「風流の」の巻、解説

元禄二年四月二十三日、須賀川等躬宅興行

初表

 風流の初めやおくの田植歌     芭蕉

    覆盆子を折て我まうけ草   等躬

 水せきて昼寝の石やなをすらん   曾良

    籮に鮇の聲生かす也     芭蕉

 一葉して月に益なき川柳      等躬

    雇にやねふく村ぞ秋なる   曾良

 

初裏

 賤の女が上総念仏に茶を汲みて   芭蕉

    世のたのしやとすずむ敷もの 等躬

 有時は蝉にも夢の入ぬらん     曾良

    樟の小枝に戀をへだてて   芭蕉

 恨みては嫁が畑の名もにくし    等躬

    霜降山や白髪おもかげ    曾良

 酒盛りは軍を送る関に来て     芭蕉

    秋をしる身とものよみし僧  等躬

 更ル夜の壁突破る鹿の角      曾良

    嶋の御伽の泣ふせる月    芭蕉

 色々の祈を花にこもりゐて     等躬

    かなしき骨をつなぐ糸遊   曾良

 

 

二表

 山鳥の尾にをくとしやむかふらん  芭蕉

    芹掘ばかり清水つめたき   等躬

 薪引雪車一筋の跡有て       曾良

    をのをの武士の冬籠る宿   芭蕉

 筆とらぬ物ゆへ戀の世にあはず   等躬

    宮にめされしうき名はづかし 曾良

 手枕にほそき肱をさし入て     芭蕉

    何やら事のたらぬ七夕    等躬

 住かへる宿の柱の月を見よ     曾良

    薄あからむ六条が髪     芭蕉

 切樒枝うるささに撰残し      等躬

    太山つぐみの聲ぞ時雨るる  曾良

 

二裏

 さびしさや湯守も寒くなるままに  芭蕉

    殺生石の下はしる水     等躬

 花遠き馬に遊行を導きて      曾良

    酒のまよひのさむる春風   芭蕉

 六十の後こそ人の正月なれ     等躬

    蚕飼する屋に小袖かさなる  曾良

     参考;『校本 芭蕉全集 第四巻』1988、富士見書房

初表

発句

 風流ふうりうはじめめやおくの田植歌たうゑうた      芭蕉ばせを

 「風流」は俳諧と同義。風流(=俳諧興行)の始まりは、みちのくのひなびた田植え歌の興にしましょうか。芭蕉が『奥の細道』の旅の途中、須賀川の等躬のもとを尋ねた時の発句。

 

「田植え」は夏。

脇句

    風流ふうりうはじめめやおくの田植歌たうゑうた
 覆盆子いちごをつわがまうけぐさ  等躬とうきう

 (風流ふうりうはじめめやおくの田植歌たうゑうた覆盆子いちごをつわがまうけぐさ

 

 当時のイチゴは野イチゴのこと。田舎ではありふれたものだが、摘むには手間がかかる。「まうけ」は「設け」で、準備のこと。「まうけ草」は造語で、「草」は「種(くさ)」に同じ。準備されたご馳走のこと。発句の「田植え歌」のひなびた雰囲気に、「野イチゴ」で応じる。
 風流(俳諧興行)の始まりは田植え歌の興で始めましょうか、イチゴを折って私からのもてなしの品とします。

 

覆盆子いちご」は夏。草類。

第三

    覆盆子いちごをつわがまうけぐさ
 みづせきて昼寝ひるねいしやなをすらん   曾良そら

みづせきて昼寝ひるねいしやなをすらん覆盆子いちごをつわがまうけぐさ

 

 「漱石枕流そうせきちんる」というのは、しんの国の孫楚そんそという人が、「枕石漱流ちんせきそうる」つまり、石を枕にして流れに口をそそぐと言うべきところを、まちがえて逆に言ってしまったもので、それを人に突っ込まれると、「石で口をそそいで虫歯を防ぎ、流れに枕して耳を洗うんだ」と答えたという。強情で、自分の非を認めたがらないことの例えとされ、夏目漱石のペンネームもそこから来ている。
 前句の「覆盆子いちごをつて」を食べるためではなく、石の位置を変えて昼寝の準備をするためと取り成し、さらに流れに口をそそぐのではなく、水を堰き止めるとする。出典のある言葉をもとに、かなりひねった第三だ。

 

