現代語訳『源氏物語』

27野分

 中宮のいる南西区画の前庭に秋の花を植えていたところ、いつもの年よりも素晴らしい眺めになり、花の種類も豊富で、名木とされるものの皮を剝いだ木、皮を剥がない木など織り交ぜて結い合わせた(ませ)(がき)や、萩などの花の枝の姿は朝夕の露に輝いてこの世のものとは思えず宝石のように輝いて、このように再現された秋の野辺の景色を見れば、春の桜の山も忘れて、クールでお洒落で、この世のすべての憂さも忘れるてしまいそうです。

 

 春秋どっちが良いかという春秋戦争は昔から秋の側に付く人の方が多く、名だたる春の庭園の花園に味方してた人達が、手のひらを返して秋の方に付くのは、宮中の派閥争いにも似てますね。

 

 中宮は日々この庭を眺めながら里で生活していたところ、音楽の遊びなどもしたいとい所ですが、八月は亡き父の命日のある月なので、それを気にかけて何もせずに日々を過ごし、ますます様々な花の色とりどりに咲き乱れる様子を見ているうちに、台風がいつもの年より不穏にも迫って来ていて、空も赤く染まっては黒い雲の出てきて風も吹いてきました。

 

 一面に咲いてた花が萎れて行くと、特に風流の心のない人でも可哀想だと騒いでるくらいですから、中宮のような人は草むらの露の玉が乱れ散るがごとく心取り乱してました。

 

 春の桜が風に散るのを防ぐのに、大空を覆うような巨大な袖があったらと言ってた人もいましたが、こうした袖は秋の空にこそ欲しいものです。

 

 日が暮れてゆくと何も見えない中に風が吹きしきり、とにかく怖くなって来れば、格子など閉めてしまいましたが、花を見捨ててしまうみたいで後ろめたく、夜が明けたらとんでもないことになってそうでずっと気に病んでました。

 

 南東区画の源氏のいる方でも、寝殿前の庭に混ぜた秋の花などの良く見えるように手入れをしてたところ、このように台風風が吹いてきて、春の花の木の根元の方に植えた小萩など、無情にも待ち構えてたように吹かれるがままになってました。

 

 枝は折れ返り、露の止まる暇もなく吹き散らされてゆくのを、縁側の近くまで来て眺めてました。

 

 源氏の大臣が明石の姫君の方にいると、息子の中将《カタトシ》がやってきて、東の渡殿の小障子の上の妻戸を開いた時、隙間から特に何思うともなく覗いてみると、女房達がたくさんいるので、立ち止まって音を立てないようにしてしばらく見てました。

 

 屏風も風がひどく吹いてるので押し畳んで隅っこに寄せてあり、丸見えになった廂《ひさし》の貴人の座る所にいる人は、まぎれもなく気高く清らかで、はっとそこだけ明るく輝いているような、春の曙の霞の間の山上に見事に薄紅の樺桜の花が咲き乱れたのを見たような心地がします。

 

 なすすべもなく見るだけの自分の顔にもその香りが漂って来るかのように、その愛くるしさは匂いになって散って行き、二度と見ることのないようなとてつもない人の姿のようでした。

 

 御簾が風に吹き上げられるのを女房達が抑えるのを見て、何を思ったのか笑い出すその顔に、これはマジやばいと思います。

 

 庭の花が心配で、それを見捨てて奥に入ることもしません。

 

 側近の女房達も、それなりに奇麗な姿をしているのをざっと見渡しても、目移りするような要素もありません。

 

 「大臣が絶対に見せないようにしてたのは、こんな見た人が絶対ただでは済まないような美人だから、先読みをして、俺が義母に惚れちまって過ちを犯すと思ったんだな。」

 

 そう思うと、なんかやばいことしてるような気がして立ち去ろうとすると、西の方から中の障子を開けてやって来た人がいました。

 

 「あんまり風邪がひどくて、じっとしてられなくてな。

 格子を下ろしなさい。

 男だっているんだし、丸見えじゃないか。」

 

 その声を聞いて中将はまた近寄って覗き込むと、紫の上の声がして、源氏の大臣もほほ笑んでそちらを見ます。

 

 父親とは思えないくらい若くて美男で男の色気があって、男盛りなのがやばすぎます。

 

 義母の方もすっかり大人になり、仲睦まじいようなのが身に染みて感じられ、この渡殿の格子も風で開いてしまい、今立ってるところも向かうから見えてしまうので怖くなって立ち去りました。

 

