年が変わって入道の宮の一周忌もすぎると、宮中も喪が明けて、四月の衣更えでムードも一新され、それにて賀茂祭の頃には大方天気の良い日が続きました。
先の斎院も何となく空を眺めていると、庭の桂の木を吹く下風の心地良さに、若い女房達も賀茂にいた頃が思い出されます。
そこに源の大臣の使者がやってきて、
「賀茂の禊ぎの日は穏やかに過ごせましたか?」
と言いながら手紙を渡します。
《今日は、
思いがけず清流がまた波立って
君が藤衣に禊ぎするとは》
紫の紙で儀礼的な書状の体裁を整え、藤の花に添えて、あくまで季候の挨拶ということで返事がきました。
《昨日まだ藤衣を着てたと思ったら
世の中禊ぎの流れになるとは
あっけないですね。》
とだけ書いてあるを、例によって源氏の大臣はいつまでも眺めてました。
斎院の父宮の裳明けの御服直の時などにも、あの女官の所に部屋が埋まるほどの贈り物をよこして、斎院は見るのも嫌なのですが、
「いかにも口説こうとしてるような意味深な手紙などがあるなら、断る意味でこうした物も返せるんだけど、長年にわたって公式にいろんな節句や儀礼などの折にこうした世話を受けて来て、そういう所はまめな方なので、なかなか断る口実もないのよね。」
と処理に困ってました。
女五の宮の方にも同じように、こうした折を逃さずに贈り物をするので、とても嬉しそうに、
「源氏の君はつい昨日まで子供だと思ってたら、すっかり大人になって誇りですわ。
見た目もとても輝いてますが、心の方も同じ人間とは思えませんね。」
と褒めそやすので、若い女房達は苦笑いです。
斎院に会う時でも、
「あの大臣からこんなに真心こもった扱いを受けているでしょ。昨日今日始まったことではないですわ。
今は亡き宮様も斎院になって結婚できなくなったことを歎いてらして、わたしの意図をあなたが身勝手に反故にしてしまったことを、いつも悔しそうにしてましたわ。
それでも亡き大臣と三の宮との間にできた娘が源氏の大臣の所に嫁いでた時は、三の宮に気を使って、特に何も言わなかったのですけどね。
その皇統の血を引くその娘さんも亡くなってしまい、まさに今こそあなたが本妻になってもおかしくないし、源氏の大臣が昔に戻ってこんなに熱心に訪ねて来るのですから、受け入れるべきだと思います。」
などと随分と昔のことを持ち出されて不愉快に思い、
「亡き父からも確かにそのように強情なとずーっと思われ続けてきたものを、今さら源氏と結婚なんておかしいんじゃない。」
とここまできっぱりと言われると五の宮の方も気後れして、これ以上何も言いませんでした。
宮家の人達は身分の高い者も低い者もみんな源氏の側なので、縁談のことをどうなることかと気に病んでたけど、源氏自身は振り向かせようとあれこれ手を尽ししながら、斎院の気持ちが緩んでくれるのを待っているけど、特に強引なやり方で屈服させようとは思いませんでした。
その亡き大臣の娘との間にできた若君は元服ということで、早急にと思い、二条院でしようとしたものの、祖母の三の宮様が見たがるのも当然ということでやむを得ず、結局三の宮の三条殿で行うことになりました。
若君の伯父にあたる右大将はもとより、亡き大臣の一族は皆上達部で三位以上の身分になっていて、三の宮の一族も我も我もと協力を申し出て、かなり大掛かりなものになってゆきます。
宮中全体でも大騒ぎしていて、あれやこれやせっつかれるままに準備が進められました。
最初は若君を親王の子に準じていきなり殿上人の四位からスタートさせようと思っていて、世間もそんな雰囲気でしたが、まだこんな幼いんだし、いくら官位など自分の思いのままにどうにかなるといえども、それなりの理由もなしにやるのは、みんなやってるようなことで嫌だな、と思いとどまりました。
六位の浅葱色の服で例外的に殿上に登る還昇の形になり、三の宮は納得できず不満なのも当然で、なんとも気の毒です。
源氏の大臣は三の宮に会って説明します。
「今はまだ無理を押し通してまで早いうちに大人にしてしまう必要もないし、思う所があって大学寮にいれてしばらく勉強させようと思ってるんだ。
これから二、三年、ちょっと回り道させて、自分から朝廷に仕えようと思える歳になったなら、その時に大人にすればいいのではないか。
俺は宮中に引き取られて育てられ、殿上全体のことを知らぬまま昼夜御門の所にいて、ほんのちょっとしか本を読んだりもできなかった。
御門直々に教わることができたとはいえ、幅広くいろんなことを知ってるわけではないので、漢文にしても七弦琴や竜笛高麗笛にしても不十分で至らぬ所ばかりだし。
子供が親を越えて行くなんてことはなかなかないことだし、まして亡き院から引き継いだものを息子に伝えても劣化していくだけで先行き不安なので、そうすることに決めたんだ。
高貴な家に生まれて官位も爵位も思いのままだと、そこにおごりが出て、学問のような苦しいことはやりたくなくなるものだ。
遊んでばかりで思いのままに出世して行っても、世間の時流に流され、下の者は鼻であしらい、力のある者に追随してはご機嫌を伺い、そうやって何となくいっちょ前に偉くなっても、時流が変わって、付いてった人が亡くなり権勢が衰えてゆけば、今度は人から手のひら返しされて何も残らないなんてことになる。
やはりしっかり知識や技術を学んだ上で、大和魂でもってこの国を治めて行くのが最強だ。
六位スタートだと出世するまでの間じれったいと思うかもしれないが、これから朝廷の重鎮となるための基礎を学んでおけば、俺の死んだ後も安心していられる。
最初の内は仕事がなくても、俺が育てるんだからそこいらの貧乏学生とは違うんで、馬鹿にして笑う人もまずいないと思う。」
それを聞くと溜息をつきながら、
「なるほど、そこまで考えていたのね。
うちの右大将なんかもあまりに突飛なことなので首をひねっていたけどね。
おさな心にも悔しい思いをして、うちの大将や左衛門督《さえもんのかみ》の息子などを今までは自分より下だと思ってたのに、それがみんな出世して大人になっていって、自分だけ浅葱の衣を着てるのを辛いと言ってたので心配してます。」
それを聞くと笑って、
「ほんと、大人になったのにそんなこと気にしてるようだね。確かに残念だ。まあ、まだそんな年頃だ。
(それもまた可愛いじゃないか)
これから勉強して、少し物事がわかってくれば、そんな不満もいつの間に消えてると思うよ。」
*
大学寮に入るなら中国式の字を作ってもらわなくてはならないので、東の院でそれを行いました。
そのための準備に東の対が充てられました。
上達部、殿上人、滅多にないことで何だろうと思って我も我もと集まってきました。
博士たちも気後れしそうです。
「遠慮しないでしきたりに従って、妥協なしで厳格に遂行してくれ。」
と源氏の大臣が言うと、周りをまったく気にしてないふうを装い、他の家から借りてきた装束が似合わなくて堅苦しく見えるのも恥じることなく、表情も声音もいかにもしゃちほこばって、所定の位置に着いて行くその作法から何から、通常とは違ったものでした。
若い公達は堪え切れずにくすくす笑ってます。
一方では、そんな笑ったりしないような歳の行った落ち着いた人を選んで瓶子取りにしましたが、儒者のしきたりは宮中とは違うため、右大将や民部卿などがおっかなびっくり磁器を持ってくると、そんな過分の事はできないと咎めて盃を下ろします。
「そもそも宴席での正客でない便乗した者がはなはだ多く、前代未聞なことと見受けられます。
朝廷に仕えようというものが右大将・民部卿などの高い地位の人物を知らないとでもお思いでしょうか
とんだ茶番です。」
そういうと緊張が解けたのか、みんな一斉に笑い出したので、
「騒々しいぞ。静まりなさい。はなはだ前代未聞な。退席願いたい。」
などと大声出すのも笑えます。
こういうしきたりの違いを知らない人は何か珍しい面白いものを見たと思い、大学寮出身の上達部などはやっぱりそうかと吹き出しながら、よくこんな所に好き好んで息子を入れる決心をしたなと、ますます尊敬することとなりました。
