「夕㒵や」の巻、解説

初表

 夕㒵や蔓に場をとる夏座敷    為有

   西日をふせぐ薮の下刈    芭蕉

 ひらひらと浅瀬に魦の連立て   惟然

   馬の廻りはみな手人なり   野明

 一貫の銭で酒かふ暮の月     芭蕉

   稗に穂蓼に庭の埒なき    惟然

 

初裏

 松茸も小僧もたねば守られず   野明

   ほたゆる牛を人に借らるる  芭蕉

 台所の続に部屋の口明て     惟然

   旅のちそうに尿瓶指出す   野明

 物一ついふては念仏唱へられ   芭蕉

   今のあいだに何度時雨るる  惟然

 めきめきと川よりさむき鳥の声  野明

   米の味なき此里の稲     芭蕉

 月影に馴染の多キ宿かりて    惟然

   霧の奥なる長谷の晩鐘    野明

 花の香に啼ぬ烏の幾群か     芭蕉

   土ほりかへす芋種の穴    惟然

 

 

二表

 陽炎に田夫役者の荷の通ル    野明

   いせの噺に料理先だつ    芭蕉

 椙の木をすうすと風の吹渡    惟然

   尻もむすばぬ言ぞほぐるる  野明

 膳取を最後に眠る宵の月     露川

   きりぎりす飛さや糖の中   如行

 秋もはや伊呂裡こひしく成にけり 松星

   合点のゆかぬ雲の出て来る  夾始

 脇道をかるう請取うき蔵主    如行

   木に抱き付て覗く谷底    露川

 仰山になり音立て屋根普請    夾始

   日やけ畠も上田の出来    松星

 

二裏

 夏の夜も明がた冴る笹の露    露川

   笟かぶりて替どりに行    如行

 隠家は美濃の中でも高須なり   松星

   此月ずゑに終る楞厳     夾始

 むかしから花に日が照雨がふり  如行

   たらはぬ聲もまじる鶯    主筆

 

 

二表(2)

 陽炎に田夫役者の荷の通ル    野明

   いせの噺に料理先だつ    芭蕉

 椙の木をすうすと風の吹渡    惟然

   尻もむすばぬ恋ぞほぐるる  野明

 うとうとと夜すがら君を負行ク  芭蕉

   豆腐仕かける窓間の月    惟然

 うつくしきお堀廻りの薄紅葉   去来

   紙羽ひろぐる芝原の露    之道

 跪ふて湯づけかき込む釜の前   野明

   師走の役に立る両がへ    去来

 だぶだぶと水汲入ていさぎ能キ  惟然

   松のみどりのすいすいとして 野明

 

二裏(2)

 節経のなぐさみに成二人庵    去来

   心きいたる唇の赤さか    惟然

 くたびれしきのふの軍物語    野明

   髪おしたばね羽織広袖    去来

 難波なる花の新町まれに来て   惟然

   文に書るる柳山ぶき     野明

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 夕㒵や蔓に場をとる夏座敷    為有

 

 為有というと支考の『梟日記』の旅で長崎で去来に会った時にも噂になっていた人物だが、支考はここでは同席していない。為有はなぜかいつも「嵯峨田夫」という称号が付いている。

 ただ、為有は発句のみで、この後二十四句目までは芭蕉、惟然、野明の三吟になる。そしてそのあとは去来、之道、野明、惟然の四吟になる。

 夕顔は棚を組んで蔓を這わせてたのか、夕顔の下は日陰になり涼しい夏座敷が出来上がる。

 

季語は「夕㒵」で夏、植物、草類。「夏座敷」も夏、居所。

 

 

   夕㒵や蔓に場をとる夏座敷

 西日をふせぐ薮の下刈      芭蕉

 (夕㒵や蔓に場をとる夏座敷西日をふせぐ薮の下刈)

 

 夕顔が西日を防いでくれてますし、薮の下も綺麗に刈られていてすっきりしていますと庭を褒めて応じる。

 

無季。「西日」は天象。

 

第三

 

   西日をふせぐ薮の下刈

 ひらひらと浅瀬に魦の連立て   惟然

 (ひらひらと浅瀬に魦の連立て西日をふせぐ薮の下刈)

