源氏の大臣は玉鬘のことを落とそうとあの手この手と何かいい方法はないかと思ってますが、とにかく突然やって来る大原小野山の音無の滝なのが何とも迷惑なことで、南東区画の紫の上の推測通りの軽はずみの恋の浮名と言えましょう。
内大臣は何事につけても中途半端なことが嫌いで物事をはっきりさせたがる性格なので、玉鬘も「容赦なくそう言う関係だということが白日の下にさらされてしまうと恥じをかく」と思い、躊躇します。
十二月に大原野の行幸があり、都中が大騒ぎになり、六条院からも夫人の方々を引き連れて見に行きます。
夜明けの頃に御所を出て、朱雀大路を南に下り、五条大路の所で曲がって西へ向かいます。
桂川の辺りまでびっしりと見物の牛車が並んでます。
行幸といってもいつもこんなになるわけではありませんが、この日は親王や上達部もみんなそれぞれに馬の鞍を飾り立て、随身や馬引きにも背の高いかっこいいのを選んで立派な装束を着せて、希に見る素晴らしいものとなりました。
左大臣右大臣内大臣、その下の納言クラスの人達も残らず付き従います。
青い麹塵の上衣、葡萄染めの下襲を殿上人以下五位六位の者まで着ています。
雪がはらはらと降りだして道中の空も粋なことをします。
親王達や上達部などで鷹狩に係わる者は、普段と違う狩りの格好に着替えます。
まして六衛府の鷹飼い達は、なかなかお目にかかれないような信夫摺りの乱れ模様の衣を着て、そこだけ別世界のようです。
このまたとない素晴らしい行列を見ようと競うようにやって来た庶民のおんぼろ車などは、車輪が押しつぶされたりして悲惨なものもありました。
桂川の浮橋の辺りなどにも、良い場所を求めてうろうろしている立派な車がたくさんありました。
西の対の玉鬘の姫君も出かけていきました。
たくさんのこれでもかと競い合ってる人たちの姿かたちを見る中に、御門の赤い御衣姿の端正で揺るぎない横顔は、誰に喩えることもできません。
自分の父だという内大臣も密かに探して見つけたものの、威厳に満ちた凛々しい姿はまさに今がピークですが、それが限界でもあるのでしょう。
臣下の頂点に立つ人ではありますが、神輿の中で見え隠れする以上に見てみたいとも思えません。
まして、美形だのイケメンだの若い宮中の女性達の死ぬほど憧れてる中将、少将、どこぞの殿上人のような人は、いつもそれ以上の人を見慣れているせいか、特に目に留まることもなく通り過ぎてゆきます。
源氏の大臣の顔は、御門と比べても遜色はなく、むしろ若干立派に見えて恐れ多い感じがします。
御門以上と思うと、これに匹敵する人なんていそうもありません。
高貴な人は皆小綺麗で別格の者だと思ってましたが、父の大臣や息子の中将などの雰囲気にすっかり慣れてしまっていて、今通り過ぎてく人達は何か欠陥があるのか、同じ目鼻を持った人間とも思えず、残念なくらい霞んでしまいます。
あの兵部の卿の宮もいました。
右大将は相変わらず真面目くさった顔してるものの、今日の衣裳のせいかやけに立派に見えて、たくさんの矢を放射状に収めた胡簶を背負って付き従ってます。
色黒であご髭が濃くて、どうにも好きになれません。
どう取り繕ったって女のようなきれいな肌にはなることはないでしょう。
理不尽な話ですが、若い玉鬘には生理的に受け付けないようです。
「源氏の大臣が思い付きで言ってたことをどうすればいいのか。
宮中への出仕なんて思ってないし、そんな育ちも良くないし。」
と心の中で思っていて、
「いきなり御門の寵愛なんてことを考えなくていいような普通の出仕だったら、まだやってみる価値はあるかもしれない。」
という期待もありました。
こうして御門が大原野に到着すると御輿を降ろし、上達部のテントに行き、装束を直衣から狩の格好に着替えている所に、六条院から酒やナッツ類が献上されました。
この日一日お供するように要請されてたものの、物忌みで参上できない旨を奏上しました。
蔵人の左衛門尉を使いに出して、鷹狩で得た雉を長い木の枝に付けて下賜しました。
その時の御門の言葉が何でしたかは、公文書の漢文など学ぶことのない女としては、難しいのでわかりません。
《雪深い小塩山から飛び立った
雉も延喜の式に倣えば》
太政大臣がこうした野辺の行幸にお供した例などもあったのでしょう。
《小塩山深雪積もれる松原に