ちょっとした私語も止められ、礼儀がなってないと言っては咎められる。
口うるさく大声を出すこうした人達も、夜になると、次第に煌々と明るく見えるようになった灯しの光に余興の猿真似芸か何かのように侘し気で、不似合いな衣装などどれもこれも通常とは異なり、異様な世界を見るかのようです。
源氏の大臣は、
「とにかくだらしなく頑固な連中が、化粧して騙そうとしているみたいだ。」
と言って、御簾の内に隠れて様子を見てました。
席が限られていて会場に入れず、帰ろうとしてた大学寮の衆がいたことを聞いて、釣殿の方に呼んでいろいろ物を下賜しました。
事が終わって退出する博士や才人を招いて、今度は詩文を作らせました。
上達部や殿上人も詩文を得意とする人は皆残るように言いました。
博士達には律詩、そうでない人は源氏の大臣をはじめとして絶句を作りました。
興のある題の文字を選んで、文章博士が出題します。
夜の短い季節なので、夜がすっかり明けてから披講します。
左中弁が読み上げます。
見た目も小綺麗で声の調子も堂々としていて、古式ゆかしく読み上げれば、なかなか風流なものです。
並の博士ではありません。
このような高貴な家に生まれて、世界の栄華を遊んで暮らせる身分にあるのに、あえて蛍の光を窓に仲良くし、枝の雪を手なづけようという志の高さを森羅万象の興を借りて、それぞれの作者が思い思いに作った詩はどの句も面白く、中国に持って行って広めたいくらいの夜の詩文だと当時の人達は絶賛しました。
源氏の大臣の詩は言うまでもありません。
親としての深い愛情に溢れてるのは言うまでもなく、それが誦じられると涙の渦になりましたが、女は漢詩などが学ぶのはいかがなことかということで、不快に思う方もいるので、作品の方は書き漏らしたことにしましょう。
*
それに続いて、学問を始めるということで、すぐに二条院の東院に若君の部屋(御曹司)を作って、真面目で学識の高い教師に頼んで学問をさせることになりました。
祖母の三の宮の所には滅多には行かせません。
夜昼となく溺愛し、今でも子供のように接しているので、そこで学問は難しく、静かな所に閉じ込めておこうということです。
「一月に三回ぐらいならOK。」
と、それくらいは許しました。
おとなしく籠ってるのが嫌になって来て源氏に、
「こんなの虐待だよ。こんな苦労しなくたって、高い地位について朝廷で働いてる人だっているじゃん。」
とぶーたれてるけど、大体においては根は真面目で浮ついたところがないので、じっと我慢して、
「とにかく課題の本をみんな読んじゃえば、宮廷の人達にも会えるし、官位も貰えるんじゃないか。」
と思って、なんと四、五ヵ月で『史記』を全巻読んでしまいました。
そういうことで寮試という擬文章生の試験を受けさせようと思い、まず自分の前で模擬試験をしてみました。
あの時集まっていた右大将、左大弁、式部大輔、左中弁などばかり招いて、東の対に来てもらっていた教師の大内記も呼んで、『史記』の中でも難解とされるいくつかの巻から、寮試対策として博士が突っ込みそうなところを抜き出して一通り読ませたところ、わからない語句もなく、諸説をふまえて読み上げて、わからない所を示す爪印を残すこともなく、驚くほどの秀才ぶりで、
「なるほど大学寮に入れようというだけのことはある。」
とみんなが涙ぐむほどでした。
まして伯父の大将など、
「左大臣だった父君に見せたかった。」
と言って泣いてました。
源氏の大臣も、親として気丈にふるまうこともできず、
「世間じゃ子煩悩などというけど、子供が立派に成長するのと引き換えに親が老いぼれて行くというのを見ると、まだそんな年じゃないとは言いながらも、俺も世間並みの親なんだな。」
大将が酒を注いでやると、すっかり出来上がってしまった顔はげっそりと痩せ細ってます。
世間から変人扱いされ、才能があるにもかかわらず出世コースからはずれ、人を避けて貧乏暮らしをしてたところ、源氏の目に留まって特別採用された者でした。
身に余るほどの待遇を受けて、若君という才能に出会い、一躍脚光を浴びたことを思えば、これから先の名声は約束されたようなものですね。
大学で試験を受けに行く日には、大学寮の門に上達部の車が数知れず集まってきました。
宮廷の人が残らず来たみたいで、最高の待遇で衣装を整えた六位無官の若君は、どう見ても儒者の交わりにはふさわしくないくらい美しくも高貴な姿でした。
ここに普通にいるみすぼらしい人たちの中に加わり、末席を汚すのを辛いと思うのも当然です。
この時もまた、礼儀のことで大声で注意する者がいてギクッとすることもありますが、少しもおくすることなく書を読み終えました。
昔が忍ばれるような大学の栄えていた頃たったので、これを機に身分の上中下を問わず我も我もと学問を志して集まって、知識を持った有能な人材がたくさん育っていくことでしょう。
文人擬生に合格した所から始まって、その後もすいすいと進級してゆき、熱心に勉学に勤めたので、師匠も弟子も負けずにますます学問に励むようになりました。
源氏の家でも漢詩文が流行し、博士や才人なども鼻高々です。
文芸の様々な道すべてに渡って、その道の才能のある人が表舞台に出る時代になりました。
*
ちょうどその頃、皇后を決める時になり、斎宮女御こそはその母の御息所から後見をたのまれていたのでと、源氏の大臣もそれを理由に推挙します。
亡き入道の宮に続いてまた王家からということで、宮中からも異論噴出です。
弘徽殿女御が先に入内したのにそれを差し置くのはいかがなものかと、水面下であれこれ根回ししている人たちが気になる所です。
かつて兵部卿宮と呼ばれてた人は今は式部卿になり、今の御門の時代になってからは特に影響力のある人で、その娘も念願かなって入内してました。
斎宮女御と同様、王家の出の女御になります。
どうせ王家から選ぶのなら、御門の母の入道の宮の兄である私の娘の方が、母の入道が亡くなった今、その代わりに自分が面倒を見ることがでるという理由で相応しいと、それぞれの思惑であらそってましたが、結局梅壺の斎宮女御に決まりました。
不遇だった六条御息所に引き換え、幸運に恵まれたこの女御に、宮中も皆驚いてました。
源氏の大臣は太政大臣に昇格し、大将が内大臣になりました。
国の政治のことは内大臣に譲りました。
とにかくしっかりした性格でキラキラ輝いていて、周囲への気配りなども如才なくできる人です。
あの右大臣の天下の頃には三位の中将で、気晴らしに一緒に学問をしたり博士を呼んで詩文を作ったりして、その時の韻塞という韻字当てゲームでは源氏に負けてましたが、政治の才能は上でした。
かつては女のことでも張り合ってた頭の中将もこうして内大臣になり、腹違いの子を含めて十余人の子供がいて、それが今や大人になり次々に殿上に送り込まれ、源氏の周辺に負けず劣らず繁栄を極めていました。
女児も弘徽殿女御の他にもう一人いました。
皇統の血を引く者との間にできた娘なので、高貴な筋という点では劣ってはいませんが、その母がその後按察使大納言の奥方になって、そちらとの子供の方がたくさんになってしまったので、それと一緒に義父に預けるのも問題が起きそうなので、引き離して祖母の三の宮様の所に預けてました。
弘徽殿女御と比べると待遇が大分落ちる所はありますが、とにかく人柄や容姿など大変立派な方です。
今や元服して冠者となった源氏の若君も同じ三の宮様の所にいましたが、どちらも十歳を過ぎたあとは住む所を別にして、幼馴染とはいえ相手は男だから油断するなと父の内大臣に近づけないようにされていましたが、幼心にも惹かれ合うものがないわけでもなく、花や紅葉の宴などで逢うこともあれば、雛遊びに付き合ったりもして、熱心に一途に追いかけて思いを伝えていたので、やがて相思相愛になり、公然の仲になってゆきました。
周囲の世話をする人たちも、