 

 「魦」はここではハゼと読むが、琵琶湖のイサザのことか。ウィキペディアに、

 

 「イサザ(魦・鱊・尓魚・魚偏に尓(𩶗)、学名 Gymnogobius isaza )は、スズキ目ハゼ科に分類される魚の一種。ウキゴリに似た琵琶湖固有種のハゼで、昼夜で大きな日周運動を行う。食用に漁獲もされている。現地ではイサダとも呼ばれる。」

 

とある。

 薮に西日の遮られた辺りにハゼの魚影が見える。

 

無季。「浅瀬」は水辺。

 

四句目

 

   ひらひらと浅瀬に魦の連立て

 馬の廻りはみな手人なり     野明

 (ひらひらと浅瀬に魦の連立て馬の廻りはみな手人なり)

 

 手人(てびと)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手人」の解説」に、

 

 「〘名〙 (古くは「てひと」)

  ① 履(くつ)を縫ったり機を織ったり、技芸にたずさわる者。朝鮮半島から渡来した技術者。才伎。

  ※古事記(712)中「又手人(てひと)韓鍛、名は卓素」

  ② てのもの。配下。てした。部下。」

  ※浄瑠璃・自然居士(1697頃)二「我意をふるまひ給ふによって、お手人共も我ままに」

 

とある。時代的には②の手下の方であろう。

 ハゼの群立ちに人の群立ちが呼応する。

 

無季。「馬」は獣類。「手人」は人倫。

 

五句目

 

   馬の廻りはみな手人なり

 一貫の銭で酒かふ暮の月     芭蕉

 (一貫の銭で酒かふ暮の月馬の廻りはみな手人なり)

 

 銭一貫ならそれなりの量の酒が買えただろう。手人みんなで酒盛りができる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   一貫の銭で酒かふ暮の月

 稗に穂蓼に庭の埒なき      惟然

 (一貫の銭で酒かふ暮の月稗に穂蓼に庭の埒なき)

 

 「埒なき」はごちゃごちゃだということ。稗は植えたのだろうし、穂蓼もおつまみになる。しばらくは酒を飲みながら暮らせそうだ。

 

季語は「稗に穂蓼」で秋、植物、草類。「庭」は居所。

初裏

七句目

 

   稗に穂蓼に庭の埒なき

 松茸も小僧もたねば守られず   野明

 (松茸も小僧もたねば守られず稗に穂蓼に庭の埒なき)

 

 山寺の庭とする。小僧がいなければ庭もとっちらかっているし、山も手入れが行き届かないから松茸も生えてこなくなった。

 

季語は「松茸」で秋。「小僧」は人倫。

 

八句目

 

   松茸も小僧もたねば守られず

 ほたゆる牛を人に借らるる    芭蕉

 (松茸も小僧もたねば守られずほたゆる牛を人に借らるる)

 

 「ほたゆる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ほたえる」の解説」に、

 

 「〘自ヤ下一〙 ほた・ゆ 〘自ヤ下二〙

  ① あまえる。つけあがる。

  ※箚録(1706)「ほたへる者は日にほたへて、奢(おごり)の止ことも無れば」

  ② ふざける。たわむれる。じゃれる。

  ※俳諧・望一千句(1649)二「をどりはねつつめづる夜の月 ひき来るはさもほたへたる駒むかへ」

 

とある。

 今でも熊本天草方面では方言として残っているという。

 牛も使う人がいないから他所の人が勝手に使っている。

 

無季。「牛」は獣類。「人」は人倫。

 

九句目

 

   ほたゆる牛を人に借らるる

 台所の続に部屋の口明て     惟然

 (台所の続に部屋の口明てほたゆる牛を人に借らるる)

 

 台所の奥にも部屋があって、そこに住んでいる人が牛を借りている。

 

無季。

 

十句目

 

   台所の続に部屋の口明て

 旅のちそうに尿瓶指出す     野明

 (台所の続に部屋の口明て旅のちそうに尿瓶指出す)

 

 台所の奥の部屋に泊まっている旅人は年老いているのか病気なのか、尿瓶が必要になる。

 

無季。旅体。

 

