いつかこころの松もしられし
和歌の浦や磯がくれつつまよふ身に 宗祇
古註1磯がくれつつハ卑下也。かく人しれぬ身にも道のあらはれたるを、いつかしられしととりなせり。
古註2いそがくれて和歌の道をもしらぬと云義也。道にまよふ心也。松はこと葉ニよせて付る、なりノ句ニ似合たる也。
古註3わかの浦に松をよみたり。心の松を歌道の松になせり。磯がくれとは、卑下の心か。いつかしられんとは、世にいつかしられんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(和歌の浦や磯がくれつつまよふ身にいつかこころの松もしられし)
和歌の浦の磯の裏に隠れて迷子になっているこの私に、いつかこころの松を知ることができた。
和歌の浦は和歌山県和歌山市にあり、玉津島は関西の江ノ島のようなもので、砂嘴によってつながり、潮の満ち引きによって島になったり陸続きになったりした。
山部赤人が、
わかの浦に潮満ちくれば潟をなみ
葦辺をさして鶴鳴き渡る
山部赤人
の歌を詠んだ地でもあり、古くから歌人にとっての聖地だった。
「磯がくれ」は『古今集』巻9、409の伝柿本人麻呂の歌、
ほのぼのとあかしの浦の朝霧に
島がくれゆく舟をしぞ思ふ
このうたはある人のいはく、かきのもとの人まろがうたなり
の「島がくれ」をもじったものか。この歌は、長いこと人麻呂の歌としてよく知られ、歌聖人麻呂の肖像とともに崇拝されてきたものだが、ここでは人麻呂の「島がくれ」ならぬ「磯がくれ」ということで、人麻呂には到底及ばないが、という卑下する意味が込められている。
和歌の道にありながら、「島がくれ」ならぬ「磯がくれ」で、磯の岩の間で迷子になっているわが身であるが、いつか和歌の心を知ることができた、と付く。これも和歌の浦のご利益ということか。
「心の松」は和歌の心を松の木に例えただけで、それほど意味はなさそうだ。
季題:なし。その他:述懐。「和歌の浦」;水辺(体)。名所。「磯」;水辺(体)。「身」;人倫。
和歌の浦や磯がくれつつまよふ身に
みちくるしほや人したふらん 肖柏
古註1行路の様也。ミちくるしほに、磯がくる心もしらずしたひがほ成由也。飛鳥川淵せもしらぬ秋の霧何にふかめて人したふらん。此哥類なるべし。
古註2いそがくれてまよふ旅人ニ、しほのみちくるは、したがふがごとくト也。
古註3前に人したふといふに、塩のみちくるをいへり。満来る塩に磯がくれのまよふべき也。みちくる汐は、人したふやうのものなり。和哥の浦にしほみつる哥有。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(和歌の浦や磯がくれつつまよふ身にみちくるしほや人したふらん)
和歌の浦の磯の裏に隠れて迷子になっているこの私に、満ちてくる汐は人が慕ってくれているかのようだ。
「和歌の浦」といえば「満ち来る汐」。それは、前句のところでも引用した、
わかの浦に潮満ちくれば潟をなみ
葦辺をさして鶴鳴き渡る
山部赤人
の縁によるもの。
和歌の浦は和歌の神様なだけに、歌の道に迷っている人にも、慰めるかのように潮を満ちさせてくれる。
和歌の道は、かつては大衆が皆口ずさみ親しむものだった。大事なのは和歌の権威ではなく、大勢の人に親しまれる歌を作り続けることなのである。結局のところ和歌の神様というのは読者なのである。
季題:なし。その他:「みちくるしほ」;水辺(用)。「人」;人倫。
みちくるしほや人したふらん
捨てらるるかたわれ小舟朽ちやらで 宗長
古註1かたはれ小舟のただよひて、捨られし人をしたふ様なるハ、みちくるしほがしたはせたる義也。
古註2みちくるしほニかたはれをぶねノよるハ、人ヲしたふがごとくト也。
古註3今度人をしたふと云大事也。すてをく船、みち来る汐にうかれたるは、もとのぬしをしたふてうかれるに似たり。おもしろき付やうなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(捨てらるるかたわれ小舟朽ちやらでみちくるしほや人したふらん)
捨てられた半分に割れた小舟も朽ちることなく、満ちてくる汐は人を慕っているかのようだ。
打越に「浦」という水辺の体があるため、「満ち来る汐」という前句に、水辺の体(入江、港、島、渚、汀、池、沼など)は使うことができない。水辺の用(浪、水鳥、魚、海人など)を二句続けるのも展開に乏しい。かといって、水辺以外に展開するのも難しい。「したふ」という言葉があっても五十句目に恋があるから、恋へ展開することもできない。『新式今案』で体用の外とされた「舟」へと逃げるのが、一応の筋だろう。
ここでポイントなのは「したふ」には愛惜する、惜しむという意味があることだ。
荒波に真っ二つになった舟の残骸だろう。それがいまだ腐ることなくそのまま打ち捨てられて、汐が満ちてくれば海に浮かび(木造船だから壊れても水に浮く)、それがこの舟の持ち主を惜しんでいるようだ。
この持ち主は一体どうなってしまったのか、どんな人だったのか、いろいろと想像が掻き立てられる。
苦しい展開に見えるが、展開の難しいところをこうした機知で乗り切るのも連歌ならではの面白さだ。
季題:なし。その他:「小舟」;水辺(『応安新式』では用、『新式今案』では体用の外)。
捨てらるるかたわれ小舟朽ちやらで
木の下紅葉尋ぬるもなし 宗祇
古註1水辺の落葉をかたはれ小舟にとりなせり。ちりぢりに朽かかる紅葉、かたハれ小舟とも云つべし。
古註2ちりて後は見る人モナキ様也。舟ハ一葉ノ心也。もみぢを舟にとりなしたる也。
古註3木葉に船の縁あり。又朽に木の葉もなをえん有。朽木のはかげ、すてらるる心あり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(捨てらるるかたわれ小舟朽ちやらで木の下紅葉尋ぬるもなし)
捨てられた半分に割れた小舟は朽ちることなく、木から下へ落ちた紅葉を尋ねてくる人もいない。
前句の「かたわれ小舟」を紅葉の葉の比喩とした取り成し。これによって三句続いた水辺の四句続くのを逃れることができる。
前句はこれによって、木から落ちた紅葉の葉は朽ちることもなく、となる。そして、それを受けてそれを尋ねてくる人もいないと続く。「打越に「人」があるため、ここでは人倫を出すことができないが、「尋ぬる人もなし」を「尋ぬるもなし」と略すことで逃れることができる。
何でもないようだが、紅葉自体も隠士の比喩とするなら、なかなか味わいがある。我が身は捨てられた小舟、散った紅葉、誰も私を訪ねてこない。
季題:「紅葉」;秋。植物(木類)。その他:「木の下」;植物(木類)。
木の下紅葉尋ぬるもなし
露もはや置きわぶる庭の秋の暮れ 肖柏
古註1暮秋寒露庭の落葉に置侘たる也。閑庭のさま也。
古註2暮秋ニナレバ、露ノすくなくなる也。もみぢノちりて露置所なき也。
古註3前句このはを尋ぬを、今度は、露が染つくして、暮秋の庭には、そめむ葉もなき程に、たづぬるもなきと付なせり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(露もはや置きわぶる庭の秋の暮れ木の下紅葉尋ぬるもなし)
もはや露も置くことのできない秋の暮れの庭に、木から下へ落ちた紅葉を尋ねてくる人もいない。
「秋の暮れ」は江戸時代の俳諧になると、秋の夕暮れの意味で用いられることが多くなるが、ここでは暮れの秋、暮秋の意味。露が降りるのは朝のことで、夕暮れではない。
散った紅葉でびっしりと埋め尽くされた庭(おそらくそう大きなものではないのだろう)にも、散ったばかりの頃は露に輝いて美しかったのだろう。そのころならそれを見に尋ねてくる人もいたが、すっかり秋も終わりとなり、朽ち果て色あせた紅葉は露で輝くこともなく、殺風景な庭を尋ねてくる人もいなくなった。
季題:「露」;秋。降物。「あきの暮」;秋。その他:「庭」;居所。一座二句物。(只一、庭の教など云て一とあり、この場合は只。)
露もはや置きわぶる庭の秋の暮れ
虫の音ほそし霜をまつころ 宗長
古註1時節の景気也。
古註2露ヲ待トハ、猶其時分也。
古註3暮秋の庭の躰なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(露もはや置きわぶる庭の秋の暮れ虫の音ほそし霜をまつころ)
もはや露も置くことのできない秋の暮れの庭に、虫の音もかすかとなり霜を待つ季節だ。
露も降りなくなるのは、露から霜へと変わる季節だからだ。秋ももう終ろうとしているから、鳴く虫の声も衰えてかすかなものとなる。
季題:「虫の音」;秋。虫類。一座一句物。第三に「松虫」があるが、松虫、鈴虫などは別に一座一句となる。「霜を待つ」;秋。降物。
虫の音ほそし霜をまつころ
ねぬ夜半の心もしらず月澄みて 宗祇
古註1是又虫の音の霜を待時分の月物がなしくて、いねがてをそへたるうらみをいへり。
古註2物ヲ思ふトキハねられぬ也。月ハ何心なくてすみ渡る面白キ也。
古註3一句は、わがねぬ心を月はしるべきを、前へは、虫の心を知と也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(ねぬ夜半の心もしらず月澄みて虫の音ほそし霜をまつころ)
眠れない夜中の心も知らずに月は澄み渡っている、虫の音もかすかとなり霜を待つ季節だ。
暮秋の霜を待つだけのわびしさに、時の流れを感じ、あるいは自らの老いを感じるのか、出世の先も見えてしまったのか、ふと人生これでいいのかと思い悩み、目は冴え眠れなくなる。
心は雲っているのに、それを笑うかのように月はやけに澄み渡っている。
季題:「月」;秋。夜分、光物。
ねぬ夜半の心もしらず月澄みて
あやにくなれやおもひたえばや 肖柏
古註1今度ハ、ねぬ夜の心をも、いかにとも人がおもひしらぬを、あやにくに絶やらぬ由也。消てハ、待夜はの様也。
古註2付る心ハ、月のあやにくなれやと云たのむことあればと也。
