初表
さみだれをあつめてすずしもがみ川 芭蕉
岸にほたるを繋ぐ舟杭 一榮
瓜ばたけいさよふ空に影まちて 曾良
里をむかひに桑のほそみち 川水
うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ 一榮
水雲重しふところの吟 芭蕉
初裏
侘笠をまくらに立てやまおろし 川水
松むすびをく國のさかひめ 曾良
永樂の古き寺領を戴て 芭蕉
夢とあはする大鷹の紙 一榮
たきものの名を暁とかこちたる 曾良
つま紅粉うつる双六の石 川水
巻あぐる簾にちごのはひ入て 一榮
煩ふひとに告るあきかぜ 芭蕉
水替る井手の月こそ哀なれ 川水
きぬたうちとてえらび出さる 曾良
花の後花を織らする花筵 一榮
ねはむいとなむ山かげの塔 川水
二表
穢多村はうきよの外の春富て 芭蕉
かたながりする甲斐の一乱 曾良
葎垣人も通らぬ関所 川水
もの書たびに削るまつかぜ 一榮
星祭る髪はしらがのかかるまで 曾良
集に遊女の名をとむる月 芭蕉
鹿笛にもらふもおかし塗あしだ 一榮
柴売に出て家路わするる 川水
ねぶた咲木陰を昼のかげろひに 芭蕉
たっだえならす千日のかね 曾良
古里の友かと跡をふりかへし 川水
ことば論する舟の乗合 一榮
二裏
雪みぞれ師走の市の名残とて 曾良
煤掃の日を草庵の客 芭蕉
無人を古き懐帋にかぞへられ 一榮
やもめがらすのまよふ入逢 川水
平包あすもこゆべき峯の花 芭蕉
山田の種をいはふむらさめ 曾良
参考;『校本 芭蕉全集 第四巻』1988、富士見書房
『「奥の細道歌仙」評釈』大林信爾編、1996、沖積社
さみだれをあつめてすずしもがみ川 芭蕉
『奥の細道』の旅の途中、旧暦5月27日に山寺立石寺
翌28日。発句
発句
後に、
五月雨
と改作し、『奥の細道』の中の一句として有名になった。
「五月雨
さみだれをあつめてすずしもがみ川
岸
(さみだれをあつめてすずしもがみ川
句は「岸
芭蕉
同じ『奥の細道』の須賀川での興行
隠家
稀
という句があり、芭蕉
「螢
岸
瓜
(瓜
「瓜
『奥の細道』の旅でも、金沢の一笑の初盆の句として、
ある草庵
秋涼
の句を詠んでいる。
ただ、「瓜
句としては「いさよふ空
十六夜の月
「瓜ばたけ」は夏
瓜
里
(瓜
「瓜ばたけ」に「桑のほそみち」と対句っぽく取り合わせる付け方を「向え付け」古くは「相対付け」と呼ばれた。
4句目は軽く流すということで、近景の瓜畑に遠景の桑畑をあしらう。
さて、ここまで終ったところで、この四人は向川寺
無季。「里」は居所
里
うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ 一榮
(うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ里
さて、夜になり、俳諧
昔は桑の葉を家畜の飼料にしたという。少なくとも「桑」と「牛」の縁は他に見当たらない。
牛というと、当時は牧童の牽く牛の絵が好んで描かれた。雪舟の『牧牛図』は有名だが、「牧牛図」「牧童図」は画題としては定番だった。禅では牧童は修行者に、牛は心に例えられ、あらぶる牛を手名づける牧童に克己の心を重ね合わせて鑑賞した。
夕間暮れというのは寂しいもので、桑畑の細道は人影もない。小さな牛であっても一緒に歩いてゆけば、心も静まる。それは「騎牛帰家」(http://www5.ocn.ne.jp/~mazuchk/06kigyukika.htmを参照)の心か。
しかし、牛は子牛で、桑の葉をむしゃむしゃと食べ、文字通り道草を食っていたか。ここに俳諧
無季。「牛の子」は獣類。
うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ
水雲
(うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ水雲
水雲はこの場合「もずく」のことではない。「雲水」と同様、雲や水のように流れさすらう者のことを言う。「片雲
前句を修行僧の視点で見て、乞食僧になりはて、故郷なき放浪の旅の苦しさを、しばし牛の子を見ては、十牛図の頌を口ずさみ、自らの煩悩を静めるか。
無季。「旅」。「水雲」が雲そのものを指すのでないなら聳物
水雲
侘笠
(侘笠
「水雲僧」に「侘び笠」とお約束の付け合い。
いざここにこよひはさ寝
山
西園寺実氏
の歌もあるが、笠を立てて山おろしをしのぐというところに俳諧
無季。「旅」。「笠」は衣装。「枕」は夜分。第三
侘笠
松
(侘笠
『万葉集
有間皇子
松
岩代
ま幸
家
旅
という歌がある。
これは辞世であり、もう二度と帰ってこないとわかっていても、和歌
曾良
神道家の岩波庄右衛門のことだから、そこまで考えていたかもしれない。
無季。「離別」。
松
永樂
(永樂
明
日韓の国交も回復され、中国とは勘合貿易
永楽帝の古い時代から受け継がれてきた寺領のことだから、何かその境界に松を結んだりしてもおかしくない。そういう空想による付けで、別に史実があるというわけではないから、本説ではない。
無季。「寺領」は釈教。
永樂
夢
(永樂
「大鷹の紙」は本当は「大高の紙」なのだろう。楮
前句
無季。「夢
夢
たきものの名
(たきものの名
前句
大鷹をあしらった懐紙に書かれた恋文は、「暁
無季。恋
たきものの名
つま紅粉
(たきものの名
世が明けるまで「暁
双六
無季。「つま紅粉
つま紅粉
巻
(巻
稚児は少年の修行僧で、髪を生やし、女装する場合もあった。双六
ここで、何だ男だったのか、という落ちになるのか、それとも稚児といえばそっちの趣味?