十一句目

 

   旅のちそうに尿瓶指出す

 物一ついふては念仏唱へられ   芭蕉

 (物一ついふては念仏唱へられ旅のちそうに尿瓶指出す)

 

 老いた旅人は乞食僧で、一言挨拶したかと思ったら、延々と念仏を唱える。

 

無季。釈教。

 

十二句目

 

   物一ついふては念仏唱へられ

 今のあいだに何度時雨るる    惟然

 (物一ついふては念仏唱へられ今のあいだに何度時雨るる)

 

 「今のあいだ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「今の間」の解説」に、

 

 「① 今こうしているあいだ。現在のところ。また、この瞬間。

  ※続日本紀‐天平宝字八年(764)一〇月一四日・宣命「今乃間(いまノま)此の太子を定め賜はず在る故は」

  ※和泉式部集(11C中)上「いまのまに君やきませやこひしとて名もあるものをわれ行かめやは」

  ② (「に」を伴うことが多い) たちまち。またたく間に。見ているうちに。

  ※狂歌・新撰狂歌集(17C前)下「いまの間にほとけは二躰出来たりばうずはやくし我はくはんをん」

 

とある。②の意味であろう。

 前句を空也忌の空也念仏とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「空也忌」の解説」に、

 

 「〘名〙 空也上人光勝の忌日。陰暦一一月一三日に、京都空也堂で修する法会(ほうえ)。高らかに念仏を唱え、鉦(しょう)をたたき、竹杖で瓢箪(ひょうたん)をたたきながら京都の内外を回る。上人の入寂(にゅうじゃく)は「元亨釈書」には天祿三年(九七二)九月一一日とあるが、上人が康保二年(九六五)一一月一三日京都を出て東国化導に赴く際、この日を忌日とせよといったのに起こるという。《季・冬》 〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

 

とある。この空也念仏の僧がやってくると、瞬く間に時雨が降ってくる。

 

季語は「時雨るる」で冬、降物。

 

十三句目

 

   今のあいだに何度時雨るる

 めきめきと川よりさむき鳥の声  野明

 (めきめきと川よりさむき鳥の声今のあいだに何度時雨るる)

 

 川で水鳥が鳴きだすと時雨が降る。

 

季語は「さむき」で冬。「川」は水辺。「鳥」は鳥類。

 

十四句目

 

   めきめきと川よりさむき鳥の声

 米の味なき此里の稲       芭蕉

 (めきめきと川よりさむき鳥の声米の味なき此里の稲)

 

 「味なし」は「あぢきなし」という古い方の意味だろう。水害か冷害で稲がだめになってしまい、水鳥の声だけが空しい。

 

季語は「稲」で秋。「里」は居所。

 

十五句目

 

   米の味なき此里の稲

 月影に馴染の多キ宿かりて    惟然

 (月影に馴染の多キ宿かりて米の味なき此里の稲)

 

 宿はなじみ客ばかりで固まっていて、ぼっち飯を食う。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。旅体。

 

十六句目

 

   月影に馴染の多キ宿かりて

 霧の奥なる長谷の晩鐘      野明

 (月影に馴染の多キ宿かりて霧の奥なる長谷の晩鐘)

 

 長谷寺というと『源氏物語』玉鬘巻で玉鬘の一行が椿市で宿を取ろうとすると、主の僧に、

 

 「人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」

 

と言われる。その止めようとしていた人たちがやってくる。

 

 「よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四つ、五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。」

 

 この御一行が実は、というわけだ。

 源氏物語を知らなくても、前句の馴染の多い宿に長谷寺の晩鐘が響くというだけで風情がある。それにこの物語を知っていたら、また別の味もあるということで、これは俤付けになる。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「長谷」は名所。

 

十七句目

 

   霧の奥なる長谷の晩鐘

 花の香に啼ぬ烏の幾群か     芭蕉

 (花の香に啼ぬ烏の幾群か霧の奥なる長谷の晩鐘)

 

 花は奇麗だが、カラスの群れにどこか死を暗示させる。葬儀があったのかとも思わせるが、あくまで暗示に留める。

 花の浮かれた気分で鳴く、何となく物悲しく、それでいて厳粛な気分にさせるのは芭蕉の幻術だ。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「烏」は鳥類。