古註3一句は、思ひはあやにくなるもの也。恋路のならひなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(ねぬ夜半の心もしらず月澄みてあやにくなれやおもひたえばや)
眠れない夜中の心も知らずに月は澄み渡っている、思うようにならないものだ、思いを断ち切ろうと思うのに。
未練がましいのは男の常。忘れようと思っても忘れられない女に心悩まされ、夜も悶々として眠れないでいる。
「月澄みて」はそんな気持ちを知らぬげな女のようでもある。
季題:なし。その他:恋。
あやにくなれやおもひたえばや
頼むことあれば猶うき世間に 宗長
古註1たのむことあらバ、うかるべきにあらず。されども、猶うきハ世のならひ也。それをあやにくにたのむがはかなき也。
古註2たのむ事アレバ、ウキ世ノ不如意おほき、おもひたえばやと也。
古註3世上にたのむことあれば、有程うきある物なり。みなあやにくの事なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(頼むことあれば猶うき世間にあやにくなれやおもひたえばや)
求めるものがあるからよりいっそう憂鬱な男女の仲に、思うようにならないものだ、思いを断ち切ろうと思うのに。
思うようにならないのは求めるからだ、とはちょっと醒めたような観想だが、それでも人は愛を求めずにはいられない。
季題:なし。その他:恋。「世間」の「世」は一座五句もの。只一、浮世世中の間に一、恋世一、前世後世などに一とあり、この場合は「恋世」。すでに只が二句出ているのでこれが三句目になる。
頼むことあれば猶うき世間に
老いてや人は身をやすくせん 宗祇
古註1老のこぬまハ、たのむ事もありし世を、今ハ何の望も休しはてて、中々心やすき義也。限あれバ身のうきことも嘆かれず老をぞ人ハ待べかりける。本哥にあらず。心同作也。頓阿の哥也。
古註2若キ時こそ世ノ望もアレ、老テハやすくせん事ヲト云也。
古註3若き程は、たのむ事有也。老ては頼むことなき程にやすきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(頼むことあれば猶うき世間に老いてや人は身をやすくせん)
求めるものがあるからよりいっそう憂鬱なこの世の中に、年とれば人は安らかにすごせるのだろうか。
「老いてや人は身をやすくせん」は「老いて人は身をやすくせんや」の倒置。「や」疑問とも反語とも取れる微妙なところだが、ここでは疑問としておくのがいいだろう。
別にそんなに分不相応な贅沢な望みを抱いてるわけではなくても、生活はいつの世も苦しいもの。何とかもっと楽にならないだろうか、何とかもっと良い人生を送れないものかと、何かと悩みは尽きない。そんななかで、年とったら求めるものもなくなり、もっと楽に生きられるのだろうか、とそういう意味にとっておくのがいいだろう。
「求めない」というタイトルの本がベストセラーになったりする今のご時世ではあるが、禁欲思想というのは今も昔も洋の東西を問わずあるもので、珍しいことではない。
いわゆる快楽主義というのも、結局行き着くところは不快の原因をつくらない、つまり何も求めないところに行き着くものだ。いわゆる静寂主義。
人生は生存競争であり、地位を求めればポストの奪い合いになり、女を求めれば恋敵とのバトルになる。金だって無尽蔵にあるわけではないから、誰かが儲ければ必ず誰かがそんする。仮に成功したとしても、今度は大勢の人のやっかみの目に晒され、出る杭は打たれるの理となり、いつしか引き摺り下ろされる。いや、引き摺り下ろされてなるものかと、何が何でも既得権にしがみついて、今ある幸せを守りきろうとすれば、それだけ悩みの種が増えてゆく。
なら、本当に何も求めなければ幸せになれるのか。何も求めないというのは「生きること」も求めないということだ。つまり後は死ぬしかない。南無阿弥陀仏。
なお、古註3で引用されている歌は、『新拾遺集』巻19の、
限りあれば身のうきことも嘆かれず
老いをぞ人は待つべかりける
頓阿法師
このような比較的新しい歌は、本歌には適さないとされていた。
季題:なし。その他:述懐。「人」「身」;人倫。
老いてや人は身をやすくせん
こえじとの矩もくるしき道にして 肖柏
古註1老後にハ安閑を心とすべきに、又法度をバそむくべきならねば、やすからぬ由也。論語ニ七十而従心所欲不踰矩といへり。
古註2七十ニシテ法を超ずト云古事也。
古註3一句は、法式の法まり。前は、老てやすきと有を、老やはやすき、老てものりをこえじとすれば、やすからぬとつけなせり。連哥の行ゆきやうか、かくなるがおもしろきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(こえじとの矩もくるしき道にして老いてや人は身をやすくせん)
論語の七十にして矩をこえじというが、それもまた苦しい道であって、年とれば人は安らかにすごせるのだろうか。
前句の疑問を反語に取り成すのは、連歌ではよくあること。
孔子は「七十にして心の欲するところに従えど法を越えず」と言ったが、誰もなかなかそんな境地になど達するわけではない。実際には老いたからといって欲がなくなるわけでもなく、死が近づくにつれ生への執着も強くなる。
「老いて人は身をやすくせんや」、いやそんなことはない、老いても人は苦しいものだ。
季題:なし。その他:述懐。
こえじとの矩もくるしき道にして
雪ふむ駒のあしびきの山 宗長
古註1此寄様皆とりなせる句也。山路の雪になづみて、駒もこえがたき心を見せて、駒の足引とつづけられたり。こえじとのといふ詞にあたる所寄妙也。執成句ニハ秀逸なき様に申侍れど、様による事也。此句新撰菟玖波集に入たり。凡撰集に入事、哥も千首百首の内にもかたるべき事ならし。此作者の句、二句までいれり。此時分ハ、宗祇など及がたき所有様に申されし語りつたへ侍り。
古註2駒ノウワサニ付なしたる也。
古註3前句、越じとあるを駒のこえじとなせり。もとより法に駒、又くるしは、雪のかたへ取なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(こえじとの矩もくるしき道にして雪ふむ駒のあしびきの山)
越えられないと言われているのももっともな苦しい道であって、雪を踏みしめてすすむ馬さえも足を引きずる山だ。
前句の「矩」を儒教仏教などの法とせず、単に「越えることができない」と言い伝えられている俗説のようなものとして、「道」を山路のことと取り成す。
そこに越えがたい山の理由として雪を積もらせ、そこを馬で難儀して通る様へと展開する。
それを「足引きの山」という枕詞に掛けて、駒が足を引く、足を痛めびっこを引く山と洒落てみせている。
そして、宗長の機知はここまでにとどまらず、よく見ると「のり」にも二重の意味を持たせている。「のり」と「駒」が寄り合いというのはどういうことかというと‥‥。
季題:「雪」:冬。降物。一座四句物。「応安新式」には「三様之、此外春雪一、似物の雪、別段の事也」とあり、発句に既に雪が出ていて、十一句目には春の雪が詠まれている。雪はこれが三句目で春が一句冬が二句詠まれたことになる。その他:羇旅。「駒」:獣類。「新式今案」では一座一句物。
雪ふむ駒のあしびきの山
袖さえて夜は時雨の朝戸出に 宗祇
古註1旅宿のさ夜時雨、今朝は雪になれり。
古註2夜ひとよしぐれを聞あかして、旅だちたる朝ノ心也。山ヲ見れば、雪ノまんまんトふりたる義也。
古註3これは、里の旅ねなどに、夜る時雨に、朝駒にうちのりて出ぬれば、山は雪なる躰なり。分別可有之。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(袖さえて夜は時雨の朝戸出に雪ふむ駒のあしびきの山)
袖は寒く昨日の夜は時雨だった朝の外出に、雪を踏みしめてすすむ馬さえも足を引きずる山だ。
打越の山路の景色を転じるために、時間の経過で付けている。
前句の雪踏む駒は現在のことで、昨日の夜に時雨が降ったあと、今朝袖も凍るような寒さのなかで旅立って、と付く。
すると、昨日の時雨は山では雪だったようで、積もったばかりの新雪の道に、馬も足を取られることになる。
季題:「時雨」:冬。降物。「新式今案」では一座二句物。秋と冬に一句づつで、これは冬の時雨。その他:羇旅。「袖」:衣装。「夜」はここでは現在のことではないので夜分にはならない。「朝」の付く熟語は一座四句物で、「朝夕」「朝露」に続き三回目。
袖さえて夜は時雨の朝戸出に
うらみがたしよ松風のこゑ 肖柏
古註1此松風ハ、夜ハ時雨にて有けるよと、今朝思ふ心にや。かたしきの袖さえつる音ながら、恨がたきよし也。松風を感じたる心也。擁被聴松風と山谷いひたるにおなじ。
古註2松かぜ面白キ事ヲ恨がたシト也。
古註3よるは時雨とききしが、朝まつ風にて、恨がたしとなり。袖さえてにてうらむるなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(袖さえて夜は時雨の朝戸出にうらみがたしよ松風のこゑ)
袖は寒く昨日の夜は時雨だった朝の外出に、恨むことのできない松風の声よ。
「袖」に「うら」が縁語になる。
さあこれから朝戸出(朝の旅立ち)という時、昨日時雨だと思っていたのが、実は松風の音だと知る。袖に時雨だと、涙雨のことになり恨みがましいが、松風とあれば袖は乾いていて、寒さにきりっと引き締まった、凛とした心となり、そこに恨みはない。
古註に引用されている黄山谷(黄庭堅)の詩は、
題宛陵張待擧曲肱亭 黄山谷
仲蔚蓬蒿宅 宣城詩句中
人賢忘巷陋 境勝失途窮
寒葅書萬卷 零亂剛直胸
偃蹇勳業外 嘯歌山水重
晨雞催不起 擁被聽松風
宛陵の張待擧の曲肱亭に題す
後漢の張仲蔚は蓬の茂る中に住み、宣城の太守だった謝眺はそれを詩句にあつらえ、
人は賢くなると世間のせせこましさも気にせず、勝れた境地に至れば仕官の道に窮しようとも知らぬまで。
お寒いばかりの漬物と万巻の書を、強靭な意志を持つ胸に乱雑にかき込みぐたぐたで、