 そして今やって来たかのようにすました声で簀子の方に歩いて来ると、

 「ほら見ろ。

 見られてしまったではないか。

 あの妻戸が開いてるし。」

とその時に女房達に注意しました。

 

 今までこんなことは全くなかったことでしたが、風というのは本当に岩をも吹き飛ばすものです。

 

 息子中将もすっかり心ときめかして、こんなラッキーなこともあるんだと思いました。

 

 家に仕える男達もやってきて、

 「まったくひどい風だ。

 北東の方から吹いてきてるのでこの区画は特に問題はない。

 北東の馬場の御殿や南の釣殿の方が危ない。」

 と言って大声で報告しながら動き回ってます。

 

 「中将、どこから来たんだ。」

 「祖母のいる三条の宮にいたんだけど、風が強くなるからとみんなが言うんで、心配になって来ました。

 あっちはここ以上に心配な所で、風の音が凄くて、祖母もなんだか子供に戻ったみたいに怖がってて気になるので帰ります。」

 「そうだな、すぐ行ってやれ。

 年を取ると子供に戻るなんて、世間ではいい顔しないけど、実際よくあることだ。」

 

 三条の祖母の身を案じて、

 

 

 《大変な事態になってますが、この朝臣に付いていてもらった方が良いと思い、そちらに使わします。》

 

 

と消息文を書きました。

 

   *

 

 六条と三条の間の道では、ひどい強風にもみくちゃにされながらも、そこは生真面目な中将のことで、どんなときも三条宮と六条宮とを往復して顔を出さない日はありません。

 

 内裏の物忌みなどでお籠もりしなくてはならない日以外は、忙しい宮中の仕事や節会などの暇を見ては、たくさんやる事のある中でもまず六条院に行って三条院の宮様《ムネコ》の所から宮中に戻っていたので、勿論この日もこんな天気の風の中でも必死に歩いているのは大した者です。

 

 三条院の宮様も頼もしい人が来たのので、待ってましたとばかり喜んで、

 「この年になるまで、こんなひどい野分はなかった。」

と、ただぶるぶる震えるばかりでした。

 

 大きな木の枝などの折れる音も何とも恐ろし気です。

 

 御殿の瓦までみんな吹き飛んでしまうような中を「よく来てくださった」とやっとのことそう言います。

 

 かつては亡き院の妹で亡き左大臣の妻として権勢を誇ったのも昔の話、今は孫の中将だけが頼りと思うと、世の中の流れは無常なものです。

 

 今でもみんなから大事にされてないわけではないのですが、息子の内大臣はあの事件のせいか、やや疎遠になってます。

 

 中将は夜通し吹き荒れる風の音にも何となくしみじみとした気分になります。

 

 かつてあれだけ愛しいと思ってた人のことを差し置いて、今日見たあの面影が忘れられないのを、これは一体どうしちゃったんだ、相手は義母だしあってはならないことなのに、こんなのやばすぎるぞと、何とか気を紛らわそうとして別のことを考えようとしても、なおその面影が浮かんできて、

 「今までもいなかったし、これからもあんな人には出会えないのではないか。

 あんな夫婦睦まじい仲じゃ、北東区画のあの花散里など、食いこむ余地がないんじゃないか。

 比べ物にすらならない。

 何か可哀想だな。」

と思いました。

 

 その面倒を見ている父の大臣の慈悲深さは大したもんだと思い知りました。

 

 真面目な性格の中将なので、行動に移すような分不相応なことは考えないけど、義母のような人と一緒に暮らせたら、限りある命も、少しばかり長く生きらるんじゃないか、としみじみ思いました。

 

   *

 

 明け方には風に湿り気が出てきて、断続的に雨が強く降る状態になりました。

 

 「六条院では離れの建物などが倒れた。」

などと人々が話してます。

 

 風が吹き荒れてた時には広くて、そこかしこ高く聳え立ってたように見える六条院も、大臣のいる南東の区画に人が集中していて、花散里のいる北東の方は人がいないんじゃないか、と中将はすぐにそう思って、まだ夜のほんの少し開けた頃に行きました。

 

 道の途中は横殴りの雨が冷たく、牛車の中にまで吹き込んできます。

 

 空の方も凄い色に染まって、何だか心ここにあらずな感じがして、

 「何やってるんだ、また気になる人が増えちゃったか」

と思い始めるものの

 「俺らしくもない、何か頭が変になったのか」

とあれこれ考えながら、北東の区画の方にまず参上すれば、花散里《ノブコ》はすっかり怯えきっていて、何とか言って慰めて、人を呼んであちこち修繕するように言っておいてから、南東の御殿に行くと、まだ格子が閉まったままでした。