 

十八句目

 

   花の香に啼ぬ烏の幾群か

 土ほりかへす芋種の穴      惟然

 (花の香に啼ぬ烏の幾群か土ほりかへす芋種の穴)

 

 前年に収穫した里芋は穴に埋めておけば保存でき、翌年の春に種芋として使うことができる。里芋は寒さに弱いため、一メートルくらい深く掘って埋めるという。

 烏も芋があると知っているのか、掘っていると寄ってくる。

 

季語は「芋種」で秋。

二表

十九句目

 

   土ほりかへす芋種の穴

 陽炎に田夫役者の荷の通ル    野明

 (陽炎に田夫役者の荷の通ル土ほりかへす芋種の穴)

 

 畑の土の上には陽炎が揺れ、その中を田舎わたらいをする役者の一行とその荷物が通って行く。

 

季語は「陽炎」で春。「田夫役者」は人倫。

 

二十句目

 

   陽炎に田夫役者の荷の通ル

 いせの噺に料理先だつ      芭蕉

 (陽炎に田夫役者の荷の通ルいせの噺に料理先だつ)

 

 田舎役者の御一行が宿に着くと、まずは料理そっちのけでお伊勢参りの話で盛り上がる。お伊勢参りを兼ねて、これから伊勢で興行するのだろう。

 

無季。神祇。「いせ」は名所、水辺。

 

二十一句目

 

   いせの噺に料理先だつ

 椙の木をすうすと風の吹渡    惟然

 (椙の木をすうすと風の吹渡いせの噺に料理先だつ)

 

 伊勢の神杉(椙)であろう。伊勢の風と言えば神風。

 

無季。「椙(すぎ)」は植物、木類。

 

二十二句目

 

   椙の木をすうすと風の吹渡

 尻もむすばぬ言ぞほぐるる    野明

 (椙の木をすうすと風の吹渡尻もむすばぬ言ぞほぐるる)

 

 「尻を結ぶ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尻を結ぶ」の解説」に、

 

 「しめくくりをつける。後始末をきちんとする。

  ※浮世草子・世間化物気質(1770)五「四十の尻(シリ)をむすびし思案」

 

とある。「ほぐるる」は撚ってあった糸がほどけるように分かれてしまったということか。空しく風がすうすうと吹いてゆく。

 

無季。

 

 この続きは『校本芭蕉全集 第五巻』の宮本注によると、元禄十一年刊松星・夾始編の『記念題』が底本だという。

 

二十三句目

 

   尻もむすばぬ言ぞほぐるる

 膳取を最後に眠る宵の月     露川

 (膳取を最後に眠る宵の月尻もむすばぬ言ぞほぐるる)

 

 露川はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典「沢露川」の解説」に、

 

 「没年:寛保3.8.23(1743.10.10)

  生年:寛文1(1661)

  江戸中期の俳人。一時,渡辺氏。通称,藤原市郎右衛門。別号,月空居士,月空庵,霧山軒など。伊賀友生(三重県上野市)に生まれ,のち名古屋札の辻で数珠商を営む。俳諧は,北村季吟,蘭秀軒(吉田)横船に学んだとも,斎藤如泉門ともいう。のち,松尾芭蕉に入門し,『流川集』を刊行。家業を養子月頂に譲渡した宝永3(1706)年以降,活発な活動を展開する。諸国に31杖するとともに,門弟の拡充をめざして各務支考と論争におよんだこともあった。<参考文献>石田元季「蕉門七部初三集の主要作家」「尾州享保期の俳風」(『俳文学考説』)

  (楠元六男)」

 

とある。大垣の如行も参加しているところから、舞台が嵯峨から中京地区へと移っている。

 芭蕉は落柿舎を出た後膳所の木曽塚無名庵に滞在し、そのあと一度伊賀に戻り奈良を経由して大阪で最期を迎える。どのようないきさつで露川の所にこの途中までの巻が渡ったかはよくわからない。伊賀滞在中に熱田の鷗白が訪ねてきているが、可能性があるとすればその時か。

