文和千句は文和4年(1355年)の四月から五月にかけて関白左大臣二条良基邸にて興行されたもの。
千句興行というのは百韻十巻から成り立ち、文和千句第一百韻というのはその最初の百韻のことをいう。なお、この文和千句は第五百韻までしか現存しない。
連衆には救済、周阿、素阿、など当代きっての連歌師たちが名を連ねている。
文和千句第一百韻 賦何人連歌
文和四年四月二十五日 於二条殿〔1355〕
名は高く声はうへなし郭公 救済
しげる木ながら皆松の風 良基
山陰は涼しき水の流れきて 永運
月は峰こそはじめなりけれ 周阿
秋の日の出でし雲まとみえつるに 素阿
しぐれの空も残る朝霧 暁阿
暮ごとの露は袖にもさだまらで 木鎮
里こそかはれ衣うつ音 成種
〔初裏〕
旅人のまたれし比や過ぎぬらん 救済
けふより後の花はたのまず 良基
霞めども梢に風は猶吹きて 親長
陰にはのこる山のしら雪 暁阿
川上の月にや水の氷るらん 救済
波によるこそ浦は寒けれ 周阿
ことかたに通ふ千鳥の声遠し 家尹
友なしとても旅の夕ぐれ 救済
身をだにも思ひ捨てたる世の中に 良基
秋のうきをばのこす故郷 永運
露ならば涙の袖に心せよ 素阿
まつもたのみの夜こそ長けれ 暁阿
吹きそよぐ風はいなばの松の声 救済
穂に出でぬるか波の浜荻 素阿
いく裏をかけては船のいそぐらん 周阿
雲も霞みも末の遠山 永運
年々の春こそやがて暮るるなれ 良基
夜半夜半の夢のきさらぎ 素阿
神垣の月と梅とに袖ふれて 救済
花こそ人を忘れざりけれ 周阿
故郷はみしにもあらずなりぬるに 木鎮
別れのこりて猶秋のくれ 良基
露よりもげには命のきえぬ程 素阿
契りたのむはおなじ世のうち 家尹
旅なれば帰るも待つもいそがれて 救済
都のうちを夢や行くらん 成種
明けぬるか夜の界の鐘の音 素阿
門は柳の奥の古寺 救済
〔二裏〕
これをこそ開くとおもへ法の花 良基
年行く人の白き眉の毛 周阿
桑の子の糸にはおらず麻衣 救済
露こきまぜて又袖の雨 永運
秋の田のいねがてにして長き夜に 木鎮
夢にかへたる月をこそみれ 良基
須磨近き浦は明石の泊船 暁阿
山中過ぎて島がくれあり 救済
遠近に立ち別れたる朝霞 素阿
我が家々も春やきぬらん 永運
老いらくの身にあらたまる年はなし 救済
きえぬばかりの雪はいつまで 良基
ともし火の影を残して深きよに 周阿
わかるる人ぞわれをそむくる 成種
行くままに後ろの山のへだたりて 救済
月にむかへばのこる日もなし 良基
夕べより二つの星やちぎるらん 木鎮
たまたま吹くも風ぞ秋なる 暁阿
それとみて手にもとられぬ草の露 救済
只一時の花の朝がほ 良基
これとても終に朽ちぬる松の垣 素阿
涙をこめて袖はたのまじ 良基
人ぞうき別れの世をや残すらん 救済
鳥は八声ぞかぎりなりける 永運
東路は越えつる関も数多にて 周阿
山のそなたのしら川の空 救済
花も今落ちてぞ滝つ流れこし 素阿
檜原かすめる月の夕暮 良基
〔三裏〕
かなしみは秋ばかりかと思ひしに 暁阿
夜寒き風のきたるなりけり 永運
露ぬらす夢の枕に人をみて 良基
面影あれば今もいにしへ 周阿
手に結ぶ野中の清水朝夕に 救済
心まかせの世をすませばや 良基
くもりなき鏡も神のひとつにて 暁阿
これも伊勢なる月よみの宮 素阿
天照す君が御影のその儘に 良基
このもかのもに山ぞ道ある 周阿
住みがたき庵と何かおもふらん 良基
我がこころだに隠家ぞかし 素阿
狩人の入野の雉子音をなかで 救済
草やくけぶり風にこそふせ 良基
雪をれの松とや枝にみえつらん 永運
末もみじかき霜の通ひ路 成種
冬の日は薪とるまにくれはてて 木鎮
雲つきぬとや月は出づらん 素阿
うき中は心にたえぬ秋なるに 良基
植ゑずはきかじ荻の上風 長綱
花みえぬ草は根さへや枯れぬらん 救済
今は契りのことのはもなし 良基
偽りをかこちし程は猶待ちて 暁阿
うらみながらぞ又夕なる 親長
入相も別れのかねの声なるに 良基
夢と春とはなごり二度 永運
花残る山をあしたの雲とみて 救済
有明なれば猶ぞかすめる 成種
〔名裏〕
今こんと秋を忘るな帰る雁 素阿
つらつらおもへ露の身ぞかし 永運
くれごとに散るや正木のゆふかづら 成種
冬かけてこそ風は寒けれ 永運
小車のわがあと見ゆる朝氷 救済
ふたつの川ぞめぐりあひぬる 家尹
佐保山の影より深し石清水 良基
ときはなる木は榊橘 救済
救済;21句 暁阿;8句
二条良基;21句 木鎮;5句
権小僧都永運;11句 大江成種;6句
周阿;9句 藤原親長;2句
素阿;13句 藤原家尹;3句
菅原長綱;1句
参考;『連歌集』新潮日本古典集成33、島津忠夫註、1979、新潮社
名は高く声はうへなし郭公 救済
ホトトギスの名は誰もが知っていますし、その声はこの上ないものとされています。
夏での興行であるため、季題は夏の風物であるホトトギスが選ばれ、ホトトギスの初音の貴重さは、この興行の主人である二条良基公の比喩でもある。いわばヨイショである。連歌会ではこのように、ゲストとした招かれた高名な連歌師(この場合は救済)が発句を詠み、それを迎える連歌会の主催者(この場合は二条良基)が脇を付ける場合が多い。