今日ばかりなる跡やなからむ》
その時聞いた歌はこんなだったか、雑な記憶なので間違ってるかも。
*
翌日、源氏の大臣は西の対の玉鬘に、
《昨日御門の姿を拝見なさったことでしょう。
例の件、決心付きましたか?》
という手紙を送りました。
白い料紙にくだけた感じで書かれた手紙は、特に口説くような言葉もなかったのが変で、
「らしくないわね。」
と笑いながらも、「何か気持ちが見透かされて嫌なものね」と思いました。
返事には、
《昨日は、
霧が立ち朝曇りした行幸では
空の光ははっきり見えない
漠然とした不安を感じます。》
そう書いてあるのを紫の上も見ました。
「内侍としての出仕のことを勧めたんだけど、中宮が既に出仕してるのにまた玉鬘を俺の娘として出して、中宮を差し置いて寵愛を受けてしまったりしたらまずいことになる。
あの内大臣に知らせてあっちの娘とするにしても、あちらも既に女御を出していると思うと悩むところだ。
若い娘が出仕する際に中宮を差し置くなんてことはあってはならないし、とはいえ御門を実際に少しでも見ることがあると、引き下がれなくなるのでは。」
「何言ってるの。
いくら立派な人でも自分から御門に愛されたいなんて、分不相応でしょう。」
「どうだか、あなただって出仕したら好きになるかもよ。」
などと言いながら玉鬘の方へ返事を書きました。
《旭日のような御門の輝きに
なんでみ雪に目を曇らせる》
と出仕を勧め続けました。
「とにかくまずは成人女性としての裳着の儀式を」と思って、その準備としての繊細かつ豪華な調度を揃えました。
どんな儀式でも、自分では意識してなくても自ずと大袈裟で荘厳なものになるもので、まして 「内大臣にもこの際見せつけてやろう」なんて下心もあれば、立派なものにならないはずもありません。
「年明けの二月にしよう」と思いました。
「あの女はなかなかの評判になって、これ以上隠しておくことはできないものの、今まで誰の娘ともわからず奥に隠していたため、本来の藤原氏の氏神にお参りすることもなく、表に出ることもなかったため長年誤魔化してこれた。
もし出仕させるというなら、藤原氏の春日大社の神に背くことになって、結局隠し続けることができなくなって、困ったことだが意図的に略奪して隠蔽してたということで後世まで噂を立てられて、もっと悪いことになる。
大した家柄でないなら、今どき姓を変えることも簡単なんだが。」
などとあれこれ考えて、
「親子の縁は尊重しなくてはならない。
だったら、正直に事情を話して知らせることにしよう。」
結局そう結論付けて、この裳着の時の腰紐を結ぶ役をあの大臣にやらせることにして、手紙で伝えると、大宮が去年の冬から病気で、悪化するばかりなので、このような時には難しい、との返事でした。
息子の中将も昼夜三条の方に行っていて、それどころでないようなので、このタイミングの悪さをどうすればいいのか、また考えます。
「世の中ままならぬものだ。
大宮が死んでしまうことがあれば、喪の期間があるし、それを無視して儀式をすればそれも罪深いことだ。
生きてるうちにこのことを伝えよう。」
と思って三条の大宮の所へお見舞いを兼て出かけていきます。
*
この身分となってはいくらお忍びでとは言っても、行幸の時みたいに立派な装いで、よりいっそう光輝いて見えます。
その姿はこの世のものとも思えないもので、それを有り難く拝見する大宮は病気の苦しさもどこか飛んで行ったかのような気分になり、体を起こしました。
脇息に寄っかかって弱々しくはあるけど、言葉ははっきりとしています。
「見たところそう悪くなさそうですが、うちの中将の朝臣がすっかり動転して、大袈裟に騒ぎ立てていたので、どうなっているのかと心配してました。
内裏でさえ特別な用がない限り行くこともなく、太政大臣としての仕事も果たさずに引き籠っていたので、こうして会うのもどうも落ち着かないし、難儀に思えてしまいます。
年齢的にはもっと上の人で、腰が折れ曲がっても政務に勤めている例は昔も今もありますが、どうしようもない愚か者なんですっかりものぐさしてしまって。」
「年を重ねたことで病気は仕方のないことといえ、もう何ヶ月もこの状態で、年も改まったというのにもはやこの先長くないと思うと、もう二度とあなたには会えないと思って心細かったのですが、今日こうして会えてまた少し寿命が延びた気がします。