 もっとも、元禄十一年の発表だから、芭蕉の死後、何らかの形で伝わったと考えた方が良いのかもしれない。

 その露川の句だが、前句が「言」なので、恋に展開する必要はなく、後先考えずに言い争いになって、客が帰っていってしまったのだろう。残された主人が一人膳に付くが、まだ宵だというのにお月見の気分も乗らずにふて寝する。ありそうな展開で、蕉門らしさが感じられる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十四句目

 

   膳取を最後に眠る宵の月

 きりぎりす飛さや糖の中     如行

 (膳取を最後に眠る宵の月きりぎりす飛さや糖の中)

 

 「さや糖」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に「さや糠」とある。籾殻のことで、籾摺の作業に疲れて早く寝たとする。キリギリスはコオロギのことで、籾殻の中にいてもおかしくない。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。

 

二十五句目

 

   きりぎりす飛さや糖の中

 秋もはや伊呂裡こひしく成にけり 松星

 (秋もはや伊呂裡こひしく成にけりきりぎりす飛さや糖の中)

 

 秋も深まれば囲炉裏の火が恋しくなる。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十六句目

 

   秋もはや伊呂裡こひしく成にけり

 合点のゆかぬ雲の出て来る    夾始

 (秋もはや伊呂裡こひしく成にけり合点のゆかぬ雲の出て来る)

 

 秋とは思えないような冬を思わせる雪雲が出てきたということか。

 

無季。「雲」は聳物。

 

二十七句目

 

   合点のゆかぬ雲の出て来る

 脇道をかるう請取うき蔵主    如行

 (脇道をかるう請取うき蔵主合点のゆかぬ雲の出て来る)

 

 蔵主(ざうす)はコトバンクの「デジタル大辞泉「蔵主」の解説」に、

 

 「禅寺の経蔵を管理する僧職。また、その人。」

 

とある。

 脇道は比喩で本業とはちがう報酬くらいの意味だろう。そりゃあ合点が行かない。

 

無季。釈教。「蔵主」は人倫。

 

二十八句目

 

   脇道をかるう請取うき蔵主

 木に抱き付て覗く谷底      露川

 (脇道をかるう請取うき蔵主木に抱き付て覗く谷底)

 

 脇道を文字通りの脇道として、行ったら谷底のとんでもない所に出てしまった。

 こういう展開も蕉門らしさが感じられ、こちらのバージョンは本物と思われる。

 

無季。「木」は植物、木類。「谷底」は山類。

 

二十九句目

 

   木に抱き付て覗く谷底

 仰山になり音立て屋根普請    夾始

 (仰山になり音立て屋根普請木に抱き付て覗く谷底)

 

 谷間に立つ家の屋根普請とする。谷間を覗きながらの作業で昔は安全帯もなかったから命がけの作業だ。

 

無季。

 

三十句目

 

   仰山になり音立て屋根普請

 日やけ畠も上田の出来      松星

 (仰山になり音立て屋根普請日やけ畠も上田の出来)

 

 畑は日照りで痛んでも田んぼの方は上々の出来になりそうなので、屋根の修理をする余裕もある。

 

季語は「日やけ畠」で夏。

二裏

三十一句目

 

   日やけ畠も上田の出来

 夏の夜も明がた冴る笹の露    露川

 (夏の夜も明がた冴る笹の露日やけ畠も上田の出来)

 

 昼の日差しはじりじりと畠を焼くが、明け方には涼しくなり、稲の発育には良い。

 

季語は「夏の夜」で夏、夜分。「笹」は植物で、木類でも草類でもない。「露」は降物。

 

三十二句目

 

   夏の夜も明がた冴る笹の露

 笟かぶりて替どりに行      如行

 (夏の夜も明がた冴る笹の露笟かぶりて替どりに行)

 

 笟は「いかき」と読む。コトバンクの「世界大百科事典内のいかきの言及」に、

 

 「10世紀の《和名抄》は笊籬(そうり)の字をあてて〈むぎすくい〉と読み,麦索(むぎなわ)を煮る籠としているが,15世紀の《下学集》は笊籬を〈いかき〉と読み,味噌漉(みそこし)としている。いまでも京阪では〈いかき〉,東京では〈ざる〉と呼ぶが,語源については〈いかき〉は〈湯かけ〉から,〈ざる〉は〈そうり〉から転じたなどとされる。…」

