「水鶏啼と」の巻、解説

初表

   隠士山田氏の亭にとどめられて

 水鶏啼と人のいへばや佐屋泊    芭蕉

   苗の雫を舟になげ込      露川

 朝風にむかふ合羽を吹たてて    素覧

   追手のうちへ走る生もの    芭蕉

 さかやきに暖簾せりあふ月の秋   露川

   崩てわたる椋鳥の声      素覧

 

初裏

 耕作の事をよくしる初あらし    芭蕉

   豆腐あぢなき信濃海道     露川

 尻敷の縁とりござも敷やぶり    素覧

   雨の降日をかきつけにけり   芭蕉

 焙烙のもちにくるしむ蠅の足    露川

   藺を刈あげて門にひろぐる   素覧

 切麦であちらこちらへ呼れあふ   芭蕉

   お旅の宮のあさき宵月     露川

 うそ寒き言葉の釘に待ぼうけ    素覧

   袖にかなぐる前髪の露     芭蕉

 咲花に二腰はさむ無足人      露川

   打ひらいたるげんげしま畑   素覧

 

 

二表

 山霞鉢の脚場を見おろして     支考

   船の自由は半日に行      左次

 月夜にて物事しよき盆の際     巴丈

   かりもり時の瓜を漬込     露川

 三鉦の念仏にうつる秋の風     素覧

   使をよせて門にたたずむ    支考

 我恋は逢て笠とる山もなし     左次

   年越の夜の殊にうたた寐    巴丈

 扨は下戸いちこのやうに成にけり  露川

   達者自慢の先に立れて     素覧

 金剛が一世の時の花盛       支考

   つつじに木瓜の照わたる影   左次

 

二裏

 春の野のやたらに広き白河原    巴丈

   三俵つけて馬の鈴音      露川

 それぞれに男女も置そろへ     素覧

   よめらぬ先に娘参宮      支考

 あり明に百度もかはる秋の空    左次

   畳もにほふ棚の松茸      巴丈

 

二表(2)

 一度は暮して見たき山がすみ    支考

   ふねの自由は半日にゆく    左次

 月夜にて物事しよき盆の前     巴丈

   かりもり時の瓜を漬込     露川

 三鉦の念仏にうつる秋の風     素覧

   小者をやりて門にたたずむ   支考

 我恋は逢うて笠取ル山もなし    左次

   貧はつらきよ〇〇假寐     巴丈

 酒塩に酔ふた心も面白や      露川

   一里や二里の路は朝の間    素覧

 伊勢に居て芝居をしらぬ花盛    支考

   つつじの時はなを長閑也    左次

 

二裏(2)

 春の野のやたらに広キ白河原    巴丈

   から身で馬はしやんしやんと行 露川

 板葺のゆたかに見ゆるお蔵入    素覧

   山ちかふして薪沢山      支考

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

   隠士山田氏の亭にとどめられて

 水鶏啼と人のいへばや佐屋泊   芭蕉

 

 水鶏の鳴く声の聞こえる所だと聞いたので、この佐屋に泊まることにしました、という挨拶になる。

 

季語は「水鶏」で夏、鳥類、水辺。「人」は人倫。

 

 

   水鶏啼と人のいへばや佐屋泊

 苗の雫を舟になげ込       露川

 (水鶏啼と人のいへばや佐屋泊苗の雫を舟になげ込)

 

 佐屋の辺りは田んぼが多く、この頃はとっくに田植は終わっていたと思うが、特に興行の時の風景というのではなく、田植の頃の風景を付ける。舟は早苗船であろう。

 芭蕉がまだ江戸にいた頃だったか、芭蕉自身の句はないが、『炭俵』に、

 

 子は裸父はててれで早苗舟    利牛

 

を発句とする百韻が収録されている。

 

季語は「苗」で夏。「舟」は水辺。

 

第三

 

   苗の雫を舟になげ込

 朝風にむかふ合羽を吹たてて   素覧

 (朝風にむかふ合羽を吹たてて苗の雫を舟になげ込)

 

 朝の風が合羽を吹きたてる風のある日に、苗を舟に載せて田植へと向かう。

 

無季。「合羽」は衣裳。

 

四句目

 

   朝風にむかふ合羽を吹たてて

 追手のうちへ走る生もの     芭蕉

 (朝風にむかふ合羽を吹たてて追手のうちへ走る生もの)