 

 寝室近くの欄干にもたれかかって見渡せば、築山の木は風に大きく揺れて、たくさんの枝が折れて倒れてました。

 

 草の植えてある方は言うまでもなく、風に飛ばされた屋根の檜皮、瓦、立蔀《たてじとみ》、透垣《すいがい》などが散らばってました。

 

 日がわずかに差し込んできたので、沈鬱な庭の露がきらめいて、空は低い雲が流れて行き、わけもわからず落ちる涙をおし拭って隠しながら咳払いをすると、

 「中将の来たという合図だな。

 まだ夜も遅いのに」

と言って氏の大臣は起き上りました。

 

 何かあったのか、義母の声はせず、大臣は不意に笑って、

 「最初の頃ですら経験することのなかった後朝の別れになるかな。

 今初めて味わうというのも心苦しいな。」

 

 そんな声が聞こえてくるけど、

 「なんかいい感じだな。

 義母の答えは聞こえないけど、こうやって冗談言ってるのが幽かに聞こえてくるその雰囲気からして、ゆるぎない仲なんだな。」

と思えてきます。

 

 源氏の大臣自ら格子を手でつかんで引き上げると、あまりに近い所に親父がいるのが何かきまりが悪くて、後ろに下がってかしこまりました。

 

 「どうだった。

 昨日の夜、宮は待ってて喜んでただろう。」

 「ああ。

 何でもないことでも涙もろいもんでして、なかなかやりにくいです。」

 そう言って笑うと、

 「もう先も長くない。

 精一杯面倒見てやってくれ。

 内大臣はこまごまとしたことに気が回らないようで、ぼやいてたしな。

 かなり派手好きで男臭い奴で、親孝行するのでもやたら豪勢にやっては世間を驚かせてやろうとしてるところがあって、あまり深く人のことを気遣う人ではないからな。

 だけど、根はいい奴で、とにかく頭がいいし、こんな末法の世には珍しくいろんな才能があって、完全主義で非の打ち所がない。」

 

 そう言うとまた、

 「とにかくひどい風が吹いてたが、中宮の方にはちゃんとしたお付きの人がいたんだろうか。」

と言って中将に見てくるように言いました。

 

 

 《夜の風の音をお聞きになって、そちらの方はいかがでしょうか。

 あまり風がひどく吹き乱れるものですから風邪を引いてしまい、ひどく具合が悪くてどうしようかと思ってたところでした。》

 

 

との伝言を預かりました。

 

   *

 

 中将はその場を下がり、中の廊下の戸を通って中宮の所へ行きました。

 

 明け方の薄明りにの中で見る中宮の姿は、凛として美しいものでした。

 

 南西区画の東の対の南側の入口の方から寝殿の方を見ると、まだ格子が二間ほど空いてるだけで、ほのかな朝の光の中に御簾を巻き上げてあって、女房達の姿が見えました。

 

 欄干にもたれかかって若い女房達をがたくさんいるのを眺めます。

 

 みんな仲が良さそうで、明け方の光ではまだはっきりとは見えませんが、それぞれみんな美しく見えます。

 

 童女を庭にやって、虫かごに湿気を与えてました。

 

 淡色の紫苑襲や濃色の撫子襲のなどの衵《あくめ》を着て、女郎花襲の汗衫《かざみ》などは季節に合わせたもので、四五人連れて、あちこちの草むらに近づいてはいろんな虫かごを持って適当な場所を探し、撫子などの無残に折れてしまった枝なども持って来ます。

 

 薄っすらとした霧に紛れて、何とも華やいだ感じがします。

 

 寝殿の方から吹いて来る風は、ただでさえ紫苑の香りに包まれたこの辺りに薫物の香りを運んできて、それも中宮様のお触れになった香りだと思うと尊く、緊張して立ち止まってしまってましたが、軽く物音を立てて合図して歩き出すと、女房達はあからさまに驚いた顔はしないものの、皆中へ入って行きました。

 

 中宮が入内された頃、中将はまだ子供でしたので、御簾の中に入ったりもして、女房なども追払ったりはしませんでした。

 

 大臣の言葉を伝えると、御簾の向こうに宰相の君や内侍などの気配がして、何やらひそひそと相談している様子です。

 

 こちらの方も大臣の所に劣らず高貴な暮らしをしているのを目の当たりに見ると、いろいろまた紫の上のことなども思い出してしまいます。

 