これといった功績もなく寝たふりしては、山水の幾重にも重なるのを嘯いて歌うだけ。
暁の鶏が急き立てても起きることなく、寝巻きを引き抱えては聴く松風。
黄山谷は松風の音を好んだようだ。「武昌松風閣」では、
老松魁梧數百年 斧斤所赦今参天
風鳴媧皇五十絃 洗耳不須菩薩泉
松の老木は数百年大きく立派で、斧で伐られることも免れ今交わる天に。
風は女媧の五十絃の瑟を鳴らし、耳を洗うのに行かなくてもいい菩薩泉に。
と詠んでいて、伏羲・女媧の伝説の琴にも例えている。(なお、「老松」の「斧斤の赦す所」という詩句は、芭蕉の『野ざらし紀行』の「二上山当麻寺に詣でて、庭上の松をみるに、凡千とせもへたるならむ、大イサ牛をかくす共云べけむ。かれ非情といへども、仏縁にひかれて、斧斤の罪をまぬがれたるぞ、幸にしてたっとし。」に影響を与えたか。)
季題:なし。その他:「松風」は植物(木類)。一座二句物で、23句目に「わきて其の色やはみゆる松の風 宗長」の句があり、「松の風」「松風」と違えて二句となる。
うらみがたしよ松風のこゑ
花をのみおもへばかすむ月のもと 宗長
古註1一句ハ花のミならず、月の面白き由也。前による所、花にうき松風が、月の霞をはらへバ、恨がたしよ也。一句のしたて、寄所のことハリ、別々にて寄特なる者也。
古註2一句ハ、月と花トヲ面白ク思ヒたる義也。月の霞ヲバ、松風ニはらはせたくは思ヘドモ、花ノためニハあだ也。よの中の不如意なる也。
古註3前、恨みがたしとある所にあたりて、花には風を恨とすれど、さすれば、又月に霞をはらふ心にて恨がたしなり。はるのかすみをおもしろくすれども、又かやうにもなすことおほし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(花をのみおもへばかすむ月のもとうらみがたしよ松風のこゑ)
春の霞む月の下で桜の花のことをのみ思っていれば、恨むことのできない松風の声よ。
春の桜の季節は、えてして月は朧になりやすい。かといって、月の美しく澄み渡る秋には桜は咲かない。月と花が同時にきれいにそろうということはあまりない。それだけに貴重なものでもある。
芭蕉の俳諧の発句に、
名月の花かとみえて綿畑 芭蕉
というのがあるが、これも月と花がなかなか同時にそろわないことを踏まえた句であろう。
宗長の句も、こうしたジレンマを詠んだもので、朧月の下で桜が咲いている、風が吹いたなら月にかかる薄雲を吹き飛ばしてくれるだろうが花も散ってしまう。松風を恨んでいいのか恨んではいけないのかわからない、というもの。
季題:「花」:春。植物(木類)。一座三句物だが近年四本とする。植物が二句続いているから、次は植物を出せない。「かすむ月」:春。夜分、光物。春の月は一座二句物。
花をのみおもへばかすむ月のもと
藤さくころのたそがれの空 宗祇
古註1植物三句つづき侍り。不及力、執筆のあやまりになしてをかれたりと也。
古註2藤ノ花ニ付なしたる也。たそがれの時おもしろき様也。
古註3此句、三句植ものつづきたる、作者失念歟。かやうの事を本にはあそばしまじく候。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(花をのみおもへばかすむ月のもと藤さくころのたそがれの空)
春の霞む月の下で花のことをのみ思っていれば、藤の咲く頃の黄昏の空のようにぼんやりとしてくる。
前句を、花をじっと見ていると、その背後にある月に焦点が合わなくなり、霞んで見えてくるという意味に取り成す。
見上げていたのは藤の花で、あたりは夕暮れで誰が誰ともわからないような誰そかれ時となる。
『徒然草』第19段に、季節の移り変わる哀れとして春の終わりのことが取り上げられ、「山吹のきよげに、藤のおぼつかなき樣したる、すべて思ひすて難きことおほし。」とある。藤の花の心はぼんやりとしているというところにあった。
特に夕暮れの光のなかで、藤の色は紫の雲、紫雲のようでもある。
おしなべてむなしき空と思ひしに
藤咲きぬれば紫の雲
慈円法師
西を待つ心に藤をかけてこそ
その紫の雲を思はめ
西行法師
などの歌もあるように、黄昏時の朦朧とした雲のような藤の花は、死を向え、朦朧としてゆく意識のようでもある。
それが心安らかな一日の終わりとともに、こんな風に人生も終れたらという涅槃を求める気持ちにもつながる。のちに芭蕉が詠む、
草臥て宿かる比や藤の花 芭蕉
をも彷彿させる。
悪い句でないだけに、植物が三句続くという、式目違反が惜しまれる。おそらく、「松風」は風のイメージが強いため、「松」という文字が入っているのをすっかり忘れていたのだろう。
しかし、こうした式目違反があるからといって、この一巻が無価値になることはないし、この一句が悪句ということになるわけではない。違反は作品としての良し悪しの問題ではなく、あくまでゲームとしては避ける義務を有すると考えた方がいい。
季題:「藤」:春。植物(草類)。一座三句物。植物三句連続はもちろん違反。ただし、主筆(執筆)が気付かないうちに次の句が付いてしまった場合、後戻りにして違反句を無効にし、やり直すということはしない。その他:「たそがれ」はまだ夜分ではない。
藤さくころのたそがれの空
春ぞ行く心もえやはとめざらん 肖柏
古註1一句ハ春殿の心也。藤咲時分の面白きに、つれなく帰るをいへり。
古註2行春も、心ヲバ藤さくたそがれの時には、とむらんと也。
古註3この春ぞ行は、春どのかく行事なり。藤は、たそがれのえん也。此たそがれの時分は、春どのかく行事なり。このたそがれの時分は、春どの帰る名残あるべきか也。興の心なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(春ぞ行く心もえやはとめざらん藤さくころのたそがれの空)
行ってしまう春の心をどうやって引き止めることができるだろうか、藤の咲く頃の黄昏の空ならば引き止められるだろうか。
古註にある「春殿(しゅんでん、はるどの)」の出典はよくわからない。『連歌俳諧集』(日本古典文学全集32)の金子金治郎の注では、三月の異名である「殿春(でんしゅん)」の間違いとしているが、古註3では「春どの」とあり、春を擬人化しで「殿」という敬称をつけたような感じがする。
ひょっとしたら、古註3は古註1の「春殿」が「殿春」の間違いだということに気がつかず、春に敬称をつけたものだと誤解したのかもしれない。
行ってしまう春の心をどうすれば引き止めることができるだろうか。そんなことを言っても時の流れは待ってはくれないのだが、藤の淡い紫に暮れてゆく黄昏の空を見ていると、ほんの少し時間が止まったような気がするという、そういう意味だろうか。
季題:「春ぞゆく」:春。
春ぞ行く心もえやはとめざらん
深山にのこるうぐひすのこゑ 宗長
古註1山路の春に行人、残鶯にこころをとめよと也。
古註2み山ニ帰ル鶯モ、行春ニハ心とむらんとなり。
古註3前は、春がこころをとむる也。今度は、春の行に、鶯太山に心をとむるかとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(春ぞ行く心もえやはとめざらん深山にのこるうぐひすのこゑ)
春に行ってしまう心をどうやって引き止めることができるだろうか、深い山奥にはまだ鶯が春のさえずりを聞かせている。
前句を「春ぞ行く、心も‥‥」と切るのではなく「春に行く心もえやはとめざらんぞ」の倒置とする。古註1は春に深山を越えて旅立つ人の姿とするが、古註2、3は深山へと去ってゆく鶯の心を止められない、とする。
ここでは人のことだとするのがいいだろう。夏になると鶯は平地から涼しい山地へと移動する。鶯が深山へと去っていくことを止められないように、この私も止められない、と付く。
季題:「うぐひす」;春。鳥類。一座一句物。その他:「深山」;山類(体)。
深山にのこるうぐひすのこゑ
うちつけの秋にさびしく霧立ちて 宗祇
古註1深山の初秋まで残れる鶯也。春より聞ふるしたるこゑながら、秋といへバ、うちつけに物さびしきよし也。打つけに物ぞかなしき木のはちる秋のはじめをけふぞと思へば。
古註2うぐひすは秋まで鳴也。霧にむせぶと云句也。一句はきこゆるごとし。
古註3鶯太山に秋までなく物也。霧にむせぶといふ縁有て。うち付とは、なににても初の事也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(うちつけの秋にさびしく霧立ちて深山にのこるうぐひすのこゑ)
秋ともなると急にさびしく霧が立ち込めて、深い山奥にはまだ鶯の声だけが残されている。。
「うちつけの秋」は「秋のうちつけ」の倒置で、秋になったとたん、秋になってすぐに、という意味。初秋のこと。
題しらず
打ちつけに物ぞ悲しきこのはちる
秋の始をけふぞとおもへば
よみ人しらず
という『後撰集』(巻五、218)の歌もあり、秋になると急に物悲しくなる。
霧に鶯は『和漢朗詠集』の、
咽霧山鴬啼尚少 穿沙蘆笋葉纔分
霧に咽ぶ山鶯は啼くことなほ少なり、
沙を穿つ蘆笋は葉わづかに分てり、
(『和漢朗詠集』「早春尋李校書」元稹)
から来ている。
早春のまだ霧のかかる寒い時期には、鶯の声もまだ弱々しく、それを霧に咽ぶと表現した。
この湯山三吟より9年前に宗祇は同じこの摂津湯山の地で宗伊(杉原伊賀守賢盛)と両吟を興行し、そのときの宗伊の発句にこうあった。
鶯は霧にむせびて山もなし 宗伊
宗祇は、その時のことを思い出したのかもしれない。霧がかかれば鶯の声もかすかとなるだけではなく、山も見えない一面真っ白な世界となる。
なお、この宗伊の発句は先の『和漢朗詠集』の詩句の早春の情に基づくもので、春の句となる。
宗祇の付け句は、こうした情景を踏まえたうえで、それを秋に残る鶯の霧に咽ぶ様に転じている。
季題:「秋」;秋。「霧」;秋。聳物。
うちつけの秋にさびしく霧立ちて
今朝や身にしむ天の川風 肖柏
古註1初秋を天河をミる義也。七夕ハ今やわかるる天川川霧たちて千鳥なく也。
古註2七夕ノ八日ノ事なるべし。