発句は一句として完結した一つの内容を具えていなければならない。そのため、切れ字が用いられることが多い。この句の場合、「名は高く声はうへなし郭公」は「郭公の名は高く声はうへなし」の倒置でもって構成されている。ホトトギスの名が主語になり、上なし」と言い切ることによって、文章として完結している。
これがもし、
名は高く声はうへなき郭公
であれば、倒置ではなく、「上なき」がホトトギスに掛かってしまうために、上57が下5のホトトギスに掛かる修飾節となってしまい、文章としてはただホトトギスが提示されただけで、述語を欠くことになり、中途半端になる。そのため、句は「切れ」なくなる。
「上なし」と、「し」という切れ字を使うことで、句は一つの文章として完結し、いわば「切れ」ることで、発句となる。
季題:「郭公」で夏。鳥類で一座一句物。證歌:「うへなし」は
ふじのねの煙も猶ぞ立ちのぼる
うへなき物は思ひなりけり
藤原家隆
名は高く声はうへなし郭公
しげる木ながら皆松の風 良基
(名は高く声はうへなし郭公しげる木ながら皆松の風)
ホトトギスの名は誰もが知っていますし、その声はこの上ないものとされています。木は茫々と生い茂って殺風景ではありますが、皆そのホトトギスの声を待って、松の風に吹かれています。
「ホトトギスの声」に「待つ」と掛けて「松」を出す。これを「うけとりてには」という。
来る秋の心よりをくそでの露
かかる夕べは荻のうわ風
上句の最後の言葉の「露」をうけて、「露のかかる」と掛詞にするのと同様の付け方。この場合は「露」の「かかる」を「かくある」に掛けて展開している。
脇句は連歌会主催者の挨拶で、「繁る木」に自分を含めた集まってくれたたくさんの連衆のへりくだった意味を込めて、みな今日の大事なお客様である救済さんを待ってました、と結ぶ。前句のヨイショをそのまま今日のゲストであり発句を詠んだ救済のことと取り成す。
しげる木ながら皆松の風
山陰は涼しき水の流れきて 永運
(山陰は涼しき水の流れきてしげる木ながら皆松の風)
山によって日のさえぎられた北の斜面には涼しい水が流れてきて、木は茫々と繁り殺風景ではあるが、吹いてくる風はみな松の香りがする。
「松の風」に「山陰は涼しき」と景気で付ける「風情付け」の句。「松の風」も「山陰の水」もともに涼しいということでつながっている。
第三は発句の挨拶の意味を突き放して付けるため、「繁る木」や「松=待つ」の寓意はここでは斥けられ、あくまで夏の涼しい景色の句に展開する。
季題:「涼しき」で夏。その他:「山陰」は山類の体。「水の流れ」は水辺の用。
山陰は涼しき水の流れきて
月は峰こそはじめなりけれ 周阿
(山陰は涼しき水の流れきて月は峰こそはじめなりけれ)
夕暮の空に浮かぶ山の影に涼しげに水も流れてきて、今まさに月は峰に見え始めてくる。
句の方は「月は峰に、はじめなりければこそ」の倒置で、「月は峰に見えはじめなりければこそ」の省略。
前句の「山陰」を夕暮の空に浮かぶ山の影と取り成し、に「峰より出る月」を付ける「風情付け」の句。当時は「定座」というものはなく、月や花などの景物は早い者勝ちで付ける傾向があった。
季題:「月」で秋。夜分。光物。その他:「峰」は山類の体。
月は峰こそはじめなりけれ
秋の日の出でし雲まとみえつるに 素阿
(秋の日の出でし雲まとみえつるに月は峰こそはじめなりけれ)
秋の弱々しい陽射しのようやく雲の間から見えてきたと思うまもなく、今まさに月は峰に見え始めてくる。
「月」に「日」というように相反するものを対句的につける付け方を「相対付け」という。
鳥の声する春のふる畑
うち返す小田には人のむらがりて
のように、畑に田という対称的なものを付ける。
季題:「秋の日」で秋。光物。その他:「雲」は聳物。
秋の日の出でし雲まとみえつるに
しぐれの空も残る朝霧 暁阿
(秋の日の出でし雲まとみえつるにしぐれの空も残る朝霧)
秋の朝日が昇ってくるはずの雲の間だというのに、まだ時雨の空が残っていて、朝霧が立ち込めている。
前句を雲間に日が昇るはずだったのに、という意味に取り成し、それなのに朝霧が立ち込めていると結ぶ、心付けの句。
馬はあれども徒歩にてぞゆく
朝ぼらけ夜の間に積もる雪をみて
のように、風情余情ではなく、なるほどと意味のとおるような付け方。「時雨」は単独だと冬の季題だが、和歌では秋にも詠むため、連歌でも秋の季題と組み合わせて秋の句とすることもある。
季題:「霧」で秋。聳物。「時雨」はこの場合秋の時雨となる。降物。時雨はのちに『新式今案』で一座二句物となるが、この時代は特に定められていない。
しぐれの空も残る朝霧
暮ごとの露は袖にもさだまらで 木鎮
(暮ごとの露は袖にもさだまらでしぐれの空も残る朝霧)
日が暮れるごとに涙の露も袖の上に不意にこぼれ落ち、そんな時雨の空も朝には霧となって残っている。
前句の「しぐれの空も残る」を朝の時雨ではなく、昨日の夕方の時雨と取り成す。袖の露は涙の露のことで、時雨のように、理由もなく突然流れ落ちる涙はしばしば時雨に例えられる。ただ、涙の原因が特定されないので、この句の場合は述懐とも恋とも言い難い。
『水無瀬三吟』の十七句目には、
深山を行けばわく空もなし
晴るる間も袖は時雨の旅衣 肖柏
の句もある。
「朝」に「暮」と付けているが、この場合は相対付けではなく、暮ごとの露に残る朝露と意味的につながるため、「違え付け」となる。
向ひの里に人や待つらむ
我はまづ山にて聞つほととぎす