無季。「水」は水辺。

四句目

    みづせきて昼寝ひるねいしやなをすらん
 びくかじか聲生こゑいかすなり     芭蕉ばせを

みづせきて昼寝ひるねいしやなをすらんびくかじか聲生こゑいかすなり

 

 前句の「らん」を推量から反語に取り成す。水を堰き止めて昼寝の枕の石を直すのだろうか。いやそうではない、水を堰てカジカを捕らえて魚籠びくに入れるためだとする。

 

かじか」は秋。水辺。

五句目

    びくかじか聲生こゑいかすなり
 一葉ひとはしてつきやくなき川柳かはやなぎ      等躬とうきう

一葉ひとはしてつきやくなき川柳かはやなぎびくかじか聲生こゑいかすなり

 

 「一葉ひとはして」は一葉落ちての意味。全部葉が落ちてしまったわけではなく、散り始めの意味。葉が落ち始めたから月に益なきという意味ではなく、川柳自体が月と組み合わされることなく、益なきとされていることをいう。月に益なき川柳も、一葉落ちてびくの中に落ちて浮かぶことで、捕らわれたかじかも生き返ったようになる。というのも、柳の葉はささがに(蜘蛛)を乗せて極楽浄土へ渡すというからで、ここではかじかの成仏を助けるのだろう。

 

「月」は秋。夜分。天象。「川柳」は木類。水辺。脇の「イチゴ」は草類で異植物だから、二句隔てるだけでよい。また、「水」「かじか」「川柳」と水辺が三句続くが、「水」は水辺の体で、「かじか」「川柳」は水辺の用だから、輪廻にはならない。

六句目

    一葉ひとはしてつきやくなき川柳かはやなぎ
 ゆひにやねふくむらあきなる     曾良そら

一葉ひとはしてつきやくなき川柳かはやなぎゆひにやねふくむらあきなる)

 

 前句を「一葉して月に」で区切って、月の下に益のない川柳があるとし、旅人の休む柳の用がなくなったのは、村人の協力(ゆひ)のもとに家が建てられ、旅人がしばらくそこに住むことになったからだ。

 

「秋」は秋。「屋根」「村」は居所。 

 

 

初裏

七句目

    ゆひにやねふくむらあきなる
 しづ上総念仏かづさねぶつちゃみて   芭蕉ばせを

しづ上総念仏かづさねぶつちゃみてゆひにやねふくむらあきなる)

 

 だいぶ年代は下るが、一茶の『七番日記』に、

 なの花に上総念仏のけいこ哉   一茶

という句があるところから、上総念仏は稽古を要する高度な朗唱だったのだろう。それに鉦や太鼓も加わり、仏道にかこつけてアマチュアのミュージシャンとして楽しんでいたのではなかったか。
 みんなで集まって稽古をしていると、お茶を出してくれる人がいる、そんな平和な村だから、みんなで協力し合って屋根の葺き替えも行う。

 

無季。「しづ」は人倫。「上総念仏かづさねぶつ」は釈教。

八句目

    しづ上総念仏かづさねぶつちゃみて
 のたのしやとすずむしきもの      等躬とうきう

しづ上総念仏かづさねぶつちゃみてのたのしやとすずむしきもの)

 

 「のたのしやとしきものにすずむ」の倒置で、敷物が涼むわけではない。お茶を勧められた上総念仏の人たちが、まあまあ人生働いてばかりじゃしょうがない、楽しもうじゃないかと言っては、お茶を運んできた女も敷物の上に座らせ、一緒に夕涼みと洒落込む。

 

「すずむ」は夏。

九句目

    のたのしやとすずむしきもの
 有時あるときせみにもゆめいりぬらん   曾良そら

有時あるときせみにもゆめいりぬらんのたのしやとすずむしきもの)

 

 ござを敷いて板の間に夕涼みをしていれば、うとうとと眠くなり、間断なく鳴くヒグラシの声がいつしか夢に誘う。

 

「蝉」は夏。虫類。

十句目

    有時あるときせみにもゆめいりぬらん
 くす小枝こえだこひをへだてて      芭蕉ばせを

有時あるときせみにもゆめいりぬらんくす小枝こえだこひをへだてて)

 

 「せみにもゆめいりぬ」を蝉の声が夢に入ってくるのではなく、鳴く蝉も夢を見るというふうに取り成す。
 蝉もちがう小枝にとまっている蝉に恋をして悲しげに鳴いているのだろうか。楠は大木になり、枝と枝の数も多く、枝と枝の間は結構距離がある。

