いかに見よと難面うしをうつ霰 羽笠
樽火にあぶるかれはらの松 荷兮
とくさ苅下着に髪をちやせんして 重五
檜笠に宮をやつす朝露 杜国
銀に蛤かはん月は海 芭蕉
ひだりに橋をすかす岐阜山 野水
参考;『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)
発句
追加
いかに見よと難面うしをうつ霰 羽笠
荷物を運ぶ牛にこれでもかと鞭打つかのように、その背中を霰が打ちつけてくる。
もののふの矢並つくろふ小手の上に
霰たばしる那須の篠原
源実朝(金槐和歌集)
の歌の心を、卑近な牛に詠む。牛の苦しみを我がことのように感じる所に細みがある。
羽笠は第四歌仙からの参加で発句がなかったために、あえてこの表六句を付け加え、羽笠に発句を詠ませたのだろう。
季語は「霰」で冬、降物。「うし」は獣類。
脇
いかに見よと難面うしをうつ霰
樽火にあぶるかれはらの松 荷兮
(いかに見よと難面うしをうつ霰樽火にあぶるかれはらの松)
樽火は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、「樽を火桶の如くしつらえたものという説もあるが、意なお未詳。」とある。
樽は桶とちがい、長期間物を保存するためのもので、何年使っても漏れることのないように精密に作られている。寒いからといってむやみやたらに燃やしたりはしないだろう。
おそらく牛が運んできた樽のそばで、枯れ原の落葉と落ちている松の枝で火を焚いて暖を取るということではないかと思う。
発句の寒い思いをしてやってきた、という気持ちに、ならばここでしばし暖まっていきなさい、と応じたのではないかと思う。
季語は「かれはら」で冬。「松」は植物、木類。
第三
樽火にあぶるかれはらの松
とくさ苅下着に髪をちやせんして 重五
(とくさ苅下着に髪をちやせんして樽火にあぶるかれはらの松)
木賊(とくさ)は砥草でもある。ウィキペディアに、
「古来、茎を煮て乾燥したものを研磨の用途に用いた。「とくさ」(砥草)の名はこれに由来している。紙やすりが一般的な現代でも高級つげぐしの歯や漆器の木地加工、木製品の仕上げ工程などに使用されている。」
とある。そのため刈り取られた木賊には需要があった。
茶筅髪はいわゆる丁髷(ちょんまげ)で、中世までは烏帽子を固定するのに用いた。戦国時代になると烏帽子が廃れて丁髷頭になった。江戸時代には髷を立てずに寝かせるようになった。茶筅は丁髷の古い形になる。職人などが烏帽子を被っていた時代の名残でしていたのだろう。
木賊で秋に転じる。
季語は「とくさ刈」で秋、植物、草類。「下着」は衣裳。
四句目
とくさ苅下着に髪をちやせんして
檜笠に宮をやつす朝露 杜国
(とくさ苅下着に髪をちやせんして檜笠に宮をやつす朝露)
檜笠(ひがさ)は檜の網代笠で修験者などが被っていた。
木賊を刈る人は俗形の修験者だったのだろう。檜笠を被り、長年の朝露に朽ちかけた寺を廻る。
旅体に転じる。
季語は「朝露」で秋、降物。旅体。「檜笠」は衣裳。
五句目
檜笠に宮をやつす朝露
銀に蛤かはん月は海 芭蕉
(銀に蛤かはん月は海檜笠に宮をやつす朝露)
西行法師の、
汐染むるますほの子貝ひろふとて
色の浜とはいうにやあらなむ
西行法師(山家集)
によるものであろう。
前句を檜笠を被った人を西行のような旅の僧とし、月の昇る浜辺で拾う蛤の貝殻の色は銀に値する、とする。
季語は「月」で秋、夜分、天象。「梅」は水辺。
六句目
銀に蛤かはん月は海
ひだりに橋をすかす岐阜山 野水
(銀に蛤かはん月は海ひだりに橋をすかす岐阜山)
岐阜山は養老山の山塊のことであろう。蛤で有名な桑名からよく見える。
表六句なので、特に挙句の体ではない。
無季。「橋」は水辺。「岐阜山」は山類。