斎宮が伊勢へと下る日が近くなるにつれ、御息所は何とも不安な気持ちになってきます。
いつも鬱陶しく思っていた左大臣のあの娘もいなくなった後、それならば後妻にと世間の人々の噂にもなっていて、野宮にいても胸をどきどきさせていたものの、あれからというものの源氏の君は来ることもなく、冷たくあしらわれていると思うと、本当に憂慮すべきことが起こっていたんだと悟り、すべての悲しみを断ち切るためにもこれはもう伊勢へ行くしかないと思ってました。
親が一緒に付き添って伊勢へ行くことに前例があるわけではないけれど、娘がまだ若くて放っておけない年頃なのを口実にして俗世を振り捨てて行こうと思っていると、源氏の大将の君ともさすがにこれっきり離れ離れになるのも残念と思って、手紙だけはいかにも悲しげなふうに度々送ってよこします。
御息所も、今さら直接会うことはないと思います。
相手にしてみればすっかり気持ちも醒めるようなことがいろいろあったはずだし、むしろ自分の方にそれ以上にまだ思う気持ちが残っていることを、これじゃいけないと強く自分に言い聞かすのでした。
元の六条の屋敷に時折戻ることもあるけれど、ごくごく内密にしているので、源氏の大将もそのことは知りません。
かといって、野宮は軽々しい気持ちで尋ねていけるような所でもないので、どうすることもできないまま月日が経つばかりでした。
院の方も大騒ぎするほどの病気ではないにしても、いつになく時折具合の悪くなることがあるので、なおさら気持ちの余裕もなく、だからといって薄情な奴だと決めつけられるのも嫌だし、世間も容赦しないだろうなと思うと居ても立ってもいられず、野宮に出かけてゆきました。
九月の七日ともなれば斎宮の下向まで十日の猶予もないということで、御息所方の女房達も気持ち的には今日明日にでも出発するかのように気が急くばかりで、「せめて立ち話程度でも」と何度も手紙をよこされても「そんなあ」とうざがりながらも、放っておくのもあまりに可愛そうなので、物を隔てての対面ならばと密かに待ち受けてました。
遥かな野辺に分け入ると、そこはなんとも物悲しげです。
秋の花はみんな終りかかっていて、チガヤの生い茂る原っぱもあちこち枯れた虫の音に松風が寒々しい音を加え、さらにそれに紛れるかのようにいろいろな楽器の音色が切れ切れに聞こえてくるのが、それとはなく華やいだ雰囲気にさせてくれます。
馴染みの者十人かそこらに先導させて、従者たちも正装はせずにあくまで身分を隠してはいても、着物の端々をきちんと整えればなかなか堂々たるもので、ナンパな従者などはえらいところに来たなと身にしみて思うのでした。
源氏の君も、「何で今までここを踏破しようとしなかったのか」と過ぎ去った日々が惜しまれてなりません。
何の変哲もない小柴を編んだ垣根で周囲は覆われていて、板葺きの屋根も所々破れて応急措置が施されています。
皮を剥いでない丸太で作った鳥居などもいくつも建ち並べばさすがに神々しく見えて、近寄っていいものか悩んでしまうような雰囲気で、神官たちがここかしこで咳払いをして、内輪で何やらひそひそ話してている気配なども、いつもと勝手が違います。
火焼屋(忌火を焚く小屋)が微かに光って見えて、ひとけもほとんどなくしんみりとしていて、ここに何ヶ月も世間から遠ざかって物思いにふける人の境遇を思うと、ひどく胸が痛む所です。
北の対の隠れるのにちょうどいい所を見つけ、中の人に取次ぎを頼むと、音楽の音がパタッと止まって、不安そうな様子が至るところから伝わってきます。
あれこれ人づてに返事が返ってくるだけで自分からは会おうともしない様子なので、一体何なんだと思って、
「こうやって歩いてくるなんてことは、今の身分にはふさわしくないということをおわかりいただけるなら、このような注連縄の外に立たしておいたりしないで、何とかこのもやもやを晴らしてもらいたいものなんだが。」
と真面目な口調で話すと、女房達の、
「ほんと、傍で見てても痛々しいわ。」
「立たせたまんまじゃ辛いでしょうに。」
などと話す声がして、
「そんなこと言ったって、人から見て何言われるかわからないし、伊勢へ下ろうと思ってたのにここで軽々しく出て行ったのでは今さら気恥ずかしいし」と、そう思うと悩む所ですが、薄情に突き放すほど高飛車にもなれず、ふっと溜息一つついて心を落ち着けると、膝まずいたままこちらへ寄ってくるあたりがいかにも大人です。
「なら、こちらも簀子の上へ失礼するとしようか。」
と言って上がりました。
夕暮れの月の光が差し込んで華やぐ中、優雅に振舞う様子がいつになく明るく照らし出されて眩しいくらいです。
日頃積もり積もった思いをそれっぽく伝えようにも、この神聖な場にそぐわない状態なので、榊の枝を少々折って携えていたの差し入れ、
「変わらないという証拠があるからこそ、忌垣の内側にも入れるのですよ。
それなのに、つれないですね。」
と言うと、
「稲荷社のしるしの杉とまちがえて
この野の宮の榊折るとは」
という歌を詠むのが聞こえたので、源氏の君も歌を返しました。
「神聖な処女はここかと榊葉の
香りを慕い折ったまでです」
あたりの雰囲気にはそぐわないものの、御簾だけを隔てたまま、源氏の大将は簀子と廂を隔てる長押に寄りかかって座ってました。
気の向くままに通ってみては、相手もいかにも慕ってくれているように思えてた頃なら、すっかりその安心感にひたって、そんなに愛に溺れるようなこともないものです。
それに心中、あの何だかわからない事件に悩まされたあとには、多少気持ちも醒めて疎遠になっていたものの、今度のまたとない再会に昔のことを思い出し、愛しさがこみ上げ、すっかり気が動転して止みません。
今までのこともこれから先のことも次々頭に浮かんできては、気弱にも泣いてしまいました。
御息所は、涙なんて見せるものかと思ってこらえてはみたものの、隠しきれない様子で、源氏の君もますます心取り乱し、何とか伊勢下向を思いとどまるように頼みこんだみたいです。
月も沈んでしまったか、寂しくなった空を眺めながら不満を漏らしているうちに、あれほどまでに積もり積もっていた辛い気持ちも消えてしまったのでしょう。
やっとさよならして思いを断ち切ろうとしていたのに、次第にそれでもと心は揺れて、迷うばかりです。
殿上の若い公達が連れ立ってやってきたら身動き取れなくなるという庭のたたずまいも、確かに思わず目をひきつけるもので、でしゃばった感じのするものでした。
いろいろなことがありすぎた二人の間にこのあと一体何があったのか、それはここで再現するわけにはいきません。
ようやく明け始めた空の様子は、まるで特注して作らせたかのようです。
「暁の別れは悲しいものだけど
この秋空はこれまでになく」
出て行くときも手をずっと握りしめたまま、どうしても離れることができません。
吹いてくる風はとても冷ややかで、松虫の声もすっかり枯れ果て、やがて来る季節を知ってるかのようで、特に何も思ってなくても耳に感じ入るものがないでもないのに、まして、恋の道に迷ってどうしようもなくなっている人たちには、なかなかその気持ちを歌にできません。
「秋といえば別れの季節悲しさに
鳴かないでくれ野辺の松虫」
後悔することばかりたくさんあっても、今さらどうしようもなく、明け行く空も空気を読んではくれず、源氏の君は帰ってゆきます。
道は露で湿ってます。
御息所も決して心が鉄でできているわけではなく、去って行く源氏の姿を悲しそうに見送りました。
若い女房達は、チラッと垣間見た月影に映る源氏の姿や、未だに残っている薫物の匂いなどすっかり体に染み付いて、何か過ちをしでかすのではないかというほど褒めちぎってました。
「あんな様子の源氏の大将を見捨てて別れようと思ったら、一体どこまで遠くへ行けばいいのかしら。」
と他人事ながらもみんな涙ぐんでいます。
あとで届いた源氏からの手紙はいつになく細やかな心遣いを感じさせるもので、ついついその気になってしまいそうですが、だからといって一転して伊勢下向を白紙に戻すわけにもいかないし、そうしたからといってどうなるものでもありません。