 

とある。

 「替(かい)どり」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に「水をせきとめて干上らせ魚をとること」とある。

 夏の明け方に、笊を被って魚を獲りに行く。

 

無季。

 

三十三句目

 

   笟かぶりて替どりに行

 隠家は美濃の中でも高須なり   松星

 (隠家は美濃の中でも高須なり笟かぶりて替どりに行)

 

 高須は今の岐阜県海津市高須の辺りであろう。長良川と揖斐川に挟まれている低地水田地帯だ。ウィキペディアによると、高須藩があったが元禄四年に廃藩になり、元禄十三年に松平義行が再び高須藩を起こす。

 この巻の作られたのが元禄七年から十一年の間だから、藩のなかった時代になる。あるいは藩の再興を願ってあえてこの地名を織り込んだか。

 前句の「笊かぶり」を笠に見立てて、笠と対になる蓑を美濃に掛けて展開する。

 

無季。「隠家」は居所。

 

三十四句目

 

   隠家は美濃の中でも高須なり

 此月ずゑに終る楞厳       夾始

 (隠家は美濃の中でも高須なり此月ずゑに終る楞厳)

 

 「楞厳(りょうごん)」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に楞厳会(りゅうごんゑ)のこととあり、楞厳会はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「楞厳会」の解説」に、

 

 「禅宗寺院において安居 (あんご) の期間中の無事を祈るため,毎日仏殿に集って楞厳呪を称える法会。安居の開始に先立ち4月 13日に始り,安居終了の前7月 13日に終る。古くは夜の参禅終了後行われたが,現在は早朝,朝食後あるいは午後など寺院によって異なる。」

 

とある。楞厳呪は楞厳経の巻七から派生した物らしい。

 楞厳経はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「楞厳経」の解説」に、

 

 「大乗仏典の一つ。10巻。詳しくは,《大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経》といい,唐の則天武后の時代(690‐704)に,インド僧般刺蜜帝が南海の制司寺で口訳し,ちょうど流謫中の房融が筆録したとされる。早くより偽経の疑いがあるように,新しく興りつつあった禅や菩薩戒,密教の教義を,仏説の権威を借りて総合的に主張しようとしたものらしい。楞厳とは,クマーラジーバ(鳩摩羅什)訳の《首楞厳三昧経》と同じく,堅固な三昧の意である。」

 

とある。

 楞厳会の期間は時代によっても場所によっても必ずしも一定していたわけではなかったのだろう。それは峰入りの時期の混乱でもわかる。元禄のこの頃の美濃では楞厳会は月末に終っていたのだろう。

 

無季。釈教。

 

三十五句目

 

   此月ずゑに終る楞厳

 むかしから花に日が照雨がふり  如行

 (むかしから花に日が照雨がふり此月ずゑに終る楞厳)

 

 いわゆる「狐の嫁入り」というやつだ。黒沢監督の『夢』にも登場した。

 楞厳会は弥生に行われていて、桜の季節で天候が安定せず、天気雨が降ることもよくあったのだろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「日」は天象。「雨」は降物。

 

挙句

 

   むかしから花に日が照雨がふり

 たらはぬ聲もまじる鶯      主筆

 (むかしから花に日が照雨がふりたらはぬ聲もまじる鶯)

 

 「たらはぬ」というのは最後まで鳴かないということだから、「ホー」だけで終わって最後の「ケキョ」がないということなのだろう。

 春の鶯の声もおかしく、一巻は目出度く終わる。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

二表(2)

 以下は元禄八年の自筆本、杜旭編『ゆずり物』によるという。ネット上の服部直子さんの「月空居士露川年譜稿」によれば、杜旭は露川門だという。

 そうなるとこのもう一つのバージョンを知っていて別バージョンを巻いたのだろうか。あるいは『ゆずり物』が公刊されてなくて自筆本として本人が持っていただけなら、後になってからその存在が知られた可能性もある。

 

二十三句目

 