 和泉いづみなる信太しのだの森のくすのきの
    千枝ちえにわかれてものをこそ思へ
                  (詠み人知らず『夫木抄』)

に出典がある。

 

 

無季。恋。「くす小枝こえだ」は木類。

十一句目

    くす小枝こえだこひをへだてて
 うらみてはよめはたけもにくし    等躬とうきう

うらみてはよめはたけもにくしくす小枝こえだこひをへだてて)

 

 これは嫁との別居だろうか。かつては愛し合った夫婦なのだろうが、いろいろ事情があって嫁は実家に帰ってしまったのだろう。とはいえ小さな村のことだと、楠越しにすぐ向こうは嫁の実家の畑だったりする。
 江戸時代は家の力が強かったとはいえ、その分親子の絆も強かったから、こんな家には嫁にやれないとなれば、親が嫁を呼び戻してしまうこともよくあり、結構離婚率が高かったという。

 

無季。恋。「嫁」は人倫。

十二句目

    うらみてはよめはたけもにくし
 霜降山しもふるやま白髪しらがおもかげ    曾良そら

うらみてはよめはたけもにくし霜降山しもふるやま白髪しらがおもかげ)

 

 前句を息子を嫁に取られた姑の情と取り成す。すっかり葉が落ち、草も枯れた山に、霜が降りて白くなってゆくように、自分の頭に白髪が増えたのを思う。

 

「霜」は冬。降物。「山」は山類。

十三句目

    霜降山しもふるやま白髪しらがおもかげ
 酒盛さかもりはいくさおくせきて     芭蕉ばせを

酒盛さかもりはいくさおくせき霜降山しもふるやま白髪しらがおもかげ)

 

 前句をの霜降り山の白髪を、老いた武将の面影とする。勇ましい出陣というよりは、敗軍の白河の関を越えて落ち延びてゆく風情だろう。謡曲『摂待』のような、義経や弁慶とともに落ち延びる兼房の姿だろうか。
 芭蕉はこの後『奥の細道』の旅で、謡曲『摂待』の舞台となった佐藤庄司の旧跡を訪ねるし、平泉では曾良が、

 卯の花に兼房かねふさみゆる白毛しらがかな   曾良

の句を詠むことになる。

 

無季。

十四句目

    酒盛さかもりはいくさおくせき
 あきをしるとものよみしさう  等躬とうきう

酒盛さかもりはいくさおくせきあきをしるとものよみしさう

 

 これは僧が秋を知っているということではなく、関を越えて勇んでゆく兵士に、春があれば必ず秋が来るように、生あれば必ず死があることを知らしめていると読むべきだろう。
 関といえば逢坂の関で琵琶を弾きながら歌っていた、今で言えばストリートミュージシャンとでもいうべき蝉丸のことも思い浮かぶ。

 秋風になびく浅茅のすゑごとに
    おく白露のあはれ世のなか
               (蝉丸『新古今集』)

 

「秋」は秋。「身」は人倫。「僧」は釈教。

十五句目

    あきをしるとものよみしさう
 ふく壁突破かべつきやぶ鹿しかつの      曾良そら

ふく壁突破かべつきやぶ鹿しかつのあきをしるとものよみしさう

 

 「秋を知る」というと、

 もみぢせぬときはの山にすむ鹿は
    おのれなきてや秋をしるらん
                (大中臣能宣おおなかとみのよしのぶ『拾遺集』)

などの歌の縁で、鹿の登場となる。
 山奥の粗末な草庵で侘び住まいをする僧に、鹿の声ではあまりに月並だということで、鹿に壁を突き破らせて俳諧とした。鹿の角で穴があくほど粗末な庵という含みもある。

 

「鹿」は秋。獣類。「ふく」は夜分。

十六句目

    ふく壁突破かべつきやぶ鹿しかつの
 しま御伽おとぎなきふせるつき    芭蕉ばせを

ふく壁突破かべつきやぶ鹿しかつのしま御伽おとぎなきふせるつき

 

 「しま御伽おとぎ」というのは、いわゆる大名などに仕える御伽衆のことではなく、お通夜や庚申待ちなどで夜通し起きていなければならない時に、眠くならないように面白い話をすることであろう。いわゆる「夜伽」のことではないかと思われる。それなら、小さな離れ小島でもおかしくない。
 悲しい話をしていてみんなが泣き臥せっている時に、突然鹿が壁を突き破って、壁にあいた穴から月が見える。末尾の月は定座などで無理に月を出すときによくある「放り込み」だが、壁が壊れての月ならば理由のないことではない。