「何のかんの言って子供同士のことだし、今までずっと一緒だったのに、急に引き離したりしても困っちゃいますよね。」
と思っていると、女の方は何とも思ってないようですけど、男の方はまだ子供にみえてもませていてどんな仲になってしまったのでしょうか。
離れ離れにされてはそれこそ穏やかではありません。
まだ幼さの残る可愛らしい筆跡で書き交わした手紙も、そこはやはり子供でそこいらに放ったらかしになってる手紙に、女の方の女房たちは薄っすら気づいてはいましたが、何がどうなってるかは誰にも言わず、内緒にしてました。
*
源氏の太政大臣就任の大饗と内大臣の大饗が終わり、宮中も暇になって静かになると、時雨の季節になり、ただならぬ荻の上風と歌にもある夕暮れ、三の宮様の所に内大臣がやってきて姫君を呼び、七弦琴、箏、琵琶などを弾かせました。
宮様はどんな楽器も弾きこなすので、こうした楽器も姫君に教えてました。
「琵琶は女には似合わないなんて言われてるけど、なかなか表現力の豊かな楽器なんだな。
今の時代に正しい奏法を受け継いでる人はあまりいない。
あの親王と、この源氏と。」
と数え上げ、
「女の中では太政大臣が山里に囲ってる人が上手だという。
昔の王家の奏法を伝授されていたけど、ずっと田舎で暮らしてたのに、何でそれを維持できたのか不思議だ。
あの太政大臣が何度もしみじみとそう言ってたからな。
他のことならともかく、音楽の才能というのはいろんな人とのセッションを通じて、互いの良い所を学び合って伸びるものなのに、ぼっちで上手くなるのは珍しい。」
そう言って宮様に演奏を促すと、
「琵琶の柱(フレット)を押さえるもの久しぶりになりますね。」
と言いながら多彩な音を奏でます。
「その御方は運が良いというだけでなく、それ以上に不思議な天の祝福を受けた方なのでしょうね。
源氏の君の三十にもなっても得られなかった女児を生んで、自分のもとで離さずに貧乏暮らしさせるより、やむごとなき人の養女に差し出すことを選ぶなんて、もう何も言うことのない人と聞いてます。」
「女は結局そういう空気が読めるのが世にもてはやされるんだな。
弘徽殿女御も悪くはなかったんだけどね。
全てに関して誰にも劣らないと思ってたんだけど、思わぬところに伏兵がいて、なかなか思い通りにならないもんだ。
もう一人の方は何とかうまいようにいかないかと思うんだが。
春宮の元服がすぐそこに迫ってるし、密かにそれを狙ってるんだけど、そういう持ってる女の産んだ子が后の候補になると、また出し抜かれそうだな。
あれが内裏にやってきたら、それと競える人なんているんだろうか。」
「そんなこともないと思いますよ。
この家からその筋へ嫁ぐ人が出ないはずがないと、今は亡き大臣も思ってらして、女御のことでもあれこれ手を尽して準備してました。
存命だったらごり押しされることもなかったでしょうね。」
この件では太政大臣に少なからず恨みごとを言いたくもなります。
姫君が幼い手つきで箏の琴を弾いて、前髪が垂れ下がり、髪質の若々しい張りの良さなど見ていると、恥ずかしそうにやや顔を背けるあたりがほっこりしてて可愛らしく、取由というポルタメント奏法の左手を押さえるさまが造化の奇跡のようで、宮様も限りなく愛しいと思ってました。
チューニングのために軽く弾いたような感じで演奏を止め、箏を前に差し出しました。
内大臣は和琴を手元に引き寄せて、まさにこの秋に相応しい律音階の曲を、当代の名人と言われる腕で勢いに任せて弾いて、素晴らしい演奏を聞かせます。
前庭の梢の葉がはらはらと残らず散って行き、老いた女房達もみんなその辺の几帳の後にわれもわれもと集まってきました。
♪落葉俟微風以隕而風之力蓋寡
孟嘗遭雍門而泣而琴之感以未
(落葉は微風を待ってたように落ちて行くが、風の力はほんのわずか。
雍門周に出会った孟嘗君も琴を聞いて泣くが、琴自体の感慨は未だ。)
と口ずさみながら、
「琴があってもなくても、わけもなく物悲しい夕べじゃないか。だったら音楽を楽しもうよ。と言って盤渉調にチューニングし、雅楽の『秋風落』を口でメロディーを唱えながら演奏しました。
その名演奏に、宮様や姫君だけではなく、内大臣もとにかく凄い人だと思っていると、それに更に加わろうというのか、冠者の君もやってきました。
「こちらに来なさい」
と、几帳の外に通しました。
「なかなか会うこともままならないな。
何でまあそんな学問に夢中になってるんだ。
天才は早死にすると源氏の大臣もいつも言ってたのに。
こんな学問漬けにするのも意図があってのこととは思うが、いつも部屋に籠ってばかりいるのが気の毒でしょうがない。
たまには別のこともしなさい。
笛の音は礼楽を重んじる儒教の精神にかなうものだと、昔から言われている。」
と言って笛を渡しました。
その笛を若者らしく力強く吹きたてるのが新鮮で、大臣は和琴を弾くのをやめ、姫君の箏や宮様の琵琶も制して、手拍子を邪魔にならない程度に打ち鳴らし、
♪衣更えせんや さきんだちや
我がきぬは野原篠原
萩が花摺りや さきんだちや
と催馬楽の『更衣』を謡いました。
「源氏の殿もこういう遊び(音楽)が大好きで、忙しい政治のこととかをほっぽり出して逃げてたりしたな。
まあ、砂を噛むような宮中も、こういう気晴らしをしながら乗り切っていきたいものだ。」
そう言いながら土器に酒を注いで勧めているうちに暗くなってきたので、大殿油を灯し、湯漬け飯や酒のつまみのナッツ類など、みんなで食べました。
姫君は退席して奥の部屋へ行きました。
こうやって冠者と姫君を遠ざけておいて、姫君の演奏すら聞かせないようにしてるため、今はほとんど顔を見ることもありません。
「あの二人、何か困ったことが起きそうね。」
と宮様にお仕えしてる古くからの女房たちが、陰で噂してました。
内大臣は帰るふりをして、こっそりそこの女の所に行こうと、こそこそと身をすくめてその部屋に向かっていると、そんなひそひそ話が聞こえてきて、何か怪しいと耳をそばだてれば、自分のことでした。
「何でも分かってるふうにしてても、やっぱ親バカね。
たまにこんなバカなことが起きたるするのよ。」
「親は子供のことを何でも知ってるなんて嘘よね。」
なんて言って、互いの肩をパンパン叩いてました。
「甘かったな。やっぱそうか。考えてなかったわけではないが、子供のことだからまさかとは思ってた。男女の仲って難しいもんだな。」
と大体の事情を呑み込んだところで、そのまま音を立てないようにして帰りました。
牛車を出す時の先導する人の声が大きかったので、
「えっ、殿は今出て行くの?」
「いったいどこに隠れていたの?」
「まだ浮気癖が治ってなかったなんて。」
噂してた人も、
「薫衣香の香ばしい匂いが漂って来たから、冠者がいるのかと思ってましたわ。」
「うわっ、きもっ。噂してたの聞いてたんだわ。もう病気ね。」
とあきれてました。
内大臣は帰りの道すがら、考えます。
「そんな残念なことでもないし悪いことではないんだけど、姓の違う交叉従弟の結婚は珍しくもない辺り、世間はくっつける方向に動くだろうな。
源氏の大臣のごり押しで弘徽殿女御の后を阻止されたことも痛手だったが、春宮の後の后だったら勝てるかと思ってただけに、これは癪だな。」
内大臣と太政大臣との友情はそんな昔から変わってないとはいえ、この方面では昔から張り合ってたことも思い出し、憂鬱で寝るに寝れないまま夜を明かしました。
「宮様もあの二人のことは薄々感づいているのだろうけど、どっちもかけがえのない可愛い孫なので、放置しているんだろうな。」
と思うと、女房達の噂は癪だし、動揺は隠せず、多少なりとも男としてここは勝負に出たいという気持ちを鎮めるのは無理なのでしょう。
*
二日ほど経った後、内大臣は宮様の所に行きました。
頻繁に来訪するので宮様も機嫌が良く、有り難いことと思ってました。
尼削ぎの前髪を奇麗に左右振り分けて、小袿を清楚に着こなし、息子とはいっても相手は大臣なので、直接面と向かわずに顔を背けて対面します。
