初表
一年三百六十日
開口笑無三日
飽やことし心と臼の轟と 李下
世は白波に大根こぐ舟 其角
月雪を芋のあみ戸や枯つらん 其角
かうろぎは書ヲよみ明ス声 李下
百ヲふる狐と秋を慰めし 李下
傾-婦を蘭の肆にうる 其角
初裏
敵ある泪の色をいはず草 李下
然れば天下一番の㒵 其角
文盲な金持ハ金ヲ以テ鳴ル 李下
にわとり豚ばつち養ふ 其角
其池を忍ばずといふかび屋敷 李下
士峯の雲を望む加賀殿 其角
杣めして国に千曳の鏡割 李下
名にたつかざし黒木串柿 其角
髭あらの花みる男内ゆかし 李下
春-宵君とはりあひのなさ 其角
月に鳴ク生憎のうかれ上戸や 李下
薄も白くたぶさ刈る鎌 其角
二表
朝顔は道哥の種をうへたらん 其角
院の後家のあるかなき宿 李下
都近き島原小野をおもひ出る 其角
仕組をくだす八重のとぢ文 李下
墨染に女房ふたりを頼む哉 其角
ねみだれかもじ虵と成夢 李下
笛による骸骨何をその情 其角
風そよ夕べ切篭灯の記 李下
酔はらふ冷茶は秋のむかしにて 其角
こぬ夜の格子鴫を憐レム 李下
名月の前は泪もくもりつつ 其角
金-橙-徑に粕がみを思ふ 李下
二裏
葉生姜を世捨ぬやつにたとへけん 李下
摺鉢かぶる艸-堂の霜 其角
寸法師切ㇾの衣のみじかきに 芭蕉
昔を力ㇺ卒塔婆大小 李下
俤の多門を見せよ花の雲 其角
凡夫三百人の春風 其角
参考;『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)
発句
一年三百六十日
開口笑無三日
飽やことし心と臼の轟と 李下
「飽やことし」は「ことしに飽や」の倒置。今年も良い年でもう十分だ、これ以上望むものはないという意味だろう。まだ天和の大火の前だから言えたと思う。
今年一年終り心も満たされ、正月の餅を搗く臼の音にも満足だ。
季語は「飽やことし」で冬。
脇
飽やことし心と臼の轟と
世は白波に大根こぐ舟 其角
(飽やことし心と臼の轟と世は白波に大根こぐ舟)
『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、
世の中を何にたとへむ朝ぼらけ
漕ぎ行く舟の跡のしら波
沙弥満誓(拾遺集)
の歌を引いている。
この世界というのはただ時の流れの中に生まれてはすぐに消えて行く白波のような儚いもの、という意味だろう。冬だから大根を運ぶ大根舟の航跡とする。
まあ、どうせ泡のように消えてゆく年月だが、それに満足し今年一年終えられたことに感謝する。
季語は「大根舟」で冬、水辺。「白波」も水辺。
第三
世は白波に大根こぐ舟
月雪を芋のあみ戸や枯つらん 其角
(月雪を芋のあみ戸や枯つらん世は白波に大根こぐ舟)
月を見て楽しみ、雪を見て楽しみ、そうこうしているうちに干し芋茎(ずいき)で編んだ扉も枯れていってしまったのだろうか、年月は大根舟の航跡のように消えて行く。
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、
「簾のように編で干した芋茎(ズイキ)を芋のあみ戸と言い立てた。」
とある。
季語は「雪」で冬、降物。「月」は夜分、天象。
四句目
月雪を芋のあみ戸や枯つらん
かうろぎは書ヲよみ明ス声 李下
(月雪を芋のあみ戸や枯つらんかうろぎは書ヲよみ明ス声)
「かうろぎ」はコオロギのこと。
曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』(岩波文庫)を見ると、キリギリス→コオロギ、コオロギ→カマドウマ、いとど→カマドウマ(=コオロギ)となる。
