うように、同じところに生まれ育っていれば、その感情は結構似通ったものになる。
そういう時、同じような反応をする人がいると嬉しいよね。ああ、一緒なんだって、親近感を感じちゃったりする。お前もそうだったのかなんて仲良くなれたりもする。
こういう「あるある」はかなり似通った環境に育ったということが条件になる。
芸術作品から引き起こされる感動は、美以上に普遍性がない。ただ、人と人とを繋ぐ効果はこっちの方が大きい。だから、一部の人が不快に感じるからと言って、その芸術を否定したりということは、できる限りしない方が良い。
全員が等しく感動する芸術なんて最初から存在しない、そんなのあったら気持ち悪い。
人間は十人十色で、人それぞれ感じ方は違う。それを認め合う、様々な芸術の混在する渾沌とした世界、それが本当の美なんだと思う。
多様性こそがこの世にすべてだと思う。美も感動も多種多様。それはいざという時の保険になる。いろんな人がいれば、みんながどうして良いかわからなくなったとき、誰かが答えを見つけてくれるかもしれない。
そういうわけで、そうした世界中の多種多様な美の中の一つが、「俳諧」というわけだ。日本人が生んだ偉大な伝統。俺はそれに魅せられて、こんな文章書いちゃったけど、勿論別の人が見たら「何これ?」かもしんない。
まあ、そこは多様性に対して寛大な目で見て、大きな愛で包んでほしいな。
平成四年壬寅水無月廿九日 こやん