   尻もむすばぬ恋ぞほぐるる

 うとうとと夜すがら君を負行ク  芭蕉

(うとうとと夜すがら君を負行ク尻もむすばぬ恋ぞほぐるる)

 

 前句の「言」が「恋」になり、恋に転じたことになる。

 「負行ク」は「おひてゆく」。『伊勢物語』第六段芥川の鬼一口であろう。

 『伊勢物語』の場面が思い浮かばなければ「夜すがら君を負行ク」がどういう状況が掴みにくいので、俤よりは本説に近い。

 

無季。恋。「夜すがら」は夜分。「君」は人倫。

 

二十四句目

 

   うとうとと夜すがら君を負行ク

 豆腐仕かける窓間の月      惟然

 (うとうとと夜すがら君を負行ク豆腐仕かける窓間の月)

 

 前句を豆腐屋とするが、やや状況が掴みにくい。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十五句目

 

   豆腐仕かける窓間の月

 うつくしきお堀廻りの薄紅葉   去来

 (うつくしきお堀廻りの薄紅葉豆腐仕かける窓間の月)

 

 紅葉豆腐というのがあるのでその縁であろう。お堀端に豆腐屋があるのか。

 

季語は「薄紅葉」で秋、植物、木類。

 

二十六句目

 

   うつくしきお堀廻りの薄紅葉

 紙羽ひろぐる芝原の露      之道

 (うつくしきお堀廻りの薄紅葉紙羽ひろぐる芝原の露)

 

 紙羽(かっぱ)は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 

 「合羽籠(大名行列に、最後にかついで行く前後二個のかご)の略。」

 

とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「合羽籠」の解説」に、

 

 「〘名〙 大名行列のときなどに、供の人の雨具を入れて下部(しもべ)にになわせた籠。ふたのある二つの籠で、前後を棒でかついだ。また、寺などでは、年末年始に納豆などの贈答品を入れて持ち歩いた。合羽ざる。合羽箱。

  ※俳諧・通し馬(1680)「はやけさの別れは鳥毛挿箱〈西鶴〉 ふりくる泪合羽籠(カッパかご)よぶ〈梅朝〉」

 

とある。

 堀の近くの芝原で合羽駕籠の中身を広げる。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

二十七句目

 

   紙羽ひろぐる芝原の露

 跪ふて湯づけかき込む釜の前   野明

 (跪ふて湯づけかき込む釜の前紙羽ひろぐる芝原の露)

 

 「跪ふて」は「つくばふて」。「湯づけ」はウィキペディアに、

 

 「湯漬け(ゆづけ)とは、コメの飯に熱い湯をかけて食べる食事法、またはその食べ物自体を指す日本の呼称。湯漬け飯(ゆづけめし)の略。湯漬とも表記する。」

 

とあり、

 

 「中世・近世において湯漬け・水飯は、公家・武家を問わずに公式の場で食されることが多かった。そのため、湯漬け・水飯を食べるための礼儀作法が存在した。平安時代に橘広相が撰したとされる『侍中群要』には、湯漬けの出し方について論じた箇所がある。」

 

とある。

 この場合は合羽駕籠を担いでた者が「つくばふて」はおそらく蹲踞の姿勢、俗にうんこ座りと呼ぶ姿勢で、あわただしく掻き込んでたということであろう。

 

無季。

 

二十八句目

 

   跪ふて湯づけかき込む釜の前

 師走の役に立る両がへ      去来

 (跪ふて湯づけかき込む釜の前師走の役に立る両がへ)

 

 湯漬けを掻き込んだところで、ついでに師走の決済のための両替を行う。

 

季語は「師走」で冬。

 

二十九句目

 

   師走の役に立る両がへ

 だぶだぶと水汲入ていさぎ能キ  惟然

 (だぶだぶと水汲入ていさぎ能キ師走の役に立る両がへ)

 

 両替をして水を勢いよく汲む。支払いの潔くということか。

 

無季。

 

三十句目

 

   だぶだぶと水汲入ていさぎ能キ

 松のみどりのすいすいとして   野明

 (だぶだぶと水汲入ていさぎ能キ松のみどりのすいすいとして)

 