のように、向かいの里ではホトトギスは待っているが、山ではすでに鳴いていると、言葉の上で対句に作るのではなく、意味の上で違えて付ける。
季題:「露」で秋。降物。その他:「袖」は衣装。
暮ごとの露は袖にもさだまらで
里こそかはれ衣うつ音 成種
(暮ごとの露は袖にもさだまらで里こそかはれ衣うつ音)
日が暮れるごとに涙の露も袖の上に不意にこぼれ落ち、棲む里は変わっても衣を打つ音は悲しい。
「さだまらで」に「里こそ変われ」が付き、「暮ごと」に夕暮の景物として「衣を打つ音」が風情で付く。こうした二重に付ける仕方を「四手付け」という。
季題:「衣打つ」で秋。衣装。秋は五句まで。その他:「里」は居所。
里こそかはれ衣うつ音
旅人のまたれし比や過ぎぬらん 救済
(旅人のまたれし比や過ぎぬらん里こそかはれ衣うつ音)
旅人を心待ちにしていた季節も過ぎてしまったのだろう、里は衣打つ音に変わってしまった。
前句を「かはれ」を「里は衣打つ音にかはれ」と取り成す。初の懐紙も裏に入り、展開部に入るため、さっそく羇旅へと展開してくれた。救済らしい、鋭い切込みである。
戦争や公務などで旅に出た夫の帰りを待つ女の心境で、「恋」の面影を漂わせているが、あくまではたから見た心情であり、当人のものではないので、「恋」とはし難い。
季題:なし。羇旅。その他:「旅」は一座二句物。「旅人」は人倫證歌:「またれし比」は
夕暮は人のうへさへ嘆かれぬ
待たれし頃に思ひあはせて
和泉式部
旅人のまたれし比や過ぎぬらん
けふより後の花はたのまず 良基
(旅人のまたれし比や過ぎぬらんけふより後の花はたのまず)
旅人が心待ちにしていた季節も過ぎてしまったのだろう、既に桜の花も散り始め、明日咲いているかどうかはあてにできない。
旅人の心待ちにしている季節から、すかさず花の季節に転じる。花は一座三句物で一つの懐紙に一回だから、チャンスがあれば逃さずに付けるのが、中世の連歌だった。
季題:「花」は春。植物。一座三句物。
けふより後の花はたのまず
霞めども梢に風は猶吹きて 親長
(霞めども梢に風は猶吹きてけふより後の花はたのまず)
まだ春の霞が漂ってはいるが、桜の木の梢に風はなおも吹いていて、桜の花も明日咲いているかどうかはあてにできない。
「散る花」に「風」という発想は、お決まりのパターンで、こうした特に珍しくない発想でつける付け方を「平付け」という。連歌の付け筋の一つの体であり、別にこれが悪いということではない。
これが『水無瀬三吟』のの時代となると、十四句目の、
置きわぶる露こそ花にあはれなり
まだ残る日のうち霞むかげ 肖柏
のように、「風」とは言わずして、霞だけで風を匂わすようになる。疎句付けというのは、こうしたところから発達したといってもいい。
季題:「霞む」で春。聳物。その他:「梢」は植物。
霞めども梢に風は猶吹きて
陰にはのこる山のしら雪 暁阿
(霞めども梢に風は猶吹きて陰にはのこる山のしら雪)
霞が漂い、春は来ているというのに、冷たい風がなおも吹いていて、山の北側の斜面には雪が残っている。
前句を早春の景色に取り成す。現代連句ではこういうのを「季戻り」といって嫌うようだが、中世でも近世でも特に嫌われていたわけではなく、いつ頃から始まった習慣かは不明。
季題:「のこる雪」で春。降物。「雪」は一座四句物。その他:「山」は山類の体。
陰にはのこる山のしら雪
川上の月にや水の氷るらん 救済
(川上の月にや水の氷るらん陰にはのこる山のしら雪)
川上に見える月の寒々とした光に水は凍ってしまったのだろうか、山の白雪に月の光が残っている。
これも救済らしい大胆な取り成しによる展開だ。
「陰」には月影のように「光」という意味があり、そこから「陰」と「月」は寄り合い(付け物)になる。そこから、月の光に浮かび上がる山の雪の陰が、凍るように寒々とした冬の月の光を残していると見、「水も凍ってしまったか」と付ける。幻想的な美しい句で、まさにFREEZE MOONだ。
季題:「氷る」で冬。「氷」「氷る」は一座四句物。その他:「月」は夜分。光物。「月」だけだと秋の季題だが、月は本来一年中あるもので、他の季節と組み合わせると、その季節のものになる。七句去りで何度用いてもいい。ここでは四句目から八句隔てている。「川上」は水辺の体。
川上の月にや水の氷るらん
波によるこそ浦は寒けれ 周阿
(川上の月にや水の氷るらん波によるこそ浦は寒けれ)
川上の方では月のせいで水は凍っているのだろうか、海はというと波の寄る「夜」が寒々としている。
月の「夜」に、浦に寄せる波の「寄る」とを掛けた、「うけとりてには」の句。山を連想しがちな「川上」の文字をいかに山と切り離すかが苦心のところで、「川上」と「浦」で「相対付け」となる。
季題:「寒し」で冬。その他:「浦」は水辺の体。「波」は水辺の用。「よる」は「夜」のことだとすれば夜分だが、掛詞で「寄る」という言葉の裏に隠されているため、必ずしも夜分とする必要はない。
波によるこそ浦は寒けれ
ことかたに通ふ千鳥の声遠し 家尹
(ことかたに通ふ千鳥の声遠し波によるこそ浦は寒けれ)
向こうの方には千鳥の通う声が遠く聞こえ、波の寄る夜こそ浦は寒々としている。
この句は「埋め句」で、
我が方や浪高からし友千鳥
こと浦になく声ぞ聞ゆる
藤原隆教
の歌をもとにしている。