 

「月」は秋。夜分。天象。「嶋」は水辺。「御伽」はここでは人物を指すわけではないので、人倫にはならない。

十七句目

    しま御伽おとぎなきふせるつき
 色々いろいろいのりはなにこもりゐて     等躬とうきう

色々いろいろいのりはなにこもりゐてしま御伽おとぎなきふせるつき

 

 「御伽」が御伽衆のことではなく、夜伽のことであれば、これは庚申待ちか何かの情景だろう。
 庚申待ちというのは、60日に一度訪れる庚申かのえねさるの日は、体の中の三尸さんしの虫が天帝に人間の罪を報告して、寿命を削らせると言うので、三尸さんしの虫が体から出られないように、夜通し起きているというもの。
 この習慣は、元来道教に由来するものだが、日本では青面金剛や猿田彦や道祖神信仰などとも習合し、庚申様という神様として祭られている。
 たまたまその庚申かのえねさるの日が、桜の満開の季節と重なることもあっただろう。大勢で堂にこもって物語でもしながら、みんなの祈る気持ちとともに夜は明けてゆく。

 

「花」は春。植物。「祈り」は特定の宗教に限るものでないため、神祇や釈教にはならない。

十八句目

    色々いろいろいのりはなにこもりゐて
 かなしきほねをつなぐ糸遊いという   曾良そら

色々いろいろいのりはなにこもりゐてかなしきほねをつなぐ糸遊いという

 

 「花にこもる」を喪に服することだとして、墓石にゆらゆら揺れる陽炎を見ては、骨となった故人の面影をつなぐ。

 

「糸遊」は春。哀傷。

名表

十九句目

    かなしきほねをつなぐ糸遊いという
 山鳥やまどりにをくとしやむかふらん  芭蕉ばせを

山鳥やまどりにをくとしやむかふらんかなしきほねをつなぐ糸遊いという

 

 これは謎句だろうか。『雪まろげ』には「尾におくとりや」とあり、『幽蘭』には「尾にをしどりや」とあるが、ただ、この句形だと前者は季語が入らないし、後者は「オシドリ」で冬の句となってしまう。おそらく、江戸時代の人もこの句には相当首をひねったのだろう。一句としての意味も謎めいているし、まして前句と付いてもどこでどう付いているのかわからない。
 「を」と「お」は当時既に区別が曖昧になっていたから、これは「く」ではなく「く」でいいのだろう。とすると、これを謎句(なぞなぞの句)とみて、大胆に一つの答を出してみよう。
 まず、「山鳥の尾に置く」だが、これは「山鳥の尾に置く枕詞」ではなかったか。つまり、この句は、「足引きの年や迎ふらん」ではなかったか。これに下句をつなぐと

 足引きの年や迎ふらんかなしきほねをつなぐ糸遊いという

つまり、足を骨折した人が新しい年を迎え、添え木をしたりして一生懸命骨をつないでいるというのが句の意味で、最後に「つなぐ」の縁で糸遊のように幽かな望みで、と結ぶとすればどうだろうか。
 とりあえず、もっといい答えを知るまでは、暫定的にこの解釈にしておく。  

 

「年や迎ふ」は春。今日では晩春から初春への季移りを、季戻りといって嫌うが、当時はそのような習慣はなかった。「山鳥」は鳥類。

二十句目

    山鳥やまどりにをくとしやむかふらん
 芹掘せりほりばかり清水しみづつめたき   等躬とうきう

山鳥やまどりにをくとしやむかふらん芹掘せりほりばかり清水しみづつめたき)

 

 新しい年を迎え、正月の最初の子の日には野に出て小松の根を引き抜いては無病息災を祈り、若菜を摘んでは春を祝った。
 ところで、先の「山鳥の尾に置く=足引き」という解釈が正しいとすれば、野に出ても急な坂は登れず、小松の根を引き抜く力も入らないから、低地の水辺でただセリを摘むばかりと、一応辻褄は合う。

 

「芹」は春。草類。「花」とは異植物なため、当時の俳諧のルールでは二句去りで良い。「清水」は水辺。これも同じ水辺の「嶋」から三句隔たっているため、問題はない。

二十一句目

    芹掘せりほりばかり清水しみづつめたき
 薪引たきぎひく雪車そり一筋ひとすぢ跡有あとありて       曾良そら

薪引たきぎひく雪車そり一筋ひとすぢ跡有あとあり芹掘せりほりばかり清水しみづつめたき)

