わかるる人ぞわれをそむくる
行くままに後の山のへだたりて 救済
(行くままに後の山のへだたりてわかるる人ぞわれをそむくる)
行けばそのまま後ろの山が遠くなって、別れてゆく人を私に見えなくする。
前句の「そむく」は本来は「背を向く」の意味だが、「遠ざける」という意味もある。ここでは遠くなってゆく山が、別れてゆく人を遠ざけるという意味。
季題:なし。羇旅。その他:「山」は山類の体。
行くままに後の山のへだたりて
月にむかへばのこる日もなし 良基
(行くままに後の山のへだたりて月にむかへばのこる日もなし)
行けばそのまま後ろの山が遠くなって、月に向えば日はもう沈んでいる。
武蔵野のような、広々とした草原なのだろう。山もはるかに遠のいて、何もない広大な大地には月一つ浮かぶだけ。中世にはまだそんな場所もあったのか。近世の、
菜の花や月は東に日は西に 蕪村
の句にも通じるスケールの大きさが感じられる。
季題:「月」は秋。夜分。光物。夜分は五句去りだが、四十九句目の「深きよに」から二句しか隔てていない。その他:「日」も光物。
月にむかへばのこる日もなし
夕より二つの星やちぎるらん 木鎮
(夕より二つの星やちぎるらん月にむかへばのこる日もなし)
夕方から牽牛織女の二つの星は愛を確かめているのだろうか、月に向えば日はもう沈んでいる。
前句の月を七夕の七日の月(半月)とする。
そらの海に雲の浪たち月の舟
星の林にこきかくる見ゆ
柿本人麻呂(『拾遺集』)
の歌もあるように、天気もよく、月の船に乗って牽牛織女は無事に会うこともできたのだろう。
季題:「二つの星」は秋。夜分。光物。七夕は仙界の物語で人間の「恋」に分類できるのかどうかは難しいところである。その他:「夕」は一座二句物。
夕より二つの星やちぎるらん
たまたま吹くも風ぞ秋なる 暁阿
(夕より二つの星やちぎるらんたまたま吹くも風ぞ秋なる)
夕方から牽牛織女の二つの星は愛を確かめているのだろうか、玉橋をたまたま吹く風も秋風になる。
天の川を渡る手段は、月の船であったり、カササギだったり、臨時に作られる玉橋だったり、諸説あるのも伝説というもの。ここでは七夕と玉橋の縁から、「たまたま吹く」と言い出し、
二星適逢。未叙別緒依依之恨。
五夜将明。頻驚涼風颯颯之声。
二星たまたま逢ひて、いまだ別緒の依々たる恨みを叙べず
五夜まさに明けなんとして、頻に涼風の颯々たる声に驚く
(『和漢朗詠集』「代牛女惜暁更詩序」小野美材)
により、明け方の別れの句とする。
季題:「風ぞ秋なる」(秋風)は秋。一座二句物。「秋風」が一句、「秋の風」が一句で、この場合は秋の風。
たまたま吹くも風ぞ秋なる
それとみて手にもとられぬ草の露 救済
(それとみて手にもとられぬ草の露たまたま吹くも風ぞ秋なる)
目にはそこに見えていても手では取ることのできない草の露の玉を、たまたま吹く風も秋風になる。
「たまたま」の「たま」を露の玉と掛けた「かけてには」による付け。
季題:「露」は秋。降物。その他:「草」は草類。
それとみて手にもとられぬ草の露
只一時の花の朝がほ 良基
(それとみて手にもとられぬ草の露只一時の花の朝がほ)
目にはそこに見えていても手では取ることのできない草の露のように、朝顔はほんのいっときの花。
句は「朝がほの只一時の花」の倒置で、連歌や俳諧によく見られる言い回し。「朝がほ」は今の朝顔ではなく、槿のこと。ここでは前句の草の露を朝顔の花の比喩とし、朝顔の花を露のようにはかないとする。本歌は、
秋の野になまめき立てる女郎花
あなかしがまし花も一時
僧正遍照(『古今集』)
ともに一時の花に、女の盛りの短さを暗に言い含めている。
季題:「朝顔」は秋。草類。
只一時の花の朝がほ
これとても終に朽ちぬる松の垣 素阿
(これとても終に朽ちぬる松の垣只一時の花の朝がほ)
これだってついには朽ちてしまった松の垣根、朝顔はほんのいっときの花。
松樹千年終是朽。槿花一日自為栄。
松樹千年終にこれ朽つ、
槿花一日おのづから栄をなせり。
(『和歌朗詠集』「放言詩」白居易)
による付け。松と槿を対比するのではなく、朽ち果ててしまった家にそこに住んでいた人の命の儚さをほのめかす句とする。
季題:なし。その他:「松」はこの場合垣根の材料であって木類ではない。もし木類なら植物が三句続くことになり、違反になる。「垣」は居所の体。
これとても終に朽ちぬる松の垣
涙をこめて袖はたのまじ 良基
(これとても終に朽ちぬる松の垣涙をこめて袖はたのまじ)
これだってついには朽ちてしまった松の垣根、涙を内に含んで袖も役には立たない。
朽ち果てた家は『伊勢物語』の「月やあらぬ春や昔の春ならぬ」のような場面を連想させる。一年ぶりに女のところを尋ねてみると、荒れ果てた屋敷があるだけで昔の面影もなく、涙する。それも袖も役に立たないほど。