 

 追手はここでは「おふて」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追手」の解説」に、

 

 「おう‐て おふ‥【追手】

  〘名〙

  ① 敵の正面を攻撃する軍勢。大手。⇔搦手(からめて)。

  ※源平盛衰記(14C前)三四「木曾義仲、〈略〉西門へぞ追手(ヲフ)手にとて向ひける」

  ② 城郭の正門。表門。大手。

  ※太平記(14C後)三「一万二千余騎、梨間の宿のはづれより、市野辺山の麓を回て、追手へ向ふ」

 

とある。

 何かが城の大手門へと入っていったのだろう。門の向こうへ行ってしまうと、もう追いかけられない。追手(おって)が追手(おうて)で追えなくなる。

 それにしても、生き物は何だったのか。

 

無季。

 

五句目

 

   追手のうちへ走る生もの

 さかやきに暖簾せりあふ月の秋  露川

 (さかやきに暖簾せりあふ月の秋追手のうちへ走る生もの)

 

 前句の「生もの」を刺身などの肴の生(なま)ものとしたか。

 店の暖簾の辺りは月見の月代(さかやき)の男性客でごった返していて、表門から生ものが運び込まれる。

 

季語は「月の秋」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   さかやきに暖簾せりあふ月の秋

 崩てわたる椋鳥の声       素覧

 (さかやきに暖簾せりあふ月の秋崩てわたる椋鳥の声)

 

 人が大勢来たので、椋鳥の群れが一斉に鳴きながら飛び立って行く。

 

季語は「椋鳥」で秋、鳥類。

初裏

七句目

 

   崩てわたる椋鳥の声

 耕作の事をよくしる初あらし   芭蕉

 (耕作の事をよくしる初あらし崩てわたる椋鳥の声)

 

 秋の初めの初嵐は台風の影響によるものなのだろう。適度に吹いてくれれば米の出来も良くなる。椋鳥もまた田んぼの害虫を食べてくれる。

 

季語は「初あらし」で秋。

 

八句目

 

   耕作の事をよくしる初あらし

 豆腐あぢなき信濃海道      露川

 (耕作の事をよくしる初あらし豆腐あぢなき信濃海道)

 

 「信濃海道」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に「近江草津から、美濃を経て信濃へ通ずる街道か」とあるが、これだと中山道の塩尻までの西半分ということになる。

 信濃街道と呼ばれた街道が存在しないとなると、特定の街道ではなく、信州を通っている街道という意味か。

 豆腐の原料の大豆は暑さに弱いため、夏に種を蒔いて晩秋に収穫する。初嵐の頃はまだ豆腐の季節ではなかった。

 

無季。旅体。

 

九句目

 

   豆腐あぢなき信濃海道

 尻敷の縁とりござも敷やぶり   素覧

 (尻敷の縁とりござも敷やぶり豆腐あぢなき信濃海道)

 

 「尻敷(しりしき)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尻敷」の解説」に、

 

 「〘名〙 野外などで腰をおろすとき下にしくもの。腰にくくりつけておくことが多い。

  ※京童(1658)三「茗荷草をやはらかにたたきて尻(シリ)しきに入る」

 

とある。

 「縁(へり)とりござ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「縁取」の解説」に、

 

 「③ へりをつけた茣蓙。縁取茣蓙(へりとりござ)。

  ※俳諧・富士石(1679)三「縁(へり)取や寝肌の七符けさの秋〈調知〉」

 

とある。

 信濃街道は茶店も少なく、自分で茣蓙を敷いて休まなくてはならないから、長く旅をしているとその茣蓙も破れて来る。

 

無季。

 

十句目

 

   尻敷の縁とりござも敷やぶり

 雨の降日をかきつけにけり    芭蕉

 (尻敷の縁とりござも敷やぶり雨の降日をかきつけにけり)

 

 この「を」も「に」に通う「を」であろう。

 雨が降ると一日茣蓙の上に座り、何か書き物をする。芭蕉自身の閉門の頃の体験かもしれない。

 

無季。「雨」は降物。

 

十一句目

 

   雨の降日をかきつけにけり

 焙烙のもちにくるしむ蠅の足   露川

 (焙烙のもちにくるしむ蠅の足雨の降日をかきつけにけり)

 