 

 「芹掘せりほり」を、雪が積もった中から埋もれた芹を掘り出すこととした。農夫の姿が絵に浮かぶ。

 

「雪車」は冬。

二十二句目

    薪引たきぎひく雪車そり一筋ひとすぢ跡有あとあり
 をのをの武士ぶし冬籠ふゆごも宿やど   芭蕉ばせを

薪引たきぎひく雪車そり一筋ひとすぢ跡有あとありてをのをの武士ぶし冬籠ふゆごも宿やど

 

 「武士」のような身分の高い人を戯画化して揶揄するのは庶民感情の常。そういうのも俳諧の精神の一つと言えよう。
 参勤交代で、行列を作り、宿場を占領してゆく武士は、一般の旅人からすれば迷惑なもの。その上、近代の修学旅行生のように、若い衆は他の藩の若い衆にガンを飛ばしたり喧嘩したりと、とかく騒がしいもの。
 しかし、雪で寒い日は根性がないのか、みんな宿に閉じこもって静かにしている。

 

「冬籠り」は冬。羇旅。「武士」は人倫。

二十三句目

    をのをの武士ぶし冬籠ふゆごも宿やど
 ふでとらぬものゆへこひにあはず   等躬とうきう

ふでとらぬものゆへこひにあはずをのをの武士ぶし冬籠ふゆごも宿やど

 

 江戸時代の武士は軍人というよりは官僚と言った方がいい。公式文書はすべて漢文だから、筆が使えなければ話にならない。「ふでとらぬものゆへ」というのは、字が書けないという意味ではなく、あくまで恋文を書いたりする習慣がないという意味。
 「恋の世」とはいっても、江戸時代のことだから遊郭のことだろう。雪で閉ざされてしまうと、遊女に文をやるでもなく、みんな宿にこもって悶々としている。

 

無季。恋。

二十四句目

    ふでとらぬものゆへこひにあはず
 みやにめされしうきはづかし 曾良そら

ふでとらぬものゆへこひにあはずみやにめされしうきはづかし)

 

 これは『源氏物語』ネタ。基本的に『源氏物語』というのは、あちこちにいる女性を宮に集めてくる話だから、誰でも当てはまりそうではある。
 ここでは空蝉のこととしてどうだろうか。空蝉が夫とともに常陸に下っている間に光源氏も須磨に隠棲することとなり、便りもしたためることもできなかったが、やがて源氏も京に戻り、空蝉も夫の常陸の介の任務が終って京に上るとき、逢坂の関で再会した。
 源氏は空蝉に熱烈な手紙を送り、空蝉の心も動くが、すぐに常陸の介が亡くなり、継子の河内の守に言い寄られて、悩んだ挙句出家し、最終的には空蝉は二条東院に引き取られることになる。

 

無季。恋。「宮」は居所ではない。

二十五句目

    みやにめされしうきはづかし
 手枕たまくらにほそきかひなをさしいれて     芭蕉ばせを

手枕たまくらにほそきかひなをさしいれみやにめされしうきはづかし)

 

 これは、

 春の夜の夢ばかりなる手枕に
    かひなくたたむ名こそおしけれ
              周防内侍すおうのないし

を本歌にした逃げ句。
 「かひな」が「かいなく」に掛かる。

 

無季。恋。

二十六句目

    手枕たまくらにほそきかひなをさしいれ
 なにやらことのたらぬ七夕たなばた    等躬とうきう

手枕たまくらにほそきかひなをさしいれなにやらことのたらぬ七夕たなばた

 

 前句を恋の場面ではなく一人寝の場面とした。七夕だというのに、やることのない独り者。

 

「七夕」は秋。

二十七句目

    なにやらことのたらぬ七夕たなばた
 すみかへる宿やどはしらつきよ     曾良そら

すみかへる宿やどはしらつきなにやらことのたらぬ七夕たなばた

 

 新居に引っ越してきたばかりだと、まだ部屋の中ががらんとしていて殺風景なもの。

 

「月」は秋。夜分。天象。

二十八句目

    すみかへる宿やどはしらつき
 すすきあからむ六条ろくでうかみ     芭蕉ばせを

すみかへる宿やどはしらつきすすきあからむ六条ろくでうかみ

 

