「附贅一ッ」四句、解説

餘興

 附贅一ッ爰に置けり曰ク露    揚水

   無-用の枝を立し犬蘭     芭蕉

 夜ル㒵の朝咲花にあらそひて   其角

   塵-裡の四-虫音を隠る也   才丸

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

発句

 

 附贅一ッ爰に置けり曰ク露    揚水

 

 芭蕉の場合は発句と言えるかどうか微妙だが、そのあと其角、才丸の発句で百韻を巻いてきた。あと一人揚水が残っているということで、揚水の発句に一人一句づつ付けて、四句をここにあえて追加したのだろう。

 これは後の貞享元年の『冬の日』や貞享三年の『春の日』の表六句にも受け継がれている。

 「附贅」は「いぼ」と読む。この漢字は『荘子』「駢拇」の、

 

 「駢拇枝指、出乎性哉、而侈於德。附贅縣疣、出乎形哉、而侈於性。」

 (足の指がくっついてたり、六本あったり、それが性によるものでも、徳に余るものだ。瘤や疣が形に出るのも性に余るものだ。)

 

によるもので、そこから儒学の仁義もまた余計なものだという運びになる。

 その余計だと言われるイボを一つここに置く、というのはまさにこの四句のことだ。その無用なものを人呼んで「露」という。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

 

   附贅一ッ爰に置けり曰ク露

 無-用の枝を立し犬蘭       芭蕉

 (附贅一ッ爰に置けり曰ク露無-用の枝を立し犬蘭)

 

 前句の「露」は仁義のような余計なものではなく、同じく荘子のいう「無用の用」であり、役に立たないことが役に立つ、というふうに読み替える。犬蘭という植物名が当時あったのかどうかはわからないが、連歌の『菟玖波集』に対し俳諧が『新撰犬筑波集』であるように、犬は俳諧であることを示す。

 山の中の隠者のような君子の心でひっそりと咲く蘭に対し、犬蘭は江戸の市中に潜む俳諧の徒の市隠を表す。

 世の中からすればはみ出し者で、いてもいなくてもいい余計なものかもしれないが、その余計であるところに意味がある。それが俳諧だ。

 

季語は「犬蘭」で秋、植物、草類。

 

第三

 

   無-用の枝を立し犬蘭

 夜ル㒵の朝咲花にあらそひて   其角

 (夜ル㒵の朝咲花にあらそひて無-用の枝を立し犬蘭)

 

 今日「ヨルガオ」と呼ばれている花はウィキペディアに「日本には明治の始め頃に渡来し」とある。是も前句の「犬蘭」と同様、勝手に作った花であろう。

 其角は、

 

 草の戸に我は蓼食ふ蛍哉     其角

 

の句を翌々年の其角編『虚栗』に発表するが、ここでも吉原に出入りする夜の帝王ぶりをアピールしている。そうなると「朝咲花」は桃青のことか。

 夜咲く花も朝咲く花も、別に何かの役に立つわけでもないが、やはり花は人の心になくてはならない。それも無用の用だ。役に立たないことが役に立つ。

 

季語は「朝咲花」で秋、植物、草類。

 

四句目

 

   夜ル㒵の朝咲花にあらそひて

 塵-裡の四-虫音を隠る也     才丸

 (夜ル㒵の朝咲花にあらそひて塵-裡の四-虫音を隠る也)

 

 塵は世俗のことで、和光同塵という言葉もある。仏法の光も和らげて塵と同じうすることで世間に広まって行く。そのように、我らが俳諧もまた世俗の塵の裡(うち)にあって、ここに四匹の虫がひそかに声を上げている。

 それは貞門の連歌入門編としての俳諧ではない。和光同塵を実践して世俗を導く市隠の俳諧をここに宣言するものだった。

 

季語は「虫音」で秋、虫類。