内大臣の方は不機嫌で、
「こうしてここにいるのもいたたまれないし、みんながどう思ってるかと思うと落ち着いてもいられない。
あまり人のことを言える身ではないけど、生きてる間は足しげくここへ来て、分け隔てなく話そうと思ってる。
不良娘のことで残念だけど言わなければならないことが出てきて、こんなこと言って良いものかと思ってはみたけど、やはり言わずにはいられなくて‥。」
そう言って涙をぬぐうと、宮様も化粧した顔で顔色を変えて、微笑んでた目も大きく見開きます。
「どういうことなんですか。
長く生きてる者にそんな遠慮したような遠回しなことを言って。」
あまり責めるのも気の毒になり、
「頼りになる人なのを良いことに自分の娘を預けて、自分ではほとんど世話をせずに放っておいて、先ずは上の娘を后にしようとやっきになって、あれこれ手を尽したけどうまくいかず、それでも下の娘は立派に育ててくれてると信じていたのに、こんな思ってもみなかったことになって、ほんと情けなくなる。
源氏の大臣は誰にも代えがたい有能な人ではあるけど、そんな近親者の息子との結婚ということになると、世間も何を考えてるんだと思うことになるし、王家にも他家との関係にも何ら寄与しない縁組では、源氏の御子息のためにも良くないに決まってる。
別の家系の、特に光り輝く最も高貴な筋と結婚して、皇統の将来をリードするようしてゆくのが最善だと思う。
近親者同士の閉鎖的な結婚となると、源氏の大臣を悩ませることにもなる。
まあ、そのことはともかくとしても、俺や源氏に一言教えてくれれば、盛大に婚姻の儀式をやって、もっともな理由も考えることができたのに。
若い二人の衝動に任せたまま見て見ぬふりをするなんてのは、あってはいけないことだと思う。」
それを聞いた宮様は寝耳に水でびっくりです。
「それが本当でしたら、そんなことを言うのももっともですわね。
あの二人にそんな感情があったなんてことは全く知りませんでした。
ここでこんなふうに教えられて知ったことの方が悔やまれてなりません。
子供達に罪を負わせるようなことはしたくありませんわ。
預かるようになってから特別に可愛がっていて、あなたの配慮が行き届かない所も、単にそれをカバーする以上のことをして、人知れず苦労してきました。
まだ物心つかないうちに、子煩悩に惑わされて慌てて結婚させるなんて、考えてもみませんでしたわ。
それにしても、誰がそのようなことを言ってたんでしょうね。
良からぬ人の言葉に振り回されて空騒ぎするのも意味のない虚しいことで、何よりも娘の名に傷がつきます。」
「何の根拠もなく言ってるのではない。
仕えている女房達がみんな陰口言って笑ってるじゃないか。
それが悔しくて面白くないんだ。」
そう言って立ち上がると出て行きました。
心当たりのある女房は、これはやばいと困った顔をします。
まして、あの夜噂してた二人はすっかり震えあがって、何であんな話をしちゃったんだと後悔しています。
姫君がそんな問題になってることなど全く知らずに過ごしている所を内大臣が覗いてみると、その可愛らしい姿にも悲しくなって、
「まだ若いのは分っていたが、ここまで子供だったとはな。もう一人前だと思ってた俺の方こそ、それ以上の馬鹿ってことか。」
などと乳母たちに当たり散らしても、きょとんとしてます。
「この程度のことはやんごとなき御門の御息女であっても、たまたま過ちを犯してしまう例は昔からよくあることでしょ。
内情を知ってる人が仲立ちして、わざとその隙を作ったりしたのではないかしら。」
「あの二人は幼い頃から朝から晩まで一緒にいたんで、何であんな子供を宮様の意向を差し置いてまで引き離そうなどとするでしょうか。
そういう了解のもとにお世話していたのですが、一昨年あたりからはっきり男女の別を付ける方向に変わりました。
まだ子供のようでもそっちの方に興味を持って、どうやって知ったか男女がそういうことをするのを知ってしまう人もいるとは聞きましたが、あの若君に限ってそんなそぶりもなかったものですから、まさかとは思っていたんですよ。」
そう言って困った顔しながら互いを見返します。
「まあいい。しばらくこのことは秘密にしておこう。
誤魔化しきれないにしても、とにかく何としてでもなかったことにするんだ。
今すぐ俺の家に連れて行こう。
宮様には任せておけない。
お前らだってこんなことになって良いなんて思わなかっただろ。」
そう言うと、姫君にはわるいけど、そうしていただけると有難いとの思いで、
「それが一番ですわ。
義父の按察使大納言さえ同意していただければ、若君も悪くはないけど臣下の家なので、最善の結婚相手とは思えませんわね。」
姫君は大人の事情などまるでわからず、何を言っても納得できない様子なので、大臣の方が泣き出してしまいます。
何としてでも、この娘を無駄にせずにすむようにしなくては、と密かに乳母たちと相談して、宮様だけを悪者にするのでした。
宮様はとにかくどっちも可愛いがってたのですが、若君の愛しさの方がはるかに勝ってたのでしょう。
若君が姫君に恋したことも嬉しく思ってただけに、内大臣の仕打ちが情けなく、ひどいことをすると思ってました。
「そんなことしなくてもいいじゃない。
もともとそんな関心なかった娘で、放ったらかしにされてたのに、私がしっかり育てたもんだから、今度は春宮の所になんて欲を出して。
また失敗して臣下と結ばれる運命なら、源氏の若君に勝てる人なんていません。
顔といい姿かたちといい、比べるような人もいないでしょうに。
むしろ王家の娘の方がふさわしいくらいですわ。」
と若君への愛情の方が勝っているので、内大臣のやり方を残念に思ってます。
こんな心の内を大臣が知ったなら、大変なことになりそうですね。
*
こんな騒ぎになってるとも知らずに、冠者の若君がやってきました。
二日前の夜は人も多く、宮様と話すこともできなくてもやもやしたままだったので、夕方になってやってきました。
宮様はいつもなら無条件に喜んで笑って出迎えてくれるところですが、今日は真面目な顔でまずは世間話などをした後、こう言います。
「娘のことで内大臣がたいそうお怒りで困ったことになってますよ。
望まれもしない恋をしてしまったようで、私も困ってしまってどうしていいやら。
言いたくはなかったんですが、そうなってることは知っておいた方が良いと思いまして。」
それを聞くと若君の冠者も気にしてたことだったようで、すぐに理解しました。
顔を真っ赤にして、
「何かあったんですか。
しばらく静かな所に籠ってたんで、人に会う機会もなくて、怒られるようなことなんて何もしてないと思ってたんだけど。」
と、とにかく恥ずかしくてしょうがない様子で可哀想になり、
「まあ、これからは気を付けてね。」
とだけ言うと話を変えました。
いよいよ手紙など届けることも難しくなったと思うと、すっかり塞ぎ込んでしまい、食べ物を勧めても手を付けることもなく、寝床に着いても心は上の空です。
家の人も寝静まって、姫君の部屋の中障子を開けようにもいつもは錠なんてしてないのに錠が掛けられて、誰もいないようで、心細くなって障子に寄りかかってました。
そのころ姫君も目を醒ましたか、竹が風を待ってたかのように音を立て、さわさわそよめくと、雁の鳴く声がほのかに聞こえてきて、幼き恋心にも心乱れるばかりで、
「霧深くまるで私は雲の中を飛ぶ雁みたい。」
と一人呟くその様子も幼く可愛らしいものです。
居ても立ってもいられなくて、
「ここを開けてくれ。
小侍従はいないのか。」
と言っても物音もありません。小侍従は宮様の雇った乳母の娘です。
独りごとを聞かれたのも恥ずかしくて、無粋にも顔を衾で隠し、男女のことを知らないわけでもないのにどうしたことでしょうか。
乳母たちも近くで寝ていて身動きも取れないので、どちらも音も立てられません。
「真夜中に友を呼んでる雁の声
それにもまして荻の上風
どちらも身に染みる」