古註3天川に霧をよみたり。又うちつけとあるに、秋のはじめのこと、七夕時分なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(うちつけの秋にさびしく霧立ちて今朝や身にしむ天の川風)
秋ともなると急にさびしく霧が立ち込めて、今朝の天の川を吹く風は身にしみる。
前句の「うちつけの」は秋に掛からずに「霧立ちて」に掛かる。「秋にさびしくうちつけの霧立ちて、今朝の天の川風は身にしむや」の倒置。
七夕は織姫と彦星が一年に一度会う日。会えばまた別れの後朝がやってくる。河原には秋の朝霧が立ち込めて、寂しさが身にしみる。
古註1に引用されている和歌は、『新古今集』巻四、327、
中納言兼輔の家の屏風に
七夕は今やわかるる天川
川霧たちて千鳥なくなり
紀貫之
季題:「身にしむ」:秋。その他:「川風」:水辺。「風」は可隔五句物。「身」:人倫。
今朝や身にしむ天の川風
衣擣つ宿をかりふしおきわかれ 宗長
古註1名所の天河に執なせり。付所ハ義なし。宿かるハ、彼本哥よりことふりたる寄合也。擣衣の哥あるべし。但なくても、身にしむ時分ハ、いづかたの里にも擣衣すべし。
古註2一句ハ旅也。付る心ハ、やどかす人もあらじと思ふ哥也。かたののみかりのかへさノ事也。
古註3前天川を、交野の天の川になせり。かの所にて、宿からんと読たり。又身にしむにて、衣うつとつけたり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(衣擣つ宿をかりふしおきわかれ今朝や身にしむ天の川風)
衣を打つ宿を借り狩の途中に仮寝しては起きて別れてゆく、今朝の天の川を吹く風は身にしみる。
『伊勢物語』第82段に在原業平が惟喬の親王の水無瀬の宮に、狩の途中に立ち寄り、酒を酌み交わした話が記されている。
世の中にたえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
在原業平
の歌もここで詠まれてことになっている。
その在原業平と惟喬の親王が、どこか酒を飲むのにいいところはないかと探していたところ、交野の天の川というところにやってくる。そこで、酒を酌み交わし惟喬の親王が「交野を狩りて天の河のほとりに至る」という題で歌を詠めといい、それに答えたのが、
狩り暮らしたなばたつめに宿からむ
天の河原に我は来にけり
在原業平
の歌だった。
前句の「天の川風」をこの、交野の歌枕である「天の川」に取り成し、在原業平の歌を本歌として展開している。
「衣擣つ」は物語には出てこないが、前句の「身にしむ」を受けて、何が身にしみるのかというところで展開したもので、本歌・本説をとる場合は、そのまんまではなく若干変えなくてはならない。そうでなければただのパクリということになる。
なお、「宿をかりふし」の「かり」は「宿を借りる」「狩りに」「仮りに伏す(仮眠する)」と三重の掛詞になっていて、宗長ならではの機知がうかがえる。
季題:「衣擣つ」:秋。衣装。その他:「宿をかり」:羇旅。「宿」は一座二句物で只一句、旅に一句。第三に「松虫にさそはれそめし宿出でて」とあり、これが只一句、今回が旅に一句になる。
衣擣つ宿をかりふしおきわかれ
夢は跡なき野辺の露けさ 宗祇
古註1擣衣の音にて夢覚て、野亭を出たるさまバかり也。
古註2旅ねノ夢ヲ衣打音ニ覚サレタル様也。一句ノなり面白キ也。
古註3野里などにたびねしたる躰なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(衣擣つ宿をかりふしおきわかれ夢は跡なき野辺の露けさ))
衣を打つ宿を借り仮寝しては起きて別れてゆく、夢から覚めてしまえば何も記憶になく野辺の露だけが残っている。
前句を取りあえず業平からは切り離し、普通の旅寝のこととする。
衣を打つ民家に泊めてもらい、そこで一眠りして次の朝旅立ってゆくと、前の晩に見た夢は思い出せず、ただ露の置く野原だけが広がっている。
これだけだと、ただの旅の一場面なのだが、宗祇法師の有名な、
世にふるもさらに時雨の宿りかな 宗祇
の句を思い起こしてみると、この句も人生そのものを詠んでいるように思える。
人生は突然この世に現れてはやがて去っていかなくてはならない旅のようなもの。ハイデッガーの言葉を借りるなら、我々はこの世界の中に「投げ込まれた(被投性)」のであり、「死への存在」である。
そこで様々な人と出会い、打ち解け、優しさを知るのも、旅の途中に仮の宿を借りるようなもので、いつか必ず別れはやってくる。人生は人に宿を借りる一時の旅寝にすぎず、時雨がさっと降ってはさっとやんでゆくように、辛いことも一時のこと。
砧打つ宿に仮寝して、そこで見た夢。それはいつか必ずやって来る「死」とともに跡形もなく忘却されてゆく。そして、残った野辺の露は、ただすべては「無常」であることを語る。
「夢から覚めたあとの野辺の露けさ」─それは何か悟りのようなものを感じさせる。それが古註2でいう「一句ノなり面白き」なのであろう。
「けさや身にしむ」の句で、さびしい秋の霧を後朝の切なさへと転じた肖柏。それを本歌と巧みな掛詞で転じた宗長。それを深い精神性へと昇華してゆく宗祇。三者の個性のよく現われた三句といえよう。
季題:「露けさ」:秋。降物。その他:「夢」は可隔七句物。「野辺」は一座二句物。6句目にすでに用いられていて、これで二句目。「野」は可隔五句物。
夢は跡なき野辺の露けさ
影しろき月を枕のむら薄 肖柏
古註1夢覚て、月のミ残れる枕也。花麗の金玉也。
古註2月ヲ枕ニシテ、むらすすきノ本にねたる様ノおもしろキ也。
古註3眼前の躰なり。夢覚てみれば、月枕に影すみて、むらすすきの露のきらきらとしたる也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(影しろき月を枕のむら薄夢は跡なき野辺の露けさ))
月を枕にして寝ればススキの影も白く、夢から覚めてしまえば何も記憶になく野辺の露だけが残っている。
「影白き」は月ではなく「むら薄」に掛かる。「月を枕の(にすれば)影しろきむら薄」の倒置。もっとも月の光に照らされて薄が白く見えるのだから、月の光が白いとしても誤りではない。
前句を野宿の情景とし、「月を枕」とする。目が覚めれば月の光に照らされた薄がほの白く、夢は跡形もなく消え去っている。どこかのお屋敷で月見の宴でもやってた夢でも見ていたのか。
侘びた風情ではあるが、月に薄の白さに露のきらめきは華麗でもある。屏風絵のような句だ。何もない野辺にこの世のすべての栄華の夢を隠している、幽玄の美の典型ともいえよう。
季題:「月」は秋。夜分。光物。「薄」は秋。草類。一座三句物。応安新式」には「只一、尾花一、すぐろ、ほやなどに一」とある。脇で既に「すすき」は出ていて、ここでは一応「むら」をつけることと、「冬」と「秋」とで季節を違えている。その他:「枕」は夜分。
影しろき月を枕のむら薄
いつしか人になれつつもみむ 宗長
古註1さほしかの入野の薄初尾花いつしかいもに手枕にせん。本哥まで也。地連哥なるべし。
古註2一句ハ恋也。さをしかの入野の薄ノこころなり。
古註3此句は、小男鹿の入野の薄はつる美尾花(をばな)いつしか妹が手枕にせん。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(影しろき月を枕のむら薄いつしか人になれつつもみむ)
月を枕にして寝ればススキの影も白く、いつの日にか愛しいあの人と一緒に見たいものだ。
「なれる」という言葉は多義で、交わりながら境界が曖昧になってゆく所から来ている。町の暮らしに慣れるというのは、町の人たちと交わりながら、だんだんそこでの習慣を自分の物としてゆくことをいい、仕事に慣れるというのは仕事を自分のものとしてゆくことをいう。自他との境界がなくなり一つになってゆくことを「慣れる」という。「馴れ合い」というのは、自分と他人の区別もなく「なあなあ(これは「なあー」と言えば「なあー」と答えると言う意味)」になること。着物が「なれる」というのは布にびしっとした張りがなくなり、布と外気との間がファジーになることをいい、「なれ寿司」というのは魚が乳酸発酵して形がはっきりしなくなってゆくことから来ている。根付などで「なれ具合」というのも、同じく使い古されて磨り減り、本来の輪郭があいまいになってゆくことをいう。
古語では人に「なれる」という言葉は、愛しい人とその隔たりがなくなり一つになってゆくこと、いわば打ち解けてゆくことをも意味した。今日にも「馴れ初め」という言葉にその名残がある。
薄からいきなり恋に転換して唐突なようだが、本歌がわかればそれほど唐突でもないということか。
さを鹿の入野の薄初尾花
いつしか妹が手枕にせむ
柿本人麻呂(『新古今集』巻四、346)
季題:なし。その他:恋。「人」は人倫。
いつしか人になれつつもみむ
をちこちになりて浅間の夕煙 宗祇
古註1付所、我思ひの煙、のこる方なきやうなれど、思ふ人にハ、みもとがめられぬ様にいへるにや。さて、いつか人になれつつもミんと也。一句、こひの詞なきに似たれども、富士浅間ハ恋の山なるべし。哥のよせ。恋などよめるもかくぞ侍る。おぼろげにてハ、学たがかるべしと也。
古註2遠近ニナリテトハ、こなたかなたへ別たる事也。別テノ後ノ煙也。又いつしかあひ見んト也。
古註3此句、ただそえんに成たる事也。ちと心得がたき句也。只わが中のとをくなる事なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(をちこちになりて浅間の夕煙いつしか人になれつつもみむ)
近くと遠くに別れてゆく浅間山の夕方の煙を見るに付け、いつしかあの人とももとのように一緒に溶け合ってゆくところを見たいものだ。
恋の句を二句つづける場合には、趣向を変えなくてはならない。そういうわけで、片思いの「いつしか」がここで再会の「いつしか」に取り成されるのは必然と言えよう。