男というのはさしたる気持ちがなくても、女のこととなると甘い言葉をささやき続けるもので、まして宮中に普通にいる女とは違った特別な人だったにもかかわらず自分から離れようとしているとなると、悔しくて辛くてさぞかし思い悩んでいることでしょう。
旅行用の衣装をはじめ、女房達の分まであれこれ身の回りの品など例を見ない立派なものを餞別に送ってきても、もはや心は動きません。
軽はずみな振る舞いで世間の浮いた噂ばかりを流してきた、自分でも嫌になるようなこの状態が今に始まったかのように、伊勢下向の日が近づくにつれて寝ても醒めても溜息をつくばかりです。
斎宮は子供心にも、どうなるかわからなかった母の付き添いがこうして本決まりになってゆくのを、ただただ嬉しく思っています。
世間では前例がないということで、非難する者同情する者様々です。
何をやろうが世間の批判を浴びることのないような身分というのは気楽なものです。
世間から突出した人間だからこそ、風当たりも強くなるものです。
*
十六日、桂川で御祓いをしました。
これまで以上に盛大に行なわれ、斎宮を伊勢に送り届ける役割を担う長奉送使は中納言、参議など上達部の中では位の下の方から選ばれるのですが、その中でも定評のある優れた人材を選ばせました。
それも院の特別な思いがあってのことです。
野宮を出たあたりで源氏の大将から、相変わらず未練たらしい手紙を受け取りました。
「かけまくも畏き御ん前に」とばかりに、伊勢神宮の大麻に用いられる木綿(楮の糸)にくくり付けられていて、
《雷のように心を引き裂かれて、
この国を守る神様お願いだ
むごい別れのわけ教えてよ
どう考えても納得できない気分なんだ。》
と書いてあります。
穏やかでないお歌ではありますが、お返事がありました。
斎宮の歌を女別当が書き留めたものです。
《国津神の天の裁を乞う前に
浮気心をまず直しなさい》
源氏の大将は御息所や斎宮の様子が気になって内裏に行きたかったのですが、振られたのに見送りにいくというのもかっこ悪い気がして思いとどまり、物思いに耽りながらうだうだとすごすばかりです。
斎宮の妙にませた感じの返歌を、ニヤニヤ笑いながらしばらく見入ってました。
「歳のわりには良く出来ているといったところかな。」
と満更でもありません。
こういった斎宮のような普通と違う難易度の高い相手となると、必ず気持ちがふらふらと動く癖があって、
「見ようと思えば見れたはずの幼い姿を見逃したのは悔しいな。
ただ、世の中どうなるかわからないから、逢うチャンスもきっとあるだろうな。」
と思うのでした。
桂川での御祓いは奥ゆかしく品のある演出がなされていたため、見物の車の多い一日でした。
午後四時くらいになって斎宮の一行は群行の儀を行なうために参内しました。
御息所は斎宮と一緒に特別な御輿の乗るにつけても、大臣だった父に皇太子の妻にすべく大切に育てられたものの、その皇太子とも死別して内裏を去らねばならなかった運命を恨み続けていたため、こうして参内できたことで尽きせぬ思いに感慨もひとしおです。
東宮妃となったのは数え十六の時で、二十歳にして未亡人となりました。
そして今日、三十にしてまた九重を見ることができたのでした。
「その過去を引きずるまいと堪えても
わだかまってるものが悲しい」
斎宮は数えで十四歳になってました。
とても可愛らしい所に立派な衣装をお召しになった神々しいお姿を見ると、御門も心動かされ、お別れのしるしに櫛を差し上げては、とても悲しそうに涙ぐむのでした。
大極殿の裏で出発待ちで並んでいる車も御簾から御息所方の女房達の袖がはみ出していて、その色合いも他にない珍しいものばかりでそそられる景色なのか、その女房達と個人的な別れを惜しむ殿上人もたくさんいました。
暗くなってから内裏を出て、洞院のある二条の大通りを東に行くと二条院の前なので、源氏の大将の君も別れを悲しく思ったのか、榊に手紙をつけて、
《俺を振って出発しても鈴鹿川
八十瀬の波で袖が濡れるのでは》
という歌を届けたものの、あたりは真っ暗で喧騒に紛れて、次の日に逢坂の関のはるか向こうから返事が返ってきました。
《鈴鹿川波に濡れても袖は濡れず
伊勢まで誰を思い出すのか》
何の趣向もない手紙で、字のほうもいかにも上品で控えめな書体で、もう少し感情を込めてもいいのではと思いました。
霧がもうもうと立ちこめた、いつもとちがう朝の景色をふと眺めては独り言のように歌を詠みます。
「この秋の暮れ行く先を見送ろう
逢坂山を霧で蔽うな」
西の対へも行かず、ただ自分の意思で物寂しげにそのまま外を眺めて一日過ごしました。
源氏でさえこの有様なのですから、ましてや旅の空ではどれほど心を悩ませていることでしょうか。
*
院の病気は十月になってから、危篤状態に陥りました。
世の中に惜しまない人はいません。
内裏からも御門が深く悲しみながら行幸しました。
すっかり気弱になりながらも春宮のことを大切にお世話するようくり返し命じ、更には源氏の大将にも話が及び、
「今と変わらず、ことの大小に関わらず、何ごとも補佐してもらいなさい。
年齢に似合わず、政治を任せるにしても、なかなか他に引けを取らないと見ている。
必ず国家の最高の位を維持する相がある人だ。
だからこそ、皇位争いの煩わしさを避けて、あえて皇子にはせず、臣下として朝廷を補佐させようと思ったんだ。
それを忘れるな。」
と悲しげな遺言もたくさんありましたが、女が書き記し伝えるべきことでもないので、ほんの一部だけでお茶を濁すことにしましょう。
御門も大変悲しみながら、必ずその通りにすると何度も何度も約束しました。
御門が大変凛々しい姿に成長なされたのが院には嬉しくて、頼もしいと思いました。
行幸の時間が限られていたので、急いで帰ってしまい、まだ言い足りないこともたくさんあったようです。
春宮もご一緒にと思ってたのですが、そうなると行幸も大掛かりなものになりすぎるので、日を変えて対面させました。
春宮はまだ数えで五歳ですが、歳のわりには大人びた整った顔をしていて、しきりに院に会いたがっていたところでしたので、無邪気に喜んで院のことを見ている様子がかえって悲しみを誘います。
中宮は涙にくれて、それを見守る院も様々に心乱すばかりです。
院が春宮にいろいろなことを教えるのですが、まだ幼いのでじっと見守るしかなく悲しそうです。
源氏の大将にも、宮仕えに必要な心構えや、春宮の後見となることを何度も何度も説きました。
春宮は夜が更けてきたので帰りました。
お付の者たちが全員で取り巻いて騒がしいのは、御門の行幸の時となんら変わりません。
もう少し見ていたかったのに帰ってしまい、院はとても残念そうです。
皇太后も来るはずだったのですが、中宮が院の所にべったりなのが気になって、どうしようか迷っていた所、院はひどく苦しむようなこともなくお隠れになりました。
足が地に着かずあたふたする人がたくさんいました。
皇位を去っていたとはいえ、実際の政治の中心を担っていたのは在世の時と同じだったし、御門はまだ歳も若く、祖父の右大臣は気が短くて人格の問題があり、天下がその右大臣の意のままになると一体どうなってしまうのか、上達部も殿上人もみんな頭を抱えるばかりです。
まして中宮や源氏の大将などは、他の者にもまして頭の中が真っ白で、これからの葬儀や七日ごとの法要など行なう様子が一般の皇子達よりも立派に見えるのが、それが当然の務めとはいえ、世間の人を悲痛な思いにさせます。
粗末な藤の繊維で織られた御衣を着てはいるものの、この上なく高貴な美しさを放ち、御いたわしい限りです。
去年今年を立て続けに不幸が重なり、ひどく厭世的になるものの、この際いっそのこと出家でもしようかということになると、いろいろ振り捨てがたいものがたくさんあるようです。
四十九日までは女御や御息所やなにかがみんな院の所に集まっていたものの、それが過ぎればそれぞれ帰って行きました。
十二月の二十日ともなれば、大体において世の中全体が暮れて行く空の景色になるもので、中宮の心の内はそれ以上に晴れることがありません。