千鳥は通うもので、その千鳥が向こうに行ってしまったことで、尋ねてくる人もない孤独な寂しさの表現となる。「ことかた」は「異なる方」のこと。
季題:「千鳥」で冬。水辺の用。鳥類。
ことかたに通ふ千鳥の声遠し
友なしとても旅の夕ぐれ 救済
(ことかたに通ふ千鳥の声遠し友なしとても旅の夕ぐれ)
向こうの方には千鳥の通う声が遠く聞こえ、あの千鳥のように友のない旅の夕暮は寂しい。
「千鳥」に「友なし」は、
あらし吹くとしまが崎の人しほに
友なし千鳥月になくなり
守覚法親王
跡つけむ方ぞ知られぬ浜千鳥
和歌の浦わの友なしにして
紀行春
などの和歌による「寄り合い」で、平付けになる。
季題:なし。羇旅。その他:「旅」は一座二句物で、これが二回目。「友」は人倫。
友なしとても旅の夕ぐれ
身をだにも思ひ捨てたる世の中に 良基
(身をだにも思ひ捨てたる世の中に友なしとても旅の夕ぐれ)
我が身を仏道に捧げ、捨て去ったこの現世には、もはや友もいない旅の夕暮は寂しい。
出家者、世捨て人の心境に立った展開。世を捨てたから友もないと、心で付く。
述懐はあくまで世を捨てても捨てきれない気持ちを描くもので、俺はもう悟りきったなどと軽々しく言ってはいけない。
季題:なし。述懐。その他:「身」は人倫。「世」は一座五句物。『応安新式』に「浮世世中の間に一」とあり、只の世ではない。「うき世」や「世の中」というイディオムとして用いられる場合は只の世とは別に一句詠むことができる。
身をだにも思ひ捨てたる世の中に
秋のうきをばのこす故郷 永運
(身をだにも思ひ捨てたる世の中に秋のうきをばのこす故郷)
我が身を仏道に捧げ、捨て去ったこの現世だが、この故郷には秋のつらい思い出を残している。
「世の中」に「憂き」を付ける平付けで、旅体から故郷に身を潜める体へとする。
季題:「秋」は秋。その他:「故郷」は一座二句物。
秋のうきをばのこす故郷
露ならば涙の袖に心せよ 素阿
(露ならば涙の袖に心せよ秋のうきちばのこす故郷)
露よ、袖の涙に気遣って、これ以上降りないでくれ、この故郷には秋のつらい思い出を残している。
文面からは、特に恋と特定できるような内容ではないが、「涙の袖」という言い回しや、「心せよ」と訴えかけるような調子は、当時としてはすぐに恋を連想させるようなものだったのだろう。
季題:「露」は秋。降物。恋。その他:「袖」は衣装。
露ならば涙の袖に心せよ
まつもたのみの夜こそ長けれ 暁阿
(露ならば涙の袖に心せよまつもたのみの夜こそ長けれ)
露よ、袖の涙に気遣って、これ以上降りないで、待つことだけを信じて明かす夜は果てしなく長いから。
男の恋句は女の恋句の取り成すというのは、一つのパターンで、前句の故郷に残した女を思う体から、男を待つ女の体に展開する。
季題:「夜の長く」は秋。夜分。恋。
まつもたのみの夜こそ長けれ
吹きそよぐ風はいなばの松の声 救済
(吹きそよぐ風はいなばの松の声まつもたのみの夜こそ長けれ)
稲の葉の上を吹き渡りそよいでくる風は、在原行平の歌で名高い稲葉山の松の声だろうか、待つことだけを信じて明かす夜は果てしなく長いから。
前句に上575の長い序詞を付けるような付け方で、
立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かばいま帰りこむ
在原行平
の歌で有名となった稲葉山の松をから、「待つ」を導き出す。ただ、「稲葉」をここでは地名ではなく、稲の葉とし、家の外を吹く稲の葉の風を稲葉山に掛けている。
季題:「稲葉」で秋。植物(草類)。その他:「松」は植物(木類)證歌:「松の声」は、
陰にとて立ち隠るれば唐衣
ぬれぬ雨降る松の声かな
紀貫之
吹きそよぐ風はいなばの松の声
穂に出でぬるか波の浜荻 素阿
(吹きそよぐ風はいなばの松の声穂に出でぬるか波の浜荻)
稲の葉の上を吹き渡りそよいでくる風は、在原行平の歌で名高い稲葉山の松の声なら、稲葉の波打つさまは波を表わし、そこから飛び出して伸びている穂は伊勢の浜荻か。
稲の葉を吹く風を「稲葉山の松の声」に見立てるという発想に、同種の発想として、稲葉が風に波を打つさまは海に見立て、伸びた穂を伊勢の浜荻に見立てている。
「伊勢の浜荻」というと、句は、
草の名も所によりてかはる也
難波のあしは伊勢のはまおぎ 救済
という句が『菟玖波集』に収められている。浜荻とは芦のこと。
季題:「浜荻」は秋。植物(草類)。水辺の用。その他:「波」も水辺の用。
穂に出でぬるか波の浜荻
いく浦をかけては船のいそぐらん 周阿
(いく浦をかけては船のいそぐらん穂に出でぬるか波の浜荻)
一体いくつの浦を飛び越えようとして、そんなに船は急ぐのだろう、帆を掛けて行ってしまったか、浜荻が波のようにそよいでいる。
前句の比喩をそのまま使うわけにもいかず、展開の難しいところを、さすが周阿、うまく付けたといっていい。
この場合、前句の「穂」は「帆」に取り成されたと言った方がいい。同音での取り成しは、連歌でも俳諧でも時折見られる。
おちばは水の上にこそあれ
夏川の入江のす鳥立ちかねて 救済
も、「落葉」を「落ち羽」に取り成し、巣立ちに失敗した鳥が水に落ちて、落ちた羽が「水の上にこそあれ」とつながる。俳諧でも、
鴫ふたつ台にのせてもさびしさよ
あはれに作る三日月の脇 北枝
の句は、「台」を「題」に、
点かけてやる相役の文
此宿をわめいて通る鮎の鮓 浪化