 三句去りでまたしても源氏ネタになる。
 加茂の祭りの時の牛車ぎっしゃの駐車場争いで、源氏の君も行列に参加するというので急遽葵の上の御一行が見物にやってきた時に、先に来て止まってた六条御息所ろくじょうみやすどころの車が邪魔だとばかりに放り出される、いわゆる「車争い」の事件があった。

 その葵の上の出産の時に祈祷師たちが、たくさんの物の怪の取り憑く中でどうしても立ち去らない物の怪が一人いて、源氏の君はもう助からないと思って葵の上と二人きりになっていまわの言葉を聞こうとすると、どうも言ってることがおかしい。源氏の君はそれを六条御息所だと思う。

 その時六条御息所は祈祷の際に焚くことの多い護摩の芥子の香が髪に染み付いて取れなくて困っていたといったことが描写されている。
 この句はこのことをふまえた本説による句で、本説付けの常として必ず少し変えることで単なるパクリではないということにする。ここでは髪に芥子の香が染み付くのではなく、薄が赤らむように色を変えるというふうに変えている。

 六条御息所もまたその頃辺鄙な所へ行って密教の御修法を受けていたから、「住みかへる宿の」に付く。

 

「薄」は秋。草類。

二十九句目

    すすきあからむ六条ろくでうかみ
 切樒きりしきみえだうるささに撰残えりのこし      等躬とうきう

切樒きりしきみえだうるささに撰残えりのこすすきあからむ六条ろくでうかみ

 

 これは特に『源氏物語』の本説ということではなく、怨霊に魔よけとなるしきみを付けたと見た方がいい。
 仏前に供えるために樒の枝を切ってきたのだが、枝があまりに茂っていたので使えそうな枝を残して余分な枝を落とすというのは、いかにもありそうな日常の動作だったのだろう。
 そして、外を見るとススキも赤らんで秋も深まっている。それが何となく六条御息所ろくじょうみやすどころの怨霊を連想させる、という、そろそろ終了近くなったこの歌仙の軽いあしらいと見ていいだろ。

 

無季。「しきみ」は木類。

三十句目

    切樒きりしきみえだうるささに撰残えりのこ
 太山みやまつぐみのこゑ時雨しぐるる  曾良そら

切樒きりしきみえだうるささに撰残えりのこ太山みやまつぐみのこゑ時雨しぐるる)

 

 しぐれつつ日数ふれども愛宕山
    しきみがはらの色はかはらじ
                   (藤原顕仲ふじわらのあきなか『堀川百首』)

などの歌の縁で、しきみには時雨しぐれが付く。
 ツグミは秋にシベリアから渡ってくる冬鳥だが、和歌には登場しない。時雨にツグミは俳諧ならではの題材といえよう。
 山にこもって隠棲をしていると、時雨の音に混じってツグミの声が聞こえる。

 

「時雨」は冬。降物。「太山みやま」は山類。「つぐみ」は鳥類。

名裏

三十一句目

    太山みやまつぐみのこゑ時雨しぐるる
 さびしさや湯守ゆもりさむくなるままに  芭蕉ばせを

(さびしさや湯守ゆもりさむくなるままに太山みやまつぐみのこゑ時雨しぐるる)

 

 上五の「さびしさや」は倒置で、「湯守ゆもりさむくなるままに太山みやまつぐみのこゑ時雨しぐるるさびしさや」の意味。
 「湯守ゆもり」は温泉の源泉の管理する人のことで、江戸時代になって平和になり、神社仏閣参りにかこつけた旅行が盛んになることで、温泉の需要も高まり、多くの地で温泉のお湯を公平に分配するために湯守が任命された(参考;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「湯守」の項)。芭蕉の時代ならではの新ネタといえよう。
 山奥の温泉で冬の夕暮で時雨が降りだすともなると、さすがに来る人もいない。

 

「寒く」は冬。「湯守」は人倫。

三十二句目

    さびしさや湯守ゆもりさむくなるままに
 殺生石せっしゃうせきしたはしるみづ     等躬とうきう

(さびしさや湯守ゆもりさむくなるままに殺生石せっしゃうせきしたはしるみづ

 

 「殺生石」は芭蕉が白川に着く直前の那須の名所で、妖狐玉藻の怨念が石になり、それに触れる生き物をすべて殺したという。

 岩まとぢし氷もけさはとけそめて
    苔のした水みちもとむらむ
                    (西行法師『新古今集』)