皇太后が何を思っているか知っているだけに、この世を我が物顔にして自分に辛く当たって来て居心地が悪くなるのではないかという不安よりも、長年共に過ごしてきた頃の院のことを思い出さない時はないというのに、いつまでもここにいることができなくて、皆それぞれ他の所へと移っていくことが、どうしようもなく悲しのです。
中宮は三条の宮にもどりました。
兄の兵部卿がお迎えに来ました。
雪は舞い散り風も激しく、院の屋敷から少しづつ人も減っていってしーんと静まり返っているので、源氏の大将も三条の宮に移動し、昔話などをしました。
前庭の五葉松は雪に枝を垂れ、下の方の枝が枯れているのを見て、兵部卿の歌、
「頼ってた松の大樹も枯れてゆき
下葉が散ってゆく年の暮れ」
何ということもないけど、こういう時だけに物悲しくて、源氏の大将の袖もびしょ濡れでした。
池もびっしりと凍っていて、源氏の歌は、
「澄みわたる凍った池の鏡にも
いつもの姿なくて悲しい」
と思ったことそのまんまで、ちょっと子供っぽすぎるのではないでしょうか。
王命婦の歌は、
「歳暮れて岩間の水も凍りつき
浅くなり行くあの人の影」
この時、その場の流れで他にもたくさんの歌が詠まれましたが、全部書き記すほどのものでもなくて‥‥。
三条から中宮はたびたび儀式のために院の所に通い続けているのが心なしか悲しげで、かえって三条に帰った時の方が外泊しているような気分で、いつも院の所にいてずっと三条の実家へ返ってなかった時のことが心から離れないのでしょう。
*
年が変わっても、世間では特に変わったことはなく穏やかでした。
源氏の大将は塞ぎこんで引き篭もってました。
春の除目の頃など、院がまだ在位だった頃はもとより、退位後も変わらず二条院の門の辺りは馬や車でごった返してたのが寂れて、宿直の者の衣類や夜具を入れた袋すら見ることもなくなりました。
親しくしている家司たちだけが、特に忙しくしていることもない姿を見るにつけても、「これからはこんな調子なのだろうか」と先が思いやられて、寒そうです。
皇太后の娘の御匣殿のは二月には尚侍になりました。
前任者が院に殉じてすぐに尼になってしまったため、その後釜です。
右大臣が常に面倒を見ているし、人柄もなかなか良いということであれば、たくさんいる女御更衣のなかでも群を抜いていてました。
皇太后は実家にいることが多く、内裏に来るときには梅壺に寝泊りし、弘徽殿には尚侍が住むようになりました。
弘徽殿の裏側の登花殿は忘れ去られたような所だったのですが、急に脚光を浴び、女房など数え切れないほど集ってきて派手に華ぐものの、尚侍の源氏との関係などは見過ごすこともできず、悩みの種です。
相変わらずこっそり手紙を交わしてました。
皇太后の耳に入ったらどうなることかと思いながらもいつもの癖で、スリルがあるほど気持ちが盛り上がるものなのでしょう。
皇太后は院がまだ生きていた頃はおとなしくしていたものの、すっかり豹変して、あちらこちらに積もり積もったものを晴らそうと思っているようです。
何かにつけてバッシングを受けてばかりで、「こんなもんか」とは思ってみても今までなかった世間の風当たりになすすべもありません。
左大臣もすっかり怖気づいて、内裏に来ることすらありません。
今は亡き姫君を、今の御門との縁談をスルーしてまで源氏の君に嫁がせた意図が皇太后にはわかっていたので、面白く思うはずがありません。
大臣同士の仲も最初からつんけんしていて、院がいた頃は勝手放題に振る舞い、時代が変わり、右大臣がどや顔するのを歯軋りしながらやり過ごすのも因果応報です。
源氏の大将は妻の生前と変わらず左大臣のもとに通い、仕えている女房達にもいろいろと気を使い、若君をこれでもかと可愛がっているので、なんて優しい心栄えかとますます源氏の君のことを深くいたわり、以前と同じような感じです。
院の限りない庇護のもとで、次から次へとうるさいくらい忙しくあちこち通い歩いていたところも、どこもかしこも音信不通になり、お気楽な忍び歩きも興味を失い、格別することもなくすっかりおとなしくなってしまった姿は、まったく源氏らしくもありません。
西の対の姫君にとって、これは自他ともに認めるラッキーでした。
少納言の乳母もひそかに、亡き尼上の願いが天に通じたのだと思いました。
父の兵部卿とも自由に会えるようになりました。
本妻の子としてこの上なく可愛がる様子は必ずしもいいことばかりでなく、嫉妬をかうことも多くて、継母の今の妻からすればさぞ面白くないことなのでしょう。
よくある継子いじめの物語の図式ですね。
斎院を務めていた皇太后の三女、女三の宮が院の喪に服して引退したので、代わりに朝顔の姫君が就任しました。
加茂の斎院に天皇の孫がなることはあまりないことですが、他に適当な女皇子がいません。
源氏の大将の君は、朝顔の君とは久しく疎遠になっていたものの、それでも忘れてしまったわけではなく、このように清浄な生活を要求される方面に行ってしまったことを残念がってました。
中将という女房に盛んに手紙を書くのは今までと変わらず、これからも手紙のやり取りは続くのでしょう。
院のいた頃とすっかり勢力図が変わってしまったことは特に何とも思ってなくても、こうしたどうでもいいようなことの方が気になってしょうがなく、あれやらこれやら思い悩みます。
今の御門は院の遺言をおろそかにしているわけではなく、源氏の君の今の状態を哀れに思ってはいるものの、若さのせいかひどく優柔不断であまり強いことも言えないのか、皇太后や祖父の右大臣が勝手放題やっても逆らうこともできず、なかなか思い通りの自分の政治ができないようです。
*
思うように行かないことばかり増えてゆく中で、尚侍とは人知れず相思相愛なので、なかなかチャンスがないとはいえ、まったく会えないわけでもありません。
五壇の御修法がはじまり、御門が物忌みのためにお籠りしているその隙を狙って、源氏の君は例によって夢見心地で尋ねてゆきます。
幼い頃に院に連れられていった思い出のある弘徽殿の細殿の宿直室に、中納言の君がうまくごまかして中に入れてくれました。
人の目にもつきやすい頃なので、いつもよりも廊下に近い所にいるのが何となく不安です。
朝夕見慣れている人ですら見飽きることのない源氏のルックスだというのに、まして滅多にないご対面とあれば、一体何の不足があるでしょうか。
尚侍の姿もまさに女ざかりでそそられます。
身持ちが固いかどうかはわかりませんが、人を惹きつける不思議な子供っぽさがあって、目が離せない感じです。
すぐに夜も明けて行くと思っていると、ちょうどそこで、
「夜の勤務に入ります。」
と警備の者のかしこまった声がします。
「また、このあたりに近衛司がこっそり忍んで来ているな。
意地の悪い同僚がちくってよこしたのだろう。」
と源氏の大将は思いました。
「笑えるけどうざいな。」
あちこち捜し歩いては、
「午前四時です。」
と時を告げました。
尚侍は、
「心から誰もが袖を濡らすのね
明けたと告げる声がしたなら」
と歌う様子は、アンニュイで心惹かれます。
「この俺に悲しく生きろというのかな
飽くこと知らぬ胸の思いに」
のんびりとしてもいられず、出発しました。
まだ夜も深い暁月夜は何とも言えぬ霧が立ちこめ、ひどく粗末な身なりでカムフラージュしてこうして事に及んではいたものの、その容姿は間違えようもなく、承香殿女御の兄にあたる頭中将が藤壺から出てきてやや月の陰になっていた立蔀(庭を区切る衝立)の所に立っていたのを知らずに通り過ぎてしまったのが失敗でした。
スキャンダルになるのは避けられないでしょう。
こういうことをやってはいても、距離置いて決して靡こうとはしない中宮のことを、一方では立派だと思っていても、本音では冷たいひどい女だと思うこともしばしばです。
その中宮は内裏に登ろうにも何をするでもなく窮屈な感じで、春宮がどうなっているか見ることができないことを不安に思うばかりです。