とはいえ「なれつつ」という言い回しが、まだなれてない恋人同士にしかならず、あまり濃厚な展開はできない。
そこで恋にシチュエーションにはこだわらず、漠然と離れ離れの恋人を歌う民謡のような素朴な調子で展開してみたのであろう。東国の名所、浅間山の煙に掛けて、ここでは東歌風にというところか。
季題:なし。その他:恋。「浅間」は山類。名所。「煙」は聳物。「夕」の字のつく熟語は「新式追加條々」で一座四句で各懐紙に一句と別に定められている。31句目を参照。
をちこちになりて浅間の夕煙
きゆとも雲をそれとしらめや 肖柏
古註1夕煙消とも、とうけたる詞也。思ひきえし煙の末を、いづれの雲ともしられじと也。雲晴ぬあさまの山のあさましや人の心をミてこそやまめ、とあるよせ。下もえに思ひ消なんけぶりだに跡なき雲のはてぞかなしき。
古註2かならず煙は雲ト成也。遠近ニ別たる人ハ、きゆとも其雲トハしられじと也。
古註3あさまのけぶり、とをくなり近く成ほどに、烟に無分別躰也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(をちこちになりて浅間の夕煙きゆとも雲をそれとしらめや)
近くと遠くに別れてゆく浅間山の夕方の煙、消えてしまったらどの雲がその煙なのかわからないだろう。
前句の「遠近になりて」をまだなれぬ恋人の離れ離れではなく、十分つき合った後で別れた恋人の離れ離れへと展開する。
いつの間にか疎遠になってしまったけど、思いは雲となってまだ空に残っている。あなたはそれに気付くでしょうか、という展開。
古註1に引用されている古歌は、
誹諧歌 題しらず
雲はれぬあさまの山のあさましや
人の心を見てこそやまめ
なかき(『古今集』巻十九、1050)
「浅間山のあさまし」という言い回しが掛詞というよりは駄洒落に近く、俳諧とみなされたか。
五十首歌奉りしに寄雲恋
下もえに思ひきえなむ煙だに
跡なき雲のはてぞかなしき
俊成女(『新古今集』巻十二、1081)
季題:なし。その他:恋。「雲」は聳物。
きゆとも雲をそれとしらめや
はかなしや西を心の柴の庵 宗長
古註1一句ハ西を心とする身のはかなき由にや。臨終の当意は、それといふ分別もおぼつかなかるべしとぞ。西方行者の用心にや。
古註2西ヲ心トハ、一さんまいノむかへノ雲ヲ待たる心也。むかへノ雲ニハ、しられがたき心ヲばかなしやと云り。
古註3一句、柴の庵にて、西をねがふ心也。きゆともとは、命の事なり。此雲、紫雲の事か。それをはかなしや。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(はかなしや西を心の柴の庵きゆとも雲をそれとしらめや)
西方浄土を願う柴の庵なんてのも何かむなしいものだ、消えてしまったらその雲が紫雲かどうかもわからないだろう。
これは宗長の機知。前句の「消ゆ」を死ぬこととし、「雲」を死んだときに現われる紫雲のことだとして取り成す。
死んだら意識がないのだから、地獄だろうが極楽だろうがそれを「知る」ことはない。来世を願って生きるなんて空しいことだ、と。昔の人でもこういう醒めた唯物論者というのはいくらもいたのだろう。
内容が内容なので「西を心の」とはあっても釈教ではない。述懐となる。
季題:なし。その他:述懐。「柴の庵」は居所。「庵」は一座二句物。いほ一、いほり一で、今回は「いほ」。
はかなしや西を心の柴の庵
身のふりぬまに何おもひけん 宗祇
古註1壮年の程ハ思ひもかけぬ物を、老後に驚て思ふを、はかなやといへり。一句ハ昔を今にしたる心也。
古註2若キ時ハ何事にても思ヒナシ。老後ハただにしヲ思フ心ノミト也。
古註3はかなしや、身のふりては、西のねがひよりほかは、何思けん也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(はかなしや西を心の柴の庵身のふりぬまに何おもひけん)
西方浄土をいまさら願う柴の庵はむなしいものだ、これまで歳を取ってきて何を思っていたのだろうか。
流石に真面目な仏教徒である宗祇法師さん。ここは「はかなしや」を今まで西方浄土を思わなかったことがむなしいと詠み変えている。
これも若い頃は何で仏の道を思わなかったのかとの後悔の句なので、釈教ではなく述懐になる。
季題:なし。その他:述懐。「身」は人倫。
身のふりぬまに何おもひけん
見るめにも耳にもすさび遠ざかり 肖柏
古註1老後のすさびもなきよし也。
古註2月花ニモ遠ザカリたると述懐したる心也。
古註3身はふりて、みる事も聞こともかなはぬ也。然ば、何の慰もなきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(見るめにも耳にもすさび遠ざかり身のふりぬまに何おもひけん)
これまで歳を取ってきて何を思っていたのだろうか、今では見る目にも聞く耳にも楽しみから遠ざかってしまった。
若い頃は生活に追われて、楽しいことも「老後の楽しみ」に取っておこうとして、ついつい頑張ってしまうもの。だがいざ年取ってみると目も耳も衰えて、結局は何も楽しむことができない。
「すさび」はなすがままに任せること。「風が吹きすさぶ」といえば、風が吹くままにさえぎるものがないことをいう。「老いのすさび(すさみ)」というのは、年とって隠居して生活の苦しみから解放されたお年寄りが自由気ままに振舞うことをいう。しかし、それも元気なうちのこと。やはり今を大事に生きなければいけない。
後に芭蕉が詠む、
日は花に暮てさびしやあすならう 芭蕉
の句を彷彿させる。
季題:なし。その他:述懐。
見るめにも耳にもすさび遠ざかり
冬のはやしに水こほるこゑ 宗長
古註1眼前にとりなせり。
古註2紅葉もチリテ水モこほる也。みるめときくとに付る也。
古註3林といふに、四季しきのみるめあり。又氷にてにてことあり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(見るめにも耳にもすさび遠ざかり冬のはやしに水こほるこゑ)
今では見る目にも聞く耳にも楽しみから遠ざかってしまった、冬の林には水が凍ってゆく音がする。
「すさび」とは花や月など心動かすものに素直になり、もちろん絵画や音楽や舞踏などに興じるのも良し、今ならこれに動画やゲームが加わるといったところか。
林は春には桜も咲けば鶯もさえずり、夏にはホトトギスに蝉の声、秋には紅葉と目や耳を楽しませてくれる。
だが、いまや冬枯れとなり、寒々とした林に聞こえるのは水の凍る音。それはそれで一つの風情ではあるが、ストイックなもので心うきうきするようなものではない。見る目にも耳にも「すさび」とは程遠いものとなってしまった。
季題:「冬」は冬。その他:「林」は植物。「水」は水辺(体)。
冬のはやしに水こほるこゑ
夕がらすねに行く山は雪はれて 宗祇
古註1烏のこゑになしたり。眺望也。
古註2なりの句也。面白キ句とかや。
古註3はやしへからすのねに行やう也。声が烏に縁あり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(夕がらすねに行く山は雪はれて冬のはやしに水こほるこゑ)
夕暮れの烏が寝に行く山は雪も上がって晴れ渡り、冬の林には水も凍るような声がする。
前句の「水こほるこゑ」を文字通りの水が凍ってゆく音とするのではなく、水も凍るような寒々した声という比喩とし、それを冬枯れの林にこだまするカラスの声とした。夕方になると里に出てきていたカラスも山の林のねぐらへと帰ってゆく。
カラスはかつては死肉を求めて群がる不吉なイメージがあった。枯れ枝に群がるカラスは死を案じさせるもので、芭蕉の、
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮 芭蕉
もまた、死の暗示により人生の無常を悟り、限りある人生の自覚ももとによりよく生きる決意をもたらす意味があったのであろう。
季題:「雪」は冬。一座四句物。発句、十一句目、六十二句目についでこれが四句目。冬三句、春一句は式目どおり。その他:「夕がらす」は鳥類。「夕」がつく熟語は一座四句物で、三十一句目の「夕間暮れ」、七十五句目の「夕煙」についで三句目。「山」は山類(体)。
夕がらすねに行く山は雪はれて
いらかのうへの月の寒けさ 肖柏
古註1烏のねに行山舎に晴たる月雪也。
古註2是もただなりの句也。
古註3いらかとは、かはらなどの事也。山でらなどの躰也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(夕がらすねに行く山は雪はれていらかのうへの月の寒けさ)
夕暮れの烏が寝に行く山は雪も上がって晴れ渡り、瓦屋根の上の月が寒々としている。
「烏」は僧侶の比喩にもなる。黒い衣を着ているからだ。お坊さんの寝に行く所はもちろんお寺。お寺には必ず「何某山‥‥寺」と付く。甍は大きなお寺を連想させる。
ただ、寺とは限定せず、ただ匂わすだけにとどめることで、何となく幽玄な趣きが生れる。これが宗祇や宗長とは違う肖柏ならではの一つの到達点なのであろう。
季題:「月の寒けさ」は冬。寒月のこと。夜分。光物。
いらかのうへの月の寒けさ
誰となく鐘に音して更くる夜に 宗長
古註1鐘におきいでたるあかつきの景気迄也。
古註2たれとなくとは月にうかれたる人也。鐘ノ時分人音ノ聞えたる也。
古註3山寺などの躰也。月に鐘などの声を興じて、ねぬをとなど也。『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(誰となく鐘に音して更くる夜にいらかのうへの月の寒けさ)
誰とはなしに鐘に物音を立ててふけてゆく夜に、瓦屋根の上の月が寒々としている。
「甍」から寺を連想し、「鐘」を付ける。
夜明け前の後夜の鐘が鳴れば、お寺の僧侶達は修行をはじめる。それを、月に浮かれて、ついつい夜更かしをしてしまった人の視点から見ているのであろう。
月は無情にも西へと傾き、あ~あ、今日もまた一日が始まるのか‥‥。