 松の脇に水が湧き出ていたか。あるいは井戸があったか。「すいすい」は翠々で青々しているという意味であろう。

 

無季。「松」は植物、木類。

二裏(2)

三十一句目

 

   松のみどりのすいすいとして

 節経のなぐさみに成二人庵    去来

 (節経のなぐさみに成二人庵松のみどりのすいすいとして)

 

 「節経」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 

 「諷経・看経に対してふしをつけてよむ経のこと。一つの庵に二人住むは比丘尼であろう。」

 

とある。

 

無季。釈教。

 

三十二句目

 

   節経のなぐさみに成二人庵

 心きいたる唇の赤さか      惟然

 (節経のなぐさみに成二人庵心きいたる唇の赤さか)

 

 「赤さか」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 

 「赤坂奴(やっこ)の略。江戸時代、槍・挟箱などをもって供をした若党中間で、異体な風俗をしていた。」

 

とある。ウィキペディアには、

 

 「赤坂奴(あかさかやっこ)は、江戸時代、江戸の大名、旗本につかえ、槍持ち、挟箱持ちなどをつとめた若党(わかとう)、中間(ちゅうげん)。「赤坂」の語源については諸説ある。

 寛政年間の赤坂奴について、「百物語」に「あづまの男を見はべりしが、音に聞くに十倍せり。六尺余の男、大鬚を捻ぢ上げ、先づ肌には牛首布の帷子を著、上に太布の渋染に七八百が糊をかひ、馬皮の太帯しつかと締め、熊の皮の長羽織、まつすぐなる大小、十文字に差しこなしたる気色、身の毛もよだつばかりなり」とある。このころ赤坂八幡の祭礼にはこの旗本奴がでて、祭礼を手助けし、江戸の呼び物、名物となった。」

 

とある。

 

無季。「赤さか」は人倫。

 

三十三句目

 

   心きいたる唇の赤さか

 くたびれしきのふの軍物語    野明

 (くたびれしきのふの軍物語心きいたる唇の赤さか)

 

 前句の赤坂奴に軍物語を延々と聞かされてくたびれたということか。

 

無季。

 

三十四句目

 

   くたびれしきのふの軍物語

 髪おしたばね羽織広袖      去来

 (くたびれしきのふの軍物語髪おしたばね羽織広袖)

 

 「広袖」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「広袖」の解説」に、

 

 「① 胴丸、腹巻など、鎧(よろい)の袖の一種。冠(かぶり)の板から菱板(ひしいた)まで、順次裾(すそ)開きに仕立てたもの。

  ※応仁記(15C後)二「黒革縅の腹巻にひろ袖つけ」

  ② 和裁で、袖口の下方を縫い合わせない袖。また、その衣服。どてら・丹前など。ひらそで。

  ※俳諧・鷹筑波(1638)五「むさし野はたた広袖(ヒロそで)の尾花哉〈重供〉」

 

とある。『炭俵』の「早苗舟」の巻四十五句目に、

 

   天満の状をまた忘れけり

 広袖をうへにひつぱる舩の者   孤屋

 

の句がある。

 前句の軍物語をした人の姿か。

 

無季。「羽織広袖」は衣裳。

 

三十五句目

 

   髪おしたばね羽織広袖

 難波なる花の新町まれに来て   惟然

 (難波なる花の新町まれに来て髪おしたばね羽織広袖)

 

 前句を遊郭に通う人の姿とする。ウィキペディアに、

 

 「大坂夏の陣の翌年、1616年(元和2年)に伏見町の浪人とされる木村又次郎が江戸幕府に遊廓の設置を願い出た。候補地となった西成郡下難波村の集落を道頓堀川以南へ移転させ、1627年(寛永4年)に新しく町割をして市中に散在していた遊女屋を集約し、遊廓が設置された。」

 

とある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「難波」は名所。

 

挙句

 

   難波なる花の新町まれに来て

 文に書るる柳山ぶき       野明

 (難波なる花の新町まれに来て文に書るる柳山ぶき)

 

 遊郭で文を書く。柳や山吹のことを書き記して一巻は目出度く終わる。

 

季語は「柳」で秋、植物、木類。「山ぶき」は植物、草類。