季題:なし。恋。その他:「袖」は衣装。
涙をこめて袖はたのまじ
人ぞうき別れの世をや残すらん 救済
(人ぞうき別れの世をや残すらん涙をこめて袖はたのまじ)
あの人は何でこんな悲しい別れの夜を残して行ってしまうのだろうか。涙を内に含んで袖も役には立たない。
これはいわゆる「後朝」ではなく、夜にやってきたけど会いに来たのではなく、別れを告げにきたという意味だろう。泣いても泣ききれない。
季題:なし。恋。その他:「人」は人倫。「夜」は夜分。
人ぞうき別れの世をや残すらん
鳥は八声ぞかぎりなりける 永運
(人ぞうき別れの世をや残すらん鳥は八声ぞかぎりなりける)
あの人は何で夜を残してこんな悲しい別れをするのだろうか。鳥が盛んに鳴きだすのがその時だというのに。
前句の「別れの夜をや残す」を「別れの、夜をや残す」と区切り、まだ夜が明けてないのに早々と帰ってしまったという、早すぎる後朝の意味へ取り成す。
王朝時代の通い婚で、明け方になると男は冷淡にも去ってゆくのだが、ゆっくりと別れを惜しむまもなくあわただしく帰ってしまうのは、情が冷めてしまった証拠。
季題:なし。恋。その他:「鳥」は鳥類。證歌:「八声」には、
思ひかね越ゆる関路に夜を深み
八声の鳥に音をぞそへつる
源雅頼(『千載集』) などの歌がある。
鳥は八声ぞかぎりなりける
東路は越えつる関も数多にて 周阿
(東路は越えつる関も数多にて鳥は八声ぞかぎりなりける)
東国へと下る道は関の数もいくつもあって、そのつど鳥が盛んに鳴きだすのが関の開く時だという。
関所は鳥が鳴き出すのを合図に開くとされていて、
夜をこめて鳥のそらねははかるとも
世にあふ坂の関はゆるさじ
(清少納言『後拾遺集』)
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に
いく夜ねざめぬ須磨の関守
(源兼昌『金葉集』)
などは百人一首でも知られている。そのため、鳥に関は付き物であって、いわゆる「寄り合い」になる。
それに加え、「八声」に「あまた」と四手に付ける。「かぎり」には極限という意味もあり、いくつもの関でそのつどたくさんの鳥が鳴けば、鳥の八声も極限となる。
季題:なし。羇旅。その他:「関」は一座四句物で、ここでは只の関。
東路は越えつる関も数多にて
山のそなたのしら川の空 救済
(東路は越えつる関も数多にて山のそなたのしら川の空)
東国へと下る道は関の数もいくつもあって、山の彼方には白河の関の上の空があるのだろうか。
「東路の関」と言えば、白河の関で、これも寄り合い。 いくつも関を越えたけど、まだ白河の関は遠い。あの山の向こうの空の彼方に白河の関はあるのだろうか。
季題:なし。羇旅。その他:「山」は山類の体。「しら川」は名所。あくまで地名であって水辺ではない。
山のそなたのしら川の空
花も今落ちてぞ滝つ流れこし 素阿
(花も今落ちてぞ滝つ流れこし山のそなたのしら川の空)
花も今落ちては瀧を流れてきた。山の彼方の白川の空から。
前句の「しら川」をみちのくの白河の関のことではなく、比叡山の麓、鴨川東岸の白川のこととし、
さきのおほきおほいまうちぎみを白川のあたりに
送りける夜よめる
血の涙落ちてぞたぎつ白川は
君が世までの名にこそありけれ
(素性法師『古今集』)
の哀傷歌を換骨奪胎して、白川が血の涙で染まるのではなく、はるかな空から山桜の花が落ちてくる趣向とした。
季題:「花」は春。植物。その他:「滝つ流れ」は水辺の体。
花も今落ちてぞ滝つ流れこし
檜原かすめる月の夕暮 良基
(花も今落ちてぞ滝つ流れこし檜原かすめる月の夕暮)
花も今落ちては瀧を流れてきた。ヒノキの原の霞みがかかる月の夕暮。
これは相対付け。桜の花に花のないヒノキと相反するものを並べ、花のないヒノキの原にどこからか川の上流で散った花がながれてきて、月の夕暮に花を添えている。
季題:「かすめる月」は春。光物。月は通常夜分だが、夕暮の月、朝の月は夜分にはならない。春の月は一座二句物で只の月が一句と有明が一句となっているが、二十七句目に「神垣の月と梅とに」の句があり、春の只の月が二句になっている。その他:「檜原」は木類。一座一句物。「夕暮」は一座一句物だが、十六句目に「旅の夕暮」の句がある。展開の難しいところだけあって、やむをえなかったか。
檜原かすめる月の夕暮
かなしみは秋ばかりかと思ひしに 暁阿
(かなしみは秋ばかりかと思ひしに檜原かすめる月の夕暮)
悲しいのは秋の夕暮だとばかり思っていた。ヒノキの原の霞みがかかる月の夕暮。
ヒノキばかりで花のない春の夕暮はどこか物悲しげで、悲しいのは秋の夕暮だけではない。