鐘の音というと、江戸時代だと夜明けと日没に撞く明け六、暮れ六の鐘など、時刻を知らせるために鐘を撞いていた。だが、中世ではどのようにお寺の鐘が撞かれていたか研究を要するところだ。
日没に撞く入相の鐘は和歌にも詠まれ、連歌でも一座四句の「鐘」のなかで入相が一句と、特別なものとして扱われている。それとは別に、すっかり暗くなってから撞く初夜の鐘と空が白み始めるころに撞く後夜の鐘があったと思われる。後夜の鐘は一般的には午前四時くらいと言われているが、当時は不定時法であるため、寒月の頃は午前五時に近い。
初夜、後夜というのは仏教の方での一日の時間を六時に分ける考え方によるもので、日没、初夜、中夜、後夜、晨朝、日中を六時という。(『ウィキペディア(Wikipedia)』六時礼讃の項を参照。)
季題:なし。その他:お寺での修行をテーマにしている点では「釈教」といえよう。「ふくる夜」は夜分。「鐘」は一座四句物。只一、入逢一、尺教一、異名一、とあり、この場合は尺教。入逢は既に三十三句目に出ている。「誰」は人倫。
誰となく鐘に音して更くる夜に
古人めきてうちぞしはぶく 宗祇
古註1老者の誰ともなき義也。さる様みる心ちする、したて寄妙なるにや。
古註2よもぎふのやどへ、ひかる源氏これみつをめしつれて御出ありしことなり。
古註3音してとあるに、しはぶくと也。こびたる句也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(誰となく鐘に音して更くる夜に古人めきてうちぞしはぶく)
誰とはなしに鐘に物音を立ててふけてゆく夜に、すっかり年寄りくさくなって咳払いをしてしまう。
人は年とると朝早く目覚めるようになる。
後夜の鐘が鳴り夜が白み始めるころとなると、どこからともなく人が起き出して物音が聞こえてくる。それを聞いては、ついつい自分はもっと早く起きてるぞと言わんばかりに、咳払いをしてしまう。何とも年寄りくさいことだ、と自嘲する。
古註1に「さる様みる心ちする」とあるように、誰もがこういう老人いそうだと、目の前にその情景が浮かぶ。これは後に芭蕉が得意とした一種の「あるあるネタ」と言ってもいいかもしれない。
季題:なし。その他:「古人」は人倫。
古人めきてうちぞしはぶく
よもぎふやとふをたよりにかこつらん 肖柏
古註1蓬生の巻に、侍従のおば君、惟光を見付て、かこち出たる事なるべし。
古註2よもぎふノやどへ源氏御出ありしとき、侍従げんじニとりつきたてまつりて、うらみを云ル事あり。
古註3源氏よもぎふの巻の体也。古人のうちしはぶく事、この巻にみへたり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(よもぎふやとふをたよりにかこつらん古人めきてうちぞしはぶく)
蓬生を訪れて来たのを何かの縁ばかりについつい愚痴ってしまったか、すっかり年寄りくさくなって咳払いをしてしまう。
「よもぎふやとふをたよりにかこつらん」は「よもぎふをとふをたよりにかこつらんや」の倒置。係助詞は倒置から生じた用法で、「春ぞ来にける」は「春の来にけるぞ」の倒置、「人こそ見えね」は「人の見えねばこそ」の倒置と考えていい。
三つの古註は共通して『源氏物語』の蓬生巻の本説であることを指摘している。
明石から戻りしばらく多忙な日々を過ごした光源氏が、ふと末摘花の君の荒れ果てた家を訪ねたとき、まず惟光に様子を見に行ってもらい、そこで「侍従が叔母の少将といひ侍りし老い人」に合い、その場面に、
「よりてこわづくれば、いと物古りたる声にて、まづしはぶきを先に立てて、彼は誰れぞ、なに人ぞととふ。」
とある。
前句の「古人めきてうちぞしはぶく」をこの人物に取り成したということはわかった。この人物は「侍従が叔母の少将といひ侍りし老い人」だということがわかる。古註1の通りだとわかる。
ただ、源氏の本説がなくても、たまたま尋ねて来た人についつい愚痴ってしまって、年取ったものだな、という句として成立する。
季題:なし。その他:「蓬」は植物、草類。四句隔ててそのまえに「冬の林」があるが、「冬の林」は植物でも木類だから、木類と草類は可隔三句物なので問題はない。
よもぎふやとふをたよりにかこつらん
この比しげさまさる道芝 宗長
古註1此比のおこたりに、道芝しげくなりたる様にかこつ心にや。
古註2よもぎふノやどのなり也。
古註3よもぎふの宮の体也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(よもぎふやとふをたよりにかこつらんこの比しげさまさる道芝)
蓬生を訪れて来たのを何かの縁とばかりについつい愚痴ってしまったか、この頃は道端の芝までも茂っているから。
これは遣り句で、道の芝が茂っているありふれた情景を付けて、何とか「蓬生」の強烈なイメージをぬぐおうとしている。
連歌では同じ本説の句を続けてはいけない。ただ、「蓬生」という有名な物語のタイトルが出てきてしまうと、そのイメージを振り払うのは難しい。
とはいえ、前句に「蓬生」という源氏物語の巻のタイトルが入ってしまっているので、次の句をどう付けてもそのイメージから逃れにくい。古註2と3は、そのイメージに囚われてしまったのだろう。
本来、本説の句は三句にまたがってはいけないのだが、ここでは他の本説になるような「蓬生」の用例が思いつかなかったのか、思いついたとしても源氏の蓬生のイメージがあまりにも強烈なのでやっぱりそれに引きずられてしまったか、展開の不十分は仕方ない。
取りあえずここは物語と関係なく、蓬も茂れば芝も茂るというありがちな風景として流しておくべきだろう。
季題:「しげさ」は夏。その他:「道芝」は植物、草類。植物は二句までだから、これで終わり。
この比しげさまさる道芝
あつき日は影よわる露の秋風に 宗祇
古註1しげさは露の事也。寄所さだか也。
古註2是は残暑ノ漸ニよはりたる心也。道しばニ露ヲ付る面白キ也。
古註3前句、此ごろしげさまさるとあるを、こんど、つゆのまさるとつけなせり。あつきほどは、露はなきものなり。すずしくなりて、露をく物なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(あつき日は影よわる露の秋風にこの比しげさまさる道芝)
暑かった日の光も弱れば秋風に道芝の露もますますしげくなってゆく。
例によって複雑な倒置の言い回しだが、「あつき日は影よわる露の秋風に」は「影よわるあつき日は秋風に露の」の倒置。「この比しげさまさる道芝」と合わせると、「影よわるあつき日は秋風に道芝の露のこの比しげさまさる」となる。
古註にもあるように、「しげき」を道芝の茂きではなく、露の茂きと取り成すところが味噌。宗祇技ありの一句。
季題:「秋風」は秋。一座二句物で「秋風」が一句、「秋の風」が一句と違えることになっているが、四句目に「さ夜ふけけりな袖の秋かぜ 肖柏」の句がある。「あつき日」はこの場合意味的に残暑のことになるので秋になる。その他:「日」は光物。「露」は降物。
あつき日は影よわる露の秋風に
衣手うすし日ぐらしのこゑ 肖柏
古註1さる時節の様、無比類者也。
古註2アツキ比ナレバ、衣手モウスキ也。一句おもしろキ也。
古註3衣手うすきとあれば、すずしき心か。初秋に日ぐらし鳴物也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(あつき日は影よわる露の秋風に衣手うすし日ぐらしのこゑ)
暑かった日の光も弱り露をもたらす秋風にヒグラシの声ともなれば衣手も薄い。
「影よわる」を季節が移ろいで日差しがだんだん弱るという意味ではなく、日が傾いて日差しが弱まると取り成し、そこにヒグラシの声を付ける。
季題:「ヒグラシ」は秋。虫類。一座一句物。その他:「衣手」は衣裳。
衣手うすし日ぐらしのこゑ
色かはる山の白雲打ちなびき 宗長
古註1一句のことがら珍重なるにや。日ぐらし鳴て、かたへ色付たる山のはに、雲の衣のうすき風情、眼前也。
古註2ひぐらしニ色かはる山ト付る、衣でニ雲ト付なしたる也。
古註3いろかはる、梢の色づく心也。その山の白雲也。雲の露もといふより付なり。日ぐらしに色かはる体なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(色かはる山の白雲打ちなびき衣手うすし日ぐらしのこゑ)
ヒグラシの声に色を変えてゆく山には白い雲の衣手が薄く打ちなびいている。
前句の「衣手うすし」を打ちなびく白雲の衣と取り成し、ヒグラシに「色変わる山」と付くのは古註にあるとおり。これも宗祇の八十七句目に劣らず、高度な「てには」回しの句だ。
複雑な倒置を解消すると、「日ぐらしのこゑに色かはる山の白雲打ちなびき衣手うすし」となる。
ヒグラシは夏から秋の初めにかけて朝や夕暮れに鳴くもの。
これに対して、「色かはる山」は紅葉の季節ということになると晩秋の季語になる。曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』(2000、岩波文庫)には「色かはる」はないが、「色不変松(いろかへぬまつ)」が九月のところにある。「色かはる」自体が季語というよりは、意味の上で紅葉のことだから秋ということになるのだろう。
初秋のヒグラシに晩秋の色変わると、何か季節的に合わない感じがするが、「ヒグラシの声に色変わる」と付くことで、秋の長い時間の流れを表しているのだろう。
季題:「色かはる」は秋。その他:「山」は山類の体。「白雲」は聳物。
色かはる山の白雲打ちなびき
尾上の松も心みせけり 宗祇
古註1一句、尾上の松も面白眺望の心をみせたると云義也。
古註2松ハ不変ノ物ナレドモ、さすがニ秋ハさびしき也。
古註3(ナシ)(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(色かはる山の白雲打ちなびき尾上の松も心みせけり)
色を変えてゆく山には白い雲が打ちなびき、稜線上にある松も秋の心は隠せない。