また、拠り所とする人もいなくなったまま、ただ源氏の大将だけが何かにつけて頼りになる存在なのに、相変わらず性的に迫ってくるので、何かの弾みでひどく胸を痛めることもあるのですが、そんなことが表に出てしまったらと思うととても恐くて、この上また変な噂が立ってしまったら自分だけでなく春宮にも迷惑をかけることになると思うとそれもとても恐ろしいので、祈祷をさせたりして源氏の横恋慕をやめさせたり、あの手この手でその魔の手を逃れてきたのですが、ちょっとした隙があったのか卑劣なやり方で近づいてきました。
用意周到に周りの人を騙して誰も気がつかなかったので、まさに悪夢のようでした。
ここではとても書けないようなことを言い続けたけど、中宮は毅然とした態度で断ったものの、心臓にひどい異常をきたしたようで、側近の命部や弁などがびっくりして介抱しました。
男は「嫌だ辛い」とさんざんごね続けた上、後先も何もわけがわからくなってすっかり理性を失ってしまい、夜がすっかり明けたというのに帰ろうとしません。
病気と聞いてびっくりしてたくさんの女房達が集ってきて、何をどう間違えたのか、いつのまにか源氏の君は塗り壁で囲まれた部屋に押し込められていました。
源氏の御衣をこっそり持ってきた人も内心ひどく迷惑そうです。
中宮は体中の力が抜けたような感じですっかりのぼせてしまっていて、未だにぐったりとしています。
兵部卿宮や中宮大夫などがやってきて「坊主を呼べ」などと騒いでいるのを、源氏の大将もすっかり茫然自失の状態で聞いてました。
やっとのことで日も暮れる頃、中宮の病状もおさまりました。
源氏の君が閉じ込められているとも知らず、周りの人たちも中宮に心配をかけないように、このことについては一言も言いません。
中宮は昼の間過ごす所に膝で歩いて出てこられました。
もう大丈夫と思って兵部卿宮も帰ってゆき、中宮の傍も人が少なくなりました。
いつも近くにおいている人は少ないので、女房たちはそこらじゅうの物の後などに控えています。
命部の君などは、
「どうやって騙して源氏の君を追い出せばいいのか。
今夜もまたのぼせたりしたら困るし‥‥。」
などとぶつぶつ言いながら看護しています。
源氏の君は閉じ込められていた所の戸がほんの少し開いたので、すかさず押し開けて屏風の間を伝って部屋の中に入りました。
ずっと会いたかったので嬉しくて、中宮の姿を見つけると涙がこぼれました。
「まだひどく苦しいの。
このまま死ぬのかしら。」
と言って部屋の外を眺める横顔が言いようもなく奥ゆかしく見えます。
ナッツ類を持ってこさせ、源氏の前に置きました。
硯箱の蓋などもなかなか興味をそそられそうなものですが、目には入りません。
この世をすっかりはかなんでいるような様子で、ぼおっと眺めている姿がひどく弱々しく見えます。
髪の生え際、顔全体の輪郭、髪のかかり具合、真赤に上気した顔など、あの対の姫君に瓜二つです。
この頃はやや忘れがちになっていたものの、「あきれるほどそっくりだ」と見とれていると、ちょっとはこの恋の苦しみにも救いがあるという気がします。
高貴で上品な感じもまた、対の姫君と別人とは思えず、子供の頃から深く心に刻まれた中宮への思いから、気のせいか、こんなにも立派な大人になったかと誰にも代え難く思い、ついむらむらっとしていきなり御帳の内に這い寄って、御衣の袖を引き寄せようとします。
源氏のの薫物があまりにも露骨にもやっと匂うと、どうしようもなく気色悪く思い、パタッと倒れ伏してしまいました。
「せめてこっちを向いてくれよ。」
と打ちひしがれた苦しさに袖を引き寄せようとすると、御衣を体から滑らすようにして離れようとするので、思わず袖と一緒に髪の毛を引っ張ってしまい、中宮はすっかり嫌気がさし、前世からの運命を思い知らされるかのように、「もう嫌っ!」と思いました。
男もこれまで抑えてきた感情が爆発してすっかり壊れてしまい、あれこれ泣きじゃくりながら不満をぶちまけたのですが、中宮はすっかりドン引きで返事もしません。
ただ、
「気分がひどく悪いから、別の機会でもあったら聞きましょう。」
と言ってはみても、男はいくら話しても話足らずに喋り続けました。
さすがに春宮のことを言われると無視できない所もあったのでしょう。
確かに何の関係がなかったわけではないけど、今さらながら悔しく思うばかりで、べたべた寄ってくる源氏の君を何とか逃れて、夜も明けてゆきました。
ここで力ずくで押し倒してしまうのも醜悪で見苦しいと思ったか、
「ただこうしているだけでも、常々込み上げてくる激しい心の内を晴らすことができたし、別に大それた事をしようなんて思っていません。」
と相手の油断を誘うようなことを言います。
男と女というのはたとえいいかげんな浮気の仲でも情が移ってしまうもので、ましてこの場で起こったことはとても言えません。
*
外はすっかり明るくなり、二人のお付の人がやってきて大騒ぎになるし、中宮は半分死んだような状態でどうしていいかわからず、
「生きていて大変すみませんが、すぐに死んだところでまた来世で罪を重ねるだけだし‥‥。」
と居直るあたり、醜悪なまでに思いつめていました。
「かなわない恋が今日だけでないのなら
何度生まれて苦しみゃいいの
これも因果か。」
と歌うと、さすがに中宮も深く溜息をついて、
「永劫に恋の恨みが残っても
それはあなたが悪いのですよ」
元も子もないような言い方に返す言葉もないような気分で、それでも相手の気持ちだけでなく自分自身も苦しいので、不本意ながらも出て行きました。
どんな顔をしてこの次逢えばいいのか、さぞ迷惑だと思うだろうな、と思って後朝の手紙も出しませんでした。
ぷっつりと内裏にも春宮の所にも行かなくなりました。
家に引き篭もって寝ても醒めても「何て冷たい女なんだ」とみっともなく未練たらたらで、心も魂も抜け落ちてしまったのか病人みたいです。
何とも心細くなって、「どうしてこう生きていると満たされぬ思いばかりが積もり積もっていくのか」とは思うものの、出家してしまうにはここにいる姫君が可愛くてしょうがなくて、悲しげに自分を頼っているものを振り捨てることなんてとてもできません。
中宮もこの前の病気が未だ尾を引いていて、なかなかいつもの生活に戻れません。
こうあてつけがましく引き篭もって来なくなってしまったのを、命婦などはいかにも気の毒そうに見守ってます。
中宮も春宮のことを思えば、源氏の君の気持ちを引き止めておく必要があったことを思うと困ったことになってしまったし、人生を空しく思うようになったらそのまま真直ぐに出家することもと、さぞかし深く思い悩んでいるのでしょう。
かといって何度も通ってこられても、そうでなくてもこの時勢に変な噂が立ったりしたら、皇太后がとんでもないと思っているこの中宮の地位も捨てなくてはならないと、それもまた困ったことです。
院があれこれ考えそれを伝えようとした時の様子が真剣そのものだったことを思い出しても、万事あの頃と違ってどんどん変わって行くこんな時代だから、漢の戚夫人が受けたような両手両足を切り、目耳声を潰し、厠に投げ落として人豚と呼ばせるようなことはないにせよ、必ず笑いものにされるのは間違いないし、それが嫌になり耐えられなくなったら世を捨てようと思うものの、春宮の姿を見ることもなく髪を切ってしまうのも中宮が悲しむと思い、ひそかに参内して春宮に会いに行きました。
源氏の大将の君は些細なことでも見逃さずにお供してたというのに、気分がすぐれないという理由で送り迎えもしません。
このご訪問は大体いつもの通りでしたけど、すっかり気落ちしていると事情を知るものたちは大変気の毒に思ってました。
春宮はいかにも可愛らしく成長し、いつになく嬉しそうにじゃれるのが悲しく思えて、出家してしまえばもう逢うことができないと思うと決意も揺らぐものの、内裏の中を見回してみてもすっかり様変わりしていて、悲しく空しい気持ちになるばかりです。
皇太后も悪意に満ちた執拗さでもって、内裏に出入りするにも非礼で何に対しても辛く当るので、春宮のためにも危険で気がかりで、すっかり取り乱して、
「これからしばらく逢わないうちに、姿形がすっかり変わってしまっていたらどうなさいますか?」
と話しかけると、春宮は中宮の顔をじっと覗き込み、
「あの式部さんみたいに?