見渡せば山もと霞む水無瀬川
夕べは秋となに思いけん
後鳥羽院
の歌の心か。春から秋への展開が鮮やかだ。
季題:「秋」は秋。
かなしみは秋ばかりかと思ひしに
夜寒は風のきたるなりけり 永運
(かなしみは秋ばかりかと思ひしに夜寒は風のきたるなりけり)
悲しいのは秋が来からだけだと思っていたが、夜の寒い風がまでが吹いてきた。
「に」という助詞には「・・・なのに」という逆説の意味と、単に「・・・に」という順接との両方の意味がある。ここでは「に」を逆説に取らず、悲しいのは秋だからというだけではなく、それに加えて風まで吹いてきたと転じる。
風は今日のような単なる気象現象ではなく、いわゆる「気」の動きであり、秋の冷たい風は陰の気を運び、春に生じた万物を死に至らしめる。そうした、万物の衰退と、死すべき運命が、人の心に身の毛のよだつような恐れと悲しみを与える。
季題:「夜寒」は秋。夜分。その他:「風」は可隔五句物。
夜寒は風のきたるなりけり
露ぬらす夢の枕に人をみて 良基
(露ぬらす夢の枕に人をみて夜寒は風のきたるなりけり)
涙の露を濡らす夢の枕にあの人を見て、夜寒なのは風が出てきたからだった。
夢というのはしばしば外の物音などに影響される。愛しい人が来た夢を見たが、実際は風が戸を叩いていただけだった。「夜寒」を心理的なものと見ての展開で、『菟玖波集』にも入集。
季題:「露」は秋。降物。恋。その他:「枕」は夜分。「人」は人倫。「夢」は可隔七句物。
露ぬらす夢の枕に人をみて
面影あれば今もいにしへ 周阿
(露ぬらす夢の枕に人をみて面影あれば今もいにしへ)
涙の露を濡らす夢の枕にあの人を見て、そのまざまざとした姿があれば今でも気持ちはあの頃にもどる。
「面影」というのは本来は文字通り顔の影(光)であり、その人の姿が本当にそこにいるかのうようにまざまざと見えることを言った。目が覚めて現実に引き戻されるのではなく、夢にひたりきる姿へと展開する。
季題:なし。恋。その他:「いにしへ」は一座一句物。
面影あれば今もいにしへ
手に結ぶ野中の清水朝夕に 救済
(手に結ぶ野中の清水朝夕に面影あれば今もいにしへ)
古歌に名高い野中の清水を手ですくえば朝な夕な、そのまざまざとした姿があるので今でも昔と変わらない。
「野中の清水」というのは、
いにしへの野中の清水ぬるけれど
もとの心を知る人ぞ汲む
詠み人知らず(『古今集』)
の歌で名高い印南野の清水のこと。今ではすっかり澱んでぬるくなった水に隠棲する我が身の姿を重ね、その私をわざわざ尋ねて来てくれた昔の友に感謝の気持ちをあらわす歌だった。
やがては歌枕となり、名所となって、古今集の頃の昔を偲ぶ題材となった。
季題:「清水を結ぶ」は夏。その他:「野中の清水」は名所。水辺の体。
手に結ぶ野中の清水朝夕に
心まかせの世をすませばや 良基
(手に結ぶ野中の清水朝夕に心まかせの世をすませばや)
古歌に名高い野中の清水を手ですくうことで朝な夕な、心の思いのままに穢れたこの世をすすいでみようか。
後に江戸時代に芭蕉が西行庵のとくとくの清水で詠む、
露とくとく心みに浮世すすがばや 芭蕉
の句を思わせる。「清水」に「すむ」と付く。
季題:なし。その他:「世」は一座五句物でこれが三回目。只の世。證歌:「心まかせ」は、
ふる里にきてもかへらば時はいま
紅葉の錦心まかせに (藤原為忠『為忠集』)
に見られる。
心まかせの世をすませばや
くもりなき鏡も神のひとつにて 暁阿
(くもりなき鏡も神のひとつにて心まかせの世をすませばや)
曇りのない神社に祭る鏡はそのまま神と一体であって、心の思いのままに穢れたこの世をすすいでみようか。
鏡は「かむがみ(神が見)」から来たとも言われる。神祇への展開。
季題:なし。神祇。その他:「神」は一座三句物でこの場合は只の神。
くもりなき鏡も神のひとつにて
これも伊勢なる月よみの宮 素阿
(くもりなき鏡も神のひとつにてこれも伊勢なる月よみの宮)
曇りのない伊勢朝熊神社の鏡宮はそのまま神と一体であって、月よみの宮もまた伊勢神宮の神と一体を成す。
前句の鏡を伊勢朝熊の鏡宮とし、「ひとつにて」を伊勢の神々はみな一つという意味に取り成す。
季題:なし。神祇。その他:「伊勢」は名所。「月よみ」は神の名であって、「月」ではない。「宮」は神の棲むところで人の住む「居所」ではない。
これも伊勢なる月よみの宮
天照す君が御影のその儘に 良基
(天照す君が御影のその儘にこれも伊勢なる月よみの宮)
天照大神の御光もそのままに、月よみの宮もまた伊勢神宮の神と一体を成す。
月よみの命に天照大神を付ける相対付け。
季題:なし。神祇。その他:「君」はこの場合神様なので、人倫ではない。
天照す君が御影のその儘に
このもかのもに山ぞ道ある 周阿