ただ、ここではコオロギが声を上げて書を詠んでいるので、鳴く虫の今でいうコオロギのことであろう。この時代は鳥の名称でも虫の名称でも多少混乱があり、一概には言えない。
前句の「芋のあみ戸」を芋畑のこととしてコオロギを付け、月明りと「蛍雪の功」ではないが窓の雪に書を朗読しているとする。
季語は「かうろぎ」で秋、虫類。「よみ明ス」は夜分。
五句目
かうろぎは書ヲよみ明ス声
百ヲふる狐と秋を慰めし 李下
(百ヲふる狐と秋を慰めしかうろぎは書ヲよみ明ス声)
百年生きた古狐と儚い命のコオロギがともに秋の淋しさに慰め合っている。百年短い命のコオロギを見送り続けた古狐にとっても、秋は淋しかろう。
季語は「秋」で秋。「狐」は獣類。
六句目
百ヲふる狐と秋を慰めし
傾-婦を蘭の肆にうる 其角
(百ヲふる狐と秋を慰めし傾-婦を蘭の肆にうる)
「傾-婦」は傾城の婦で遊女のこと。肆は「いちぐら」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 (古くは「いちくら」。市座(いちくら)の意。座(くら)は財物を置く所) 古代に、市場で売買や交換のために、商品を並べて置いた所。市の蔵。のちに、商いの店。〔新訳華厳経音義私記(794)〕
※平家(13C前)七「今日は肆(いちぐら)の辺に水をうしなふ枯魚の如し」
とある。
前句の古狐が遊女に化けて、蘭の香の香ばしい店で春を売って秋の淋しさを慰める。蘭は藤袴で乾燥させる香りが出る。
季語は「蘭」で秋、植物、草類。恋。「傾-婦」は人倫。
七句目
傾-婦を蘭の肆にうる
敵ある泪の色をいはず草 李下
(敵ある泪の色をいはず草傾-婦を蘭の肆にうる)
「敵ある」は「かたきある」。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「敵対する者がある。敵意をもっている。恨んだり憎んだりしている。また、並ぶ者、あい対するものがある。
※宇津保(970‐999頃)俊蔭「東国より都にかたきある人、報いせむと思ひて」
とある。
傾-婦は親に騙されて売られてしまったか、はたまた悪い男につかまったか、人生にいろいろな恨みもあるものを、それを押し隠して今日も春を売る。
無季。恋。
八句目
敵ある泪の色をいはず草
然れば天下一番の㒵 其角
(敵ある泪の色をいはず草然れば天下一番の㒵)
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、
「前句を劇中の場面として、その俳優の顔を誉めた。」
とある。
前句の「いはず草」を、言葉で表現しなくても自ずとその表情で伝わるとする。
無季。
九句目
然れば天下一番の㒵
文盲な金持ハ金ヲ以テ鳴ル 李下
(文盲な金持ハ金ヲ以テ鳴ル然れば天下一番の㒵)
文盲な人が成功するには金儲けしかない。そうでなければ役者になるかだ。
漢文めかしてインテリの書いた文章のようにして、いかにも見下した感じだが、元禄の頃になると立場が逆転する。
無季。
十句目
文盲な金持ハ金ヲ以テ鳴ル
にわとり豚ばつち養ふ 其角
(文盲な金持ハ金ヲ以テ鳴ルにわとり豚ばつち養ふ)
豚は「ゐのこ」と読む。この時代はブタは珍しかった。「ばつち」は末子のこと。bとmの交替。
『校本芭蕉全集 第三巻』の補注に、
「一句は古文真宝後集・柳子厚『種樹郭槖駝伝』中の『而(ナンジ)ガ幼孩ヲ字(ヤシナ)ヘ、而ガ雞豚ヲ遂ゲヨ』をふまえた付け。」
とある。日本ではブタは養わないので「ゐのこ」になる。ブタは食わないがイノシシは冬の薬食いで食べていた。
金持ちになるには鶏や猪を飼い末子を大事に育てろ、という教訓になる。