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、「農家などでは焙烙の底へモチを塗って蠅とりにする」とある。モチは鳥黐(とりもち)であろう。

 鳥もちに足がくっついて必死に掻き付けている。

 

季語は「蠅」で夏、虫類。

 

十二句目

 

   焙烙のもちにくるしむ蠅の足

 藺を刈あげて門にひろぐる    素覧

 (焙烙のもちにくるしむ蠅の足藺を刈あげて門にひろぐる)

 

 藺は畳や茣蓙のもちいる藺草(いぐさ)のこと。蠅の五月蠅い季節は藺草を刈る季節でもあり、門(かど)の所に刈った藺草が広げられている。

 貞享四年冬の「たび寐よし」の巻十二句目に、

 

   麻布を煤びる程に織兼て

 藺を取こめばねこだ世話しき   荷兮

 

の句がある。「ねこだ」は藁筵のこと。

 

季語は「藺を刈」で夏。

 

十三句目

 

   藺を刈あげて門にひろぐる

 切麦であちらこちらへ呼れあふ  芭蕉

 (切麦であちらこちらへ呼れあふ藺を刈あげて門にひろぐる)

 

 切麦は冷や麦のこと。夏だとあちこちで冷や麦に呼ばれる。

 

季語は「切麦」で夏。

 

十四句目

 

   切麦であちらこちらへ呼れあふ

 お旅の宮のあさき宵月      露川

 (切麦であちらこちらへ呼れあふお旅の宮のあさき宵月)

 

 「神社の祭礼のとき、本社より出た神輿(みこし)が、仮にとどまるところ。御旅宮(おたびのみや)、頓宮(とんぐう)、神輿宿(みこしやど)などともいう。『百練抄』に、1159年(平治1)11月「祇園(ぎおん)旅所焼亡」とあるのが文献上の初見であるが、神輿の発達とともに各社で設けたもので、仮の場所のみのところから、豪華な建物のある場合や、また他社を借りる場合もあり、その数も1か所のみとは限っていない。距離も本社とそれほど離れていない地から数十キロメートルに及ぶ場合、とどまるのも1時間程度から一昼夜に及ぶ場合もある。通例、その場で祭儀が行われる。[鎌田純一]」

 

とある。

 夏祭りには切麦が付き物だったのだろう。

 

季語は「宵月」で秋、夜分、天象。神祇。

 

十五句目

 

   お旅の宮のあさき宵月

 うそ寒き言葉の釘に待ぼうけ   素覧

 (うそ寒き言葉の釘に待ぼうけお旅の宮のあさき宵月)

 

 「言葉の釘」は「言葉の裏釘を返す」ということか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「言葉の裏釘を返す」の解説」に、

 

 「(板などに釘を打って、その先が裏に出たのを打ちまげて抜けなくするように) 確約する。くちがためする。だめを押す。ことばに釘をさす。ことばの釘を折り返す。

  ※浄瑠璃・本朝二十四孝(1766)三「先にかけたる言葉の裏釘、折返されて」

 

とある。

 「うそ寒き」を薄ら寒いの意味と「嘘」が寒いの意味に掛けて、念を押した言葉も結局嘘で、待ちぼうけになる。

 

季語は「うそ寒」で秋。恋。

 

十六句目

 

   うそ寒き言葉の釘に待ぼうけ

 袖にかなぐる前髪の露      芭蕉

 (うそ寒き言葉の釘に待ぼうけ袖にかなぐる前髪の露)

 

 「かなぐる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「かなぐる」の解説」に、

 

 「① 荒々しく払いのける。

  ※落窪(10C後)一「『いと愛敬なかりける心もたりける物かな』とて、腹だちかなぐりて起くれば、帯刀笑ふ」

  ※浄瑠璃・東山殿子日遊(1681)一「少しは乱るる花すすき、穂には出ねど勝元も荒ららかにはかなぐらず」

  ② 荒々しく引きぬく。また、乱暴に奪いとる。ひったくる。

  ※今昔(1120頃か)二九「死人の髪をかなぐり抜き取る也けり」

  ※浄瑠璃・博多小女郎波枕(1718)上「小女郎は表にはしり出、笠かなぐって」

  [語誌](1)現代語では、「かなぐり捨てる」と複合形で用いるのが常である。

  (2)古典語では、単独に用いるだけでなく、「捨つ」のほかにも、「落とす」「散らす」「取る」「抜く」などと複合する形もあり、また、「かなぐり付く」「かなぐり見る」のような、離脱とは反対の、接着する行為と関わる用法もある。」