(天照す君が御影のその儘にこのもかのもに山ぞ道ある)
天照大神の御光もそのままに、あちらこちらに山(筑波)の道がある。
筑波嶺のこのもかのもに蔭はあれど
君がみかげにます蔭はなし
(『古今集』東歌)
を本歌にして神祇を離れる。打越に「伊勢」があるため、筑波嶺を出すことはできず、単に「山ぞ道ある」としているが、本歌を知っているなら、これが筑波の道(連歌の道)のことだとピンとくる。太陽が広く世界を照らしているように、天下のいたるところで連歌が盛んに行われている。
季題:なし。その他:「山」は山類の体。
このもかのもに山ぞ道ある
住みがたき庵と何かおもふらん 良基
(住みがたき庵と何かおもふらんこのもかのもに山ぞ道ある)
住みにくい庵だなんてどうして思うだろうか、あちらこちらに山の道がある。
「道」を仏道に取り成しての展開は、ある意味ではお約束かもしれない。年老いて山に籠り、仏道に専念しようとするものにとって、山での暮らしの寂しさや不便さも我慢しなくてはならない。どんな山にも人がいれば道があるように、この世のあらゆるところに仏道はある。
季題:なし。述懐。その他:「庵」は居所の体。
住みがたき庵と何かおもふらん
我がこころだに隠家ぞかし 素阿
(住みがたき庵と何かおもふらん我がこころだに隠家ぞかし)
住みにくい庵だなんてどうして思うだろうか、私の心だって隠れ家だというものだ。
これを前句同様、山での隠棲の句として読んでしまっても、今ひとつ展開に乏しいし、素阿らしくもない。
誰しも人の心の中に本当にあるものは見えやしないし、どんなに過酷な人生でも本当に大切なものは人に奪われないように、心の奥にしまっておくことはできる。心の底に自分の亡命場所を持っていれば、わざわざ山にこもって隠棲することもない。そういう市隠の句として読んでもいいのではないか。
「小隠は山に隠れ、大隠は市に隠る」というのは荘子の境地。
季題:なし。述懐。その他:「我が」は人倫。「隠家」は居所。ただし、ここでは似せ物。一座一句物。
我がこころだに隠家ぞかし
狩人の入野の雉子音をなかで 救済
(狩人の入野の雉子音をなかで我がこころだに隠家ぞかし)
猟師の分け入る入野の雉は声も上げない、私の心だって隠れ家だというものだ。
入野は今の京都の大原野、つまり嵐山の南、長岡の北にかつてあって広大な薄が原で、
さを鹿の入野のすすき初尾花
いつしか妹が手枕にせむ
(柿本人麻呂『新古今集』)
などの歌で知られている。
「雉も鳴かずば撃たれまい」という諺もあるように、不用意な言動は命取りになるもの。思っていても心の中にしまっておかねばならないこともある。それを狩り人の「入る」と歌枕の「入野」を掛けて巧みに言い出すあたりが、救済の高等テクニックと言えよう。
季題:「雉子」は春。鳥類。その他:「狩人」は人倫。「入野」は名所。
狩人の入野の雉子音をなかで
草やくけぶり風にこそふせ 良基
(狩人の入野の雉子音をなかで草やくけぶり風にこそふせ)
猟師の分け入る入野の雉は声も上げない、野焼きをする煙だけが風に伏せっている。
入野といえば鹿が有名だが、鹿は秋のもの。春には伏せる鹿もいず、野焼きの煙だけが風に吹かれて低くたなびき、あたかも伏せているようだ。
「雉子」に「草焼く」は「焼野の雉子、夜の鶴」という諺による縁で、寄り合いとなる。
季題:「草やく」は春。草類。その他:「けぶり」は聳物。「風」は可隔五句物。
草やくけぶり風にこそふせ
雪をれの松とや枝にみえつらん 永運
(雪をれの松とや枝にみえつらん草やくけぶり風にこそふせ)
雪で折れてしまった松だということが枝ぶりに表れたのだろうか。野焼きをする煙が風に伏せたので。
野焼きの煙が風邪に伏せたので、雪折れの松の姿があらわになったという、意味のつながりによる心付け。
季題:「雪をれの松」は冬。木類。雪そのものを詠んだものではないので降物ではない。春を二句で捨てることについては、三十二句目に同じ。その他:「枝」は植物。證歌:「雪をれ」は、
杣山や梢におもる雪折れに
たえぬ嘆きの身をくだくらむ
(藤原俊成『新古今集』)
などに用例が見られる。
雪をれの松とや枝にみえつらん
末もみじかき霜の通ひ路 成種
(雪をれの松とや枝にみえつらん末もみじかき霜の通ひ路)
雪で折れてしまった松だということが枝ぶりに表れたのだろうか。霜の通う道の末も短い。
「枝」に「末」と付く。雪折れで枝が短くなっているのを見て、霜の降りる日ももうそう長く続かないと、春の近いのを感じる。
季題:「霜」は冬。降物。
末もみじかき霜の通ひ路
冬の日は薪とるまにくれはてて 木鎮
(冬の日は薪とるまにくれはてて末もみじかき霜の通ひ路)
冬の日は薪を採りに行っている間に暮れてしまって、もうそんなに時間のない霜のおりた通い道。