の句は「点」を「天」に取り成している。
もしこの場合に、前句の「穂」の意味が生かされ、掛詞になっているなら、「掛けてには」になる。
すむかひもなき草の庵かな
はや結ぶ岩屋の内のたまり水
のように、下句の頭の「すむ」に「水すむ」となるように上句を付けることで、掛詞にする付け方だ。「うけとりてには」の逆と言っていい。
「かける」は本来「翔ける」であり、はるか彼方へ飛んでゆくというような意味。そこから比喩的に人が走るのも「駆ける」となった。今で言えば「かっとぶ」といったところか。
季題:なし。羇旅その他:「浦」は水辺の体。「船」は水辺の用。證歌;「かけて」は、
わたの原やそしまかけてこぎいでぬと
人には告げよあまのつり舟
小野篁
の用例がある。「八十もの島を飛び越えて」というあたりに、決して戻ることのない旅であることが暗示されている。
いく浦をかけては船のいそぐらん
雲も霞みも末の遠山 永運
(いく浦をかけては船のいそぐらん雲も霞みも末の遠山)
一体いくつの浦を飛び越えようとして、そんなに船は急ぐのだろう、遠くなった山は雲や霞の果てに消えてゆく。
船を見送る側から船に乗っている側に転じる。「浦」と「霞」は、『拾遺集』の
たごの浦に霞のふかく見ゆるかな
もしほのけぶりたちやそふらん
能宣
をはじめ、古歌に多く詠まれていて、寄り合いとなっている。
なお、
霞たつ末の松山ほのぼのと
波にはなるる横雲の空
藤原家隆
の歌を踏まえたとすれば、「遠山」は「末の松山」のこととなり、「松」の字が三句前にあるところからの、「抜け」である可能性もある。
季題:「霞」は春。聳物。羇旅。その他:「雲」も聳物。「遠山」は山類。
雲も霞みも末の遠山
年々の春こそやがて暮るるなれ 良基
(年々の春こそやがて暮るるなれ雲も霞みも末の遠山)
年々歳を取るごとに春はすぐに暮れてしまう、遠くなった山は雲や霞の果てに消えてゆく。
前句を若い頃の夢や思い出の比喩とし、歳を取る悲しみへと転じる。歳を取ると、時間の流れが速く感じるのは、誰しも思うこと。
季題:「春」は春。
年々の春こそやがて暮るるなれ
夜半夜半の夢のきさらぎ 素阿
(年々の春こそやがて暮るるなれ夜半夜半の夢のきさらぎ)
年々歳を経るごとに春はすぐに暮れてしまう、夜中になるたびに夢に夢を着重ねる如月だ。
「年々」という同語反復から「夜半夜半」という同じ反復をかぶせてくるあたりは、素阿の得意とするところか。十四句目の「稲葉の松」に「浜荻」をつけるなど、どこか俳諧的で、蕉門の「匂い付け」に近いものすら感じられる。
季題:「如月」は春。その他:「夜半」は夜分。
夜半夜半の夢のきさらぎ
神垣の月と梅とに袖ふれて 救済
(神垣の月と梅とに袖ふれて夜半夜半の夢のきさらぎ)
神社の神垣の月に照らされた梅に袖が触れて、夜中になるたびに夢に夢を着重ねる如月だ。
神垣の梅は、菅原道真公を祀る、北野天満宮のことで、如月の二十五日は道真公の命日。
前句の「夜半夜半の夢」はここでは飛び梅の伝説などをいうのだろう。あたかも、道真公の果たせなかった夢が、夜ごと一枚一枚梅の花びらとなって、太宰府まで飛んでゆくような、幻想的な情景となる。
北野天神はまた、連歌の神様でもあり、道真公の怨念のこもった一枚一枚の花びらは、一句また一句連ねてゆく連歌のようでもあり、やがてそれが大宰府に届いたように、現世の恨みは一句一句の展開の中でそのつど解脱され、仏の道へと通じる。そう考えると、この句はなかなか深い味わいがある。この句が『菟玖波集』に入集したのもうなづける。
季題:「梅」は植物(木類)。一座五句物。「神垣」は神祇。その他:「月」は夜分。光物。「袖」は衣装。
神垣の月と梅とに袖ふれて
花こそ人を忘れざりけれ 周阿
(神垣の月と梅とに袖ふれて花こそ人を忘れざりけれ)
神社の神垣の月に照らされた梅に袖が触れて、花は人を忘れることがなかった。
菅原道真公の有名な
東風吹かばにほひおこせよ梅の花
あるじなしとて春をわするな
菅原道真
の歌を踏まえた句だが、必ずしも道真公のイメージに限らず、「こそ」の文字を入れることで、人からは忘れられてしまったが、花は覚えていてくれた、というところで、在原業平の、
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
我が身ひとつはもとの身にして
の情にも通じる。
なお、この道真公の歌だが、『拾遺集』では末尾が「春をわするな」となっているが、『大鏡』では「春な忘れそ」となっている。道真公の真跡があるわけではないから、どちらが正しいかは決定し難い。
季題:「花」は春。植物。ただし、ここでは梅の花なので、正花としては扱わない。そのため、一座三句には数えず、懐紙を変える必要もない。その他:「人」は人倫。
花こそ人を忘れざりけれ
故郷はみしにもあらずなりぬるに 木鎮
(故郷はみしにもあらずなりぬるに花こそ人を忘れざりけれ)
故郷はかつて見たのと全く変わってしまったけど、花は人を忘れることがなかった。
人からは忘れられてしまったが、花は覚えていてくれた、というところから、
ひとはいさ心もしらずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける
紀貫之
の歌を思い起こし、本歌付けとして展開したもの。ただ、本歌にべったりと付きすぎているところが、この時代の連歌のまだ未熟なところか。