 

とある。

 駆け落ちの約束をしたのだろう。女は現れなかった。ありそうなことだ。

 

季語は「露」で秋、降物。「袖」は衣裳。

 

十七句目

 

   袖にかなぐる前髪の露

 咲花に二腰はさむ無足人     露川

 (咲花に二腰はさむ無足人袖にかなぐる前髪の露)

 

 二腰(ふたこし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「二腰」の解説」に、

 

 「① 武士が腰に差す大小二ふりの刀。両刀。大小。

  ※俳諧・類船集(1676)和「脇指 〈略〉袴着の時に惣領なれば重代の脇指をあらためてこしらへ二腰(ふたコシ)さし」

  ② 転じて、武士をいう。さむらい。二本差し。

  ※浄瑠璃・心中宵庚申(1722)上「さすが二腰のお心掛は各別」

 

とある。無息人はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「無足人」の解説」に、

 

 「① 中世・近世、家臣でありながら知行・給地を与えられていない者。また、所領・財産がない貧しい者。無足衆。無足。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※葉隠(1716頃)一「是を取迦(とりはず)して無足人に罷成(まかりなる)事は不忠」

  ② 江戸時代、軽輩の士分で知行地がなく扶持給米を受ける者。身分的には知行取の給人の下、足軽・卒の上に位置する。

  ※俳諧・笈日記(1695)中「袖にかなぐる前髪の露〈芭蕉〉 咲花に二腰はさむ無足人〈露川〉」

  ③ 江戸時代、準士分の上層の農民をいう。」

 

とある。

 前句の荒々しい動作から武士の花見とする。

 なお、芭蕉も③の意味の無足人の家柄の出だったという。

 

季語は「咲花」で春、植物、木類。「無足人」は人倫。

 

十八句目

 

   咲花に二腰はさむ無足人

 打ひらいたるげんげしま畑    素覧

 (咲花に二腰はさむ無足人打ひらいたるげんげしま畑)

 

 「しま畑」はウィキペディアに、

 

 「扇状地や、段丘・自然堤防などの微高地で水田を開墾する際に、導水できる高さまで土地を掘り下げた際に出る残土を水田の中に積み上げたもので、畑として利用された[1]。寄畠(よせはた)などと呼んだ地域もあったという。」

 

とある。

 無足人が開墾事業を行い、レンゲソウの咲く水田の中に島畑があり、その無足人は島畑に立って、一面のレンゲソウの田んぼを眺める。

 

季語は「げんげ」で春、植物、草類。

 

 ここで芭蕉・露川・素覧三吟は終わっている。『笈の小文』には支考・左次・巴丈・露川・素覧による続きがある。

 このあと芭蕉は京で支考と会い、膳所は付き従い、一度支考は伊勢に帰り別行動になるが、伊賀で再び合流し、大阪で最期を迎えるまでお供することになる。『笈日記』が翌年の元禄八年刊なので、一年以内に作られたのは確かだろう。

二表

十九句目

 

   打ひらいたるげんげしま畑

 山霞鉢の脚場を見おろして    支考

 (山霞鉢の脚場を見おろして打ひらいたるげんげしま畑)

 

 脚場(あしば)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「足場」の解説」に、

 

 「① 足を踏みたてる場所。歩くところ。また、その具合。立脚地。足がかり。あししろ。あしだち。あしど。

  ※地蔵菩薩霊験記(16C後)一〇「足場(アシバ)のあしき所に岸近く草のしげりたる所を」

  ※読本・南総里見八犬伝(1814‐42)五「地炕(ゐろり)の中に足場を揣(はか)りて且(しばら)く透(すき)を窺ひつつ」

  ② 建築や高い所の工事などの際、作業の便宜のために、仮に丸太や鋼管などを組んで作ったもの。あししろ。あしがかり。あなない。

  ※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)前「掘抜(ほりぬき)の足代(アシバ)へ、家鴨(あひる)が登らうといふざまで」

  ③ 物事をしようとする時のよりどころ。土台。基礎。また、きっかけ。あししろ。あしがかり。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※人間嫌ひ(1949)〈正宗白鳥〉「このS社を足場にして、在京中の用事を足した」