と思いながら宮様の部屋に帰って深くため息つくものの、目が覚めて聞かれやしないかと恐れて、すぐに寝床に戻りました。
*
上手くいかず嫌になってか、朝早く出て手紙を書いたものの、小侍従に会うこともできず、姫君の所へも行くことができず、胸が締め付けられるようです。
姫君の方も騒ぎになってしまったことは恥ずかしけど、結婚や世間体のことなんてそんな深く考えたこともなく、ただ一緒にいることが面白くて楽しいだけで、嫌いになったり気持ちが冷めたりすることはありませんでした。
こんな騒がれるようになるなんて思ってなかったのに、お世話をしてくれる人たちにひどく蔑むようなことを言われれば、手紙なども書けそうにもありません。
もう少し大人だったら、何とか隙を見つけ出したりするのでしょう。
冠者の方もまだ若くて何の力もないともなると、ただ悔しいと思うしかありません。
内大臣はあのあと宮様の所には来ないので、宮様も辛そうです。
正妻の四の君にはこんなことがあったなんておくびにも出さず、ただいつもひどくむすっとしてて、
「今度の中宮があんな派手な衣装を着て参内してるというのに、うちの女御は失意のどん底なのが可哀想で見てて苦しくなる。
宮中から引き揚げてゆっくりと休ませてあげようと思う。
正妻が決まったとはいえ御門は今まで通り傍において夜昼を伴にしてるから、世話をしてる人たちも気が抜けず、困り果てていることだろうよ。」
と言っては急に宮廷から退出させようとします。
なかなかこういう休暇は取れないものですが、御門に泣きついたのかしぶしぶ許可を出し、無理やり連れ戻しました。
「退屈するようだったら、もう一人の姫君をそちらにやって一緒に音楽などをすると良い。
宮様に預けていたので不安はないと思うけど、小賢しいこましゃくれたガキと一緒だったから、そんなのに影響されて、このままじゃ駄目になるからな。」
と言っては、急いで呼び寄せました。
宮様はすっかり意気消沈して、
「たった一人の娘を失くして以来、とにかく寂しくて不安だったところにこの娘が来て嬉しくて、この命のある限りお世話しようと思って日々を過ごせば、年老いて行く憂鬱も紛れてちょうど良いと思ってたのに、いきなり引き裂こうだなんて、そんなむごい‥。」
と言うと内大臣も済まなそうに、
「物足りなく思うのはもっともだとでも言っておこうか。あなたとの間柄が深く引き裂かれるなんて思ってもないことだし。
宮中に仕えている方の娘が、このたび后から漏れて失意のうちにあって、今では家に戻って来て大変退屈しているようなので、一緒に音楽をしたりして暇つぶしにでもと思ってるだけで、長くなることではない。
ここまで立派に育ててくれたことを愚かだったなんて思ってはいない。」
それを聞くと、こうまで言うのなら止めた所で考えを変えることもないと思うと、悔しくてむしゃくしゃするので、
「人の情なんて悲しいものですね。
あの子たちもこの私に隠し事をしてて不愉快ですし。
それはそうとして、大臣もそうした男と女の情を熟知している方でありながら、この私を逆恨みして、あの娘を連れ去ってしまうだなんて。
そちらに行ったところで、ここより安全なんてことはないですよ。」
と泣きながらそう言いました。
ちょうどその時、冠者の君がやってきました。
何かちょっとでも会える隙がないかと、この頃は頻繁に現れるようになりました。
内大臣の車があるのを見ると、自分の邪心を恥じてか慌てて隠れて、自分の部屋に入りました。
内大臣の息子たちの左少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などもみんな集まっていて御簾の内には入れません。
今はなき大臣の腹違いの息子である左衛門督、権中納言なども、その大臣の取り計らいで宮様の所に参上して親しくしていて、その子供も含めて大勢やって来てますが、
冠者の君のような美しい顔の人はいないようですね。
宮様はこうした義理の孫も含めて分け隔てなく接してましたが、ただあの姫君だけが心底放っておけなくて、いつも傍に呼んでは可愛がっていたのですが、こんなふうに引き取られてゆくと、心にぽっかり穴が開く心地です。
内大臣は、
「その前に内裏に参上して、夕方に迎えに来ることにしよう。」
と言って出て行きました。
言っても聞かないなら穏便に済ますために放置するのも有りか、とは思っても、それもまた癪で、あの冠者がいつかそれなりの官位をもらったなら問題ないということで、その時はしっかりと誠意のほどを見定めて許すというならば、盛大な式を挙げなくてはな。
今はやめさせたり禁じたりしても、同じ所に住んでては、若気の至りで過ちを犯すものだ。
宮様もこれを止めるようなことはないだろうと、そう思って女御の暇つぶしにかこつけて、四方丸く収まるよう説得して連れ去ることにしました。
宮様が姫君に渡した手紙には、
《大臣はお怒りですけど、あなたは私がどうしたいか知ってるはずです。
こちらの方へ会いに来てください。》
と書いてあったので、身奇麗に支度を整えて内大臣の所へ行きました。
まだ十四歳。
未熟な体でいかにも子供っぽく、しおらしくも可愛らしく見えます。
「一時も傍を離れず、毎日一緒にいてそれに励まされて生きて来たのに、ほんと淋しいことです。
人生もう残り少なくて、あなたのこれから先を見届けることができないのはどうすることもできないことですが、こんな今日の今捨てられたように別れさせられるなんて、一体どんな所なのかと思えばとにかく悲しくて‥。」
と宮様は泣き出します。
姫君は自分のせいだと恥ずかしく思うばかりで、顔も上げることができず、ただ一緒に泣くばかりでした。
冠者の君の乳母の宰相の君がやって来て、
「同じご主人様にお仕えする身としても、行ってしまわれることは残念に思います。
内大臣はいろいろ思う所があるとは思うのですが、それに従う必要はありません。」
そう小声で言うと、ますます恥ずかしくなって何も言えません。
「そんな余計なこと言うものではありません。
前世からの縁で結ばれる人が誰なのかなんて、誰も分りません。」
「いえいえ、若君を頼りないと馬鹿にしてるのでしょう。
今はともかく、若君は本当に結婚相手に相応しくないかどうか、他の人にでも聞いてみるといいですよ。」
そう不快感をあらわにします。
冠者の君は几帳の後に来てこの様子を見てましたが、人から非難されるよりも放置される方が傷つくもので、心細くなって涙を押し拭う様子を乳母は済まないと思って、宮様にとにかく頼み込んで夕間暮れの人から見えにくい時に対面させました。
お互い恥ずかしくて胸が締め付けられるようで、何も言わず泣きました。
「内大臣の仕打ちはまじきついし、だったら終わりにしようかなって思うけど、好きなんだからどうしようもないよ。
こんなことなら会えるチャンスがあった頃に、籠ったりしなかったのに。」
そういう様子もいかにも若くて悲しそうで、
「麿も会いたかったわ。」
「そういうふうに思っててくれたんなら。」
と言って少し頷く幼い二人でした。
対面が終わり大殿油を灯すと、内大臣が宮中から戻ったようで、車を誘導する声に女房たちが、「あらまあ」と見つかるのを恐れて騒ぎ出し、姫君も怖くなって震え上がります。
若君は騒がれてもいいさと、向こう見ずにも姫君を引き留めようとします。
姫君の乳母がやって来て連れて行こうとすると、そんな様子に、
「あら憎たらしい、やはり宮様が知らないはずなかったじゃない。」
と思い顔をしかめて、
「何だか、恋なんて悲しいものね。
内大臣が言ってた通りですわ。按察使大納言にも何て言っていいやら。目出度い結婚のはずが、運命の人が六位風情だなんて。」
とぶつぶつ言ってるのが聞こえてきます。
それも二人のいる屏風のすぐ後ろに来て、聞こえよがしに嘆くのでした。
若君は、官位がないから軽く見られてるんだと思うと、世間の不条理を思うと、愛情も何となく冷めてきて、どうでもよくなってゆきます。
「今の聞いたか?