季題:なし。その他:「故郷」は居所の体。一座二句物で、只一、名所一となっている。十八句目にも「故郷」という言葉は出てきたが、両方とも名所とは言えず、只の故郷が二句になっている。千句興行は、かなり早いテンポで、おそらくは一分もかけずに一句付けるくらいのペースで作られてゆくため、多少の式目の見落としはしょうがないのだろう。
故郷はみしにもあらずなりぬるに
別れのこりて猶秋のくれ 良基
(故郷はみしにもあらずなりぬるに別れのこりて猶秋のくれ)
故郷はかつて見たのと全く変わってしまったのに、自分だけが生き残り、秋も暮れようとしている。
前句の変わり果てた故郷は、長く戻らなかったためにすっかり忘れ去られ、自分の居場所もなくという意味だったのに対し、ここでは本当に荒れ果てた、廃村の意味に転じている。
芭蕉の古池の句ではないが、かつては、こうした廃墟になった村というのはしばしば存在したのだろう。自然災害によるものか、戦乱によるものか、あるいは疫病の流行によるものか、それとも領主の横暴に抵抗して百姓が逃散してしまったか。
季題:「秋の暮」は秋。
別れのこりて猶秋のくれ
露よりもげには命のきえぬ程 素阿
(露よりもげには命のきえぬ程別れのこりて猶秋のくれ)
命というのは実際には露ほどはかなくは消えてしまわないものだ。自分だけが生き残り、秋も暮れようとしている。
「きえぬ」の「ぬ」は連体形だから否定の「ぬ」で、完了の「ぬ」ではない。完了なら「きえぬる程」になる。
老境の述懐の句で、同世代の人達が次々とこの世を去ったにもかかわらず、自分はまだ生きている。露ほどの命と思っていたのに、自分の命は露ほどはかなくなかったな、と我が身の生への執着の強さを振り返る。
季題:「露」は秋。降物。述懐。その他:「命」は一座二句物。
露よりもげには命のきえぬ程
契りたのむはおなじ世のうち 家尹
(露よりもげには命のきえぬ程契りたのむはおなじ世のうち)
命というのは実際には露ほどはかなくは消えてしまわないもので、約束交わしたふたたび会う日を当てにして待つのも、二人がともに現世で生きているうちのことだ。
述懐から恋への転換はお約束とでもいうもの。人の命は露ほどには儚くないもので、というところから、ともに生きているならふたたび会える日も来るだろう、と付ける。
季題:なし。秋の句が二句しか続かなかったが、『応安新式』には、
一、句数
春 秋 恋(已上五句)
とあるだけなので、ルール上は二句で捨てても一句で捨ててもかまわない。ただ習慣上、三句続けることになっている。江戸時代の俳諧で芭蕉が恋を一句で捨ててもかまわないとしたのも同様で、ルール上は問題はない。 その他:「世」は一座五句物。これが二回目。この場合は恋の世。
契りたのむはおなじ世のうち
旅なれば帰るも待つもいそがれて 救済
(旅なれば帰るも待つもいそがれて契りたのむはおなじ世のうち)
旅で離れ離れになった二人には帰るほうも待つほうも心がせきたてられる。約束交わしたふたたび会う日を当てにして待つのも、二人がともに現世で生きているうちのことだ。
旅というのは、もちろん今日のような観光旅行のことではなく、地方への左遷や流刑や出家など、さまざまな事情が伴う。男は事情が許されて、帰りの旅路に着いたのだろう。それもおそらく愛しい人の命が明日をも知れない状態で、せめて生きているうちにもう一度会いたいと、ただただ心は急がされる。
季題:なし。恋。羇旅。その他:「旅」は一座二句物だが、これで三回目。主筆の見落としか。
旅なれば帰るも待つもいそがれて
都のうちを夢や行くらん 成種
(旅なれば帰るも待つもいそがれて都のうちを夢や行くらん)
旅で離れ離れになった二人には帰るほうも待つほうも心がせきたてられ、夢は生霊となってすでに都の中をさまよっているのだろうか。
帰る男の早く帰らねばと急ぐ句から、迎える女の句への転換。都で帰りを待つ女のもとに、愛しき人の生霊が現れて、夢だけが先に帰ってきたのだろうかとなる。果たして本当に会うことができるのか。それともこれが最後になるのか。悲しい歌だ。
季題:なし。恋。その他:「都」は一座三句物。これが一回目で旅に思う都の句となる。ほかに、ただの都、名所としての都の句が付けられる。なお、「都」は天の住まいであって人の住む「居所」とは見なされない。「夢」は可隔七句物。二十六句目の「夢のきさらぎ」の句からちょうど七句隔てている。證歌:「帰る」に「夢」が寄り合い。
草枕仮寝の夢にいくたびか
なれし都にゆきかへりこむ
藤原隆房(『千載集』)
の歌がある。
都のうちを夢や行くらん
明けぬるか夜の界の鐘の音 素阿
(明けぬるか夜の界の鐘の音都のうちを夢や行くらん)
夜が明けてしまったのだろうか、夜と昼との境界の鐘の音が、都の中を夢ともうつつともわからず響いて行く。
明け方の逢魔が刻。夜と昼との境目はまた、現世と異界との境目でもある。それは夢と現実が交錯した世界で、都の中をさまざまな生霊死霊が夢のように行き交う。素阿ならではの奇抜な展開だ。こうした魑魅魍魎の類も、鐘の音とともに無明の闇を解かれ、救済されてゆく。
季題:なし。釈教。その他:「夜」は夜分。「鐘」は一座三句物で、これが一回目。この場合は釈教の鐘。
明けぬるか夜の界の鐘の音
門は柳の奥の古寺 救済