無季。「にはとり」は鳥類。「豚」は獣類。「ばつち」は人倫。
十一句目
にわとり豚ばつち養ふ
其池を忍ばずといふかび屋敷 李下
(其池を忍ばずといふかび屋敷にわとり豚ばつち養ふ)
「かび屋敷」は上屋敷のことか。昔の日本語ではbとmとの交替が多いので「かみ」は「かび」にもなりえた。実際には「かびやしき」と発音することはなかったにせよ、わざと似た音というので上屋敷を黴屋敷にした可能性はある。不忍の池の近辺は大名の上屋敷が多かった。
無季。「池」は水辺。「忍ばず」は名所、水辺。「屋敷」は居所。
十二句目
其池を忍ばずといふかび屋敷
士峯の雲を望む加賀殿 其角
(其池を忍ばずといふかび屋敷士峯の雲を望む加賀殿)
加賀藩の上屋敷は今の東京大学本郷キャンパスになっているという。不忍池から近い。高台なので富士も見えただろう。
無季。「士峯」は名所、山類。「雲」は聳物。
十三句目
士峯の雲を望む加賀殿
杣めして国に千曳の鏡割 李下
(杣めして国に千曳の鏡割士峯の雲を望む加賀殿)
杣(そま)はウィキペディアに、
「杣(そま)とは、古代から中世にかけて律令国家や貴族・寺社などのいわゆる権門勢家が、造都や建立など大規模な建設用材を必要とする事業に際して、その用材の伐採地として設置した山林のこと。後に一種の荘園として扱われるようになった。」
とある。ここでは杣工(そまたくみ)のことで、ウィキペディアに、
「杣工(そまたくみ/そまく)とは、古代から中世にかけて杣(そま)において伐採や製材に従事した者。杣人(そまびと)・杣夫(そまふ)とも。近世から近代にかけては、林業従事者一般を指して単に「杣」と称するようになった。」
とある。
「千曳(ちびき)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 千人で引くこと。また、千人で引かなければ動かないほどの重さのもの。
② 「ちびき(千引)の岩」の略。
※類従本赤染衛門集(11C中)「まつとせし程にいしとは成にしを又は千引にみせ分かてとや」
とある。
前句の士峯の雲を鏡餅に見立て、加賀藩の鏡割(鏡開きは)富士山にかかるあの巨大な餅を杣工千人で引っ張って行われる、とした。百万石の殿さまだからそれくらいやりかねない。
季語は「鏡割」で春。「杣」は人倫。
十四句目
杣めして国に千曳の鏡割
名にたつかざし黒木串柿 其角
(杣めして国に千曳の鏡割名にたつかざし黒木串柿)
串柿は串に刺して干した柿で、正月の鏡餅に飾る。今はあまりやらなくなったが、昔ながらに飾り付ける家もある。
前句の鏡割に、杣だから黒木の櫛に柿を刺すとした。黒木は炭にする前の乾燥させた木をいう。
季語は「串柿」で春。
十五句目
名にたつかざし黒木串柿
髭あらの花みる男内ゆかし 李下
(髭あらの花みる男内ゆかし名にたつかざし黒木串柿)
髭を生やした荒くれ男だが、花見の時には黒木と串柿の簪をしてお洒落をしている。
髭というと奴さんのイメージがあるが中間(ちゅうげん)には多かったのだろうか。
芭蕉さんも絵に描く時には無精髭が描かれたりする。旅人には多かったのだろう。
季語は「花」で春、植物、木類。「男」は人倫。
十六句目
髭あらの花みる男内ゆかし
春-宵君とはりあひのなさ 其角
(髭あらの花みる男内ゆかし春-宵君とはりあひのなさ)
まあ、突っ張ったちょい悪の所に惹かれたのに、花見の席で急にしおらしくされると拍子抜けになる。
季語は「春-宵」で春。恋。「君」は人倫。
十七句目
春-宵君とはりあひのなさ
月に鳴ク生憎のうかれ上戸や 李下
(月に鳴ク生憎のうかれ上戸や春-宵君とはりあひのなさ)