血涙に赤く染まった袖の色を
浅緑だと貶めるとは
屈辱だ。」
そう言うと、
「色々の身分の壁は知ってます
なかの衣は染めようもない」
と言い終わるかどうかという所で内大臣が入って来たので、仕方なく姫君は立ち去ります。
取り残されてしまった若君は格好もつかず、胸が締め付けられるようで、自分の部屋に戻ってふて寝しました。
牛車が三台ほど、闇に隠れるように急いで出発してゆく音を聞いても、心は落ち着かず、宮様の方から来るように言われても寝たふりして動こうとしません。
どうにも涙が止まらなくて、悶々として夜を明かし、霜が真っ白に降りた朝に急いで出てゆきました。
泣き腫らした瞼も人に見られると恥ずかしくて、宮様に見つかったら呼び寄せて離さないだろうから、どこか一人になれる所へと急いで出てゆきました。
道の途中、誰のせいということもなく不安な気持ちに駆られ続け、空の景色もどんより曇っていて、いつまでも真っ暗です。
霜氷いずれもひどい明け方の
空かき曇り涙雨降る
*
源氏の大臣は今年、十一月の五節の舞の舞姫を奉納することになりました。
それほど急いでということでもありませんが、童女の装束など、日にちの迫った頃に急いで作らせました。
二条院東の院では参内の夜の付き人の装束を準備します。
大方のことは二条院で行われ、后となった中宮も童や下仕えのための物資など、特別なものを用意します。
去年は喪中で五節なども行われなかったので、その淋しさを取り返すべく、宮中の人達もいつも以上に大盛り上がりしそうな年なので、方々で競い合って、とにかくこの行事に全力を尽くしてるという話です。
公卿分の二名は内大臣の身内の按察使大納言、左衛門督から、受領分の二名の一人は今では近江の守で左中弁になった源良清もそれぞれ五節の舞姫を奉納します。
みな宮中に留まり、お仕えするように命じられた年なので、そこから舞姫となる女を奉納することになります。
源氏の大臣の舞姫は受領分のもう一枠で、藤原惟光の朝臣が摂津の守で左京大夫を兼任していて、その容姿がなかなかいいと話題になっている娘を呼ぶことになりました。
惟光はいい迷惑と思ってましたが、
「按察使大納言が本妻との間でない娘を奉納するくらいだし、朝臣の娘は正真正銘の娘なんだから恥ずかしいことないじゃないか。」
と責め立てられて悩みつつも、いずれは宮廷に出仕させるのだからと決意しました。
舞いの練習は実家で十分行い、付き人などは馴染みある従順な者をしっかりと選定し、当日の夕刻に参上させました。
源氏の大臣自ら、二条院や東院の童女・下仕えの中から審査を行い、優れていると選び出すために集められて、どの身分の者もいそいそと集まりました。
御門に見てもらうためのリハーサルの前に、まず自分の所に呼んでOKを出そうというのです。
どれを落としていいのか迷う所で、皆それぞれ可愛らしい童女の姿かたちに考え込んでしまい、
「もう一人くらい舞姫を出さなきゃな。」
などと言って笑ってました。
結局、態度の良し悪しや気配りができるかどうかといったところで選ぶことにしました。
大学寮の若君は切なく苦しいばかりで、周囲のものにも無関心になり、塞ぎ込んだまま本も読まずに寝そべってるだけでしたが、何か気を紛らわそうと起き上がり、あまり人目につかないようにその辺を歩いてました。
その姿は美しくて趣味も良く、その抑えられた色気が若い女房の心をくすぐります。
義母になる源氏の女君には御簾の前にすら近寄らせてもらえません。
源氏自身の昔の経験からして思うことがあるのでしょう。同じ間違いを犯さないように遠ざけていて、御付の女房達とも疎遠でしたが、今日は周囲の慌ただしさをいいことに、室内に入りました。
到着した舞姫を案内し、妻戸の間に屏風を立てて仮の部屋を作っている所にそっと近づいて覗いてみると、その舞姫が疲れたように物に寄りかかって横になってました。
あの姫君にも似てるけど少しばかり背が高く、容姿の方もいかにも大人という感じで、こっちの方が奇麗な人にすら見えます。
暗くてはっきりとは見えないせいか、却ってまざまざとあの姫君のことが思い出されて、乗り換えようなんて気持ちはなくてもいてもたってもいられず、衣の裾が音を立てるくらい急いて近づきます。
舞姫も何となく変だと思っていると、
「天にます豊岡姫の女官でも
私の愛の領域と知れ
聖処女の愛を振りまく神域を随分前から思ってきたんだからな。」
摂津の守の娘というとこで住吉大社の豊岡姫に喩えた歌ですが、若々しく澄んだ声だけど誰なのか思い当たるふしもなく、さすがにきもいし、化粧がまだ終わってないと急き立てる付き人たちがわらわらと寄って来て、若君としては残念といった所ですが、向こうへ行ってしまいました。
浅葱の衣に劣等感を抱いて内裏に行くこともせずに塞ぎ込んでましたが、五節の際には色の自由な普段着である直衣を着ることが許されてるので、それにかこつけて出かけてゆきました。
純粋無垢な子供のようでいながら、年の割にませていて、宮中を粋がって歩きまわります。
御門を始めとしてみんなから可愛がられ、普通の六位では考えられない待遇です。
十一月丑の日に五節の舞姫の参内の儀式があり、どの舞姫も他に比類のない素晴らしさですが、見た目は源氏の大臣と按察使大納言の所のがなかなかだと評判になりました。
確かにどちらも素晴らしいけど、子供らしい美しさという点では源氏の大臣の所のに及ぶものはありません。
押しつけがましくない美しさが今風で、同じ人とは思えないような姿かたちで、なかなかないような趣向だというのが、絶賛されるポイントなのでしょう。
今までの舞姫よりは皆少し大人な感じで、時代が変わった感があります。
五節の日程は、丑の日の舞姫の参内、寅の日の天覧リハーサル、卯の日の舞姫の宮中お披露目、辰の日に本番の奉納舞となってました。
卯の日には源氏の大臣もやって来て舞姫たちを見ていると、昔五節で目を止めた少女のことを思い出します。
奉納舞の当日の辰の日の暮に、その時の少女だった大弐の五節に手紙を書きます。
手紙の内容は大体想像がつきますね。
《舞姫も年経て濡らす羽衣に
あなたの旧友も年を取ったな》
長い年月放ったらかされて、急にこんな気まぐれに気遣いされて、その臆面のなさに笑ってしまうのも残念なことです。
《光る君に日影鬘の袖の霜
溶けて濡れたの今日のことかな》
藍で模様を摺った紙に散らし書きで書かれた歌は、墨の濃淡を生かして草書体を多く混ぜたもので、受領クラスにしては良く書けていると眺めてました。
冠者の君もあの惟光の娘が気になって、こっそりとあちこち探し回ってましたが、お付きの者からも相手にもされず、近寄ることもできないまま、六位のガキではただ溜息をつくばかりです。
あの美しい姿が心に焼き付いて、あの姫君に会えない悲しさを紛らわすためでも、何とかして会いたいと思うのでした。
*
舞姫たちは皆宮中に留め置かれて、今後宮中で奉公するようにとのお達しがありましたが、ひとまずは退出して、近江の守の娘は唐崎へ、摂津の守の娘は難波で神事を解くお祓いをしました。
按察使大納言も何とか同様に宮中に出仕させようと働きかけてました。
左衛門督は実子ではない娘を奉納したことでお咎めがありましたが、それでも何とか宮中に留めることができました。
摂津の守惟光は典侍のポジションが空いていることを言い立てて、源氏の大臣も今回のことを良くやってくれたと同意しましたが、それを聞いた例の人はひどく残念がりました。
「俺の年齢や官位がこんな取るに足らないものでなかったなら、頼んでみようと思ってたのに。
思っていることを伝えることもできないまま終了かよ。」
別にどうしてもということではないのですが、内大臣の姫君を思うとその度に涙ぐむのでした。
その惟光の娘の兄弟に童として宮中に上がる人がいて、いつも自分の所に来てお仕えしていたので、普段とは違ってなれなれしく話しかけます。
「五節のあの舞姫はいつ宮中に参内するんだ?」
「年内にとのことです。」
「顔みたけど超可愛いし、何だか恋しちゃったみたいなんだ。
お前いつも傍で見れるなんてうらやましいぞ。
会わせてくれないか。」
「無茶言わないでください。
私だってそんな見たい時に見れるわけじゃないですし。
男兄弟だからって近寄らせてもくれないんだから、君に会わせるなんて無理ですよ。」
「なら、手紙ならどうだ。」
「そうしたことは前々からするなって言われてるんですよ。」
と難色を示したのですが、強引に押し付けて、仕方なく持って行きました。
惟光の娘は年齢の割には風流がわかっているのか、面白いと思いました。
緑の薄紙のお洒落な重ね継ぎに、字体はまだ稚拙だけど先行きが楽しみで、とても興味深いものです。
《日陰にある草知ってますか舞い乙女
天の羽袖に惚れた心を》
兄妹でそれを見てると、惟光が急に入ってきました。