「みじかき」に「冬の日」と付く。冬は日が暮れるのが早く、ちょっと薪を採りに行ったりするとすぐに暮れてしまう。折から冷えてきて霜も降り、早く帰らなくては。
季題:「冬の日」は冬。光物。
冬の日は薪とるまにくれはてて
雲つきぬとや月は出づらん 素阿
(冬の日は薪とるまにくれはてて雲つきぬとや月は出づらん)
冬の日は薪を採りに行っている間に暮れてしまい、雲も晴れたというので月が出てきたのだろうか。
「薪」に「つきぬ」と付く。冬の日の短さに、日が暮れて雲も晴れたから月が出てきたのだろうかと付ける。「雲つきぬ」という言い回しには煩悩の雲がはれるという意味もあり、真如の月が出てくることをあわせて、次の句の展開の伏線になっている。
季題:「月」は秋。夜分。光物。その他:「雲」は聳物で、可隔三句物。七十八句目の「けぶり」から三句隔たる。
雲つきぬとや月は出づらん
うき中は心にたえぬ秋なるに 良基
(うき中は心にたえぬ秋なるに雲つきぬとや月は出づらん)
思い通りにならない人間関係が心から消えることのない秋ではあるが、雲も晴れたというので月が出てきたのだろうか。
前句に寓意をこめて、ままならぬ人の世にも煩悩の迷いを去れば月も出る、と付ける。
季題:「秋」は秋。述懐。
うき中は心にたえぬ秋なるに
植ゑずはきかじ荻の上風 長綱
(うき中は心にたえぬ秋なるに植ゑずはきかじ荻の上風)
思い通りにならない人間関係が心から消えることのない秋ではあるが、植えなければ荻の上を吹く風を聞くことはない。
思うようにならない人間関係の悩みは、人類が有史以前から続いてきた永遠の悩みとも言えるかもしれない。みんな自分は幸せになりたいのに、他人の幸せが許せなくて、妬んだり足を引っ張り合ったり、お互いにけん制しあってしまって、結局みんな悶々とした人生をすごすことになる。結局すべては自らが蒔いた種なのだろう。渋滞で進まない道でいらいらしながら、何でこんなに混んでるんだと文句を言ってみても、そう、あんたが来るから混んでいるのだ。
ままならぬ人の世も、その原因は一人一人の心にあり、それは結局自分自身に帰ってくる。荻の葉をヒューヒュー言わせて物悲しげに吹く風も、結局自分が荻を植えたからだ。
オギはススキに似ているが、ススキより背が高く、ススキが一つのカブから何本も生えるのに対し、オギは横に伸びた根茎から一本づつ生える。また、ススキが野山に生える雑草なのに対し、オギは河川敷などの湿地帯に生える。
オギは特に園芸品種があるわけではないが、貴族などの屋敷の庭には池が作られたりするから、おそらくそこにオギを植えることも多かったのだろう。オギは秋になるとススキに似た白い穂をつけるだけでなく、茎も赤く紅葉するため、独特の風情がある。
なお、この句は『菟玖波集』に入集したのだが、前句は同じ文和千句の第三百韻の四十三句目の、
うきことは我としるべき秋なるに 良基
の句に差し替えられ、
うきことは我としるべき秋なるに
植ゑずはきかじ荻の上風
となっている。
さらに言えば、この句はなぜか百年以上も後の『応仁元年心敬独吟山何百韻』の四十二句目に
あちき無むせふや秋のとかならん
植すハきかし荻の上風 心敬
という形でふたたび登場する。これは一体どういうことだろうか。単純に考えれば心敬が『菟玖波集』にある句をパクッたか、漠然と記憶にあった句を自分の作った句と錯覚したかということになるが、ひょっとしたらそれだけではないのかもしれない。
まず、この百韻の中で、菅原長綱の名前のある句はこの一句だけである。しかも、この句は通常の連歌の付け句にしては一句が独立しすぎていて、内容も自業自得という意味の諺として使えそうなものである。そのため、この句は秋の寂しさや悲しさを詠んだ句や述懐の句などであれば、大概付いてしまう。たとえば、この文和千句第一百韻の別の句に付けて、
秋の田のいねがてにして長き夜に
植ゑずはきかじ荻の上風
ともし火の影を残して深きよに
植ゑずはきかじ荻の上風
それとみて手にもとられぬ草の露
植ゑずはきかじ荻の上風
などとしてもよさそうなものだ。
この句は本当に長綱の句だったのだろうか。単なる諺だったのではなかったのではなかったか。また、長綱の句だったにしても、事前に作ってあったいわゆる「手帳」だった可能性もある。それを、一番ぴったりくる前句ができたときに使ってみようと思ってここで出したとすれば、千句が完成したあと、この句は第三百韻の
うきことは我としるべき秋なるに 良基
の方がもっとしっくりくるとして、『菟玖波集』編纂の際に差し替えた理由もうなずける。