どうしてそんななっちゃうの?」
と笑って言います。
どう言っていいかわからず悲しくて、
「それは年とってよぼよぼになったという意味でしょ。
そうではなく、髪がもっと短くて黒い服を着て、祈祷をしに泊り込むお坊さんのようになったら、逢いに来ることもずっとできなくなってしまうの。」
といって泣き出したので、真顔になって、
「ずっと逢えないなんて寂しいよお。」
と涙が落ると、それを恥ずかしいと思って顔を背けます。
髪の毛はゆらゆらと美しく、目元を人懐っこそうに赤らめる様子が成長するにつれ、ただあの男の顔を小さくしたみたいです。
歯の神経が切れているのか、少々朽ちて口の中が黒ずんでいて、笑う時のほのかな美しさは、女にしてみたいほど清楚です。
ほんと、こんなにもよく似ているのが情けないと玉の瑕に思うのも、世間のしがらみの恐ろしさを知っているからなのです。
*
源氏の大将の君は中宮に逢いたくて逢いたくてしょうがないのだけれど、冷淡にあしらわれる気持ちを時には思い知らせてやろうかとじっと我慢していたのですが、退屈だし回りの人もよく思わないと思い、秋の野でも見物がてらに雲林院に参拝に行きました。
今は亡き母御息所の兄の律師の隠棲している坊で経典などを読み、お勤めをしようと思って二日三日滞在したのですが、悲しくなるばかりでした。
僧の位で、僧正、僧都の下が律師です、念のために。
あたりの木々は様々な色に紅葉して、秋の野の花の美しく咲き乱れるのを見ていると、自分の家のことも忘れてしまいそうです。
法師達の間でも優秀なものだけを集めて、問答形式で仏法を解説してくれます。
場所が場所だけにこの世の無常への思いがますます募っていくものの、「冷たいけどいい女だったな」とつい思い出してしまうような天の扉の押し明け方の月の光に、法師達が閼伽をお供えするといって水瓶や花皿をからからと鳴らしながら、菊の花や様々な紅葉を散りばめてゆくのもむなしく感じれれて、
「この方面で暮らしていれば、現世でも退屈しないし、来世も安泰といったところか。
辛い人生で悩んだりすることもないんだろうな。」
などといろいろ想像します。
律師の大変有り難い声でもって、
「念仏衆生摂取不捨‥‥」
と朗々と経を読み上げるのがとてもうらやましくて、「何でできないんだろう」と思うとすぐに浮かんでくるのがあの対にいる姫君のことで、これが最大の煩悩になっているのでしょうか。
こうしたいつもと違う日々も、何か不安に思って手紙ばかり何通も贈ったりしていたのでしょう。
《この世を捨てて出家しちゃおうかと思ってはみたけど、ちいっとも心やすまらず心細くなるばかりでね。
説法を聞くのもちょっと今は一休みしているんだ。
そちらの様子はどうかな。》
などと高級な陸奥紙にくだけた調子で書いている落差もさすがというものです。
《浅茅生に結んだ露の棲み処では
周囲の嵐不安でならない》
なんて気遣われたりすると、姫君も涙しました。
ご返事は白い厚紙で、
《風吹けば浅茅も乱れ色を変え
私はそこの蜘蛛の巣の露》
とあるだけです。
「書の方はなかなかいい味が出てきたな」と独り言を言っては「見事だ」とにんまりしました。
いつも手紙を交わしているので、自分の書体とほとんどいっしょで、それにもう少し控えめな女らしさをが加わった感じです。
「すべてに関して、取り立てて欠点もなく育てあげることができたな」と思います。
雲林院のある紫野は加茂と風が吹きかうほどに近くて、加茂の斎院の朝顔の宮にも手紙を送りました。
斎院の女房の中将の君に、
「こういう旅の空でも恋焦がれて心ここにあらずなのを、あの人は知るよしもないでしょうね。」
などと不平を言い、朝顔の宮自身には、
《気にかけるも畏れ多いがあの頃の
秋を思い出すのが木綿襷
今も昔のようにと思ってみてもしょうがなく、取り戻すことのできないものなのでしょう。》
とわかりきってるかのようなことを中国製の浅緑の紙に書いて、榊に結び付けて、お供えか何かのようにして送りました。
中将からの返事は、
《間違いなく、過去のことを単につらつらと思い出すぶんには思い当たることもたくさんあるようですが、いずれにせよ、もうどうでもいいことなのでしょう。》
と、多少は気にして多くのことを書いてきました。
朝顔の宮からは木綿の片端に、
《その過去はどんなもんだか木綿襷
気にはかけても隠すくらいの
何を今さら。》
とあります。
書体は繊細とは言いがたいが、手馴れたような草書体が見事でした。
「これなら朝顔の宮もすっかり大人になったのだろうな」と妄想するあたりは何とも不謹慎です。
あわれ去年も今頃だったか、野宮での悲しいことを思い出して、奇妙な一致だなと神を恨めしく思うあたりのこの性格は見苦しいことですね。
本当にどうにかならないかと思うのは、チャンスのあるときには何もせずに見過ごしていて、後になって悔しがるという奇妙な恋心なのではないでしょうか。
朝顔の宮も源氏の君がこういう変な性格なのをよく知ってるものですから、たまに返歌をする時にもなかなか冷たく突き放すことができないようです。
まあ、どうでもいいことですが。
天台六十巻という書を読み、よくわからないところを説明してもらったりしていると、
「こんな山寺ではもったいないほど光栄なことで、これも日ごろの修行の成果だ。」
だとか、
「これで仏様にも面目が立つ。」
だとか、怪しげな法師達までもが喜んでました。
しみじみとこの世の無常を思い続けていると、帰るのも憂鬱になりますが、一人の人のことが思い浮かぶとそれに引きずられて、そんな長くも滞在できず、誦経のお礼の品をこれでもかと用意しました。
ありとあらゆるものを、位の高い僧、低い僧、お寺の周辺の山の住民に至るまで施し物をし、これでもかと立派にふるまって帰ってゆきました。
お見送りにと、そこかしこから怪しげな柴を担いだ人たちまで集ってきて、涙を流しながら見送りました。
喪中なので黒い車に乗り、粗末な藤衣を着ているので、それほど目立ちはしないものの、それでも隠し切れない美貌をこの世のものとも思えずに崇めていました。
その西の対の姫君は日に日に大人びていくように思えて、何だかひどく神妙な顔して、これから先どうなってしまうのか心配している様子が、源氏には心苦しく悲しげに見えて、寺で学んだこともどこへやらふたたび煩悩に心が乱されていくのは明白です。
「風吹けば浅茅も乱れ色を変え」というあの歌がしおらしくて、いつもよりも激しく愛し合いました。
山寺のお土産に持って帰った紅葉は庭の紅葉とを見比べると、山の方がはるかに色が濃く染まっていて、こんなにも濃く染めた露の涙の心をごまかすこともできず、会いたい気持ちをみっともないくらい感じては、この紅葉をごく通常の土産のようにして中宮の所に送りました。
命部のところには、
《内裏へお入りになられたということで私もこの時を待ってまして、中宮・春宮のことに関してなかなか情報もない中で居ても立ってもいられないのですが、仏道の修行を思い立って数日間無駄に過ごしてしまい、今ようやく知った所です。
紅葉の美しさも一人で見ていると夜の真っ暗な中で錦を見ているようです。
よかったら中宮にも見せてやってください。》
という手紙を送ってます。
中宮が本当に見事な枝だと思ってその紅葉を見ていると、例の如く小さな手紙が結び付けてあるのに気づきました。
みんなが見ている前なので、ぱっと赤面し、
「まだあきらめてないなんて、ほんとうにうざいわ。
なまじっか人の心を読むのがうまい人だけに、こんな意表をついたことををちょくちょく織り交ぜてくるので、周りも変に思うじゃない。」
と不愉快になり、その紅葉の枝を甕に生けさせて、廂の柱の下に押しやってしまいました。
*
通り一遍のことや春宮に関することなど、さもお世話を当てにしているかのような形式ばった返事ばかり来るので、さぞかし変わらないよそよそしさを不満に思ったことでしょうけど、今までずっと春宮の後見人としてふるまってきたので、続けなければ人からも怪しまれるし、何言われるかわからないと思って、中宮の退出の日に内裏に登りました。
まず御門のところに行ってみれば、暇そうにしていて、昔話やら今のことやらいろいろと話しかけてきました。
姿形も院そっくりになってきて、何となく品格も具わり、親し気で穏やか感じがします。