松は常緑樹で紅葉はしないし、枯れて茶色くなることもない。いつでも夏のように青々としてはいるものの、山の稜線にうっすらと薄い雲が打ちなびくと、松もうっすらと白く色を変え、秋めいて見える。
白くなるというのは、人間の頭が白髪になってゆくのを連想させる。寓意としては、いつまでも若いつまりでいても頭は白くなり、人生の秋を知るということか。
穏やかな景色の句が続く。
名残の懐紙の裏になる前にもうひと展開欲しい所で、「心見せけり」の擬人化した言い回しは、寓意と取り成して恋への展開を催促しているように思える。いわゆる「恋呼び出し」の句だ。
季題:なし。その他:「尾上」は山類の体。「松」は植物、木類。草類の「道芝」から三句隔てている。
尾上の松も心みせけり
たのめ猶ちぎりし人を草の庵 肖柏
古註1草庵の尾上の松も、我心を見する由也。然者、待といふ事を契りし人もみるらん也。松を待に取りなせり。
古註2草ノいほニ契たる、たのめトいふ句也。そのゆへハ、松も心ヲ見せたる様也。松ヲ待ノ字ニ付なしたる也。
古註3おのへの松の辺の草の庵に、人をちぎりて待る也。あたりの松も、わが心をあらはす程に、みせてなをたのめ也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(たのめ猶ちぎりし人を草の庵尾上の松も心みせけり)
草庵で結ばれた人を今でも信じてますよ、稜線上にある松にも待っている心は見えるでしょ。
これも複雑な倒置。「たのめ猶ちぎりし人を草の庵」は「草の庵にちぎりし人を猶たのめ」で、「草の庵にちぎりし人を猶たのめ尾上の松も心みせけり」となる。松は「待つ」との掛詞になる。
さすがに肖柏さん、恋を振られてもさらっと付けてくれる。
「ちぎる」は約束するという意味もあるが、遠まわしにあの行為の意味でも用いられる。
「草の庵」だとか「草庵」だとかいうと、何となく隠棲しているお坊さんが浮かんできてしまって、ひょっとしてそっちの道?と思ってしまうが、「草庵」のそういうイメージは多分江戸時代になってからのもので、中世では普通に貧しい掘っ立て小屋のイメージだったのだろう。
そんなところで愛し合って、いつまでも待ち続けているというと、ちょっと万葉時代の恋のようで、王族が気まぐれでやっちゃった村の娘が、いつまでも待ち続けていたことを後で知って感動するなんて物語があったような。
季題:なし。その他:「たのめ」「ちぎり」は恋。「人」は人倫。「庵」は居所。一座二句物で「いほ」と「いほり」に違えなくてはいけないのだが、七十七句目に「はかなしや西を心の柴の庵 宗長」の句がある。
たのめ猶ちぎりし人を草の庵
うときは何かゆかしげもある 宗長
古註1うとき人ハ、草庵をとふべきにあらず。契し人をたのめと也。
古註2うとき人は、ゆかしキ事もあるまじきに、ゆかしキハいかんとぞ也。
古註3草の庵には、うとき人をなに事にさのみ頼ぞと也。わが心にて、又思ひかへす心也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(たのめ猶ちぎりし人を草の庵うときは何かゆかしげもある)
結ばれた人をそれでも信じなさいな、草の庵に住んでよそよそしくしている人に何で惹かれたりするんですか。
前句の「たのめ猶ちぎりし人を」と「草の庵」を切り離し、「草の庵」なんかに住んでいるよそよそしい人なんて何の魅力もないでしょ、と付く。
季題:なし。その他:「うとき」は恋。
うときは何かゆかしげもある
わりなしやなこその関の前わたり 宗祇
古註1なこそといふに、何の床しげかありて、わりなく前わたりをするぞと也。前による心も、一句のことはりにおなじ。寄妙のしたて也。
古註2なこそと云人ノ前わたりをあるく義也。何かゆかしげもあると付る也。
古註3名こそとは、なきぞと心得たるにみなよめり。なきそと有にて、うとき心あり。さやうなるを、なに事にて前わたりするぞと也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(わりなしやなこその関の前わたりうときは何かゆかしげもある)
どうしたらいいことか、なこその関の前をうろうろしている、よそよそしくしている人に何で惹かれたりするだろうか。
「や」や「か」は古文の時間に疑問・反語と習うが、連歌の場合は疑問は反語に、反語は疑問に取り成すのが定石とも言える。前句が「よそよそしくしている人に何で惹かれたりするんですか(惹かれたりしないでしょう)」という反語だったから、ここは疑問に取り成す。
よそよそしい人になぜか惹かれてしまうというのはよくあることで、寄ってくる人はいつでもモノにできるとばかりキープするだけで、よそよそしい人にほどチャレンジしたがる。それを逆手に取ったのが、いわゆる「ツンデレ」だ。古語だと「つんつん」は「そばそばし」、「でれる」は「なつく」だから、「そばなつ」とでも言うべきか。
なこその関は一般的には福島県いわき市の南部、茨城県北茨城市との境界近くで観光地にもなっている勿来の関とされているが、これは江戸時代に一般化した説で、実際の所は諸説あってよくわからなという。
陸奥への古代の駅路は東山道だと白河を通り、東海道の方から行くと今の国道349号線、茨城街道の方から白河の先で合流し中通りを行く。浜通りのほうを北上する古代道路も存在したとされるが、そこにあったのは菊多関で「勿来の関」はその別名だとする説もあるが定かでない。後に菊多関と勿来関が混同された可能性もある。
陸奥国府のあった宮城県の多賀城の北に勿来川があり、勿来神社があったことから、惣の関が勿来の関ではないかという説も有力になってきている。
和歌や連歌では勿来の関は、「なこそ」という名前を「な・来(こ)そ」つまり「来るな」という意味と掛けて用いられることが多い。
平安時代にあって勿来の関を有名にしたのは、『千載和歌集』の、
陸奥國にまかりける時、
勿來の關にて花のちりければよめる
吹く風をなこその関と思へども
道もせに散る山ざくらかな
源義家朝臣
の歌で、吹く風を来るなと言って追い返す関なのに道が見えなくなるほどの山桜が散っているというこの歌には、戦には勝っても多くの人が散っていった悲しみが感じられる。
『山家集』にも「旅の歌とて」という前書きで6首連ねるうちの一つに、
東路やしのぶの里にやすらひて
なこその関をこえぞわづらふ
西行法師
の歌がある。
信夫の里というと「しのぶもじ摺り」で、芭蕉も信夫の里尋ねて、もじ摺り石がひっくり返ったまま放ったらかしになっているのを嘆いているが、これは中通りの福島市内だ。位置的にもここから浜通りのいわきへ行くよりは、多賀城の方に向かうほうが自然なように思える。
西行法師がみちのくを旅したのは確かだから、勿来の関の正確な位置を知っていたかもしれないが、都の大宮人の多くはただ噂に聞くだけで、もっぱら「なこそ」の掛詞の面白さが中心となっている。
この宗祇の句でも、本当のなこその関のことではなく、来るなと言われている思い人のところについつい行ってはうろうろしてしまう様を、あくまで喩えとして「なこその関」と言っているにすぎない。まあ、気持ちはわかるが、今だったらストーカーだ。
季題:なし。その他:「前わたり」は恋。「勿来の関」は名所。「関」は一座四句物で「只一、名所一、恋一、春秋などに一」とある。この場合は「名所」なのか「恋」なのか。いずれにせよこの一巻では初めて出る。
わりなしやなこその関の前わたり
誰よぶこどり鳴きて過ぐらん 肖柏
古註1東路のなこその関のよぶこ鳥何につくべき我身□(なカ)るらん。本歌のことはりまで也。
古註2あづまぢのなこそなこそと云所ヲ、よぶこ鳥は、なきて過ぐらんと也。
古註3古歌に、東なるなこその関の呼子鳥なににつくべき心なるらん。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(わりなしやなこその関の前わたり誰よぶこどり鳴きて過ぐらん)
どうしたらいいことかと、なこそ(来るな)の関の前をうろうろしている、誰を呼ぶのか呼子鳥が「来よ」と鳴いて飛んでゆくからか。
名残の裏ということで、ここは恋を離れる逃げ句となる。つまり「前わたり」を恋の情から切り離さなくてはならない。
そこでさすが肖柏さん。なこその「来るな」に対して呼子鳥が「来よ」と言っているから、どっちに従えばいいのかわからず行ったり来たりしているというロジカルなネタとして展開する。
なこその関も諸説あったが、今回の「呼子鳥」も難問だ。ネットを検索すると、カッコウのことだという説、「呼ぶ」ということに掛けた、何かを呼んでいるかのように聞こえる鳥一般を指す、特定のとりではないという説、ウグイス説、ホトトギス説、ツツドリ説、猿説などいろいろ出てくる。
特定の鳥ではないという説は、時代が下って呼子鳥がどの鳥をあらわすのかわからなくなった頃には、実際にそういうふうに用いられていたと思われる。多分肖柏さんもそうだと思う。前句の「なこその関」もわからないし「呼子鳥」もわからないけど、中世の和歌や連歌では「な来そ」「呼ぶ」に掛けて習慣的に用いられていたに違いない。だから肖柏のこの句に関しては、それでいいのだろう。
ただ、それでは何かすっきりしないのは確かだ。
呼子鳥に関しては曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草(上)』(2000、岩波文庫)には、
「此鳥のこと、古今集三鳥の一などいひて、諸書に説々あり。或は猿の事といひ、或は山鳥也といひ、又は山鶫、又は鶯、郭公、などさまざまの鳥にあてていへど、みなたしかならず。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)
とあり、『年浪草』の説として、ツツドリを挙げている。ツツドリはカッコウやホトトギスの仲間でカッコウよりは小さいが、同じく夏鳥で托卵する。全身灰色の鳥で、筒を叩いたような「ココッ、ココッ」という声で鳴く。これが一番それらしい。