  ④ そこから出かけるときやそこへ寄るときの交通の便。

  ※漫談集(1929)花の噂〈大辻司郎〉「花あやめ、かきつばたの見物も、大概は田舎の遠い方で足場(アシバ)が悪いのと、泥臭いのでつい億劫になる」

 

とある。ここは①の意味で、托鉢僧が自分の足元の方を見おろすとレンゲの咲く田んぼと島畑が見える、とする。昔の道は洪水の時にも使えるように、大体ある程度高い所に作る。稜線などもよく利用される。

 

季語は「山霞」で春、聳物、山類。

 

二十句目

 

   山霞鉢の脚場を見おろして

 船の自由は半日に行       左次

 (山霞鉢の脚場を見おろして船の自由は半日に行)

 

 前句の山霞を遠景とし、今から乗り込む船を足元に注意しながら乗り込む様とする。

 自由はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「自由」の解説」に、

 

 「① (形動) 自分の心のままに行動できる状態。

  (イ) 思いどおりにふるまえて、束縛や障害がないこと。また、そのさま。思うまま。

  ※続日本紀‐宝亀八年(777)九月丙寅「専レ政得レ志、升降自由」

  ※こんてむつすむん地(1610)三「心のじゆうをえ、ぜんだうに入べきため」 〔後漢書‐閻皇后紀〕

  (ロ) (特に、中古・中世の古文書などで) 先例、しかるべき文書、道理などを無視した身勝手な自己主張。多くその行為に非難の意をこめて使われる。わがまま勝手。

  ※金勝寺文書‐元暦二年(1185)四月二四日・関東下知状案「村上蔵人不レ帯二指院宣一、任二自由一恣押領」

  ※長門本平家(13C前)一「自由に任せて延暦寺の額を興福寺の上に打せぬるこそ安からね」

  ※徒然草(1331頃)六〇「万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし」

  ② ある物を必要とする欲求。需要。

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)四「是は小紅屋といふ人大分仕込して世の自由(シユウ)をたしぬ」

  ③ 便所。はばかり。手水場(ちょうずば)。

※浮世草子・傾城色三味線(1701)江戸「自由(ジユフ)に立ふりして勝手に入て」

 

とある。(④以下は近代の自由の意味なので省略。)この場合は②で船の良いところは、くらいに読めばいいのだろう。

 

無季。「船」は水辺。

 

二十一句目

 

   船の自由は半日に行

 月夜にて物事しよき盆の際    巴丈

 (月夜にて物事しよき盆の際船の自由は半日に行)

 

 物事はいろいろな事を、という意味。盆の頃は人の移動も多く、月夜でも船が出ている。

 

季語は「月夜」で秋、夜分、天象。

 

二十二句目

 

   月夜にて物事しよき盆の際

 かりもり時の瓜を漬込      露川

 (月夜にて物事しよき盆の際かりもり時の瓜を漬込)

 

 「かりもり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「かりもり」の解説」に、

 

 「〘名〙 植物「しろうり(白瓜)」の古名か。また、瓜のうらなりをいうか。

  ※恵慶集(985‐987頃)「或ところにうりやるとて うりふ山秋たつ鹿のかりもりに霧けきめをも見つるけさ哉」

 

とある。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には、「瓜の末なりを刈り取らず、そのままにしておくこと」とある。いずれも、あとに「時」が付くとよくわからなくなる。雰囲気的には収穫の最盛期のという感じがする。

 盆の頃は瓜の季節なので、

 

 秋涼し手毎にむけや瓜茄子    芭蕉

 

の句もある。獲れすぎた瓜は漬物にして保存する。

 

季語は「瓜」で秋。

 

二十三句目

 

   かりもり時の瓜を漬込

 三鉦の念仏にうつる秋の風    素覧

 (三鉦の念仏にうつる秋の風かりもり時の瓜を漬込)

 

 念仏というと伏鉦だが、足が三本ついているというので三鉦という言い方もあったのか。コトバンクの「世界大百科事典内の伏鉦の言及」に、

 

 「また3本の脚をつけ下に置いて奏する伏鉦(ふせがね)(叩鉦(たたきがね),伏鉦鈷(ふせじようこ))は念仏の際に用いる。」

 

とある。

 秋風が念仏の鉦の音を運んでくる。

 