その姿に昔のことなどしみじみ思い出します。
尚侍との仲がまだ切れてないことを知っていて、顔色をうかがうこともしばしばですが、御門の方としても別に今に始まったことでもなく既成事実になっているうえ、愛し合っていたところでそう不釣合いとも思えぬ身分なので特に咎めません。
話は尽きることなく、漢籍のことでわからないことなどを聞いてきたり、またちょっとエッチな歌物語なども互いに披露しあうついでに、あの斎宮が伊勢に下った日のことでなかなか見ものだったことなどを話すので、野の宮での悲しい朝の別れのこともみんな話して聞かせました。
二十日の月の光がようやく差し込んできてあたりを奇麗に照らし出したので、
「ここいらで音楽などもほしいものだのう。」
とのたまいます。
「中宮が今夜退出するというので顔を出そうと思うのですが。
院の遺言で春宮の後見人が他にいないということで、その母のことも気の毒にお思いになってらしたので。」
と御門に願い出ました。
「遺言で春宮を私の養子にするようにとあったので、十分好意を以て接してはいるものの、あまり特別扱いするのもなんだしな。
歳のわりには書の方が天才的なのでそれは評価してるよ。
何をやっても凡庸な私の名誉を挽回してくれるんじゃないか。」
とおっしゃるので、
「まあ、大体やっていることはなかなか賢く大人っぽくなってきてはいるものの、まだまだ子供でして‥‥。」
と春宮の有様をお伝えすると、退出しようとすると、妹の麗景殿の方へ行こうとしてた皇太后の兄の藤大納言の子である頭の弁は、今を時めく華やかな若者で何一つ不自由してないのでしょうが、源氏の大将の前を遠慮がちに通り過ぎたかと思うとふと立ち止まり、
「白い虹が太陽を包囲して吉兆はあったけど、燕の太子はおじけづいて、始皇帝の暗殺は失敗したとさ。」
などという『史記』の一節を口ずさんでいるのを、源氏の大将は嫌なこと言うな、暗殺なんて企ててないし、と思って聞いていたけど、目くじら立てるほどのことでもなかったのでしょう。
皇太后の動向がとにかく不気味でやっかいなのはわかっているものの、こうした親しい人たちまでもが露骨に態度に出すこともままあって、面倒くさいとは思っても無視するしかありません。
中宮の所を尋ねて、
「御門の御前に顔を出して、話をしていたらすっかり夜も更けてしまった。」
と言います。
月の光も華やかで、以前ならこういう夜は楽器を演奏して賑やかに過ごしたなと思い出すにつけても、その同じ内裏の中なのにすっかり変わってしまって悲しいことです。
「九重は霧が深いのか雲の上の
月の遠さを思うのみです」
と命婦を通じて中宮の返事がありました。
こうした間接的な会話でも聞けるだけ嬉しくて、さっきの辛いことも忘れ、すぐに涙が出てきます。
「昔見た月は今でも変わらない
隔てる霧が辛いばかりで
霞みも人の心からと、昔の歌にもあります。」
と歌を返します。
中宮は春宮のことをずっと心配していろいろなことを言い聞かせてはいるのですが、まだあまり理解できないようで、出家したあとのことがとにかく気になります。
いつもなら早くお休みになる春宮も、出発までずっと起きているつもりです。
恨めしそうに見ながらも引き止めることができないのが、とても可哀想です。
源氏の大将は頭の弁が口ずさんでたことを思い、春宮を立てて謀反を起こすのを警戒されてるとなると、何かとんでもないことになりそうな予感がして、女の所に通うのも煩わしく、尚侍への手紙のやり取りも途絶えたまま久しくなりました。
初時雨にそろそろ冬が来ようとしていた頃、すっかり心配になったのか、尚侍の方から、
《木枯しに言の葉までも枯れたのね
あなたに会えるの待っていたけど》
と書いてきました。
この悲しげな季節に待ちきれずにこっそりと手紙を送ってくる気持ちを思うと、満更でもなく、手紙を持ってきたものを待たせて、中国製の紙をしまっておいてある御厨子を開けて、一番高級なのを選んで、筆なども念入りに穂先をそろえる様子がいかにも嬉しそうで、周りにいる女房達は、「ねえ、誰なの?」と小突きあってます。
《手紙を書こうにも、この前のことですっかり懲りていて、すっかり心が折れてました。
今の自分が情けなくて、
逢えなくて一人ひそかに流す涙
いわゆる秋の時雨でしょうか
わかっていただければ、どんな憂鬱な空も忘れることができましょう。》
などと、ついつい長くなりました。
こんなふうに予期せぬ手紙を送ってくる女はたくさんいるので、期待を持たせるような返事は書いたとしても、そんなに深い意味はないのでしょう。
中宮は院の一周忌に合わせて出家する予定で、それが終ったら法華経八巻の伝授を急ぐようにいろいろと手配しました。
十一月の初めの御国忌(院の一周忌)には雪がかなりちらついてました。
源氏の大将は中宮に手紙を書きました。
《あの人と今日は別れた日ですけど
ゆき逢う時はいつになるかな》
どっちにしても今日は悲しい日なので返歌がありました。
《残された身は悲しくてもゆき廻り
今日がその日と心得てます》
特に飾ったふうでもない書き方ですが、よそよそしいまでの品の良さは決意の表れなのでしょう。
今風の書体とは一線を画した一風変わった書体ですが、誰にも真似できない書き方です。
源氏の大将も今日は中宮のこともしばし忘れて、悲しげな雪の雫にずぶ濡れになりながら、亡き院を弔いました。
*
十二月の上旬に中宮の法華経八巻伝授が行なわれました。
これでもかというくらい荘厳です。
この日々に用いられる経典からして翡翠の軸、羅(透き通った薄絹)の表紙、経典を包む帙簀にも装飾が施され、この世に二つとない立派なものを用意させました。
普段の時でも皇族にふさわしい気品を具えて、他の者とは一線を画しているお方なので、こういう出家の時でも当然といえば当然なのでしょう。
仏壇の装飾から仏具・経文を置く花机にかぶせる布までが、現世の極楽浄土かという感じです。
初めの日は父である先帝のために、次の日は母である先帝の后のために、その次の日は院のために、この日は五巻の日なので上達部なども皇太后の目も憚らずに随分とたくさんの人がやってきました。
この日の講師は特に最高の人を選び、行基菩薩の「法華経をわが得しことは薪こり‥‥」の歌を唱えながらお堂の中を廻ることから始めるものですから、これまでと同じようなことを言っていても妙に尊く聞こえるものです。
皇族の方達も様々な金銀の打ち枝に吊るした捧げ物を持って廻るのですが、源氏の大将が用意したものと張り合えるようなものはありません。
取り立てて特別なことをやっているわけではなくても、そのつど人目を引いてしまうのはどうしようもないことです。
最終日に自分自身の願を掛けて終らせるさいに、出家をすると趣旨のことを書いた願文を仏様に捧げたので、出席者は一様にびっくりしました。
兵部卿の宮も源氏の大将も動揺して、「そりゃないよ」と思いました。
兵部卿の宮は途中で立ち上がって中宮のいる帳の中へ詰め寄ります。
それでも確固たる決意のことを述べて、法事が終ったあとで比叡山の天台座主を呼んで受戒をすることを伝えました。
中宮の伯父の比叡山横川中堂の僧都が程なくやってきて髪を切ったところ、家中が騒然とし、良くないことなのですがそこらじゅうすすり泣く声で満たされてました。
そこいらのよぼよぼの老人が、もう思い残すことはないと言って出家する時ですら、その悲しみは並々ならぬものを、まして日頃そんなそぶりだにしなかったので、兵部卿の宮も大泣きです。
他の列席者もこの尋常ではない雰囲気に、悲しくも立派に思い、皆袖を濡らして帰りました。
今は亡き院の皇女たちは、昔の院の御寵愛などをいろいろと思い出してはますます悲しくやるせない気分になり、皆中宮の所に挨拶に行くのですが、源氏の大将はただ立ち尽くすばかりで、話しかけるすべもないまま途方に暮れ、「そんなに悲しんで何かあったの?」と人に勘ぐられてもいけないので、皇女などが出て行ってから尋ねて行きました。
ようやく静かになって女房達は鼻をかみながらそこかしこに身を寄せ合ってました。
月は煌々と照り、その光が雪に反射している様子も昔のことをいろいろ思い出しては耐え難い気分になるのですが、そこは何とか気持ちを静めて、
「どうして出家しようなんて思ったんだ?