は立春の若水の目出度さを感じさせるが、殺生石せっしょうせきのした水はたとえ温泉でも、寒々として寂しい。

 

無季。「殺生石」は名所。「水」は水辺。

三十三句目

    殺生石せっしゃうせきしたはしるみづ
 花遠はなとほむま遊行ゆぎゃうみちびきて      曾良そら

花遠はなとほむま遊行ゆぎゃうみちびきて殺生石せっしゃうせきしたはしるみづ

 

 殺生石せっしょうせきが出てきたところで、曾良はこの『奥の細道』の旅で少し前に通った「遊行柳」を思い出したのだろう。
 「遊行柳」は、西行法師の

 道の辺に清水流るる柳陰
    しばしとてこそ立ちどまりつれ

の歌をもとに作られた能の『遊行柳ゆぎょうやなぎ』の舞台とされた柳で、諸国を遊行して回った一遍上人(遊行上人)がこの柳の下で柳の精と出会う。
 ただ、曾良のこの句は、黒羽浄法寺図書の官邸の館代が馬引きに頼んで芭蕉を殺生石まで送らせ、その途中で、

 野を横に馬ひきむけよほとゝぎす   芭蕉ばしょう

の句を詠んだ、あの時のことを思い出してのものかもしれない。

 

「花遠き」は春。植物。「馬」は獣類。「遊行」は人名であり、人倫ではない。

三十四句目

    花遠はなとほむま遊行ゆぎゃうみちびきて
 さけのまよひのさむる春風はるかぜ   芭蕉ばせを

花遠はなとほむま遊行ゆぎゃうみちびきてさけのまよひのさむる春風はるかぜ

 

 花見の帰り。時宗の僧は諸芸に通じていて、花の下では歌や連歌や謡いや舞などで、さぞかし盛り上がったことであろう。
 つらいこの人生で、一時の救われた時間を過したあと、静かに酔いの醒めてゆくとき、明日からまた始まるいつもの生活を、少しでも良くして行こうという決意へと変わってゆく。
 芸能は日頃の憂さを忘れさせて、一瞬遥かな進むべき理想を垣間見させてくれる。俳諧も同じだろう。興行のあと、その人が迷いを吹っ切って何か変るのかどうか。芭蕉といえども、それは祈るのみだろう。

 

「春風」は春。

三十五句目

    さけのまよひのさむる春風はるかぜ
 六十ろくじふのちこそひと正月むつきなれ     等躬とうきう

六十ろくじふのちこそひと正月むつきなれさけのまよひのさむる春風はるかぜ

 

 六十歳は還暦で、十干十二支じっかんじゅうにしが一回りし、新しいこよみが始まる。赤いちゃんちゃんこを着るというのも、一度赤ちゃんに戻って、ここから新しい人生が始まるという意味らしい。
 昔の数え年では、誕生日ではなく、正月が来るたびに一つ年を取っていたため、六十歳の正月はまた格別の意味があった。お屠蘇の酔いも醒め、生まれ変わった気分で第二の人生を生きよう。

 

正月むつき」は春。ここでも季戻りしているが、気にするなかれ。「人」は人倫。

挙句

    六十ろくじふのちこそひと正月むつきなれ
 蚕飼こがひする小袖こそでかさなる  曾良そら

六十ろくじふのちこそひと正月むつきなれ蚕飼こがひする小袖こそでかさなる)

 

 最後は軽く、この興行のホストである等躬とうきゅうを立てて、締めくくる。
 蚕飼こがひするというのは独立した養蚕場ではなく、等躬の屋敷を指すものであろう。そこで取れた絹を使ったものか、たくさんの正月小袖が重ねて置かれている。
 正月小袖は正月に着る晴れ着のことで、未婚の男女は振袖を着、既婚の男女は小袖を着た。松や梅や鶴などのお目出度い柄のものが多く、あでやかで、年寄りが着れば若返ったような気分になったようだ。芭蕉にも貞享4(1687)年に、

    嵐雪が送りたる正月小袖を着たれば
 誰やらがかたちに似たり今朝の春   芭蕉

の句を詠んでいる。「誰やら」というのは嵐雪のことで、まるで遊郭に入り浸る遊び人になったみたいだ、という意味か。

 老いてだに嬉し正月小袖かな  信徳

は伊藤信徳の句。

蚕飼こがひ」は春。「小袖」は衣装。