今さら惜しむような歳でもありませんが。
生きていかなくてはならなかった人が先に逝ってしまい、こうして取り残されて世の末までも生きながらえてるのを、自分で言うのも何ですが良いこととは思われません。
それで後生への旅立ちの準備を急ごうと思ってるというのに、あの中将がとにかく可哀想でいつも良くしてくれるのにあんなにも思い悩んで心休まることがないのを見るにつけても、それが心残りなもんで今でも死にきれずにいます。」
そうただ泣くばかりで声が震えているのもみっともないけど、事情を思えばとにかく気の毒なことです。
昔のことや今のことを含めていろんな話をしたついでに、
「内大臣は毎日殿上に登り忙しそうだけど、何かのついでに会うことができたら嬉しいんだが。
何とかして知らせなくてはと思うことがあるんだけど、何か別の口実がないと会うことが難しくて、どうしようかと思ってるんだ。」
「仕事の忙しさは私にはその方面のことがよくわからないんで、伝えたいことというのは何でしょうか。
中将のことを邪険に扱ってるということでしたら、
『最初はそうでもなかったんだが、今二人を引き離しているけど、一度立ってしまった噂は消すことができないばかりか、かえって馬鹿みたいに噂は広まるばかりだ』
なんておっしゃって、一度決めてしまうと後に引かない性格の人ですから、納得いかないのは無理もないと思います。」
中将のことだと思ってそう言うと、源氏は笑って、
「言ってもしょうがないけど、許してもらえることもあるかと聞いて、密かに頼んだことはあったけど、とにかく厳しい忠告を受けてしまって、もうこれ以上言っても関係がぎくしゃくするだけで言わない方が良かった。
どんな罪にでもみそぎというものがあるんで、何とかきれいさっぱり洗い流してくれるのかと思っていたけど、既に汚れてしまった水にいつかきれいな水が出てくるのを待っててもしょうがないのは世の常だ。
何事も後になればなるほどランクが落ちて行くもんで、結婚相手も同じだ。
内大臣も残念なことをしたもんだ。」
で、そう言ったあと本題を切り出します。
「そのことではなく、内大臣に知らせなくてはいけない人を、いささか手違いがあって、急に面倒見ることになって、その時は間違いを指摘する人もなかったから、身勝手にどういうことなのか調べてみもせず、自分に子供が少なかったもんだからこれ幸いと、まあつまり自分一人納得して、そんなに親しくもせずに年月が過ぎて、それをどこで聞いたか内裏から出仕の要請が来たんだ。
尚侍がいなくて内侍所がうまく回らず、女官なども行事の際に頼る者がなくて混乱してて、今はただ御門に仕える古株の典侍の二人や他に使えそうな人たちがいろいろ尚侍にと申し出ているが、条件を満たすだけの人材がいなくてね。
それで家柄も高く宮中での評価もそれなりにあって、家の外へ出ても問題なさそうな人が昔からこうした役に付いている。
頭が良くて仕事ができる人を選ぶなら、そんな高貴な人でなくても長年キャリアを積んだ人もいいんだけど、それすら見当たらないとなれば、世間で評判のいい人を選ぼうということで、私の方に打診があって、まあ、不相応というわけでもないし、断る理由もないとは思うんだ。
女の宮廷への出仕は女御更衣など然るべき地位に着いて、出自が良くても悪くても御門の寵愛を得る所に意味がある。
ただ公務として宮中の仕事をし、行事などを趣向を凝らすだけというわけでもないなら、軽い扱いのようにも見えても、そうでもないなと思えてね。
ただどうなるかは結局その人次第なんだと、ちょっとばかり弱気になってしまってな。
年齢などを尋ねると、あの大臣が探していた人だということがわかったんで、どうするべきかと内大臣にきちんと説明したい。
何かのついででなければなかなか会うこともできない。
すぐにでもこういう事情なんだとはっきり言わなくてはと思って、手紙を差し上げたんだけど、母の病気のことを理由に面倒くさがって断られたんだ。
確かにタイミングが悪かったと思ってたけど、御病気の方が良くなられたんなら、せっかっく思い立ったんだからこの機会にと思います。
そのように伝えて下さい。」
「どういうこと?どういうことなんですか?