こんなに急に。」
と切り出しました。
今初めて決意したわけではなく、何かあって騒ぎになれば心がどうにかなっちゃいそうなので、というようなことを例の命婦を通じて伝えてきました。
御簾の内の様子はというと、そこらかしこで身を寄せ合っている女房たちの衣《きぬ》の音はどこか重苦しく感じられ、にわかに動いては悲しそうにしているのをなぐさめることができない様子が何となく伝わってきて、なるほど大変なんだとわかります。
風が激しく吹いて雪を散らし、御簾の内から大変深みのある黒方の匂いに混じってお線香の煙もどこからともなく漂い、源氏の大将の焚き込めた匂いとも絡み合って、何ともありがたく極楽もかくやと思われるような状態です。
春宮からの御使いの者もやって来ました。
そのときの様子を今振り返ってみると、中宮は気丈にふるまおうとはするのですが、それでもこらえきれずに、十分なお返事ができなかったので、源氏の大将が補足してお聞かせしました。
誰も彼もみんな、自分の気持ちを落ち着かせることができない状態だったので、源氏の君も思うことをつい言い出せず、
「雲の裏に澄んでる月を求めても
子の世の闇に迷ってませんか
あなたがまだそんなふうに思ってらっしゃるようなのが心残りですが、それでも決心できるというのはうらやましい限りです。」
とだけ言い放って、他にたくさん人がいるのでぐちゃぐちゃになった心の内をぶちまけることもできず、欲求不満が残ります。
「たいがいの煩わしさは遁れても
子の世はいつになれば捨てられる
煩悩は尽きません。」
というお返事は、半分は春宮のお使いの者へのねぎらいなのでしょう。
悲しみだけが消えることなく胸が苦しくなるばかりなので、源氏の君も退出しました。
二条院でも自分の部屋に一人床に伏し、眠れないままこの世の無常を思うにも、春宮のことを思うと心が痛みます。
「母である中宮を公式の後見人にしようと亡き院も考えていたのに、世の理不尽に耐え切れずこんななってしまっては、もう元の地位に戻ることはできない。
この上俺まで見捨ててしまったら‥‥。」
などと次から次へといろんなことを考えてしまうのです。
今は出家した尼さんが使うような調度品をと思い、年内に届けるべく急いで調達させました。
王命婦の君も一緒に出家したので、そちらにも心を込めて贈り物をしました。
その内容など詳しく語るにも、あまりに仰々しい内容なので、省略しておきましょう。
本来ならこういう贈答の折にこそ面白い歌なんかが飛び出してきそうなものですが、ちょっと残念。
尋ねていくにしても、今では遠慮する気持ちも薄らぎ、自ら直接伝えることもありました。
長年思い続けてきた心は未だに変わってはいないのですが、当然表に出すことはできませんよね。
*
年が変わって内裏の中も華やかになり、踏歌節会や子の日の内宴などの話など伝わってくるものの、出家した中宮の我が身のみ悲しくて、仏様へのお勤めだけをしめやかに行いながら来世のことを思うと、頼りでもあり厄介でもあった源氏とのことも遥か昔のように思えてきます。
いつもお勤めを果たす念誦堂はいうまでもなく、西の対の南に少しはなれたところに別に建てられた御堂にも行っては特別なお勤めを行ないました。
源氏の大将がやってきました。
まるで年が変わってないみたいに屋敷の中は静かで人の気配もほとんどなく、中宮と親しかったお付の者だけがすっかりしょげ返って、どことなく痛々しい感じがします。
白馬節会だけがまだ変わらずに行なわれていて、女房などが見物しています。
かつては所狭しとやってきて集ってた上達部なども門の前を素通りして、向いの大臣の所に集っているのを、しょうがないとはいえ悲しく思っている所に、千人にも相当するような格好でわざわざ尋ねてくるのを見ると、わけもなく涙ぐんでしまいます。
その客人もそのひどく寂れ果てた様子をさっと見回して、一瞬声も出ません。
がらりと様変わりした部屋の中は、御簾の端、御几帳も青鈍色で、所どころ垣間見える薄鈍、支子色の袖口などなかなか渋くて奥ゆかしい感じがします。
「次第に解けてゆく池の薄氷や岸の柳を見ると、時間が冬のまま止まったわけではない。」
などといろいろ眺めて回り、
「なるほど、有名な松ヶ浦島ついに来た風流を知る海女の棲家か。」
と小声でふと口ずさむ様子もまた渋さの極みです。
「悩ましいアマの棲み家と見るからに
塩水垂れる松ヶ浦島」
と歌を捧げると、どこもかしこも仏の棲家となった部屋なので、それほど奥の方でもなく、いつもより近く感じられる所から、
「遠い世の面影もない浦島に
波が寄るのも珍しいですね」
と返歌をするのが微かに聞こえてくれば、こらえていた涙がほろほろとこぼれました。
この世のことをすっかり悟ってしまったような尼さんたちの注目を浴びているようで居心地が悪く、言葉少なに立ち去りました。
「ほんと立派な大人になったわね。」
「何不自由なく栄華を極め、時も味方してくれている時はいつでも自分が主役で、この世の苦しみなんてわかるはずもないだろうと思ってましたが、今は身をもって悟ったのか、些細なことでも悲しそうな顔をして、何かちょっと可愛そうだわ。」
などと、すっかり年老いた女房達は、涙を流し、源氏の君に同情しています。
中宮もさぞかしいろいろなことを思い出しているに違いありません。
*
司召の除目の頃、中宮の周辺では期待されるような官位を授与されることもなく、常識で考えても、三宮(太皇太后、皇太后、皇后)の叙位権による年爵によって当然あるべき加階などもまったくなく、溜息をついている人がたくさんいました。
出家したからといって即座に中宮の地位を失い、封戸支給が停止される何てことは本来ないことなのに、何か口実を作っては勝手に捻じ曲げられてしまうことがたくさんありました。
こうしたこともみんな捨ててしまったと思っては見るものの、自分に仕えていた人たちが何を頼っていいのかわからず悲嘆にくれている様子を見ると、出家の決意が揺らぐこともしばしばですが、自分のことはともかく春宮の即位がスムーズに行くことだけを考えて、仏道の修行をこれまでどおり続けました。
人には言えないようなうしろめたく気がかりなことがあるため、
「その罪は私が背負いますから、春宮の方の罪はどうか軽くし、お許しください。」
と仏様にお祈りしては、すべてのことに関して心を静めています。
源氏の大将もその姿を見届けては、全くだと思いました。
源氏の周辺も全く同じで辛いことばかりなので、世の中の冷たさを肌で感じながら隠棲しています。
左大臣も公私とも情勢がすっかり様変わりしてしまったのすっかり嫌気が差し、辞表を出したところ、御門は亡き院が御門の欠かすことのできない後見人にとの配慮で、末永くこの国の政治の要とするように遺言してたのを反古にできないと思い、そのようにせずともと、何度も受理しないでおいたものの、無理にでもと申し出で隠棲しました。
こうして右大臣の一族だけがどうしようもないくらいに限りなく繁栄を極めることとなりました。
みんなの信望を集めていた左大臣のこうした辞任劇に、御門も心細く思い、世の人も良識のある者は嘆くばかりです。
左大臣のご子息達もいずれも何不自由なく出世し気持ちよく仕事をしていたものの、すっかり意気消沈し、三位の中将などもすっかり世の中に失望してました。
右大臣の四女の所には今でも途絶えがちながらも時折通うものの、冷淡にあしらわれるだけで身内として扱われることはありません。
思い知れとばかりに今回の司召の除目からも漏れたものの、何の感情もありません。
源氏の大将も、このようにおとなしくしている三位の中将の姿を見るにつけてもこの世のはかなさを見る思いで、まあしょうがないかとあきらめ、しょっちゅう尋ねて行っては学問や音楽を共に楽しみました。
昔はお互いにこれでもかと張り合ってたのを思い出して、今でもちょっとしたことで張り合ってみたりします。
春秋の御読経(大般若経の始めと中と終わりをかいつまんで読む法会)も宮廷とは別に独自に行い、それ以外の時にも様々な有難い法会を行なったり、また、同じように干されたか、暇をもてあましている博士達も召喚して漢詩を作らせたり「韻塞ぎ」という韻字を当てさせるゲームをやったりして気晴らしにし、宮廷にはほとんど顔も出さずに勝手気ままに遊び呆けていると、世の中にはお節介なことを言う人もいろいろ出てくるものです。
梅雨時の雨がしとしと降る退屈な季節に、三位の中将が古今の漢詩集をたくさん持ってやってきました。
源氏の大将も文殿を開けて、まだ開けたことのないいくつかの保管庫から見たこともないようなそれでいて由緒のある古い漢詩集を少しばかり選び出しては、漢詩の心得のある人たちを大勢個人的に招待しました。
殿上人も大学寮の博士達もとにかくたくさん集り、左方と右方に組み分けして座らせました。
賞品も二つとないような凄いもので、真剣勝負です。
韻字を当てさせて行くうちに、難しい韻字がこれでもかとたくさん出てきて、博識を誇る博士でさえ考え込んでしまうような所でも源氏の大将がことごとく当てていってしまうのには、本当に天才としか言いようがありません。
「うむ、こうも完璧なのは何でじゃろうな。」