酒を飲むと陽キャになるのはいいが、あまり軽々しいのも困りもんだ。
季語は「月」で秋、夜分、天象。
十八句目
月に鳴ク生憎のうかれ上戸や
薄も白くたぶさ刈る鎌 其角
(月に鳴ク生憎のうかれ上戸や薄も白くたぶさ刈る鎌)
「たぶさ」は髻(もとどり)のこと。ちょんまげの根っこの部分をいう。
ススキを刈るのならいいが、ちょんまげをばっさりやったら大変なことになりそうだが。最大の侮辱とされていた。
月に薄は、
山遠き末野の原の篠薄
穂にいでやらぬいざよひの月
藤原知家(洞院摂政家百首)
秋風の末ふきなびくすすき野の
ほむけにのこる月の影かな
九条行家(宝治百首)
などの歌がある。
季語は「薄」で秋、植物、草類。
十九句目
薄も白くたぶさ刈る鎌
朝顔は道哥の種をうへたらん 其角
(朝顔は道哥の種をうへたらん薄も白くたぶさ刈る鎌)
道歌は道徳や教訓を詠んだ和歌のことで、ウィキペディアには例として、
我が恩を仇にて返す人あらば
又その上に慈悲を施せ
伝真阿上人
濃茶には湯加減あつく服は尚ほ
泡なきやうにかたまりもなく
利休道歌
を引いている。
朝顔は朝咲いて昼には凋むあたりが、如何にも人生の短さを語るのにちょうどいい。人生の儚さを感じたら、ススキを刈るように髻を刈って出家しましょう、というところか。
季語は「朝顔」で秋、植物、草類。
二十句目
朝顔は道哥の種をうへたらん
院の後家のあるかなき宿 李下
(朝顔は道哥の種をうへたらん院の後家のあるかなき宿)
「院」はここでは「おりゐ」と読む。「おりゐのみかど」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、「下り居の帝」、「退位した天皇。太上(だいじよう)天皇。」とある。ただ、それは元の意味で、「おりゐ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 下に降りていること。車、馬などから降りていること。また、腰を降ろしていること。
※光悦本謡曲・熊野(1505頃)「車宿り、馬とどめ、爰より花車、おりゐの衣はりまがた」
② 天皇、斎院などがその地位を譲ること。退位。→おりいの帝(みかど)。〔名語記(1275)〕
③ (宮仕えの女房の)里下がり。
※俳諧・落日庵句集(1780頃か)「風声の下り居の君や遅桜」
とある。『源氏物語』花散里の麗景殿女御の俤だろうか。
無季。恋。「後家」は人倫。「宿」は居所。
二十一句目
院の後家のあるかなき宿
都近き島原小野をおもひ出る 其角
(都近き島原小野をおもひ出る院の後家のあるかなき宿)
前句を引退した遊女として、京の島原の遊郭をなつかしむ。
無季。恋。
二十二句目
都近き島原小野をおもひ出る
仕組をくだす八重のとぢ文 李下
(都近き島原小野をおもひ出る仕組をくだす八重のとぢ文)
とぢ文は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「封じ文」とある。八重というからには正確に八枚ということではなくても、何枚もの紙に書いた長い文という意味だろう。
島原の遊女が男に思い出してまた来てくれるように、言葉巧みに長い手紙を書く。
無季。恋。
二十三句目
仕組をくだす八重のとぢ文
墨染に女房ふたりを頼む哉 其角
(墨染に女房ふたりを頼む哉仕組をくだす八重のとぢ文)
墨染の衣の僧に長い秘密の手紙を書いて、二人の女房をどうするか相談する。正室と側室のある身での出家で、後のことが気がかりなのだろう。
無季。恋。「墨染」は衣裳。「女房」は人倫。
二十四句目
墨染に女房ふたりを頼む哉
ねみだれかもじ虵と成夢 李下
