三月十九日舟泉亭
山吹のあぶなき岨のくづれ哉 越人
蝶水のみにおるる岩ばし 舟泉
きさらぎや餅洒すべき雪ありて 聴雪
行幸のために洗う土器 螽髭
朔日を鷹もつ鍛冶のいかめしく 荷兮
月なき空の門はやくあけ 執筆
参考;『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)
発句
三月十九日舟泉亭
山吹のあぶなき岨のくづれ哉 越人
「岨(そば)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 (近世以後「そば」とも) けわしい所。がけ、絶壁、急斜面、急坂など。きりぎし。
※山家集(12C後)中「古畑のそはのたつ木にゐる鳩の友呼ぶこゑのすごき夕暮」
とある。山吹の所に行きたいが、崖の崩れた危なっかしい所にある。
舟泉は『芭蕉七部集』の中村注に、
「舟泉は芭蕉門、三河の人、永田氏、通称六兵衛、別号介石園、流形庵」
とある。三河挙母の人というから今の豊田氏の豊田スタジアムの近くで山奥ではないので、この句は当座とは関係なく詠まれたのだろう。
季語は「山吹」で春、植物、草類。「岨」は山類。
脇
山吹のあぶなき岨のくづれ哉
蝶水のみにおるる岩ばし 舟泉
(山吹のあぶなき岨のくづれ哉蝶水のみにおるる岩ばし)
山吹の咲く崖があり、蝶が水のみに岩橋に降りてくる。蝶はこの時代は黄蝶なので、黄色に黄色と似た者同士になる。
季語は「蝶」で春、虫類。
第三
蝶水のみにおるる岩ばし
きさらぎや餅洒すべき雪ありて 聴雪
(きさらぎや餅洒すべき雪ありて蝶水のみにおるる岩ばし)
餅の保存法はいくつかあるようで、『芭蕉七部集』の中村注にあるのは、「餅を水に浸け厚さ五分程に切り、寒夜に晒し凍らせる」という方法で、今でもネットで見れば水餅保存のやり方が出てくる。
もう一つ東北の方で行われてきた餅を寒風にさらして干し餅(凍み餅)にするという方法で、これだと食べる時に水にさらして戻す。
この場合は前者で、「餅さらすべき雪ありて、(今は)きさらぎに蝶水飲みに降るる岩はしや」であろう。
季語は「きさらぎ」で春。「雪」は降物。
四句目
きさらぎや餅洒すべき雪ありて
行幸のために洗う土器 螽髭
(きさらぎや餅洒すべき雪ありて行幸のために洗う土器)
春の花見のための行幸であろう。古代の吉野行幸として土器(かはらけ)を付ける。
無季。旅体。
五句目
行幸のために洗う土器
朔日を鷹もつ鍛冶のいかめしく 荷兮
(朔日を鷹もつ鍛冶のいかめしく行幸のために洗う土器)
『芭蕉七部集』の中村注に、
「『標注』は「後鳥羽院ノ御宇ノ番鍛冶ノ面影カ」という。[参考]鷹もつは句のとりはやしにていさましき鍛冶の体也。(七部十寸鏡)」
とある。『標注』は『標註七部集』(惺庵西馬述・潜窓幹雄編、元治元年)で、七部十寸鏡は『七部集十寸鏡春日解』(天堂一叟)か。
後鳥羽院の番鍛冶はウィキペディアに、
「後鳥羽院は刀剣の製作を好んだ。院は京都粟田口久国、備前国信房にその業を授けられた。承元2年、諸国から刀工12人を召して、水無瀬において毎月、刀を作らせた(12人の番鍛冶)。」
とある。
前句を鷹狩の御幸とし、番鍛冶に鷹を持たせたのであろう。厳めしそうな鍛冶が鷹を持てば余計に厳めしくなる。これが「取り囃し」になる。
無季。「鷹」は鳥類。「鍛冶」は人倫。
六句目
朔日を鷹もつ鍛冶のいかめしく
月なき空の門はやくあけ 執筆
(朔日を鷹もつ鍛冶のいかめしく月なき空の門はやくあけ)
朔日だから月はない。暗いうちに鷹狩に出発する。
季語は「月」で秋、夜分、天象。