そして、この句が作者とはなれて諺として広く知られていたとすれば、心敬も一種のサンプリングのような形で使った可能性もある。つまり、他人の句を自分が作ったように装えば盗作だが、誰が見ても他人の句であれば盗作ではない。
世にふるもさらに宗祇の宿りかな 芭蕉
はぜ釣るや水村山郭酒旗の風 嵐雪
のようなものになる。
まあ、これも単なる推測に過ぎない。ただ、やはり謎の残る句ではある。
季題:「荻」は秋。草類。一座三句物。
植ゑずはきかじ荻の上風
花みえぬ草は根さへや枯れぬらん 救済
(花みえぬ草は根さへや枯れぬらん植ゑずはきかじ荻の上風)
花の見えなくなった草は根までが枯れてしまったのだろうか。植えなければ荻の上を吹く風を聞くことはない。
連歌の付け句というのは、基本的にはあいまいで両義的なものをよしとする。そのほうが次の句を付ける時に展開しやすいからだ。一句の独立性が高く、一義的な句というのは、展開が難しくなる。
(ちなみに、現代連句は基本的に一句独立で鑑賞されるために、つまり付け句であっても575、あるいは77の一句の俳句として扱われるため、一句の独立性が高く、一義的な句が多い。そのため句は付かなくてもよく、単なる連想ゲームのようなものとされている。)
難しい場面ではあるが、救済はここを寓意を取り除くことで切り抜けている。この場合の「らん」は反語だろう。花のない草は根までが枯れてしまったのだろうか。そんなことはない、植わってなければ荻の上風の物悲しい音は聞こえないはずだ、と解く。
ちなみに心敬の『応仁元年心敬独吟山何百韻』では、
植すハきかし荻の上風
春を猶忘かたミに袖ほさて
と、春にあった悲しいことでも形見として忘れないようにと荻を植えて・・・というような心付けで解消している。
季題:「花みえぬ草」は草の花の意味で、「花野」などと同様、秋の句となる。草類。いわゆる「正花」ではないから、一座三句物の「花」からは除外される。
花みえぬ草は根さへや枯れぬらん
今は契りのことのはもなし 良基
(花みえぬ草は根さへや枯れぬらん今は契りのことのはもなし)
花の見えなくなった草は根までが枯れてしまったのでしょうか。今では約束した言の葉もない。
前句を愛の冷めてしまった恋人の比喩と取り成しての付け。
季題:なし。恋。その他:「言の葉」の葉は植物の葉ではないので、打越に「荻」があっても問題はない。
今は契りのことのはもなし
偽りをかこちし程は猶待ちて 暁阿
(偽りをかこちし程は猶待ちて今は契りのことのはもなし)
偽りの約束でも信じたいと思っていた頃はまだ待っていましたが、今では約束した言葉もありません。
「かこつ」には今日でいう「かこつける」という意味と、愚痴をこぼすという意味とある。前句に付いた時には「かこつける」の方だろう。嘘だとわかっていても、その言葉にかこつけてを信じたふりをしていれば、いつかその思いをわかってくれて、約束を果たしてくれるのではないかと淡い期待を抱くが、無理だとわかると、そんな約束の言葉などさっさと忘れてしまう。
思い切りの早いのは女の常。そんな頃にひょっこり心変わりした男が現れたりすると、こんなそっけない歌を送られたりする。
季題:なし。恋。
偽りをかこちし程は猶待ちて
うらみながらぞ又夕なる 親長
(偽りをかこちし程は猶待ちてうらみながらぞ又夕なる)
偽りの約束を愚痴をこぼしながらもそれでも待って、うらみながらもまた日が暮れてくる。
ここで十一句目以来ご無沙汰だった親長の登場。
「かこつ」に両義性がある場合、それを生かすのがお約束。昼にはさんざん友人に愚痴をこぼしながらも、夕方になるとついついまた期待してしまう。
季題:なし。恋。その他:「夕」は一座二句物。これが二回目。
うらみながらぞ又夕なる
入相も別れのかねの声なるに 良基
(入相も別れのかねの声なるにうらみながらぞ又夕なる)
入相の鐘も別れの切ない響きがあるというのに、うらみながらもまた日が暮れてくる。
もうそろそろこの一巻も終わりが近いというので、そろそろ恋などの主要なテーマも終わり、穏やかに締めくくっていかなくてはならない。
「入相も」は前句に付けば「明け方の鐘だけではなく入相も」という意味になるが、前句と切り離せば単なる強調のいわゆる「力も」になる。末尾の「に」も前句に付けば逆接だが、前句と切り離せば順接にも取れる。このあたりも展開をスムーズにするための重要なテクニックだった。
別れのきぬぎぬの明け方の鐘も恨めしいが、お互いに傷つけあってばかりいる苦しい恋には、また会うのかと思うと、それも切なくなる。恨みながら、それでも離れられずに、また夜が来る。
季題:なし。恋。その他:「鐘」は一座四句物。これが二回目。鐘は只一、入逢一、尺教一、異名一で、前回は釈教の鐘。今回は入相の鐘。
入相も別れのかねの声なるに
夢と春とはなごり二度 永運