あちらでは娘だといろいろ名乗ってくる人を片っ端から拾い集めてるというのに、どうして本当の子がそんなふうに間違ってあなたの子になったんですか。
最近になってからのことでしょうか。」
「これにはわけがあるんだ。
詳しい理由はあの大臣が自分から聞いて来るでしょう。
下級貴族との複雑な関係のようなもんで、明らかにしようにもそれが雑に人に伝わっても困るので、中将の朝臣にすらまだ知らせてはいない。
絶対人には言わないでくれ。」
と固く口留めしました。
*
内大臣は宮様のいる三条の宮に源氏の太政大臣が来ていると聞いて、
「あんな寂しげな所で、どうやってあんな最高の位にある人を待たせてるというんだ。
車を誘導する人達を大勢でお出迎えしたり、大臣に相応しい席をきちんと用意できる人もいないだろうに。
息子の中将だって一緒に来ているはずだ。」
と、とにかく大慌てで息子の殿上人は、側近の殿上人などを向かわせました。
「酒やおつまみになるナッツ類など大臣に相応しいものを見繕って持って行かせろ。
俺もすぐ行かなくてはならないが、一緒に行くと大騒ぎになる。」
などと言ってる時に大宮からの手紙が来ました。
《六条の大臣がお見舞いにいらしてます。
寂しそうにしてますが、人目に付くのも望まず、歓待にも及ばぬことで、大袈裟にではなく、ここにいるのを知らずに来たかのように来てください。
会って話したいことがあるそうです。》
とありました。
「何の話だろう。
あの姫君のことで中将がなんかやったのか。」
と思うに、
「宮も先行き長くないし、結婚を切に望んでいて、源氏の大臣もそんな高圧的でなく一言丁重にお願いしてくれれば、そんな拒む理由もない。
あの息子の方も気のない素振りで冷たく振る舞われてしまっても面白くない。
源氏の大臣の頼みとあらば、それを受け入れる形で許してやろう。」
と思います。
「源氏と宮が示し合わせて頼むんだな」と想像が付くものの、「ならますます断りにくいが、だからといって言いなりになるのも」と迷うあたりは、意地悪な気持ちも抑えられず困ったことです。
「それにしても、宮が言うには、大臣も会って話したくて待っているというのも、お互い気まずいな。
とにかく行ってみて、相手の出方を見て決めよう。」
そう思って、装束を特別立派に整えて、車の先導などもそんな大げさにせずに三条へ行きました。
息子や使用人の公達をたくさん引き連れて入って行く様は物々しく、堂々たるものです。
背丈は聳えるかのように高く、貫禄もあって、とにかく威厳があって面構え、歩く姿、いかにも大臣然としてます。
葡萄染めの指貫に、桜の下襲、裾を長く引き摺ってゆるゆると勿体ぶったような振る舞いに、いかにもキラキラ輝いているかのようで、一方六条の大臣は桜の綺という中国製の細かな浮かせ彫りの模様の直衣《のうし》に、紅梅・濃紅梅という今様色の御衣を上に着た、御門の普段着のような姿は喩えようもないものです。
ただ、光り輝いてはいるものの、こうしっかりと身なりを整えた内大臣の姿には、肩を並べることもできません。
公達が次々にやって来て、どれもいかにも立派そうな一族家臣が勢ぞろいしました。
弟の藤大納言、春宮大夫など今を時めく御曹司たち、みんな出世して立派になってます。
何気にさりげなく、名高い高貴な殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中将・少将、弁官などそれ相応の地位についた華やかな者たちが十人以上も集まれば壮観で、それに従う下級貴族もたくさんいて、たくさんの杯が次々と配られれば皆酔いが回って来て、口々に宮様がいかに恵まれた人かなど、いろいろ話し出しました。
内大臣も久しぶりに会ったということで、昔のことなど思い出しながら、別々にいる時にはつまらないことで張り合おうとする気持ちがあるものの、こうやって面と向かって話していると互いに、しみじみといろんな思い出を語り合い、分け隔てなく昔や今のことなど積もる話に日は暮れていきます。
酒なども勧めます。
「見舞いに行かなくてはいけなかったんだが、呼ばれてもいないのに行くのはどうかと思ってな。
後れて参ったのは勘気蒙る所だな。」
「叱責を受けるのは私の方で、勘気に値することが多々あります。」
などと、罪科を仄めかすと、内大臣はあのことだと思って、面倒くさそうに畏まります。
「昔から公私にわたって分け隔てなく大きなことも小さなことも相談してきたし、二枚の羽を並べるように朝廷の補佐を務めてきた仲だと存じてます。