季語は「秋の風」で秋。釈教。

 

二十四句目

 

   三鉦の念仏にうつる秋の風

 使をよせて門にたたずむ     支考

 (三鉦の念仏にうつる秋の風使をよせて門にたたずむ)

 

 前句の念仏からお寺として、門の前にやってきた人物を付ける。

 

無季。「使」は人倫。

 

二十五句目

 

   使をよせて門にたたずむ

 我恋は逢て笠とる山もなし    左次

 (我恋は逢て笠とる山もなし使をよせて門にたたずむ)

 

 「笠とる山もなし」は笠を被って旅に出て、どこかの山に行くこともないということか。会うことすらできないから、旅にも出れない。西行のようにはなれず、今日も門の前でたたずむだけ。一歩間違えばストーカーだが。

 

無季。恋。

 

二十六句目

 

   我恋は逢て笠とる山もなし

 年越の夜の殊にうたた寐     巴丈

 (我恋は逢て笠とる山もなし年越の夜の殊にうたた寐)

 

 待つ女の側にする。会うこともなければ出家するわけでもなく、大晦日の夜もうたた寝しながら待っている。

 

季語は「年越」で冬。恋。「夜」は夜分。

 

二十七句目

 

   年越の夜の殊にうたた寐

 扨は下戸いちこのやうに成にけり 露川

 (扨は下戸いちこのやうに成にけり年越の夜の殊にうたた寐)

 

 「いちこ」は市子と一子とある。この場合は一子で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一子」の解説」に、

 

 「① 他に兄弟のいない子。ひとりっこ。

  ※伊勢物語(10C前)八四「ひとつこにさへありければ、いとかなしうし給ひけり」

  ② 年齢が一歳の子ども。

  ※平家(13C前)一二「ひとつ子、ふたつ子をのこさず、〈略〉尋とて失てぎ」

 

とある。

 兄弟の中で一人だけ下戸なので仲間外れになり、一人だけうたた寝をする。

 

無季。「いちこ」は人倫。

 

二十八句目

 

   扨は下戸いちこのやうに成にけり

 達者自慢の先に立れて      素覧

 (扨は下戸いちこのやうに成にけり達者自慢の先に立れて)

 

 年とってもまだまだ達者だと自慢していた兄弟に先立たれ、今は一人っ子になったみたいだ。

 

無季。

 

二十九句目

 

   達者自慢の先に立れて

 金剛が一世の時の花盛      支考

 (金剛が一世の時の花盛達者自慢の先に立れて)

 

 金剛は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、「大和猿楽金剛座の一世道繁、孫太郎氏勝(貞和二年没)をさすか。」とある。コトバンクの「世界大百科事典内の坂戸孫太郎氏勝の言及」に、

 

 「…坂戸郷と呼ばれた奈良県生駒郡平群(へぐり)町付近を本拠地として法隆寺に奉仕した坂戸座(鎌倉時代から記録所見)が源流らしく,室町初期には春日興福寺に勤仕する大和猿楽四座の一つとなった。1721年(享保6)に幕府へ提出した書上(かきあげ)および家元の系図では,足利義満時代の坂戸孫太郎氏勝(1280‐1348)を流祖とし,金剛三郎正明(1449‐1529)から金剛姓とするが,確実なことはわからない。世阿弥の芸談《申楽談儀》に〈金剛は,松・竹とて,二人,鎌倉よりのぼりし者也〉とあり,関東から上った役者が坂戸座を継いだらしい。…」

 

とある。

 達者自慢は金剛流の名手で、一世の頃の花盛りのような繁栄をもたらしたが、それも今は先立たれ、ということか。

 式目には定座の規定はなく、花は百韻で一座三句(『新式今案』で似せ物の花一句追加、後に慣習的に四句になった)で懐紙を変えるとしか規定されていない。だから二表での正花は式目に反してはいない。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。

 

三十句目

 

   金剛が一世の時の花盛

 つつじに木瓜の照わたる影    左次

 (金剛が一世の時の花盛つつじに木瓜の照わたる影)

 

 前句の「花盛」をツツジとボケの花盛りとする。

 

季語は「つつじに木瓜」で春、植物、木類。

二裏

三十一句目

 

   つつじに木瓜の照わたる影

 春の野のやたらに広き白河原   巴丈

 (春の野のやたらに広き白河原つつじに木瓜の照わたる影)