(墨染に女房ふたりを頼む哉ねみだれかもじ虵と成夢)
道成寺ネタであろう。僧の安珍には実は清姫だけでなくもう一人いたということか。蛇となって追っかけられる夢を見る。
無季。恋。「ねみだれ」は夜分。
二十五句目
ねみだれかもじ虵と成夢
笛による骸骨何をその情 其角
(笛による骸骨何をその情ねみだれかもじ虵と成夢)
笛を吹いていたら骸骨がやってきた、その情(こころ)は?というわけで、寝乱れた女のかもじ(付け毛)が蛇になるようなものだ、と解く。夜口笛を吹くと蛇が来るように、夜笛を吹くと骸骨が来る。
其角といえば、
夢となりし骸骨踊る荻の声 其角
の発句が延宝の頃の『田舎之句合』にある。
無季。
二十六句目
笛による骸骨何をその情
風そよ夕べ切篭灯の記 李下
(笛による骸骨何をその情風そよ夕べ切篭灯の記)
切篭灯(きりことう)は切子灯籠のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、
「盆灯籠の一種で、灯袋(ひぶくろ)が立方体の各角を切り落とした形の吊(つ)り灯籠。灯袋の枠に白紙を張り、底の四辺から透(すかし)模様や六字名号(ろくじみょうごう)(南無阿弥陀仏)などを入れた幅広の幡(はた)を下げたもの。灯袋の四方の角にボタンやレンゲの造花をつけ、細長い白紙を数枚ずつ下げることもある。点灯には、中に油皿を置いて種油を注ぎ、灯心を立てた。お盆に灯籠を点ずることは『明月記(めいげつき)』(鎌倉時代初期)などにあり、『円光(えんこう)大師絵伝』には切子灯籠と同形のものがみえている。江戸時代には『和漢三才図会』(1713)に切子灯籠があり、庶民の間でも一般化していたことがわかるが、その後しだいに盆提灯に変わっていった。ただし現在でも、各地の寺院や天竜川流域などの盆踊り、念仏踊りには切子灯籠が用いられ、香川県にはこれをつくる人がいる。[小川直之]」
とある。
前句の骸骨をお盆の夜の切篭灯に導かれて帰ってきたご先祖様とする。生前笛を好んだ人だったのだろう。最後に「記」とつけることで、実はそういう物語があった、ということにする。
季語は「切篭灯」で秋。
二十七句目
風そよ夕べ切篭灯の記
酔はらふ冷茶は秋のむかしにて 其角
(酔はらふ冷茶は秋のむかしにて風そよ夕べ切篭灯の記)
酔い覚ましに冷茶を飲んで思い出すのは、昔秋の夜の風そよぐ夕べに記した「切篭灯の記」のことだ。
季語は「秋」で秋。
二十八句目
酔はらふ冷茶は秋のむかしにて
こぬ夜の格子鴫を憐レム 李下
『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、
暁の鴫の羽根掻きももはがき
君が来ぬ夜は吾ぞ数かく
よみ人しらず(古今集)
の歌を引いている。
ともに酒を酌み交わし朝には冷茶を飲んで酔いを醒ましたのは昔のことで、今は格子の向こうで羽根掻きをしている鴫を自分と同じだと憐れむ。
季語は「鴫」で秋、鳥類。恋。「こぬ夜」は夜分。
二十九句目
こぬ夜の格子鴫を憐レム
名月の前は泪もくもりつつ 其角
(名月の前は泪もくもりつつこぬ夜の格子鴫を憐レム)
名月の夜が近いというのにあの人が来ないものだから、月は澄んでも涙で曇るばかりだ。前句の鴫への共感に付く。
季語は「名月」で秋、夜分、天象。恋。
三十句目
名月の前は泪もくもりつつ
金-橙-徑に粕がみを思ふ 李下
(名月の前は泪もくもりつつ金-橙-徑に粕がみを思ふ)
金-橙-徑は『校本芭蕉全集 第三巻』の補注に蘇軾の「和文与可洋州園池三十首金橙徑」とある。「中國哲學書電子化計劃」から引用する。
和文與可洋川園池三十首·金橙徑 蘇軾