無季。「簾」は居所。「稚児」は人倫。
巻
煩
(巻
稚児ネタは芭蕉
簾
「あきかぜ」は秋。そして、定座
煩
水替
(水替
今の京都府綴喜郡井手町を流れる玉川は、かつて「井手の玉水」と呼ばれ、山吹の名所だった。
「水替る」というのは、水流が変わったということではなく、春夏秋と季節の変化とともに流れる水も冷たくなったという意味だろう。
かつて山吹が咲き乱れ、蛙が鳴いていた温かな水も、今は秋となり月
こうした時の流れの無常の中で、人も年老い、やがて病に臥せり、秋風を聞く。
「月
水替
きぬたうちとてえらび出
(水替
さて、秋
砧
からごろも打
まだねぬ人
紀貫之
み吉野
古里寒
などの歌がある。
ところで、「きぬたうちとてえらび出
やや苦しい展開ではあるが、次が花
「きぬた」は秋
きぬたうちとてえらび出
花
(花
砧
「花筵
「きぬたうち」とはいっても、そういう専門の職人がいるわけでもなく、普通の庶民の女だから、こうした人たちが副業で花茣蓙
花が散ってしまったあとでも花筵
「花
花
ねはむいとなむ山
(花
「涅槃」はニルヴァーナのことで、煩悩滅却した境地を言うのだが、実際にはお釈迦様の死を美化した言い方として用いられてきた。多くの弟子たちだけでなく森の動物までもが集ってきて、安らかに眠るお釈迦様の周りを取り囲む『釈迦涅槃図』は、数多く描かれている。
ここで「ねはむいとなむ」というのは、釈迦入滅の日とされる旧暦2月15日に行なわれる法会
涅槃会には人が集るから、お堂に花筵
「ねはん」は春
ねはむいとなむ山
穢多村
(穢多村
穢多
こうした観点からこの句を読むと、穢多
実際の穢多
江戸時代には一般の寺と区別して穢多寺(浄土真宗の寺が多いというが、必ずしも浄土真宗とは限らない)がこうした被差別民に押し付けられていった。裕福な穢多が立派な仏舎利の立つお寺で、涅槃会を営むこともあったのだろう。
ただ、自らの差別の理由となっている宗教で、今度は穢多に生れないことを祈るというのは、何か変な感じがする。この種の問題はまだまだ多くの闇に包まれているのだろう。
「春
穢多村
かたながりする甲斐
(穢多村
一説には穢多
戦国時代に穢多
反乱があれば、それを鎮圧するために刀狩が行なわれる。案外それを実際に行ったのは穢多村
無季。
かたながりする甲斐
葎垣
(葎垣
「乱世」と「関」は付け合い。これは、
人
あれにし後
藤原良経
のイメージで、中世や近世の人にとっては保元
前句
「葎
「葎
葎垣
もの書
(葎垣
八重葎
曾良
無季。「松風」は木類。
もの書
星祭
(星祭
前句
この句は謡曲『関寺小町
関寺
星祭をすれば、すっかり白髪になるまで歌を詠み、歌を書き記すたびに悲しげな松風が髪を梳
「星祭
星祭
集
(星祭
勅撰集に遊女の名を残すと言うと、西行と歌を交わした江口の君が有名だが、ここはそれではなく、『後撰集
年
みづはくむまで老
檜垣
星祭
「月
集
鹿笛
(鹿笛
句の意味は『徒然草
「塗り足駄」というのは、女性用の漆塗りの黒い下駄のことで、これで鹿笛(鹿狩り用の、雌の発情の声を真似て牡鹿を呼び寄せるための笛)を作るというのは、考えようによっては結構シュールだ。多分下駄をプレゼントされた時に、これで笛を作ると男が寄ってくるよ、なんて言われたのだろう。
前句
「鹿笛」は秋
鹿笛
柴売
(鹿笛
「鹿笛」=猟師、その副業の柴売りという連想だろう。柴を売って鹿笛を買うはずだったのが、町でしこたま酒を飲んですっかり酔っぱらってしまい、なぜか手には女物の塗り下駄が。
無季。
柴売
ねぶた咲
(ねぶた咲