 

 白河原はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白河原」の解説」に、

 

 「〘名〙 洪水などで、人家や草木などが押し流され、河原のようになってしまった所。

  ※発心集(1216頃か)四「三十余町白河原(シラカハラ)になって跡だになし」

 

とある。

 前の年の台風か何かで鉄砲水に押し流されて、木々も流されて土の剥き出しになところに、背が低くて植えてすぐに花が咲くというので、ツツジとボケが植えられている。

 

季語は「春の野」で春。

 

三十二句目

 

   春の野のやたらに広き白河原

 三俵つけて馬の鈴音       露川

 (春の野のやたらに広き白河原三俵つけて馬の鈴音)

 

 馬に三俵もの米を乗せてやってくる鈴音がする。救援物資か。

 

無季。「馬」は獣類。

 

三十三句目

 

   三俵つけて馬の鈴音

 それぞれに男女も置そろへ    素覧

 (それぞれに男女も置そろへ三俵つけて馬の鈴音)

 

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に「下男下女の意」とある。

 婚礼だろうか。三俵の米が運び込まれ、それぞれに下男下女が付く。

 

無季。恋。「男女」は人倫。

 

三十四句目

 

   それぞれに男女も置そろへ

 よめらぬ先に娘参宮       支考

 (それぞれに男女も置そろへよめらぬ先に娘参宮)

 

 もうすぐ嫁入りで、家庭に入ったらすぐに出産や子育てと自由な時間が無くなる。お伊勢参りするなら今の内だ。

 

無季。恋。神祇。

 

三十五句目

 

   よめらぬ先に娘参宮

 あり明に百度もかはる秋の空   左次

 (あり明に百度もかはる秋の空よめらぬ先に娘参宮)

 

 百度参りしていたら、有明の月も傾き、秋の空も明けてゆく。

 

季語は「あり明」で秋、夜分、天象。神祇。

 

挙句

 

   あり明に百度もかはる秋の空

 畳もにほふ棚の松茸       巴丈

 (あり明に百度もかはる秋の空畳もにほふ棚の松茸)

 

 前句を目まぐるしく変わる秋の空の季節の有明に、として松茸の薫りを添えて一巻は目出度く終わる。

 

季語は「松茸」で秋。「畳」は居所。

二表(2)

 これは元禄八年刊支考編の『笈日記』所収のバージョンとなる。これと後半の支考等五吟の部分が若干異なるもう一つのバージョンが、杜旭自筆元禄八年成立の『ゆづり物』に記されている。ただ、出来は遥かに落ちる。杜旭が勝手に改作したか。

 『ゆづり物』には「夕㒵や」の巻の別バージョンもあったが、こちらの方も疑わしい。

 

十九句目

 

   打ひらいたる五形嶋畑

 一度は暮して見たき山がすみ   支考

 (一度は暮して見たき山がすみ打ひらいたる五形嶋畑)

 

 開墾されたレンゲの咲く田んぼと島畑を見て、ここで暮らしてみたいと希望を述べ、山がすみを添える。

 

季語は「山霞」で春、聳物、山類。

 

二十句目

 

   一度は暮して見たき山がすみ

 ふねの自由は半日にゆく     左次

 (一度は暮して見たき山がすみふねの自由は半日にゆく)

 

 暮して見たい場所に船なら半日で着く。

 

無季。「ふね」は水辺。

 

二十一句目

 

   ふねの自由は半日にゆく

 月夜にて物事しよき盆の前    巴丈

 (月夜にて物事しよき盆の前ふねの自由は半日にゆく)

 

 『笈日記』とは、際と前だけの違い。

 

季語は「月夜」で秋、夜分、天象。

 

二十二句目

 

   月夜にて物事しよき盆の前

 かりもり時の瓜を漬込      露川

 (月夜にて物事しよき盆の前かりもり時の瓜を漬込)

 

 これは『笈日記』と同じ。

 

季語は「瓜」で秋。

 

二十三句目

 

   かりもり時の瓜を漬込

 三鉦の念仏にうつる秋の風    素覧

 (三鉦の念仏にうつる秋の風かりもり時の瓜を漬込)

 

 これも『笈日記』と同じ。

 

季語は「秋の風」で秋。釈教。

 

二十四句目

 