びくっと身がすくんで、手紙を隠す間もありません。
「何の手紙だ?」
と言って取り上げると、顔を真っ赤にしました。
「何てことをしたんだ。」
と𠮟ると、弟が逃げ出すのを捕まえて、
「誰からだ。」
と問い詰めます。
「源氏の大臣の所の冠者の君に、こうこうこういうわけで頼まれてしまって。」
それを聞くと、惟光は怒ってたのが噓のようにニッと笑って、
「なるほど親譲りの美しい人に遊ばれてるな。お前はあの若君とはタメだけど、まだまだ子供でよくわかってないようだな。」
そう言って若君を褒めそやし、母君にもその手紙を見せました。
「こうした身分の高い人が少しでも本気で結婚を考えてくれるなら、宮廷に出仕などせず、差し出したいくらいだ。
源氏の殿の性格からすると、一度目を着けた人は絶対に忘れないものだ。そこは保証できる。明石の入道の娘だってそうだ。」
などと言うものの、まずは皆宮廷入りの支度をしました。
*
結局五節の姫君へは手紙を出すこともままならず、そうなると内大臣の姫君への思いが増すばかりで、時が経てば経つほど理屈抜きに愛しい人の姿を思う浮かべては、もう一度会いたいと思うばかりでした。
宮様の所へは、あれ以降不愉快だし気まずいしで行ってません。
そこにある自分の部屋は子供のころからずっと遊んできた場所なので、いろいろな思い出があるだけに、さながら帰れない故郷の憂鬱のようなもので、二条院東院の部屋に引き籠ってました。
源氏の大臣は、この東院の西の対にいる人に預けようと思いました。あの花散る里から連れてきた人です。
「宮様も高齢でいつ果てるともわからないし、それから後のことを考えると、今から慣れておいた方がいいので、お世話してほしい。」
そう言うと、頼まれたら断れない性格なので、すぐに我が子同様に可愛がって面倒を見ました。
冠者はその女君をちらと見ただけで、
「ぶっ細工だな。
こんな女でも、おとんはずっと囲ってたんだな。
俺は単純にあんな冷たい人でも顔が良いからってずっと頭から離れず恋してきたから、それでうまくいかないのかな。
もっと心優しい人を好きになれば相思相愛になれたのか。
顔を見てこれといったほどでなくても、可愛い人はいる。
こうやって年取って来ても、おとんが容姿と性格をひっくるめて愛して、ハマユウの葉の幾重にも重なり合うように、こうやって目につかない所に隠しながらも、ひそかに手厚く世話をしてきたというのも、そういうことなんだな。」
心の中でそう思うと、やはり圧倒されます。
育ててくれた宮様が美人なだけでなく本当に気品を備えた方だったので、その容姿を基準にしてこれまで女を見て来たため、元々そんな美人でない人の盛りを過ぎたような、痩せ細って髪も少ない姿を見たもんだから、こんな難癖つけてたのでしょう。
年末には、宮様は正月の装束など、ただ冠者の君のことだけを考えて独自に準備を急いでました。
上品なものを幾揃いも仕立てたのを見ても、所詮は六位の装束だと思うと冠者は憂鬱です。
「元旦だからといって、参内するかどうかもわからないというのに、何でそんなに急いでるんだよ。」
「何でそんなふうに。そんなジジ臭いこと言ってはいけませんよ。」
そう言われると、「ジジイではないけど臭いんだろ」と独り呟いて泣きそうになります。
宮様も、あのことをずっと恨んでるんだなと思うと気の毒でしょうがなくて、涙目になります。
「男というもの、襤褸は着てても心は錦と言うではありませんか。
そんな塞ぎ込んでいじけるようなことではありません。
何でそんな一人殻に籠って悩んでいるの、変ですわ。」
「何でって、六位なんて人から蔑まれるばかりで、しばらくは我慢とは思っても、内裏に行くのも憂鬱で。
大臣だった爺さんがまだ生きていたなら、間違っても人から蔑まれることはなかったのに。
おとんは良い人だけど、何か他人行儀で突き放されたような感じで、なかなか近寄り難くて、気軽に訪ねていける人でもないし。
二条院の東院に来た時しか会うことができないんだ。
西に対の女は優しくしてくれるけど、おかんが生きていたなら親と一緒に暮らして、何の心配もなかったはずなのに。」
そう言って涙がこぼれ落ちるのを隠している様子がとにかく可哀想で、宮様も一緒になってほろほろと涙をこぼします。
「母に先立たれたりすると、身分が高かろうと低かろうと可哀想なのは一緒だけど、いつかはそれぞれ前世の運命で、宮廷でそれなりの地位に着けば馬鹿にする人もないので、思い詰めないでください。
亡き大臣がもう少し長生きしてくれたらとは思います。
この上なく頼れるという点ではあなたのお父さんも同じなんですが、思うようにならないことも多いものね。
内大臣も器という点では並大抵の人ではなくて、宮中でももてはやされているけど、昔とはずいぶん変わってしまって長生きするのも辛いもので、まだまだこれから長く生きてかなくてはいけない人が、こんな些細なことで世をはかなんでしまったら、世の中何もかもが嫌になってしまいますわ。」
そう言って宮様は泣いてました。
*
元旦は源氏の大臣も参内せず、長閑に過ごしました。
良房の大臣が行ったという古事になぞらえて、七日の白馬引きの節会の日に宮中の儀礼を真似て、古事を基にいろいろ付け加えて厳かに行いました。
二月の二十日過ぎ、朱雀院の上皇の行幸がありました。花の盛りには少し早いものの、三月は亡き入道の宮の忌月なので早めに行いました。
咲き始めた桜の色もなかなか風情があり、院の衣裳なども特別に美しく飾り立て、御幸に随行する上達部や親王以下が入念な配慮を行いました。
お付きの者たちは青に桜襲の衣裳を身に着けます。
御門は赤色の御衣を着ます。
源氏の太政大臣も召集され、同じ赤色を着たので、御門がもう一人いるのかと見まがうほどの輝きでした。
お付きの装束やその他の用意もいつものものではない特別なものです。
朱雀院も年を重ねて大変高貴な風格が備わり、姿といい仕草といい、その気品に磨きがかかってました。
この日はあえて文人を招待せず、ただ才能のあると言われる学生十人を招待しました。
式部省の試験になぞらえて、御門の御前で勅題を発表します。
源氏の大臣の長男がその試験を受けるという形になります。
小心者の学生たちはどうしていいかわからず、取りあえず繋がれてない船に乗って池を漂いながら、詩想も浮かんできません。
日も傾いてきて、音楽を奏でるたくさんの船が漕ぎまわり、同じメロディーを追いかけるようにヘテロフォニックを奏で、それが山風の響きと相まって、冠者の君は、
「こんな試験がなかったなら、一緒に笛でも吹いて楽しめたというのに。」
と自らの立ち位置が嫌になります。
鶯の声を真似たという『春鴬囀』の舞が始まると、まだ春宮だった頃の南殿の桜の宴で見た若き日の源氏の舞を思い出したか、朱雀院の上皇も、
「もう一度あれが見られたらのう。」
と言うと、今や大臣となった源氏もその頃のことをしみじみと思い興しました。
舞が終わると、朱雀院と源氏の大臣に土器の酒を持ってきました。
「鶯の囀る声は昔ながら
花に集まる人は変わった」
この源氏の歌に院も答えます。
「九重の霞みも遠い棲家(朱雀院)にも
春は来てると告げる鶯」
かつての帥の宮は今は兵部卿になり、今上の御門の土器の酒を渡します。
「春鴬の昔の曲を吹き伝えた
囀る鳥の音はかわらない」
そう力強く賀歌を捧げる心遣いはお見事です。
「鶯が昔を偲び囀るは
飛び回る花が色褪せてるのか」
と答える御門の姿も、この上なく風格を感じさせます。
こうした歌は、この方々の内輪だけでの話だったのか、世間に広く知られることもなく、記録されることはありませんでした。
船の上での笛の演奏だけでは楽所が遠く、音が薄いため、院や御門の御前に弦楽器を持ち込みました。
兵部卿の宮は琵琶、内大臣は和琴、箏は朱雀院のほうに配置され、七弦琴は当然ながら源氏の太政大臣に渡りました。
演奏を促します。
これだけのやばい名人の最高のテクニックを駆使した演奏は、喩えようもありません。
その複雑なヘテロフォニックに合わせて歌を謡う殿上人もたくさん集められました。
催馬楽の『安名尊』を謡い上げ、次は『桜人』です。
空に朧月が浮かんで景色も面白くなったころ、中島の辺りのあちこちに篝火の灯る頃、この院や御門の演奏は終わりました。
夜も更けてしまったが、こうして集まったついでに、朱雀院の母親である太后の宮の所へ素通りするのも忍びないので、帰りがけに訪ねて行きました。
源氏の大臣も一緒です。
太后は待ってたかのように喜んで対面を許しました。
もうすっかり年を取ってしまった様子でしたが、御門は自分の母の入道の宮を思い出しては、 一方はこんなに長生きしてるのにと不条理に思います。
「今ではこんなに年を取ってしまい、いろいろあったことも忘れてしまいましたが、こうして訪ねて来てくださったのも何とも恐縮で、今さらのように亡き院の時代のことを思い出します。」