『増補 俳諧歳時記栞草(上)』はまた、賀茂真淵の説も紹介している。
「真淵翁曰、よぶこ鳥は春の暮より夏にかけて啼鳥也。此声は、人を呼がごとくきこゆるによりて呼子鳥と云。鳩に似て羽も背も灰色ににて、腹はすずみ鷹のごとく、足は鳩より少し高し。また曰、かほ鳥と云いふもこの鳥也。今俗のかんこ鳥と云もの也。喚子鳥の字音よりとなへ誤れる也。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)
カッコウ説はこれが元になっているのだろう。
がだ、カッコウは閑古鳥と呼ばれ、江戸時代でも夏の季題として定着しているのに対し、呼子鳥は春の季題だ。季節はずれのカッコウという説はやや無理がある。ツツドリならカッコウともホトトギスとも別だから、独立して春の季題としてもおかしくない。ツツドリはホトトギスやカッコウの陰に隠れて忘れられた鳥になっていたのではないかと思う。
季題:「呼子鳥」は春。鳥類。一座一句物。その他:「誰」は人倫。人倫は打越を嫌うだけで、「人」から二句隔てているから問題はない。
誰よぶこどり鳴きて過ぐらん
おもひ立つ雲路ぞかすむ天津雁 宗長
古註1雁□我名をよぶ鳥也。さてよぶこ鳥を雁に取なせる句也。なきて過らんも雁の事也。
古註2雲ぢはるばると霞たるかたへよそへて付る也。いづくへ行ぞと、よぶこ鳥を雁ニ付なしたる也。
古註3雁は故郷に帰行に、其折ふし、よぶこ鳥は誰をよぶと云事也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(おもひ立つ雲路ぞかすむ天津雁誰よぶこどり鳴きて過ぐらん)
帰ろうと飛び立った天津雁の雲の道は霞んでいてよくみえない、誰かを呼んでいる呼子鳥が鳴きながら通り過ぎたのかと思った。
「らん」は前句では疑問の意味だったが、お約束通りここでは反語となる。そして、「て」止めや「らん」止めでよくあるように上句と下句が倒置になっていて、「誰かを呼んでいる呼子鳥が鳴きながら通り過ぎたのだろうか、そうではなく帰ろうと飛び立った天津雁の雲の道は霞んでいてよく見えなかっただけだ」となる。本当は雁なのだが、霞のせいで呼子鳥かと思ったという意味。
季題:「雁」は秋だが、この場合は「帰る雁」なので春。鳥類が二句続く。「霞む」も春。聳物。八十九句目の「白雲」から五句隔てている。その他:なし。
おもひ立つ雲路ぞかすむ天津雁
さこそは花を跡の山ごえ 宗祇
古註1花を跡になしてかへるは、雁もさこそは残おほからめ、と云心を、云残したる付様也。
古註2まへニ付る、雁はうわさに付なしたる也。一句は旅人ノ事也。
古註3山を越来るに、あとの花をおもふ事也。前へよる心は、いく重ともなくさこそ花の山をこえゆくらん。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(おもひ立つ雲路ぞかすむ天津雁さこそは花を跡の山ごえ)
惜しむ気持ちを振り切ろうとすると雲路も霞む、天津雁よ、お前こそは花を跡にして山を越えて行く。
「思い立つ」を「思い断つ」に取り成し、花の咲く山を跡にして越え去ってゆく旅人の心情の句とする。「思い断つ雲路も霞むぞ、天津雁、さこそは花を跡の山ごえ」の倒置となる。相変わらず高度な「てには」の使い方で付けてくれる。
春の句が二句続き、ここで花の句に行くのは必然と言えよう。当時はまだ花の定座というのはないし、花の句が長句(575)でなければいけないという決まりもない。「新式今案」で花が一座四句物になったので、名残の懐紙にも一句花の句があってもいい。「尾上の松」からも五句隔たっている。
季題:「花」は春。植物。一座四句物。その他:「山」は山類の体。
さこそは花を跡の山ごえ
心をもそめにし物を桑門 肖柏
古註1色にそみ、香にめづる人の、世をも春をもふりすつる名残は、さこそとおしはかる也。
古註2一句ハ世ニ心ヲそめしト也。前句ニハ、花の方へそむるト付なしたる也。
古註3前の跡といふを世中にある花になして、今世をはなるる山ごへにいふこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(心をもそめにし物を桑門 さこそは花を跡の山ごえ)
心にいろいろ執着するものがあっただろうに世捨て人、それこそは花を跡にしての山越えだ。
この付け句はわかりやすい。
前句の「花を跡の山ごえ」を、いろいろな世俗への執着を断ち切って世捨て人になることの例えと取り成す。
季題:なし。その他:「桑門」は人倫。述懐。
心をもそめにし物を桑門
いでばかりなるやどりともなし 宗長
古註1心をとめてしめ置しやどりを、かりそめには思ひなすとも、立出ば執心有べきの由也。松風の巻にや、大井の家の庭をつくろはせ給ふ時、かかる所をわざとつくろふも、あひなきわざ也。さてしも過しはてねば、立時物うく心とまるわざなり、と侍るよセもあるべし。
古註2いづかたも、すめばかりなるやどにてはなし、と執心したる心也。
古註3心とめたる宿になせり。然ば、出ばいづれの宿もかりなるなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(心をもそめにし物を桑門いでばかりなるやどりともなし)
心にいろいろ執着するものがあっただろうに世捨て人、出て行こうとすれば仮の宿なんてものはない。
この句もさらっと心(意味)で付けている。
「心をもそめにし」の心に執着するものを長年住み慣れた家のこととし、この世は皆仮の宿に過ぎないのだと思ってはみても、とてもそんな気にはなれないとする。出家するとはいえ、住み慣れた家をあとにするのは心残りだ。
季題:なし。その他:「いでば」は述懐。「宿」は一座二句物で只が一句、旅が一句。七十一句目に「衣擣つ宿をかりふしおきわかれ 宗長」の句があり、これが旅の句なのに対し、今回は只の宿になる。
いでばかりなるやどりともなし
露のまをうき古郷とおもふなよ 宗祇
古註1露のまのかりそめなるやどりを、うき物と思ふ心を打かへして、ここをかりなるやどりのうき事もあらじをうらむなよ、ととぢめたる心にや。よく心を付てみずば、聞まがはん句なるべし。
古註2ざんじノまヲ、うき古郷ト思うなよ、ただかりのやどと云也。
古註3露のまとは、ただすこしの間なり。それをいでば、やすき也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(露のまをうき古郷とおもふなよいでばかりなるやどりともなし)
露が結んでは消えてくまでのような短い人生だから、どんなに生まれ育った土地の人間関係が煩わしくてもくよくよすんなよ、死んだ後には仮の宿なんてどこにもない。
これは「咎めてには」という付け方で、前句がその前の句、つまり打越の心を受けて素直に付いているときに、それを否定する句をつなげることで展開を図ることができる。決して前句の作者を咎めているのではない。あくまでゲームとしての咎めにすぎない。
水無瀬三吟には咎めてにはの句が三句ある。
慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き
今さらに一人ある身を思うなよ 肖柏
老の行方よ何にかからむ
色もなき言の葉にだにあはれ知れ 肖柏
身のうきやども名残こそあれ
たらちねの遠からぬ跡になぐさめよ 肖柏
といずれも肖柏の句だが、その前句は、
山深き里や嵐におくるらん
慣れぬ住ひぞ寂しさも憂き 宗祇
見しはみな故郷人の跡もなし
老いの行方よ何にかからむ 宗祇
草木さへふるきみやこの恨みにて
身のうきやども名残こそあれ 宗長
といずれも前句に逆らわずに素直に心で付けている。こういう句の後に咎めてにはは一つのパターンなのだろう。
「露」が出て、季節は秋に転じる。次は挙句ということでこれは月呼び出しでもある。
季題:「露」は秋。降物。その他:「うき」は述懐。
露のまをうき古郷とおもふなよ
一むら雨に月ぞいさよふ 肖柏
古註1月にうき村雨は、露のあひだなるべし。さのみうらみまじき雨ぞと也。古郷のうきハ、月にかかる村雨のほどぞと観念したる義也。ふる里のより所、しかと聞えざるにこそ。吟味あるべしとぞ。
古註2かこつなよとは、むらさめニ月ヲうらみらる様也。やがて雨は、はれべしト也。
古註3露の間といふにて、むら雨と有。其間くもる月を待みよとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(露のまをうき古郷とおもふなよ一むら雨に月ぞいさよふ)
露が結んでは消えてくまでのような短い人生だから、どんなに生まれ育った土地の人間関係が煩わしくてもくよくよすんなよ、村雨の一雨降れば月も一瞬隠れるようなものだ。
近世になると花の定座が挙句の手前と定まり、判で押したように最後は春で締めくくることになる。月で締めくくるというのは中世連歌ならではの面白さでもある。
生きていくというのは様々な人間との軋轢の中で苦しいことも多い。だが、それもにわか雨のようなもので、涙の後には月も出るというところか。
そういうわけで、苦しくても頑張って生きてゆきましょう。いつかきっといいことあるよ。そう思いながらね。
季題:「月」は秋。光物。その他:なし。「村雨」は降物。一座一句物。
『連歌俳諧集』日本古典文学全集、金子金次郎、暉峻康隆、中村俊定注解、1974、小学館
『連歌集』日本古典文学大系39、伊地知鐡男註、1960、岩波書店
『連歌集』新潮日本古典集成33、島津忠夫註、1979、新潮社
『連歌文学の研究』福井久蔵、1948、喜久屋書店
『連歌論集』(上下)伊地知鉄男編、1956、岩波文庫
『宗祇』奥田勲、1998、吉川弘文館
『宗祇名作百韻注釈』金子金次郎、1985、桜風社
『宗祇の生活と作品』金子金治郎、1983、桜風社
『宗祇と箱根』金子金治郎、1993、神奈川新聞社
『連歌師宗祇』島津忠夫、1991、岩波書店
『宗祇』荒木良雄、1941、創元社
『宗祇』小西甚一、1971、筑摩書房
『心敬』篠田一士、1987、筑摩書房