今となっては昔の残念な出来事を時折思い出し、大変プライベートなことなんですが、この昔からの仲を損なわないことを願います。
こうして年を重ねて行くと昔のことが懐かしく思い出されますが、なかなかこうして会って話すことも滅多になくなり、こうした限られた機会に大儀とは思われますが、親しい仲なので格式張らない形で訪ねて来てほしかったのにと、残念に思うこともあります。」
「昔は確かに馴れ馴れしく、かなり失礼なことでも気にせず、分け隔てなく会うことができました
ですが、最初に朝廷に仕える時は羽を並べるなんてとんでもない、物の数でもないと思ってまして、有り難いお引き立てがあってこそ非才なこの身もこのような位にまで登り、今なお朝廷に仕えるにあたってもその御恩を忘れたことはございません。
こう年を取ってまいりますとなかなか怠惰になることも多いので、今日は気を引き締めてと思った次第です。」
内大臣はそんなふうにかしこまるばかりです。
この隙に何とかと、玉鬘のことを打ち明けます。
「それはそれは、とにかく感慨深い奇跡とも言うべきことですな。」
とまずは涙ぐんで、
「昔からどうなってしまったのかと心配して探してたもので、悲しみに耐えきれず、何かのついてに、愚痴って聞かせたこともあったと存じます。
今はこの通り、少しは私めも大人になりまして、娘だと称する何かパッとしない人もあれこれ現れては来て、いかにも見苦しくお恥ずかしい所ですが、まあそうした娘でもたくさんの子供達の一人と思うとかけがえのないものと思うにつけても、探してたその子のことがまっ先に思い出されます。」
そのあと、昔の雨の夜に語ったいろんなことを思い出しては、泣いたり笑ったり、すっかり礼儀も忘れて昔のように語り合いました。
すっかり夜が更けた頃、散会となりました。
「こうして訪ねて来てせっかく会えたのだから、このまま帰りたくないという気持ちにもなります。」
そうそう滅多に弱気にはならない六条の大臣も、酔って散々泣いたせいか、すっかりしおらしくなってます。
宮様はその上娘のことを思い出して、兄と夫のあの頃では考えられないような出世した姿をを見て、これを見せることのできなかった悲しみを止めようがありません。
さめざめと涙を流す尼姿はまた全く別のものです。
なかなかない機会ですが、中将のことは遂に何も言いませんでした。
何の気遣いもなかったと思うと、そこに口をはさむことも良くないと思い、黙ってましたが、内大臣は向こうから要求してこないのに、こちらから言い出すわけにもいかず、膠着状態になってしまったなと思います。
「夜なので送っていくべき所だが、いきなり大騒ぎになったとしてもいけない。
今日のお礼はまた別の機会にしたい。」
「ならば、宮様の病気も小康状態のようなので、裳着《もぎ》の日には間違えずに必ず来てくれ。」
と約束しました。
双方とも上機嫌で、それぞれ帰って行く物音が響き渡り、なかなか壮観です。
内大臣のお供の公達は、
「何があったんだ。
滅多にない御対面で、なんかいいことあったんだろうか。」
「何か取引でもあったのかな。」
など勘繰る程度で、あの女のこととは思いもよりませんでした。
大臣はとにかく早くその娘を見てみたいと気が急くものの、
「言われるがままに受け取って親となるのも面白くない。
あの娘を探し出したその動機を考えると、まともに親として純潔を守るようなことはすまい。
立派な妻達が既にいるから、それを考えると勝手にその妻達の中に加えることもできないし、 それなりに悩んだ末に外聞も考慮して、こうやって打ち明けてきたんだろう。」
そう思うと悔しいものの、
「だからといって娘に罪があるわけではない。
このまま源氏との関係を続けさせても、こちらが非難されることはないだろうし、
宮中に出仕してくることになると、うちの女御やその母方の方が面白く思わない。」
とは思うものの、
「とりあえず、あちらの決定通りに裳着の儀をするしかないだろう。」
と結論付けるのでした。
そう言っていたのも二月の初め頃のことでした。
二月十六日が彼岸の入りで、これが一番の吉日でした。
その前後に特に吉日がないと陰陽師にも言われて、宮様もその日が良いというのでせわしくなってきて、源氏の大臣もいつものように玉鬘の所に行き、内大臣に告げた時の様子などとともに裳着の儀のことを詳細に話して聞かせると、
「暖かい心遣いは実の父がいるとはいってもありがたいこと」