(明けぬるか夜の界の鐘の音門は柳の奥の古寺)
夜が明けてしまったのだろうか、夜と昼との境界の鐘の音がする。門の代わりに柳が植わっているその奥には古いお寺がある。
柳もまた「卯」の木で、夜と昼との境を示す「卯の刻」を連想させる。キリスト教の言う「狭き門」ではないが、こういう目立たない寺にこそ、本当の道が守られているのかもしれない。
季題:なし。釈教。「柳」(木類)はこの場合季節感の伴わない「ただ柳」として扱われる。その他:「寺」は仏を祭るところだが、住んでいるのは人である。『応安新式』に「已上居所不可嫌之」とあるように、居所であるが、居所として嫌う必要のないものという、居所と非居所の中間のあいまいな立場にある。
門は柳の奥の古寺
これをこそ開くとおもへ法の花 良基
(これをこそ開くとおもへ法の花門は柳の奥の古寺)
この寺でこそ仏法の花を開くと思え。門の代わりに柳が植わっているその奥には古いお寺がある。
この立派な山門があるわけでもない古い荒れ果てたお寺ではあるが、こういうところにこそ本当の仏道の教えが守られていて、仏法の花が咲く。「法の花」は「ほうのはな」(そんないかがわしい宗教団体があったが)ではなく「のりのはな」と読むのが正しい。
季題:なし。釈教。その他:「花」はここでは比喩としての花で、いわゆる「にせものの花」になる。「花」は『応安新式』では一座に三句までで、似せ物の花を合わせて四句とし、四枚の懐紙にそれぞれ一句づつとする。句を出す位置は特に指定されていない。これが江戸時代に入ると各懐紙の最後の長句が「花の定座」と呼ばれ、慣習化して行くことになる。なお、二十八句目の「花こそ人を忘れざりけれ」の句は、梅の花の意味なので、正花とは見なされないため、ここに「花」を出すことを妨げない。
これをこそ開くとおもへ法の花
年行く人のしろき眉の毛 周阿
(これをこそ開くとおもへ法の花年行く人のしろき眉の毛)
これこそ仏法の花の開くと思え。歳とってゆく人の白くなってゆく眉毛も。
誰しも歳は取りたくないもので、歳とって眉毛が真っ白になってゆくことも、決してありがたいことではない。しかし、ものは考えようで、仏に一歩近づいて、法の花が咲いたと思えばありがたくもなる。白髪でもいいのだが、「開く」との縁で、目を開くのに掛けて眉毛を言い出している。
季題:なし。その他:「人」「眉の毛」は人倫。
年行く人のしろき眉の毛
桑の子の糸にはおらず麻衣 救済
(桑の子の糸にはおらず麻衣年行く人のしろき眉の毛)
桑の子の糸では織られていない麻衣も、歳とってゆく人には白い繭の毛ようだ。
「眉」を「繭」に取り成して、「桑の子(蚕)」を縁で付けた句。物付けの典型とも言えよう。
麻衣を着ているのは大宮人ではなく、海人(漁師)や山がつ(木こり)で、年季を経た仙人のようなその風貌は、どこか神々しくもある。粗末な麻衣を着てはいても、白い絹を着ているかのようだ。
季題:なし。その他:「桑の子」は虫類。「麻衣」は衣類。
桑の子の糸にはおらず麻衣
露こきまぜて又袖の雨 永運
(桑の子の糸にはおらず麻衣露こきまぜて又袖の雨)
桑の子の糸では織られていない麻衣、露も涙もいっしょくたになってまた袖は雨が降ったようになる。
麻衣は喪に服する時にも着る。
けふとしも思ひやはせし麻衣
涙の玉のかかるべしとは
詠み人知らず(『後拾遺集 巻十七』)
という歌もある。上五七を麻衣を引き出す序詞とした付け。
季題:「露」は秋。降物。哀傷。その他:「雨」も降物。一座一句物。「袖」は衣類。證歌:「袖の雨」には、
世の中を思ひはいれじ袖の雨に
たぐはば月の曇りぞもする
藤原公衡(『玄玉集』)
がある。
露こきまぜて又袖の雨
秋の田のいねがてにして長き夜に 木鎮
(秋の田のいねがてにして長き夜に露こきまぜて又袖の雨)
秋は田の稲が稔るからというわけではないが、いねがてに(眠れなく)なる長い夜に、露も涙もいっしょくたになってまた袖は雨が降ったようになる。
秋の田と袖の露は、
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
わが衣手は露にぬれつつ
天智天皇(『後撰集』)
をふまえたもの。ここでは「秋の田」を「寝ね」を導き出す序詞とし、愛しき人を待っていてもついつい眠ってしまいがちな長い夜は袖が雨が降ったように濡れている、というふうにつなげる。
季題:「秋の田」「長き夜」はともに秋。恋。その他:「長き夜」は夜分。
秋の田のいねがてにして長き夜に
夢にかへたる月をこそみれ 良基
(秋の田のいねがてにして長き夜に夢にかへたる月をこそみれ)
秋は田の稲が稔るからというわけではないが、いねがてに(眠れなく)なる長い夜に、夢も見れずに代わりに月を見ていた。
前句の「長き夜」を悟りに至れずに闇の中をさまよう無明長夜のこととし、「無明長夜の夢」という成語から、夢を導き出す。ここではそういう仏教的な意味とは無関係に、単に君を思って眠れない夜に、一晩中月を見ていたという意味。
季題:「月」は秋。夜分。光物。恋。その他:「夢」は可隔七句物。三十四句目の「都のうちを夢や行くらん」の句からちょうど七句隔てている。
夢にかへたる月をこそみれ
須磨近き浦は明石の泊船 暁阿
(須磨近き浦は明石の泊船夢にかへたる月をこそみれ)
須磨に近い浦には明石から来た泊り舟、夢のお告げで月を見る場所を変えた。