 南東の区画に戻ってくると、格子は全部開けてあって、昨日の夜に御婦人が見捨てるわけにはいかないと心配してた庭の花が、どこへ行ったかもわからないように萎れて横倒しになってるのが見えました。

 

 中将は正面の階段の所の来て、中宮の返事を伝えました。

 

 「強風をも防いでくれればと子供のように心細く思ってましたが、今は元気づけられました。」

と言うと、

 「中宮は妙に弱気になっているな。

 女だけではこんな夜は怖くてしょうがなくて、どうして何もしてくれないのかと思ってたんだろうな。」

と言って、すぐに行くことにしました。

 

 直衣(のうし)を着ようと御簾を引き上げて奥に入って行く時、短い几帳を引き寄せてちらっと見えた袖口はあの人のだろうと中将は思い、胸が高まる心地になるものの、これではいけないと視線を別の所に向けました。

 

 源氏の大臣は鏡を見ながら小声で、

 「中将の今朝の振る舞いはなかなか立派なもんだ。

 この年ではまだ子供なはずなのに、そんな未熟さを感じられないのは子煩悩だろうか。」

 

 そう言いながら、自分の顔は昔と変わることのないいい男だと思っているのでしょう。

 

 やたらこれでもかと気合を入れて身支度を整えると、

 「中宮に会うと、こっちが恥ずかしくなる。

 表立って気位の高さを見せつけるわけでもなくても、むしろ奥ゆかしいがため、かえって人に気を使わせる。

 とにかく穏やかで女らしいものごしにも、芯の強さがにじみ出てしまうのだろう。」

と言って出て行くのを中将は眺めながら、特にそれにはっと気づくような様子もないので、目ざとい女房の目にはピンと来るものがあったのでしょう。

 

   *

 

 戻って行くと奥方に、

 「昨日の風に紛れて中将は見ちゃったみたいよ。

 あの戸を開けてた時に。」

と言うと、奥方は顔を赤くして、

 「ええっ、嘘っ。

 渡殿の方に人がいるような物音はしなかったのに。」

 

 源氏の大臣も「あやしいな」と一人呟いて中宮の所へ向かいました。

 

 源氏の大臣が御簾の内に入って行くと、中将は渡殿の戸口に女房達のいる気配がしたので近寄ると、冗談を言い合ってるのが聞こてきますが、紫の上に加えて中宮のことも気になっては、また悩み事が増えて、いつも以上に沈み込んでます。

 

 中宮の所からそのあとすぐ北の廊下を通って北西区画の明石の母君の所を見に行くと、ここにも有能な家司のような者はなくて、長く下仕えしてる人達が草の中を歩き回ってます。

 

 童女などは洒落た(あこめ)姿(すがた)でくつろいでいて、思い入れがあって特別に植えたツルリンドウや朝顔の這い回る竹を編んだ垣根も、みんな花が散ってぐしゃぐしゃになったのを、風流の趣向としていろいろ引き合いに出しては探し求めてるのでしょうか。

 

 物の哀れを感じるがままに箏を掻き鳴らしながら、縁側の近くに座っていると、貴人の到来の咳払いの声がしたので、すっかりくつろいで緩み切った姿に小袿(こうちぎ)を引っ掛けて、何とか貴人の前に出るにふさわしい姿にするのは、何とも見事なことです。

 

 源氏の大臣は縁側近くにかしこまって座ると、今回の台風の被害を見舞うだけで、そのまま帰ってしまったのが心残りです。

 

 そこかしこ荻の葉を吹く風の音も

    私一人が身に染みている

 

 そう一人呟きました。

 

 源氏の大臣が北東区画の西の対に行くと、恐怖の一夜を過ごしたせいか、玉鬘は寝過ごして、今頃鏡などを見ています。

 

 「あまり大きな声で咳払いするなよ。」

と言って、特に音も立てずに入って行きました。

 

 屏風なども皆畳んで隅に寄せてとっ散らかってたところに日が華やかに射しこんでくると、源氏の大臣がでーんと涼しい顔して座ってました。

 

 近くにいて、いつものように台風を口実に面倒くさい冗談を言ってきて、不快で耐え切れず、

 「こんなに辛いことばかりなら、いっそ昨日の風に飛んでいってしまってたらよかった。」

と不機嫌そうに言うと、大笑いしながら、

 「風に飛んでいくなんて、それだけ軽いってことか。

 さてはどこか行きたい男のところでもあるのかな。

 まあ、そういう心に目覚めたんだ。納得。」

 