(入相も別れのかねの声なるに夢と春とはなごり二度)
入相の鐘には別れの切ない響きがあるので、夢の余韻も春の余韻もまた甦ってくる。
前句の「別れ」もここでは恋の別れではなく、普通の別れとなる。過ぎ去っていく日々の中で春も終わり、夢のような一生もあっという間に過ぎ去ってゆく。春の夕暮の鐘の音を聞くと、そんなことがまたふたたび思い出されてくる。
季題:「春」は春。その他:「名残」は一座二句物。
夢と春とはなごり二度
花残る山をあしたの雲とみて 救済
(花残る山をあしたの雲とみて夢と春とはなごり二度)
花の残っている山やまを朝の切れ切れの雲と見て、夢の余韻も春の余韻もまた甦ってくる。
これは「朝雲暮雨」と呼ばれる有名な古事による本説。
出典は『文選』の宋玉「高唐賦」で、楚の懐王が昼寝の夢に美女と交わったところ、その女は別れ際に「私は巫山の山に住み、朝は雲に夕べには雨となって陽台の麓にいます。」と言ったところ、翌朝本当に雲がかかり、夕方には雨が降ったため、その女が巫山の仙女とわかったという。
この古事は我が国では
春の夜の夢の浮橋とだえして
嶺にわかるる横雲の空
(藤原定家『新古今集』)
の歌でも有名になっていた。
ここでも、前句の「夢と春」の「なごり」を美女との一夜の夢から醒めた後の朝として、ただ雲を出すのではなく、切れ切れに残った山桜の花を雲の見立てとしたのが救済ならではの閃きだ。。
季題:「花残る」は春。植物。花は一座三句物で、これが三度目。その他:「山」は山類の体。「雲」は聳物。
花残る山をあしたの雲とみて
有明なれば猶ぞかすめる 成種
(花残る山をあしたの雲とみて有明なれば猶ぞかすめる)
花の残っている山やまを朝の切れ切れの雲と見て、月も有明になればなお霞んで見える。
春の月というと朧月だが、その朧月も夜も白々明けてくれば、ただでさえかすかなのが余計霞んで見えてくる。それを花の雲のせいだろうか、と付ける。
季題:「かすむ」は春。聳物。その他:「有明」は有明の月のことで光物。春の月は一座二句物だが、ここでは有明なので、「有明」は別に一句となる。
有明なれば猶ぞかすめる
今こんと秋を忘るな帰る雁 素阿
(今こんと秋を忘るな帰る雁有明なれば猶ぞかすめる)
今に戻ってくるよと秋を忘れるな帰る雁、月も有明になればなお霞んで見える。
「今こん」は「今は」と同じく、さよならという意味。もう二度と会うこともないかのような時でも、「さよなら」では悲しいから「じゃあまた」と言うように、古代・中世では「今はこれで」という意味で「今は」だとか「今こん」だとか言った。しかし、実際にさよならの意味で使われると、元の意味が薄らいで重い意味になってゆき、死ぬ時の「いまわのきわ」という意味にもなっていった。そうなると、今度は「いまわ」では重いからといって、「さらば」という別の言い方をしたりするようになる。同じように、古い言葉が重くなると「さよなら」「じゃあまた」みたいに新しい別れの挨拶の言葉が作られてゆく。英語でもFarewellと言ってたのがGood-byになって、See
youになっていった。
雁は渡り鳥で、秋になれば帰ってくるが、ここでは寓意をこめて、旅立ってゆく人に「今こん」と言って別れたものの、必ず帰って来いよと送り出す。月が霞んでいるのは、霞や有明のせいだけではあるまい。
季題:「帰る雁」は春。その他:「雁」は鳥類。一座二句物で、春に一句。秋に一句。
今こんと秋を忘るな帰る雁
つらつらおもへ露の身ぞかし 永運
(今こんと秋を忘るな帰る雁つらつらおもへ露の身ぞかし)
今に戻ってくるよと秋を忘れるな帰る雁、しっかりと考えてくれ露のようにはかない身を。
前句が春の句でありながら「秋」という言葉を出しているので、ここではそれを生かして秋の季題である「露」を出す。とはいっても、ここではあくまで比喩(似せ物)の露で、秋の句ではない。旅立ってゆく人に命は露のように儚いから大事にしろよと送り出す。
季題:なし。述懐。その他:「身」は人倫。
つらつらおもへ露の身ぞかし
くれごとに散るや正木のゆふかづら 成種
(くれごとに散るや正木のゆふかづらつらつらおもへ露の身ぞかし)
夕暮になるたびに正木の木綿かずらは散ってゆくのだろうか、しっかりと考えてくれ露のようにはかない身を。
「正木」はスギやヒノキなどの針葉樹で、「真木」ともいう。神社などの神木になることが多い。そこに絡みつく蔦などの蔓植物は、あたかも御神木の注連縄のようでもある。真木の葉は落ちないが、そこに絡みついた蔦が散ってゆくところに、冬の訪れが感じられる。
木は枯れなくても、そこに絡みつく草は枯れてゆく。一見健康なようでも、どこかみな人は歳を取ってゆくもので、体には気をつけなくてはいけない。