これは『源氏物語』の「明石」を本説とする付け。光源氏が須磨に隠棲したところ、翌年の春には都も須磨もともに嵐に見舞われ、都の政治にも支障をきたすほどとなった。そんな時に光源氏の夢に亡き父である桐壺帝が出てきて、「住吉の神の導くままに、須磨の浦を立ち去れ」と言う。そのとおり須磨の浦に出ると、急に嵐もやんで月の光が射し込み、そこに明石入道の船が現れ、聞くと明石入道も夢のお告げで船を出したのだという。こうした不思議な縁に導かれて、光源氏は明石に移り住むこととなった。
前句の「夢にかへたる」を夢に場所を変えたという意味に取り成す。
季題:なし。羇旅。その他:「須磨」「明石」はともに名所で水辺の体。「浦」は水辺の体。「泊舟」は水辺の用。
須磨近き浦は明石の泊船
山中過ぎて島がくれあり 救済
(須磨近き浦は明石の泊船山中過ぎて島がくれあり)
須磨に近い浦といえば明石の浦の泊り舟、山中を過ぎて島に隠れてゆく姿がある。
本説は三句にまたがってはいけない。ここは『源氏物語』のイメージを離れ、伝柿本人麻呂の、
ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島がくれゆく船をしぞ思ふ
(『古今集』)
を本歌にして逃げる。
季題:なし。羇旅。その他:「島」は水辺の体。「山中」は山類の体。
山中過ぎて島がくれあり
遠近に立ち別れたる朝霞 素阿
(遠近に立ち別れたる朝霞山中過ぎて島がくれあり)
あちこちに別々に立ち込めている朝の霞があって、山中を過ぎて島の隠れてゆく姿がある。
前句を島に船が隠れているのではなく、島が隠れてゆくと取り成し、朝の霞があちらこちらに別々に立ち込めているから、山の中は晴れていても向こうの島は隠れていると付く。また、「遠近」と「山中」は、
をちこちのたづきも知らぬ山中に
おぼつかなくも呼子鳥かな
『古今集』
の縁もある。
「朝霞」が「朝霧」だと、人麻呂の本歌を引きずってしまい、一つの本歌が三句にまたがってしまう。もちろん、二句去りで秋は出せない。
季題:「朝霞」は春。聳物。
遠近に立ち別れたる朝霞
我が家々も春やきぬらん 永運
(遠近に立ち別れたる朝霞我が家々も春やきぬらん)
あちこちに別々に立ち込めている朝の霞があって、わが一族の家にもそれぞれ春が来たのだろうか。
朝の霞に春の訪れは月並な展開ではあるが、前句の「遠近」を生かすには、家を複数にしてこのように展開するしかなかったのだろう。
季題:「春」は春。その他:「我が」は人倫。「家々」は居所。
我が家々も春やきぬらん
老らくの身にあらたまる年はなし 救済
(老らくの身にあらたまる年はなし我が家々も春やきぬらん)
年老いた我が身には新年が来たからといって何が変わるわけでもない。わが一族の家には春が来たのだろうか。
前句の家々を子や孫たちの家とし、若い者は新しい春に向って決意を新たにするものの、この老いぼれた身は今さら何をするでもない、と老いを嘆く述懐の句へと展開する。
季題:「あらたまる年」は春。述懐。その他:「身」は人倫。「老」は一座二句物。この場合は只の老い。もう一つは鳥や木などの老い。
老らくの身にあらたまる年はなし
きえぬばかりの雪はいつまで 良基
(老らくの身にあらたまる年はなしきえぬばかりの雪はいつまで)
年老いた我が身にはもはや新しい年が来ることはない。消えてゆくだけの雪はいつまで持つのだろうか。
前句を、もはや新しい年は来ないという意味に取り成し、死の床にある老人の述懐にする。おそらく世間は正月を迎えた頃だろう。自分の命を消えゆく雪にたとえて、まだ春も浅いうちにこの命も潰えるのか、という意味になる。
季題:「消えぬ雪」は春。降物。その他:「雪」は一座四句物で、冬の雪のほかに、春の雪一句、似せ物(比喩)の雪を一句詠むことができる。春の雪は十二句目に出ている。ここは似せ物に雪。
きえぬばかりの雪はいつまで
ともし火の影を残して深きよに 周阿
(ともし火の影を残して深きよにきえぬばかりの雪はいつまで)
ともし火の影の残った深い夜に、消えてゆくだけの雪はいつまで持つのだろうか。
「影」は光のこと。油をたいた昔の灯りはほんのかすかで、月や星がなければ外は漆黒の闇になる。そんな中で眠れずに夜を明かすのは心細いことだ。あれこれ思い描いては朝には冷酷にかき消されてゆく夢の数々を、朝が来たら溶けてしまう夜の雪に託しながら、また憂鬱な朝がくる。一日は容赦なく始まる。
「きえぬ」に「ともし火」を縁で付ける詞付けの句だが、消える雪と消えるともし火のイメージが通じあうことで、後の蕉門の匂い付けのような効果を上げている。
季題:なし。その他:「ともし火」「深きよ」は夜分。
ともし火の影を残して深きよに
わかるる人ぞわれをそむくる 成種
(ともし火の影を残して深きよにわかるる人ぞわれをそむくる)
ともし火の影の残った深い夜に、別れてゆく人は私に背を向ける。
「消えぬ」に「ともし火」と付いた後、また「そむくる」に戻るのは、あまりいい付け方ではない。
背燭共憐深夜月。踏花同惜少年春。
燭を背けては共に憐れむ深夜の月、
花を踏みては同じく惜しむ少年の春、
(『和漢朗詠集』「春夜」白居易)
を出展にした逃げ句と見ていいだろう。
季題:なし。離別。その他:「人」「われ」はともに人倫。人倫は二句去りで、打越だけ嫌えばいい。