 ほんと勝手な意味に取るものねと思いつつも愛想笑いして、それがまた可愛らしく見えてしまうのが辛い所です。

 

 鬼灯のようにふっくらと赤らんだ顔が、頬に懸かる左右の髪の隙間から美しくそれが覗かれます。

 

 目がぱっちりしていて華やいで見えるせいで、それほど高貴にはみえません。

 

 そのほかは特に難を言うべきでもないでしょうね。

 

 中将は二人がいかにも親し気に話してるのを聞くと、どんなお姿なのか見てみたいと思って、隅の間の御簾とその裏の几帳が両方とも緩んでたので、そっと引き上げてみると、障壁になるようなものも皆片付けられていて丸見えでした。

 

 さっきの冗談を言い合ってる様子もあらわで、

 「こりゃ、やばいな。

 親子だとかいって、こんな懐に抱きかかえるようにピタッとよりそったりして。」

と目が点になりました。

 

 見つかるんじゃないかと怖くなるけど、何か変だと不審に思うがままに見ていると、柱の陰で少し横を向いてよそよそしくしてた女を引き寄せて、髪が片側にはらはらとこぼれかかると、女もひどく嫌そうで苦しそうな様子ながら無理に平静を装って男に寄りかかると、

 「随分と馴れ馴れしいな。

 何かああいうの嫌だな。

 何をやってるんだよ。

 こんな助平心を露わにしてるなって思いもしなかったけど、大きくなってから会った子供だとこんな感情を持つものなんだろうか。

 わからないでもないが、とにかくきしょい。」

と息子としても恥ずかしくなります。

 

 「あの女は一応姉になるんだろうけど、実の姉ではなく母親違いの姉になるのか」

 そう思うと、「俺でも過ちを犯してたかもな」と思いました。

 

 昨日見た義母のような高貴さはなくても、見てるだけで頬の緩むようなあの癒される顔はどちらも捨てがたいものがあります。

 

 八重山吹の咲き乱れる春の盛りの露のかかった夕映えのようなと、そんなことを思います。

 

 今の季節には合わない喩えですが、それでもそう思わずにいられないのでしょう。

 

 花は季節が限られていて、花びらが散ってほつれた蕊だけになったものが混じったりするのを思うと、女の美貌と言うのは喩えようのないものなのです。

 

 二人のいる所には女房達が来ることもなく、声を潜めて囁き合うその会話が聞こえてきて、何があったのか、女の方が真顔で立ち上がります。

 

 「吹き荒れる風がひどくて女郎花

    萎れて死んでしまいそうです」

 

 はっきりとは聞こえませんが、そう口ずさむのを聞くと、むかつくけど興味はあるので最後まで見てようかと思うのですが、こんな近くにいることを悟られてもいけないと思い、ここを離れます。

 

 その際に、

 

 「下露の上に臥すなら女郎花

    強い風にも萎れませんよ」

 

という親父の返歌が聞こえましたが、耳を疑うようなひどいものでした。

 

 このあと同じ東北区画の花散里の所へ行きました。

 

 この日の朝の冷え込んだせいで急遽衣類を繕ったりしてたのか、年取った女房達が末摘花の寝殿に集まっていて、小さな唐櫃に入れた綿を引っ張り出しては加工している若い女房もいました。

 

 今流行の綺麗な朽葉色の(うすもの)なども、砧で打ってこの上ないくらいの艶を出して、そこら中に並べてました。

 

 「これは中将の下襲(したがさね)かな。

 御所で行われる予定だった名月の壺前栽の宴も中止になるはずだ。

 こんなに散らかしてどうするんだよ。

 確かに秋というのは凄んでゆく季節だというけどな。」

などと言って、何の着物なのかと見てみると、いろんな色の着物がどれもとにかく綺麗で、こうした方面では南東の女房達にも負けないなと思います。

 

 直衣(のうし)の花模様の(あや)は、今時分に摘み取られた花によるもので薄く染め、その色といい、本当に申し分ない出来でした。

 

 「こういうのは中将に着せてやってくれ。

 若者にはちょうどいい。」

 そんなことを言いながら立ち去りました。

 

   *

 

 面倒な奥方廻りに付き合わされて、中将は何だかもやもやして、自分にも手紙を書きたい人がいることなど日が高くなる中で思いながら、明石の姫君の所へ行きました。

 

 「まだ奥にいらっしゃいます。

 風を恐れて今朝は起きることができないようです。」

と乳母が言いました。

 