季題:「かづらの散る」で冬。その他:「正木のかづら」は草類。「正木」は木類だが、ここではあくまで正木に巻きついた蔓であって、「正木とかづら」ではないから木類にはならない。證歌:「ゆふかづら」には、
契りありて今日宮河のゆふかづら
永きよまでもかけて頼まむ
(藤原定家『新古今集』)
の用例がある。
くれごとに散るや正木のゆふかづら
冬かけてこそ風は寒けれ 永運
(くれごとに散るや正木のゆふかづら冬かけてこそ風は寒けれ)
夕暮になるたびに正木の木綿かずらは散ってゆくのだろうか、冬にかけて風は寒い。
もう挙句も近いということで、悩むことなく軽くつけてゆくのが、周りの連衆への配慮でもある。「かづら」に「かけて」という言葉の縁で、冬は風が寒いと特に細工もなく軽く流している。
季題:「冬かけて」は冬。その他:「風」は可隔五句物。
冬かけてこそ風は寒けれ
小車のわがあと見ゆる朝氷 救済
(小車のわがあと見ゆる朝氷冬かけてこそ風は寒けれ)
小さな車の輪の跡を見る朝の氷。冬にかけて風は寒い。
道の水溜りに張った氷も牛車が通った所だけ割れていて、跡が残っている。なるほど寒い日だ。ここも軽く冬のありがちな景色を付ける。「輪」は「我」と掛詞になっているとも取れるが、内容上それほど重要とも思えない。次の人の取り成しの余地を残す程度である。
季題:「朝氷」は冬。その他:「車」は一座三句物。「わが」はこの場合「輪が」であり、人倫ではない。「氷」は一座四句物。これが二回目。
小車のわがあと見ゆる朝氷
ふたつの川ぞめぐりあひぬる 家尹
(小車のわがあと見ゆる朝氷ふたつの川ぞめぐりあひぬる)
小さな車の輪の跡を見る朝の氷。二つの川とめぐり合った。
「ふたつの川」は善導大師の「観無量寿経疏」に説かれている「二河白道」のこと。西の西方浄土に至ろうとする者は、南に燃え盛る憎悪の火の河、北に濁流渦巻く欲望の水に河との間にある、細い白い道を行かねばならないという。後からは鬼や猛獣が襲ってくるというのは現世の比喩で、過酷な生存競争の中で人は心に傷を負い、そこから逃れるには、怒りや復讐心に囚われてもいけなければ、ただ苦しみを忘れるための快楽に溺れてもいけない。闘うのでもなければ逃げるのでもない、その中間の所に微かに悟りへの道が開ける。
南に火、北に水、西へと渡る道が白というのは、五行説をふまえたものだろう。中国に仏教を広める際には、こうした中国の古くからの五行説を利用しながら、方便としてこうした話を作っていったのだろうか。
前句の車の輪の跡に、氷の割れた二すじの川とその間の割れてない氷の道を見て、「二河白道」を連想したのだろう。
季題:なし。釈教。その他:「川」は水辺の体。
ふたつの川ぞめぐりあひぬる
佐保山の陰より深し石清水 良基
(佐保山の陰より深し石清水ふたつの川ぞめぐりあひぬる)
佐保山の陰から流れる石清水は深い。二つの川がめぐり合うことで。
複雑な倒置でできた構文で、倒置を解消して普通の文にすれば、「佐保山の陰よりふたつの川ぞめぐりあひぬる石清水は深し」となる。「より」は「から」という意味で、比較の「より」ではない。
石清水は京都の石清水八幡宮の霊泉で、このあたりで木津川と宇治川と桂川の三つの川が交わる。このうち木津川は奈良の佐保山の裏側(陰)を源流としていて、それが宇治川と桂川の二つの川の交わることで、石清水の泉の霊験をより深いものとしている。
佐保山というのは奈良山の南端にある丘陵のことで、平城京の御所の東にあるため、春の神様佐保姫の住むところとされていた。飛鳥京でいう香具山に当るものなのかもしれない。
季題:なし。神祇。その他:「佐保山」は山類の体。名所。「石清水」は水辺の体。名所。
佐保山の陰より深し石清水
ときはなる木は榊橘 救済
(佐保山の陰より深し石清水ときはなる木は榊橘)
佐保山の陰から流れる石清水は深い。岩のように変わらない木は榊と橘。
「ときわ」は「常(とこ)」+「岩(いわ)」から来た言葉で、toko ihaからtok'ihaとなる。そのため、常盤や常磐といった字を当てる。しかし、「ときは」という言葉は「とき+葉」とも読め、常緑の葉の連想も働く。
ここでは石清水の「いは」から「ときは」を導き出し、「とき葉」の連想から榊と橘を導き出す。榊は神前に捧げる玉串に用いられる。橘は記紀に登場する「時じくの香の木の実」のこととされていて、京都御所の紫宸殿の前に左近の桜、右近の橘として植えられていたことでも知られている。ともにお目出度い木であり、一巻の挙句は祝言をもって目出度く終了することになる。
季題:なし。神祇。その他:「木」「榊」「橘」はともに木類。九十五句目の「正木のかづら」は草類で、木類と木類、草類と草類は可隔五句物だが、草類と木類は異植物で可隔三句物となる。