と思ってはみるものの、実父に会えるのがうれしくないはずもありません。
そのあと息子の中将にもこっそりとこのことを知らせました。
「変だと思ってたけど、実の親ではなかったならなるほど。」
と納得しつつ、あれから音沙汰ない内大臣の娘のことよりも玉鬘のことがたまらなく思い出されて、「実の妹ではないと知ってたら」と勿体ないことしたと思いました。
まあそれでも、「そんなこと考えちゃいけない、そんな浮気なことではいけない」と反省する辺りは稀に見る真面目な人です。
*
こうしてその日になって三条の宮から密かに使いの者がありました。
櫛を入れた箱を急遽設えて、その他の贈り物も綺麗に整え、手紙には、
《本来こうした席では忌むべき尼の身なので、今日は表には出ることはありませんが、それでも手紙くらいは私の長寿にあやかって、目出度い席にも許されると思います。
いろいろ悲しい事情があったこともお聞きしまして、私の孫であることが明かされたことをどう受け止めていいやら。
あなたのお気持ちを考慮して、それに従いたいと思います。
いずれにせよ私の孫の櫛の箱
二重底でも離れることなく》
古めかしい字体で震えるような文字は、源氏の大臣もそこにいて贈られてきた品々を確認してる時だったので、この手紙を見て、
「時の重みを感じさせる立派な手紙なのに、それが思うように書けなくなったのはいたわしい。
昔はもっと上手だったんだが、年を取れば、衰えていくのもんなんだな。
やっとのことで書いたって感じだ。」
と何度も読み返し、
「うまくこの立派な懸子という二重底の櫛箱に掛けて詠んでいるな。
みそひと文字をこんなに無駄なく使うというのは難しい。確かに俺も義理の息子だから俺の子だとしても孫には違いない。」
と、一人ほくそ笑むのでした。
南西区画の中宮の方からも白い裳や正装の唐衣、装束、髪飾りなどはどれも二つとないもので、それにいつもの壺には中国製の薫物の特に香ばしいものが贈られました。
他の妻達も皆思い思いに女房達の装束を作ってやり、櫛や扇までいろんなものを支給されたその姿はどれも見劣りすることなく、何から何まで意匠の限りを尽くして競い合っている
のが面白いものです。
二条院東院の人達の方もこうした急な連絡を受けてまして、空蝉の方は尼なので目出度い席に尋ねて来る立場にもなく受け流すだけでしたが、常陸の宮の女君の方はなかなか律儀にこういう儀式を軽んじることのない昔気質な人なので、急な連絡にも他人事とは思わずに形式だけでも贈り物をしてきました。
ただ、少々残念な心遣いでもあります。
喪服みたいな青味のある暗い灰色の細長の一揃い、落ち栗色というのか、そうした色の昔の人が好んだ袷の袴が一揃い、色あせたような紫の霰模様の小袿を立派な衣装箱に入れて、これまた立派な布で包んで送ってきました。
手紙には、
《わざわざ知らせてもらうほどの身分でもありませんが、ささやかながらこうした折に何もしないのも何でして。
これはとにかくつまらないものですが女房達にでもやってください。》
とまあ、他意はないようです。
源氏の大臣はそれを見て何ともトホホで、いつものことだと思いつつも顔から火が出そうです。
「いつの時代の人なんだよ。
ああいう人との接触がなくて今の常識のない人は、おとなしく引き籠っていれば良いのに。
こっちが恥ずかしくなる。」
そう思って、
「礼はしなさい。
向こうも格好がつかないからな。
あれの父親は親王で、いろいろ悲しいことがあったことを思えば、そこいらの殿上人と同列というのも可哀そうだ。」
と玉鬘に言います。
小袿の袂にまた、一つ覚えのような唐衣の歌が添えられてました。
《この私の身が辛いです唐衣
君のたもとにないと思えば》
字体は昔と変わらず、いかにも畏まったように止はねきっちりと、楷書のように四角四面に書いてあります。
源氏の大臣は呆れるを通り越して笑ってしまいます。
「どうやってこの歌を詠んだんだか。
そうでなくても今は助言する人を置いておくような余裕もないだろうに。」
と気の毒にも思えます。
「では、この返事は忙しくても私がしよう。」
と言って、相手が快く思わない言わなくても良いようなことですけど、鬱憤を晴らすかのように書きなぐって、
《唐衣また唐衣唐衣
返す返すも唐衣だな》
「本人は大真面目で、唐衣から『たもと』『そで』といった言葉を導き出すのがあの人の好む歌風だから、お返ししてあげよう。」
そう言って見せると玉鬘は顔を真っ赤にして笑い、
「可哀想でしょ。