そう言って涙ぐみました。
御門も、
「あのころの人達は亡くなってしまった人も多く、未だに春になったという実感もわかなかった所を、今日は気がまぎれた思いだ。またこれからも。」
というと、源氏の大臣も、
「改めて参上します。」
と言い足しました。
すぐにでも帰りたがってるような様子に太后は動揺を隠せず、
「はっきり覚えてるわ。この世を支配する運命というのは消えないものなのね。」
と昔のことを悔やんでます。
尚侍もそのことを静かに思い出しては思うこともたくさんあります。
今でも何かの折につけては、わずかな伝手を頼って、ささやかながらも手紙を絶やすことはありません。
太后は朝廷に意見することが時々あって、官職や官位を決める際にその任命権のことであれこれ口を出しては、思うようにならないと「長生きしたばっかりに末法の世を見るとは」と昔の栄華が忘れられず、不満をぶちまけてます。
年を取るにつれてますます意固地になり、朱雀院もやりにくく、辛い思いをしているようです。
さて一方、冠者の君はその日見事な詩賦を作り、進士合格で擬文章生から文章生になりました。
長年勉強してきた人たちもたくさんいる中で、合格者は僅か三人でした。
秋の司召の徐目では五位の冠を得て、侍従になりました。
あの姫君のことを忘れたことはないけど、内大臣にびしっとガードされていて冷たくあしらわれ、会うことままなりません。
季節の挨拶程度の手紙を書くだけでお互いにやりきれない様子です。
*
源氏の大臣は落ち着いて暮らせる住まいをと考え、先のことを考えるならいっそこのと、辺鄙な嵯峨の山里に住んでるあの人なども一緒に住めるようにと、かつての御息所の住んでた六条京極辺りの四区画を全部使って造営することにしました。
式部の卿(前の兵部卿)が年が明けると数え五十になるそのお祝いのことを二条院の女君も考えていて、源氏の大臣も「それを逃す手はない」と思い、だったらその準備という意味でも、真新しい家で行えるよう、急ぐように言いました。
年が改まってからは祝賀奉納の準備、奉納明けの精進落しの饗宴、そのための楽師や舞い手の選定など、心を込めて行いました。
奉納する経典や仏像、それに法事の日の装束や僧侶への禄などは、女君が準備しました。
東院の方にも準備の分担がありました。
両姫君の仲は今まで以上に優雅に手紙などを交わして過ごしてます。
宮中でもその噂が知れる程の大掛かりな準備なので、式部の卿の耳にも入り、
「源氏は宮中へは如才なく愛想振りまいてるが、俺には意地悪で薄情で、何かにつけて辛く当たり、俺に仕える者にも何もしてくれないし、惨めな思いばかりしてきたあの頃のことがあって、その時のことを恨んでるのだろうか。」
と、本当に気の毒でむごいことになってましたが、自分の娘が源氏の思いを掛けた人の数ある中で、とりわけ一番に思ってくれてるのは、なかなか憎いというか願ってもないことで、このように大切にされている前世の縁は、我が家にまでは及ばなくても名誉なことだと思います。
一方、
「こんな宮中どこもかしこも騒ぐほどの準備をしてるなんて、この年になって思いもよらない栄誉もあるもんだ。」
と喜んでいるのを、女君の義母である奥方の方は「何かむしゃくしゃするし不愉快だわ。」としか思えません。
式部の卿の二番目の娘が女御として入内する時も、源氏の大臣が何もしてくれなかったことでも、恨みつらみの積もり積もってゆくことになったのでしょう。
*
八月に六条院が完成し、引っ越すことになります。
四区画が田の字型に並び、その南西区画は元々六条御息所の娘の今の中宮が住んでいたところなので、そのままそこにいます。
南東は源氏の大臣の住む所になります。
北東は今まで東院に住んでいた人たちが暮らし、北西の区画は明石の女君を呼ぼうと思ってます。
元からあった池や築山も、新しい住まいに合わせて作り変えて、水の趣き、山の配置などを手直しし、それぞれ住む人の望むような風情になるように作らせました。
南東の区画は山を高くして、そこに春の花咲く木をこれでもかと植えて、池もそれを映すように配置し、寝殿前の前栽には五葉松、紅梅、桜、藤、山吹、岩ツツジなどの春の景物ばかりにはせずに、秋の前栽を所々混ぜたりしました。
中宮の区画は元からあった山に紅葉すると奇麗な植木を何本も添えて、澄んだ泉の水が上の方から流れるようにして、水のせせらぎの音のよく聞こえるように岩を並べ加えて、滝を作り、その手前に広々とした秋の野原を再現し、その頃になれば盛大に咲き乱れるようにします。
嵯峨野の大井川の辺りの野山などもみすぼらしく見える程の秋の景色になります。
北東は涼し気な泉があり、夏の木陰をイメージしてます。
寝殿前の前栽には呉竹の下風が涼しく吹いて来るようにして、木高き森のようになるようにたくさんの木を深く茂るように植えて山里のようにして、卯の花の垣根を端から端まで張り巡らし、昔の人の香がするという花橘、それに撫子、庚申薔薇、牡丹などの花をいろいろ植えて、春秋の木や草もその中に混ぜています。
正門のある東面は馬弓などを楽しむための馬場殿を作り、柵を廻らし、端午の節句の遊び場にし、水のほとりには菖蒲を植えて茂らせ、その向かい側を馬屋にして、最高の名馬を飼育します。
西北の区画は北側を区切って倉庫の並ぶ区画にしています。
その境界の垣根には松の木が茂り、雪が積もった時に綺麗になるようにします。
初冬の朝には霜の降りる菊の籬、時雨に我が物顔の柞原、それに大原の里のように名も知らぬ深山の木々を鬱蒼と茂らします。
ちょうど彼岸の頃、引越しになりました。
一遍にやろうと思ってたけど、騒がしくなりそうだからと言って、中宮は少し後からになりました。
例のおっとりしている気弱な花散里は、当日の夜一緒に引越しします。
女君の住む所の春の調度装飾は季節外れだけど、それでも並大抵ではありません。
牛車十五台、先導役は四位五位の人が中心になり、六位殿上人などは相応の人だけを選びました。
過分なことは慎み、世間の批判もあるかと大分質素にして、何事にも大騒ぎしたりこれ見よがしになったりするようなことはありません。
次いで、もうひと方の引っ越しもそれに負けないくらいで、今や冠者ではなく五位侍従になった若君も一緒で、こちらの方も大切に扱われていて、収まるべき所に収まった感じです。
女房達の局を集めた曹司町もそれぞれに細かく分けて部屋を与えられ、世間のどこの局よりも使いやすくなってます。
五、六日過ぎて、中宮が御所から引っ越してきました。
その様子は大分抑えてはいるものの、多くの車や人で溢れかえりました。
御門の妻となるまたとない幸運もさることながら、その見た目のその堂々たる気品をみても、朝廷でもこの上なく大事にされていることがわかります。
これらの四つの区画の境界には、塀や回廊などで盛んに行き来できるようにして、仲良く楽しい「間」にしました。
*
九月になると紅葉は斑に色づき、中宮の庭もえも言えぬ風情になりました。
風の吹きしく夕暮れに、箱の蓋に色とりどりの花のような紅葉をごちゃ混ぜにして、南東区画の女君の所に献上しました。
童女にしては大柄で、濃い紫の中着に秋の紫苑の薄紫と緑のの織物を 襲ね、赤朽葉の薄物の汗衫を着古したように着こなし、廊下や渡殿の反橋を渡ってきます。
きちんと礼に則ってはいても、童女の可愛らしさは捨てがたいものです。
中宮の傍にいて御門への対応にも慣れていたので、姿といい態度といい余所の童女とは違い輝いてます。
手紙もあって、
《春が好きで待ち望んでるこの庭に
紅葉の風の便りはいかが》
若い女房たちがこの可愛いお使いに歓喜の声を上げもてはやしてるのが笑えます。
返歌の方は、この箱の蓋に苔を敷いて岩に見立てて、五葉松の枝に結び付けて、
《風に散る紅葉じゃ軽い春の色を
岩に根を張る松に見なさい》
この岩根の松はよくよく見ると、精巧に作られた造花でした。
即興で思いついた才気あふれる蓋の返答を中宮も楽しそうに眺めます。
その取り巻きの人達もみんな褒めてました。
源氏の大臣は、
「この紅葉の献上は完全にやられたな。
春の桜の盛りに逆にやり返してやるといい。
ここで紅葉を貶めて言うのは龍田姫に失礼だし、今は一歩譲って、花の美しさを利用してやり返してやるといい。」
とはいうものの、こんなふうに張り合おうとするあたりまだまだ若さを失ってなく、面白いエピソードがたくさんあって、思い通りの御殿を作ったものですからますます盛んに手紙のやり取りをします。
大井川の方の女君は、「みんな住む所が決まったし、わたしは物の数にも入らないから、いつ来たかわからないふうにこそっと行きましょか」と思って、十月になってから来ました。
調度や荷物の量なども他に劣ることなく引越しが行われました。
娘のことを思うと、接し方や何かも差別にならないように、とにかく丁重に迎えるようにしました。