金橙縱複裏人知 不見鱸魚價自低
須是松江煙雨裏 小船燒薤搗香齏
参考までに。
洋州三十景·金橙徑 鮮於侁
遠分稂下美 移植使君園
何人為修貢 佳味上雕盤
ダイダイはスズキがあってこそ価値がある、ということか。
粕もまた魚を漬けてこそ価値があるということで、君子の器でなく、あくまで臣下の器だということを嘆いて月も涙で曇るということか。
無季。「み」は人倫。
三十一句目
金-橙-徑に粕がみを思ふ
葉生姜を世捨ぬやつにたとへけん 李下
(葉生姜を世捨ぬやつにたとへけん金-橙-徑に粕がみを思ふ)
葉生姜も甘酢漬けにして魚に添える薬味になるので、世を捨てることもなく偉い奴にへばりついてる、ということか。
無季。
三十二句目
葉生姜を世捨ぬやつにたとへけん
摺鉢かぶる艸-堂の霜 其角
(葉生姜を世捨ぬやつにたとへけん摺鉢かぶる艸-堂の霜)
葉生姜は魚と仲良くしているが、生姜の方は擂鉢で摺り下ろされて草堂の霜になる。
季語は「霜」で冬、降物。
三十三句目
摺鉢かぶる艸-堂の霜
寸法師切ㇾの衣のみじかきに 芭蕉
(寸法師切ㇾの衣のみじかきに摺鉢かぶる艸-堂の霜)
ここで芭蕉さんが登場する。あるいは執筆をやりながら二人を見守っていたか。
寸法師は御伽草子の一寸法師か。短い布(きれ)の衣に擂鉢を被る。あいかわらず突飛な発想をする。
『校本芭蕉全集 第三巻』の注には、擂鉢などを被ると背が伸びないという俗信があるという。
無季。釈教。
三十四句目
寸法師切ㇾの衣のみじかきに
昔を力ム卒塔婆大小 李下
(寸法師切ㇾの衣のみじかきに昔を力ム卒塔婆大小)
前句の寸法師を普通に背の低い法師とし、昔は武将だったといっては大小の卒塔婆を大小の刀のように腰に差す。
無季。釈教。
三十五句目
昔を力ㇺ卒塔婆大小
俤の多門を見せよ花の雲 其角
(俤の多門を見せよ花の雲昔を力ㇺ卒塔婆大小)
多門(たもん)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「1 城の石垣の上に築いた長屋造りの建物。兵器庫と防壁を兼ねる。松永久秀が大和国佐保山に築いた多聞城の形式からの名という。多聞櫓(やぐら)。
2 本宅の周囲に建てた長屋。
3 江戸城中の御殿女中が使った下女。2の所へこれらの女たちを置き、用事のあるときに「多門、多門」と呼んだところからこの名があるという。御端(おはした)。」
とある。
前句を既に卒塔婆になった昔の武将とし、雲のように花の咲く石垣の上の荒城に昔の城の姿を見せてくれよ、と思う。近代の唱歌「荒城の月」にも受け継がれている趣向だ。
花の雲は『古今集』仮名序に、
「春のあした、よしのの山のさくらは、人まろが心には、くもかとのみなむおぼえける。」
とあるが、人麻呂の歌に吉野の花の雲を詠んだものがないので、謎とされている。
花に雲を詠んだものというと、
桜花咲きにけらしなあしひきの
山の峡より見ゆる白雲
紀貫之(古今集)
山高み雲居に見ゆる桜花
心のゆきて折らぬ日ぞなき
凡河内躬恆(古今集)
があり、吉野の花の雲を詠んだものは、
み吉野のよしのの山の桜花
白雲とのみ見えまかひつつ
よみ人しらず(後撰集)
の歌がある。
季語は「花の雲」で春、植物、木類。
挙句
俤の多門を見せよ花の雲
凡夫三百人の春風 其角
(俤の多門を見せよ花の雲凡夫三百人の春風)
今花見をしているの三百人の一般庶民だ。それはそれで平和で盛り上がっててお目出度い、ということで一巻は目出度く終わる。
花に春風は、
桜花夢かうつつか白雲の
たえて常なき峰の春風
藤原家隆(新古今集)
などの歌がある。
季語は「春風」で春。「凡夫」は人倫。