まるで私がいじってるみたいじゃないですか。」
と呆れてます。
まあ、どうでもいいことではありますが。
*
内大臣は別に急ぐ必要もないのに、あんなとんでもないことを聞いてしまったあとは早く会いたいと気がせくばかりで、かなり早めにやってきました。
儀式なども通常あるべきことのほかに色々目新しいことを付け加えてました。
「なるほど、わざわざそういう心を見せつけようというわけだな。」
と思うものの、それにしてはどこかよそよそしくもあり、違和感を覚えます。
夜も遅い亥の刻に御簾の中に案内されます。
儀式の準備は整えられていて、内大臣の席も二つとない立派なものに設えてあり、酒と肴も用意されてます。
御殿油は通例よりも少し光を強くして、しっかりと姿が見えるように配慮されてます。
やっと会えて抱きしめてやりたい気持ちでも、今夜はあらたまった儀式なので衝動を抑えて腰紐を結ぶと、もはや気持ちを抑えられない様子です。
「今宵の儀式では昔あった出来事のことを話してないので、来ている人達は何のことかもわからないことでしょう。
事情を知らない人達の手前、いつもの作法で儀式を遂行してください。」
と申し上げました。
「確かに。
今申し上げることはございません。」
土器に酒を頂くと、
「大変恐縮ですが、今だかつてないほどの立派な裳着を行っていただきながらも、今まで娘のことを隠していたやるせない思いを言わないわけにもいかないでしょう。
恨まれるは沖の玉藻の裳来るまで
磯に隠れてた海士の心よ」
と歌うと涙の潮を隠しきれません。
姫君はとにかく気後れするようなそうそうたる方々の集まる席で委縮してか、何も言えなければ源氏の大臣は、
「寄る辺なく渚に打ち上げられてたら
海士も見捨てた藻屑と思う
隠れてたなんて何を根拠に。
心外です。」
と返すと、
「まあ、そういうだろうな。」
とそれ以上何も言わずに儀式の場を出ます。
親王や殿上人達も皆次々と残るらずここに集まってきてました。
玉鬘に思いを寄せる人も何人も混じっていたので、内大臣が御簾の内に入ったままいつまでたっても出て来ないのを不審に思ってました。
内大臣家の頭の中将や弁の少将だけは、何となく事情が分かってたようです。
密かに思いを寄せてたので、兄弟だと知るのは残念でもありますが、嬉しい気もします。
弁の少将が、
「求婚しなくて助かったじゃないか。
あの大臣にいいように弄ばれる所だった。
中宮と同じように宮中へ送るんだろうな。」
などと囁いてるのが源氏の耳に止まり、
「なおしばらくは用心して、世間の誹りをうけないように扱ってくれ。
どんなことでも口の軽い奴がいて、べらべら言いふらしたりして噂が広まるもんだ。
俺もあなたもそれで人に何やかや言われてたりすれば普通の人とは違って足を掬われかねないからな。
波風立たないように少しずつ人に慣れさせてゆくのが良いと思う。」
と内大臣に言うと、
「ほんと、その通りにしたいものだ。
これまできちんと見守って、人目に触れないようにしながら立派に育て上げてくれたのも、前世の深い縁でもあったのでしょう。」
と答えます。
返礼の贈り物なども言うまでもなく、引き出物や禄は皆列席者の身分に応じて、慣例で一定の範囲は決まってるものの、それよりやや上を行く通常以上のものを振る舞いました。
大宮の病気への配慮もあったことから、盛大な音楽などの宴は行いませんでした。
兵部の卿の宮は、
「成人が済んだのでいまは断る口実もないかと思います。」
と結婚の話を迫りましたが、
「内裏の方から出仕の要請があるので、それを辞退するにしても、重ねて仰せがあったならそれに従うしかない。
その上でまた改めて考えなくてはな。」
との返事です。
実父の内大臣は、
「ほんの少ししか見ることができなかったが、改めてまた会いたいものだ。
何か難でもない限り、ここまでずっと勿体付けて隠しておく必要もなかっただろうに。」
などと、どうにも気が気でなく、もう一度じっくり会いたくてしょうがないようです。
今になって、かつて見た夢に占い師が言ってた、「全く知らなかった子が、誰かの子だった」というのが現実になったと思いました。
*
弘徽殿の女御だけはこの事情をはっきり聞かされてました。
世間で噂にならないように、しばらくは黙っているようにきつく口留めはしていたものの、必ず漏れるのは人の世の常です。
どこからか自ずと情報が洩れて次第に広まって行くと、あの早口な姫君《タカヒメコ》も知るところとなり、弘徽殿女御に頭の中将や弁の少将の揃ってるところにやってきて、