   三鉦の念仏にうつる秋の風

 小者をやりて門にたたずむ    支考

 (三鉦の念仏にうつる秋の風小者をやりて門にたたずむ)

 

 「使をよせて」を「小者をやりて」に変えただけ。

 寺として、門の前にやってきた人物を付けるのはいっしょだが、「小者」は侮蔑の意味を含んでいる。

 

無季。「小者」は人倫。

 

二十五句目

 

   小者をやりて門にたたずむ

 我恋は逢うて笠取ル山もなし   左次

 (我恋は逢うて笠取ル山もなし小者をやりて門にたたずむ)

 

 これは『笈日記』と同じ。

 

無季。恋。

 

二十六句目

 

   我恋は逢うて笠取ル山もなし

 貧はつらきよ〇〇假寐      巴丈

 (我恋は逢うて笠取ル山もなし貧はつらきよ〇〇假寐)

 

 〇〇は三文字の言葉で「假寐」は「うたたね」とルビがある。

 年越しという具体性がなくなり、つらいという感情があらわになる。

 

無季。

 

二十七句目

 

   貧はつらきよ〇〇假寐

 酒塩に酔ふた心も面白や     露川

 (酒塩に酔ふた心も面白や貧はつらきよ〇〇假寐)

 

 「つらき」から一転して「面白や」になる。「咎めてには」なのか。

 塩だけで酒を飲んで酔うのもまた面白いではないか、貧乏の辛いのを気にするな、となる。

 

無季。

 

二十八句目

 

   酒塩に酔ふた心も面白や

 一里や二里の路は朝の間     素覧

 (酒塩に酔ふた心も面白や一里や二里の路は朝の間)

 

 酔ったまま朝出発し、一里や二里を朝の間に歩き抜けるのも面白や。

 

無季。旅体。

 

二十九句目

 

   一里や二里の路は朝の間

 伊勢に居て芝居をしらぬ花盛   支考

 (伊勢に居て芝居をしらぬ花盛一里や二里の路は朝の間)

 

 伊勢に居て芝居も見ずに一里二里の道を行き、花見をする。芝居が嫌いなのか。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。「伊勢」は名所、水辺。

 

三十句目

 

   伊勢に居て芝居をしらぬ花盛

 つつじの時はなを長閑也     左次

 (伊勢に居て芝居をしらぬ花盛つつじの時はなを長閑也)

 

 伊勢の芝居など知ったことではなく、人の多い桜の花盛りよりも、人のいない長閑なツツジの花を好む。

 

季語は「つつじ」で春、植物、木類。「長閑」も春。

二裏(2)

三十一句目

 

   つつじの時はなを長閑也

 春の野のやたらに広キ白河原   巴丈

 (春の野のやたらに広キ白河原つつじの時はなを長閑也)

 

 水害の後の白河原も、今は長閑にツツジが咲いている。

 

季語は「春の野」で春。

 

三十二句目

 

   春の野のやたらに広キ白河原

 から身で馬はしやんしやんと行  露川

 (春の野のやたらに広キ白河原から身で馬はしやんしやんと行)

 

 三俵背負ってた馬が、ここでは「から身」になっている。まあ、荷物が軽いから「しゃんしゃん」行くが、白河原の悲惨さはどこにもない。

 

無季。「馬」は獣類。

 

三十三句目

 

   から身で馬はしやんしやんと行

 板葺のゆたかに見ゆるお蔵入  素覧

 (板葺のゆたかに見ゆるお蔵入から身で馬はしやんしやんと行)

 

 瓦屋根の立派な蔵元よりも板葺きの粗末の家の方が心が豊かだということか。前句を三俵背負った馬よりも空身の方がいい、とする。

 

無季。「板葺」は居所

 

三十四句目

 

   板葺のゆたかに見ゆるお蔵入

 山ちかふして薪沢山      支考

 (板葺のゆたかに見ゆるお蔵入山ちかふして薪沢山)

 

 板葺き屋根の家の豊かさを、山が近くて薪が沢山あるからだとする。

 

無季。「山」は山類。

 

 この『ゆずり物』バージョンはここで終わっている。リアリティーも笑いの要素も乏しく、清貧の美学の押し売りが目立つ。素人の独吟にありがちなパターンではないかと思う。良く言えば二次創作というところか。「夕㒵や」の巻の方も、もっとちゃんとしたオリジナルがあったのかもしれない。