「ねぶた」は合歓
合歓の木の木陰で休んでいると、その花
「ねぶた=ねむた」のような「B」と「M」の交替は多くの例がある。「けむる=けぶる」「とむらう=とぶらう」「すさみ=すさび」など。
「ねぶた咲く」は夏
ねぶた咲
たえだえならす千日
(ねぶた咲
「千日のかね」は千日講の鐘のことか。千日講は千日の間法華経を読む法会で、本当に千日やるのかどうかはよくわからないが、普通の人なら半日でも眠くなりそうだ。
無季。「千日のかね」は釈教。
たえだえならす千日
古里
(古里
前句
千日参りは一回で神社に千日お参りしたのと同じ功徳があるという大変お得なお参りで、多くの参拝者を集めた。
「ふりかえし」は「ふりかえり」のこと。「り」と「し」の交替は現代の口語でもしばしば見られる。「やっぱり=やっぱし」「ばっちり=ばっちし」など。
無季。「友」は人倫。
古里
ことば論
(古里
渡し舟や乗合船は乗せることのできる総重量が限られていて、人やら荷物やら馬やらが一緒くたに乗ると、どれを優先的に運ぶか口論になったりする。『西行物語』の、西行法師が天竜川の渡し舟に乗ろうとしたとき、武士の一団が乗り込んできて船の喫水がかなり深くなったため、あの法師おりよおりよ、と武士たちが騒ぎ出し、よくあることだと思ってしかとしてたら、いきなり鞭で叩かれて血だらけになって船を下りたというエピソード(本当かどうかは知らない)もある。
声を荒げてまくし立てている声を聞いていると、どこかで聞いたような声、何だ○○ではないか。ひさしぶりだなあ、というところか。
無季。「舟」は水辺。
ことば論
雪
(雪
前句
市場が一番忙しくなる、師走も暮れの押し迫った頃、この頃には雪や霙
下京
だ。聞こえてくる口論の声も街に活気のある印。
「師走」は冬。「雪
雪
煤掃
(雪
昔は家の中の物も少なく、大掃除といってもはたき掛けが主だった。そんなに重労働でもなく、むしろ一年の打ち上げのお祭りのようなものと言った方がいいのかもしれない。それも人がたくさんいる商家などの話。
草庵の一人暮らしの者にとって、煤払いも一人淋しく行なわなくてはならない。そんなときにお客さんが来てくれれば、それはそれは嬉しいもの。どうせ小さな草庵のこと、掃除はあっという間に終って、あとは酒でも、ということになりそうだ。
「煤掃
煤掃
無人
(無人
煤払いの時に古いメモ紙(懐紙)を整理していると、そこに死んだ人の名前を見つけ、ついつい懐かしく、その人のことを思い出す。それを「客」とした。
「懐紙」は連句を記す紙のこともいうので、それは俳諧
大掃除をしていると昔懐かしいものが出てきて、ついつい手を止めてしまうのはよくあること。
無季。
無人
やもめがらすのまよふ入逢
(無人
「やもめがらす」は「病眼鴉」と書く。「寡婦鴉」ではない。眼を病み、昼夜の区別が付かずに夜中に鳴くカラスをいう。
ただ、この句の場合、曾良
故人をメモ書きに数えられて、そこから夫を失った寡婦を連想し、夜鳴くやもめ烏のように悲しげに泣きながら途方に暮れる姿を、夕暮れの入相
帰る塒
無季。「からす」は鳥類。
やもめがらすのまよふ入逢
平包
(平包
「やもめがらす」を男やもめの方として、妻を失い出家した旅の僧侶としたか。僧は黒づくめなので「からす」に例えられる。
簡単な風呂敷包み一つで、山桜の咲く峯を越えてゆく。行き先は吉野か高野山か。
「花
平包
山田
(平包
山桜の咲く頃、峯を越す道であればそこには山田があり、苗代には種蒔きも行なわれている。
しかし、これは単なる景色
「山田の種」は「種蒔き」のことで春