「大臣殿は娘を見つけ出したという話ですね。あーーほんとお目出度い。凄いじゃないの太政大臣と内大臣両方が後ろに付いてて。聞く所によるとあっちも身分の低い女から生まれたっていうし。」
と誰憚ることなくまくしたてれば、女御もこれは痛いなと思って何も言い返しません。
頭の中将は、
「そりゃあ、大事にされるだけの理由があるからそうしてるんでしょう。
それにしても誰がそんなこと言ったのか、いきなり言われてもな。
口の軽い女房などに聞こえちまうだろ。」
と言えば、
「お黙り。
みんな言ってることでしょ。尚侍になるんだってね。宮使いに出すから急いで準備しろっておっしゃってたのであたしのことばかりだと思ってましたのに他の女房達のしないようなことまで一生懸命やって来たというのに姫君様はひどいではないですか。」
と文句を言ってるのを、みんな苦笑しながら、
「尚侍といったら従三位。
そんなポストが空いてたら俺だってなりたいところだ。(弁少将は五位、頭中将は四位です。)
無茶言うなよ。」
と言われると腹が立ったのか、
「立派な御兄弟方の中にあたしなんぞの下賤の者は混じるなってことなのね。中将もひどいですわ。勝手に迎えに来ておいてそう言って人を小馬鹿にして。少将の方も、この家柄がなかったら昇殿なんて到底無理だってでしょ。あな畏、あな畏)」
と言うと後ろへ膝で歩いて行ってまっすぐ見つめます。
不機嫌に目を吊り上げていても、何か憎めない感じです。
頭の中将はこんなこと言われるたびに失敗したなと思うものの、真面目に聞いてます。
弁の少将の方は、
「そういうところなど、なかなか堂々と立派にふるまうあたりは、女御様も悪く思うことはない。
どうか気をお静めなさい。
堅い岩でも淡雪になって溶けて行くようにふるまえば、必ず望み通りの地位は得られます。」
とにっこり笑って言いました。
頭の中将も、
「堅い岩なら天の岩戸に籠っててくれた方が安心だがな。」
と言って立ち去ったので、近江の姫君はほろほろ涙を流し、
「この公達さえもが皆素っ気なくしてただ姫君様の優しいお心遣いがあればこそこうしていられます。」
そう言って気軽にいそいそと、身分の低い童女でもしたがらないような雑用に奔走し、何も考えずに飛び回るかのように精一杯奮闘して宮仕えをしては、
「どうかこのあたしを尚侍にするよう頼んでください。」
と催促するのも見苦しく、何考えているのやらと思うものの何も言いませんでした。
内大臣がこの要望を聞くと、もう大笑いして女御の所に来たついでに、
「どれ、近江の君よ、こっちに。」
と呼び寄せると、「はい」と元気よく返事して出てきました。
「よくやってくれてるようだから、宮仕えしてもばっちりだな。
尚侍のこと、何でもっと早く俺に言わなかったんだ。」
などと真顔で言うとすっかり喜んで、
「そう言おうと思ってたのですけどこの姫君殿がそのうち伝えてくれると内心期待してたのですが他の人がなるようなことを聞きまして大金持ちになった夢から覚めたみたいに胸に手を当てて動悸を抑えている状態です。」
と言います。
その口ぶりはいかにもはきはきとしています。
内大臣は笑いをこらえながら、
「そうやって他人に期待するのはお前の欠点だな。
思うことがあるなら、まず誰よりも先に俺に言うと良い。
太政大臣の所の女は一見安泰なようだが、俺が誠心誠意お前のことをお願いすれば御門も聞いてくれないわけではない。
今すぐにも上申書を作成して、自分がいかに相応しいかビシッとアピールすると良い。
女は漢文はNGだから、長歌の形を取って仕官の意思を見せれば、きっと読んでくださる。
御門は人の心のわかるお方でおられる。」
などとうまいことなだめすかします。
適当にあしらうあたり、これでも親なんでしょうか。
「和歌の方は下手ながらも何とか連ねることはできるので本旨の方は父上殿より進言してくだされば所々に歌を添えることで父上のお力を借りることができればと思います。」
そう言って、手を擦り合わせて懇願します。
几帳の後で聞いてる女房達はもう死にそうです。
笑いをこらえられなくなっては、部屋の外に出て、何とか凌いでます。
弘徽殿女御も顔を真っ赤にして見苦しいことになって、困り果ててます。
内大臣も、
「むしゃくしゃする時は近江の君をみると気が紛れるな。」
と言ってただ笑い話のネタにしてますが、宮中では「娘の恥は親の恥なのに、娘だけを笑い者にしてごまかそうとして」など、いろいろ言われてます。