「天性のものじゃろうかのう、万事人よりも抜きん出ているのは。」
と褒め称えます。
結局右方の負けとなりました。
二日ほど後に右方の主将だった三位の中将が、罰としてみんなにご馳走を振舞いました。
そんな大袈裟なものではなく、しっとりと落ち着いた檜の駕籠に盛り付けた料理やゲームの賞品などもいろいろと用意され、今日も例によってたくさんの人が招かれ、漢詩などを作らせました。
正面の階段の下にはイバラの花がわずかに咲いていて、春秋の花盛りに較べれば地味だけどなかなか面白い時期で、なごやかに楽器を演奏したりして楽しみました。
三位の中将の御曹司は八歳か九歳ぐらいで、今年童として殿上デビューすることが決まっていて、ボーイソプラノの声がなかなか美しく、笙を吹いたりもして可愛がられながら演奏に加わってました。
右大臣の四女との間にできた次男でした。
世間からの期待も大きく、特別大事に育てられてました。
鋭敏な性格で見た目も丹精で、音楽演奏の少々脱線してきた頃、催馬楽の『高砂』を謡いだして、これがまた見事な美声でした。
源氏の大将、褒美として御衣を脱いで与えました。
いつになく頬が緩んだその顔の色艶は、喩えようがありません。
薄物の直衣を一枚羽織っただけなので、透けて見える肌がやけになまめかしくて、年老いた博士なども遠目に見ながら涙を流してました。
「今朝初めて咲いた百合の花を見たかったのに」という『高砂』の結びの部分で、三位の中将が盃を持ってきて、
「これでもかと咲いたばかりの初花に
負けてないのは君の花の香」
源氏の大将はにっこり笑ってその盃を受け取ります。
この時勢花は咲いても夏の雨に
萎れるだけだ香ることなく
落ちぶれたもんだ。」
といかにも酔った勢いで乱雑に歌い上げるのを、まあまあと言いながら更に飲ませました。
こうしたエピソードは枚挙に暇がないほどあったのでしょうが、不幸自慢は酒の席だけにとどめるべきもので、つらつら書き連ねるようなものではないと紀貫之も苦言を呈しているように、うざいと思われる前にこの辺でやめておくことにしましょう。
列席者は皆こうした源氏のことを誉めそやす方向で、和歌や漢詩を作り続けました。
源氏の大将はすっかり上機嫌で驕り高ぶり、「文王の子、武王の弟」と史記の一節を暗誦し、自分のこととするあたりは本当にお目出度いものです。
亡き院を文王に、今の御門を武王に例えるのでしたら、当然その次には成王の何ちゃらと言いたいのでしょう。
それはちょっと問題がないではなくて‥‥。
兵部卿宮もしょっちゅう源氏のもとを尋ねてきては、音楽なども大の得意の宮様なので、なかなか今風のお似合いのツーショットです。
*
その頃、尚侍が宮廷を離れました。
マラリアにずっと罹っていて、加持祈祷などを気兼ねなく行なうためでした。
験者の修法などをやって治ったので誰も彼もが喜んでいる時に、例によってまたとないチャンスとばかりに手紙で連絡取り合って、なりふりかまわず夜な夜な逢瀬を重ねました。
女ざかりの豊満なボディーもちいっとばかり病気になったせいか痩せ痩せになり、それがまた美しくもあります。
皇太后も一緒に滞在しているので、ちょっと危険な匂いがするものの、源氏の君の女癖はその程度のことでめげるようなものではなく、いくらこっそりと忍び込んでもたび重なれば誰も気付かないはずはないのですが、面倒くさいことになるのでわざわざ皇太后に報告するようなことはしません。
右大臣もやはり気付いてなかったのですが、暁方急にどしゃ降りの雨になり雷がごろごろと大きな音を立てたため、右大臣の息子や娘達や屋敷に仕える職員達が大騒ぎをし、どこもかしこも人目が多く、女房達も恐がって近くに集ってきたため、こっそり出ていこうと思ってもどうすることもできないまま夜がすっかり明けてしまいました。
源氏と尚侍の籠っている御帳のあたりにも人がたくさんいるので、源氏の大将も不安で胸が潰れんばかりです。
二人ほどいた共犯の女房もうろたえるばかりです。
雷が止み、雨の少々収まってきた頃に右大臣が駆けつけてきて、まず皇太后の所に行ったのですが、村雨の音に紛れて気付かないうちにその右大臣が軽い気持ちで部屋に入ってきて、御簾を引き上げながら、
「大丈夫か?
今夜は随分ひどい天気だったから、心配になってすっ飛んできたんだぞ。
中将や宮の輔は一緒だったか?」
などと言う声の調子が、早口で上ずっているを源氏の大将は物陰に隠れながら左大臣の落ち着いた喋りとついつい較べてしまい、あまりの違いに笑ってしまいます。
ちゃんと御簾の内に入ってから言えばいいものを‥‥。
尚侍が大変申し訳なさそうにすっと御簾の外に出て行くと、顔が真赤なのをまた病気がぶり返したと勘違いして、
「何だ、顔色が尋常じゃないな。
物の怪の病だったらやっかいなことになるから験者の修法を引き伸ばしてもらわにゃな。」
と言いながらも、薄二藍の帯が御衣に絡み付いて引きずっているのを見つけ、変だと思っていると、さらに畳紙に歌などが書き付けてあるのが几帳の下に落ちてました。
これは一体何だとびっくりして、
「これは誰のだ!
家にいるもんのじゃないな!
よこせ!
持ってって誰のかつきとめてやる!」
と言い出すので、慌てて振り返ると確かにそんなものがありました。
誤魔化しようがないし、何て返事すればいいのか‥‥。
しどろもどろになっている娘に、大抵の親なら恥ずかしい思いをさせてはいけないなと思って遠慮する所でしょう。
それなのに、せっかちで落ち着きのない右大臣は空気が読めず、畳紙を引っ掴み、几帳の中を覗きこむと、不埒にも一緒に寝ていたと思われるやたらなよなよした男がそこにいました。
今さらながらさっと顔を隠し何とかごまかそうとします。
右大臣はあきれ果て、この野郎やりやがったなと思ってはみても、相手が相手だけに面と向ってどうこうというわけにはいきません。
眩暈がするような気分でこの畳紙を拾って、寝殿の方へと消えて行きました。
尚侍は呆然と立ち尽くし、死んでしまいたいと思いました。
源氏の大将も自分が嫌になり、積もり積もった不用意な行動の報いを受けるのかと思うものの、女君の悩み苦しむ様子を見るとひたすら慰めごとを言うのでした。
右大臣は自身の感情を抑えることのできない性分なうえに、さらに老いの僻みもあって、何一つ躊躇することはありません。
すっかり頭に血が上った状態で皇太后に怒りをぶちまけます。
「とにかくこういうことがあって、この畳紙はあの右大将の書いたものに間違いない。
最初っからつきあうことなど許可した覚えのないのに、先帝の子だからということで黙認され、ならばあやつを婿にしようかと一度は言ってみたけど、そん時は気のないそぶりで放ったらかしにされていて穏やかでないと思っていたけど、それならと疵ものにされたとはいえ御門に無理を通して頼んで尚侍にしてもらったというのに、やはりその負い目があって堂々と女御に推薦することもできずに悔しい思いをしてきたというのに、またこんなことになったなんて、これでまた頭が痛くなる。
浮気は男の甲斐性とは言うものの、それにしてもあの大将はけしからん。
加茂の斎院にも禁忌を犯し、こっそり手紙のやり取りをして誘惑しようとしていることなどみんな噂していたけど、世のためだけでなく本人にとっても良いはずのないことなので、まさかそんな思慮分別のないことをしでかしているなんて、今を時めく有識者として天下にその名をとどろかす人だけに、大将がそんなことをしているなんて疑っても見なかった。」
などとまくし立てると、皇太后はただでさえ源氏を憎んでいたので、何やら考えがあるような様子で、
「御門とはいっても、昔からみんな密かに見下していて、この前やめた左大臣もまたとないくらい大事に育てていた一人娘を春宮の所に出仕させず、弟の源氏がまだ幼いというのに元服の時の添い寝役にし、またあの子も春宮のところにと思ってたのにあんな馬鹿なことになっても、何で誰も変だと思わなかったんでしょうね。
みんな源氏の方に味方して、今の御門に仕えてはいても本心からではなく、可愛そうに。
そんな御門の下でも誰にも負けないように気配りしてあの妬ましい人を見返してやろうと思ってたというのに、あの子までも結局源氏の方になびいてしまったのね。
斎院とのことも、いかにもありそうなことね。
今の御門の治世を何かにつけて快く思わないというのも、あの春宮の御世になることを願う人ならば当然のことなのでしょうね。」
と歯に衣着せぬようなこと話し続けるので、さすがに困り果て、知らせない方が良かったかと思い、
「ともあれしばらくはこのことを内緒にしておきましょう。
御門にも言わない方がいい。
あんなふうに悪さばかりしていても御門に許してもらえると思って甘えてるだけなのでしょう。
娘にはもうあやつと付き合わぬように言っておく。
それで治らないようなら責任は私が取ろう。」
などと言い直したものの、皇太后の機嫌は直りません。
こんなふうに一緒に住んでいて隠しようもないのに、堂々とそんなことをするということ自体、軽く見られたもんだと思い、機嫌がますます悪くなるばかりで、こういう次第なら例の計画を実行に移す絶好のチャンスだと、思いを巡らしていたのでしょう。