 「大騒ぎになってたんでこっちで宿直しようと思ってましたが、宮様の方がとにかく心配になりまして。

 紙雛の内裏様は無事でしたか。」

と聞くと女房達は笑って、

 「扇子の風でもとんでもないことになるくらいですから、危うくどこか吹っ飛んでくところでした。

 ほんとに世話の焼けるお殿様です。」

などとお喋りしてました。

 

 「何か適当な紙はありませんか。

 あと誰かの私物の硯をお借りしたい。」

と頼むと、姫君用の戸棚の方へ行き、紙一巻を硯箱の上に乗せて持ってきて、

 「いや、そんな立派なものでは恐縮です。」

とは言うものの、姫は将来の后候補とはいえ、その母の身分を思えばそんな気を使うこともないかと思い、手紙を書きました。

 

 紫色の薄紙でした。

 

 墨を心を込めて磨って筆の先を気にしながら丁寧に書いては手を止める所など、悪くはありません。

 

 とは言え、何か型通りで面白くありません。

 

 

 《風騒ぎ雲も乱れる夕暮れも

    君は忘るに忘れられない》

 

 

 台風になぎ倒された苅萱に付けて「まじめでも良く思われない苅萱の」ということなのでしょう、それを見て女房達、

 「交野の少将だったら、紙の色に合わせて選ぶところですけどね。」

と言われて、

 「そんな色のことなんて思ってもみなかった。

 どこかの野辺のほとりのあやめ草の花のような何かないか。」

と、このようにこうした女房達にも言葉少なに気を許すこともなく、とにかく生真面目でプライドの高いところがあります。

 

 もう一通書いて右馬の介に渡す時に、可愛らしい童やいつもくっついている随身などに何かひそひそ囁いてるのを見て、若い女房達はこれは事件だとばかりに知りたっています。

 

 姫君がこちらに来るというので、女房達もざわざわして几帳を引き直します。

 

 今まで見てきた花のかんばせと比べてみたくなって、今まではそんなに興味なかったのに、無理にも妻戸の所の御簾で体を隠し、几帳の隙間から見れば、物の影から膝で歩いて来るのがちらっと見えました。

 

 女房達が頻繁に行きかうので、その姿がはっきり見えないのが残念な所です。

 

 薄紫の御衣(おんぞ)に髪はまだ背丈の割りには短く、毛先が横に広がって、細く小さい体が可愛らしくて痛々しくもあります。

 

 「一昨年だったか、たまたまちらっと見た時と比べると、だいぶ成長したな。

 これで大人になったらどうなるんだろうか。」

と思いました。

 

 「今まで見たのが桜や山吹なら、これは藤の花だろうか。

 高い木の上から垂れ下がって咲いて、風になびいて漂ってくる匂いはこんなもんだろう。」

と花になぞらえて思いました。

 

 「こうした人達を一日中好きな時に見てたいし、そうしてくれればいいのに、いつもあからさまに近づけないようにしているのも辛い話だ。」

 そう思うといつもは真面目さとは打って変わって、心ここにあらずです。

 

   *

 

 中将が祖母の宮様の所に行くと、静かに仏道のお勤めをしてました。

 

 まずまずの若い女房なら、ここにもいますが、立ち居振る舞いや着ているものは繁栄を極めてる六条の辺りとは似ても似つかぬ物です。

 

 中々美人の尼君達が簡素な僧衣を着てる姿は、こういう場所で見ると却ってそそられるものがあります。

 

 内大臣もやって来たので、御殿油(おおとなぶら)を灯して、静かにいろんな話を聞きました。

 

 「こんな長いこと姫君の姿を見ることができないなんて、有り得ない‥」

と言って宮様はただ泣くばかりです。

 

 「もう少ししたらこちらに来るようにしましょう。

 自分の心を責め続けるばかりで、瘦せ衰えてゆくのが残念でしょうがない。

 女の子は、こう言っちゃなんだが、持つべきもんではないな。

 何かにつけて心配事ばかりだ。」

など、未だに警戒を解こうとしない様子で言うと、宮様《ムネコ》も情けなく思い、逢いたいとも言えません。

 

 話のついでに、

 「それに、とんでもない駄目っ娘が出来てしまって、処置に困ってる。」

と愚痴をこぼしては苦笑いします。

 

 宮様は、

 「それは変ね。

 あなたの娘だというのにその性質が似ないはずないでしょ。」

 「だから面目ないのです。

 どんなか、見せてあげましょう。」

 

と言ったとか。